第13話 主は宗教嫌いである

「さーて、連れ去られたドワーフの大半は救出できたし、邪教徒も、邪神ガエルも無事にぶっ殺せて依頼達成! 我ながら出来過ぎってくらい完璧な仕事っぷりだったな、胡桃さん」


 主が全身をぐっと伸ばして、満足気な表情と声色で自画自賛する。

 しかし、神が零落するまで徹底的に扱き下ろした上に、針鼠にして、既に死んでいるにも関わらず、肉片になるまで潰して火にかけたせいでドワーフたちからの心証は微妙だ。

 帝国の価値観や法に同化すると決意した以上、信仰にも歩み寄る必要があると思うのだが――


「信仰その物を否定する気は無いよ」


 主を見上げる吾輩の表情から懸念を察してくれた。

 その察しの良さをドワーフたちにも向ければ良かったものを。

 最近の主の化けの皮ネコは質が低い気がする。


 そろそろ新しい化けの皮ネコに交換する時期だ。


「さっき連中にも言ったけど、信仰の本質は法と秩序。時代や社会情勢に合わせて作られたガイドラインだ。人がより良く生きていくためのね。権力や法に道徳。人の正しさと根拠を保証する第三者機関としての機能を神に求めた。それ自体は良いんだよ。理解できない未知と折り合いをつけるために神格化するのは歴史上、ほとんど全ての文明で行われてきたことだ。けれど、いずれは解明されて理解可能な既知へと変わり、規範と文化だけが残る。そこに神の居場所はない。と言っても、それは神の排斥じゃない。父母たる神からの独立だ。子はいつか独り立ちするものだろう? それだってのに、いつまでも縋り付いて親離れできないんじゃ神も疲れるし、困るだろ」


 ――意外だ。


 主は筋金入りの宗教嫌いで、邪神や信者たちに示した敵意からして神さえも見下しているとさえ思っていた。だが、それは宗教の否定、信仰の拒絶は神との向き合い方の相違からくるものだった。

 とは言え、それは強者の論理だ。吾輩も強者だから主の言葉が正しいのは分かるが、弱者には理解できないし、到底納得のいくものではない。

 特に信仰が無ければ存在を維持することの出来ない神からしてみれば、独り立ちなんて耳障りのいい言葉で存在定義に必要な信仰エネルギーを断つと言うのだから堪ったものではないだろう。

 ましてや思惟のみで神を殺せる主が言うのだから猶更だ。


「独りでも生きていけるから縋らないし、見守らなくても大丈夫だから安心して次の世界へ行ってくださいってね」


 正しいだけの、感情を無視した強者の理屈だ。

 帝国を未発達な文明だと言うなら、帝国文明は弱者たち文明だ。

 そんな弱い人々に対し、頭ごなしに弱さを否定し、信仰を捨てさせようとするのは余りにも酷薄に思えてならない。


 例え虚勢であろうとも強者たらんと振舞える者は決して多くない。

 人であろうと獣であろうと変わらない。


 縋れる何かがあるなら素直に縋る方が賢い判断と言えよう。

 信仰それを断ってまで強者ぶっても不幸になるだけだ。

 生きるのが下手糞だと断言しても良い。


 強者には強者の、弱者には弱者の生き方がある。

 弱者に鞭を打つような侮辱をしてやろうとまでは思わないのは、吾輩が主よりも大人だからだろうか。


「中々斬新な主張だね」


 あーあ、また面倒臭そうな手合いに聞かれてしまったぞ。


 ほんのりと少年の面影を残す小柄な青年――帝国人の特徴に一致しない赤い瞳と銀色の髪。病的なまでに真っ白な肌。亜人種だろうか? いずれにせよ吾輩たちから異端の気配を感じ取れる程の者から、異端の考えを聞かれてしまった。

 面倒ごとの発端に違いないことは犬でも分かる。


 人当たりの良さそうな笑みを浮かべているが、自分の考えや価値観にそぐわない者のことを平然と排斥できる強制力が漂っている。強者だけに備わる危険な気配だ。


「そんなに珍しい主張ですか? 本来、人とは強い生き物なんだ。それなのに不幸ぶって弱者を気取り、謙虚なつもりの卑屈さと従順な素振りで神に導いて欲しいなどと甘ったれる。そんな弱さから脱却できれば人はもっといい方向へと進歩できると期待するのは」


 だから主は何故、この世界の人々を刺激するような言い方をするのだ。

 突如として現れた男が何者であれ、帝国の人々は信仰に篤く、それが普通だと言うのに。

 帝国への同化を目指す一方で、望んで異端者の道を爆走しているように思えてならない。


 筋金入りの宗教嫌いとは言え、吾輩の主はもう少し大人だったはずだが……大人だったよな? ちょっと自信が無いが大人だっと思う。

 吾輩が懊悩している間に小柄な男がくすりと笑う。


 違和感のある笑顔だ。作り笑いとも違う。

 一見すると少年のような無邪気さだが、その影に隠れて見下しているような――いや、悪意は感じない。

 見下していると言うか、上から目線であることに違いは無いのだが――、そうだ。例えば好々爺が大人ぶる孫の面倒を見ている。そんな雰囲気に似ている。


「別に進歩や強さを強要する気はありませんよ? ただ自分が一方的に期待しているだけで。人類を次のステップに導こうだなんて高邁な理想もありませんしね。何より面倒を見てやる義理もない」


 いやいやいや、それは流石に卑怯な考え方だ。


「君の独特な考え方の正誤を下せる程、僕は傲慢では無いつもりだよ。けれどね、可愛い姪っ子にできた友人がどんな男なのか気にならない程、無関心な叔父でもないんだ」


 その瞬間、主から猛烈な汗の匂いが漂ってきた。

 何事かと思って見上げると、主が雨にでも打たれたかのような勢いで大粒の冷や汗を大量に浮かべていた。


 ――あーあ、やってしまったな、主よ。


 誰の身内か名言していないが、帝国で築いてきた人間関係からして、きっと彼は間違いなくカトリエル女史の叔父だ。

 野放図な言動がどれほどの痛手になるかは、主の態度を見れば今更語るまでもない。

 言うべきことと、思っていても秘するべきことがある。


「ええ、家族として当然のことだと思います、ええ」


 主が固い声で「ええ」と連呼する。先ほどまでの人を食った態度は完全にナリを潜めている。

 吾輩は倉澤蒼一郎を主として認めている一方で、相棒を自認している。

 だから、主の行動や言動、思想の全てを肯定しているわけではない。


 敢えて言おう。これはカッコ悪い。本当にカッコ悪い。

 主とは言え、これはかばい立てのしようもない程の空前絶後のカッコ悪さだ。


「他の誰でもない本人から理解を得られたことだし、考えを聞かせてもらいたいな。帝国の宗教観から大きく離れた思考と価値観をね」


 主は観念したように溜息を吐いて、額の冷や汗を拭った。

 その緩慢な動きは、頭の中で必死に言葉を選んでいることの現れなのだろう。


「自分が帝国の歴史に触れて真っ先に思ったのが、建国とほぼ同時に始まった停滞でした」


「停滞、か。面白い着眼点だね」


「帝国建国の要因は二つ。先史文明の崩壊と八雷神の降臨。先史文明が帝国とは比較にならないほど優れた文明と栄華を誇っていたであろうことは、現代に残る魔術からも容易に想像ができる」


 先史文明の古代魔術と帝国建国以降の現代語で名付けられた新魔術。

 多くの者が完成度の高い古代魔術を愛用し、新魔術は帝国人固有の研究成果であって実用に耐え得るものではないというのが帝国魔術師たちの認識だ。

 6000年以上も世代交代を繰り返し、既に先史文明によって生み出された雛型があるにも関わらず、それを追い抜けないでいる。

 主はその状況を停滞と断じたのだ。主風に言うなら帝国人は神のみならず、滅びた文明の残滓にすら縋り付いているように映り、嫌悪しているようだ。

 使えるのだから使えばいい。より良い物を自らの手で生み出さねばならないという傲慢な考えは実に人間らしい。 

 時代や世代が進むと同時に発展しなければならないという強迫観念にも似た傲慢さは主特有の物では無く、現代人ならではの本能なのかも知れない。

 少なくとも柴犬の吾輩には備わっていない本能と思想だ。


「成程、続けて」


「そして、サマーダム大学に保管されている帝国建国史を紐解けば、当時の人々がどんな建物に住み、どんな文化を築き、どんな魔術を使っていたかを調べるのは簡単です」


「調べた結果、君は帝国が停滞していると判断したわけだ」


「組織が肥大化と時間を重ねる内に、当初の理念を忘れ、保守に狂奔してしまうのは決して変なことじゃない。当然のことだ。けれど帝国は違う。最初から停滞している。安定したまま変化が起こっていない。これが完成形だという考えに縛られているみたいに」


「君はその原因を宗教に求めた」


「建国期、第一世代の帝国人は先史文明の栄華を自身の目で見ていた筈だ。火の魔術を目にして感動した者が再現を望んだとして、魔力を用いず、木の棒を擦り合わせて火を熾したりしないのと同じです。完全再現は無理でも近付けようとする努力をする筈だ。その後押しを八雷神がしたのだとしたら納得できる。だが、何故その先を目指さない?」


「君の考えだと帝国人の望みを全て八雷神が叶えてしまった。神のいない先史文明は欲しい物を自ら発明して手に入れ、それを何度も繰り返していく内に発展していった。けれど、帝国では神が全てを与えてしまうから発明するという発想が生まれ難い。だから発展もしない」


 主は気付いていないようだが、彼の言葉に引っ掛かりを覚えた。


 先史文明に神はいない?


 サマーダム大学の図書館に蔵書されている帝国史宗教学入門に曰く――、帝国建国期、土着の神々が信仰を得るべく、人類の前に姿を見せるようになった。

 しかし、降臨した八雷神が信仰の殆どを独占し、主神の座に就いたが為に、再び歴史の影に身を潜めた神々は多くが邪神へと変貌してしまった。


 その記述を信じるなら、土着の神々は帝国建国以前、つまり先史文明時代から存在していることになる。

 邪神であろうとも神に畏怖と敬意を払い、八雷神の加護を得て文明を一気に停滞・安定期にまで発展させた帝国人の宗教観で考えるなら、先史文明が帝国文明より栄えた理由に、神々の存在を求める筈だ。

 彼が何気なく、さらりと口にした神の存在の否定は、帝国人の価値観、宗教観にはそぐわない気がする。

 寧ろ、八雷神以上の神がいたからこそ、帝国よりも栄えた文明を築けたと考えそうなものなのに。

 八雷神という強大な力と信仰を一身に集める一神教の帝国文明と、数多の土着の神々と共に発展した多神教の先史文明。そう考えるのが帝国的な価値観では無いだろうか?

 そうであれば、一神教でありながら邪神でさえも畏怖と敬意を払い、邪神であろうとも神を蔑視すれば軽蔑する帝国人の姿勢にも納得がいく。


 柴犬ですら少し考えれば分かることを主は気付きもせずに言葉を続けた。

 推定、カトリエル女史の叔父相手だから仕方が無いかも知れないが、もう少し頭を使う癖を身に着けるべきだ。


「それだけではありません。八雷神に祈って得られる加護で足りなければ、邪神に信仰を捧げるのは帝国の至る所で暗躍する邪教徒の存在が証明しています。自助努力という発想自体がない。これでは人類の発展など絶望的です」


「じゃあ、神がいなくなれば帝国は進化や発展を遂げるようになると思うかい?」


「すぐには無理でしょう。帝国に自助努力という発想自体が浸透していない。まずは神も邪神も助けてはくれないということを認めるまでに最低でも一度は世代交代もしなければならないと思います」


「自らの足で立たなければならないと気付くまで、時を待たねばならないと」


「ええ、全ての民に周知され、誰もが理解し、納得していた常識が抹消されるのですから人々の心が闇に閉ざされるであろうことは想像するまでもありません。だから恐らく、立ち上がるのは神の加護を知らずに生まれ育った者たちです――と言ったところで六千年以上も帝国の歴史と共にあった八雷神が消え去るとも思えない。ただの空論です」


「君はこの世界の誰よりも人間の可能性を信じ、神が人間の可能性を閉ざす障害だと思っているんだね。あの子が君を信じ、肩入れするのも納得だよ。けれど、君の考えは異端が過ぎる。君は漸く現れたあの子の理解者になり得る逸材だ。異端者認定されて孤立させるようなことにはならないでくれよ?」


「買い被りですよ――なんて謙虚ぶるつもりはありませんが、自分が異端認定されて騎士団や衛兵団から追われる身になったとして、何故、彼女が孤立することに? 出会って精々一か月。顔を合わせたのだって、まだ四回くらいで事務的なやり取りしかしていない筈ですが」


「あの子にも色々あるんだよ。色々とね」


「その色々を聞かせてもらえたりはしないのですか?」


「姪とはいえ女の秘密を僕の口からベラベラと漏らすのは憚られる。幸いにも君は男で、あの子は女だ。このまま信用と信頼を勝ち取り、あの子が自分から言うのを待つと良い。ただそうなる前に君が異端認定されて社会から排除されても困る。そこで君に提案だ」


「それが本題ですか」


「ご明察。君がただの凡人なら、これからも姪をよろしくで済むんだけどね。倉澤蒼一郎、君は僕が思っていたよりもずっと劇物だ。君が思惟を洩らさなかったのか、たまたま余人に聞かれなかっただけなのか定かではないけど、異端者認定されるのも時間の問題だ。重ねて言うけど、それは困るんだ。だから問題ないようにしたい」


「問題ないようにしたいって、そんなこと出来る筈がない。正気じゃない。出来るのだとしたら、貴方は一体、何者なのですか?」


 分かってるなら、もう少し日頃の態度と言葉に気を付けるべきだ。

 それはさて置き、彼が帝室に連なる者であろうと、主の異端認定を回避するのは不可能に近い。


 一見すると帝国は皇帝の独裁社会に見えるが、皇帝はあくまでも帝国と武威の象徴であり、それ以上でも、それ以下でもない。

 犬とは言え現代社会に身を置いていた吾輩にとっても驚きの話だが、力を示しさえすれば地位や血筋に関わらず、誰でも皇帝を目指すことが出来、武力で簒奪することが出来る。

 事実、現皇帝のハルロンティ・アーリーバードはクーデターを起こして先帝を殺害。その直後に停滞していた大陸統一事業を完遂させている。

 将兵たちは先帝を無念を晴らそうとするどころか、新皇帝万歳と叫び、意気揚々と戦場に飛び込んだという。

 帝国的な行いであれば、帝位の簒奪さえもが許される一方で、反帝国的であれば皇帝でさえも許されない。そういった意味では帝位を力によって奪われた先帝は、退き時を誤った不甲斐ない奴だと未だに嘲笑に晒されているのだ。


 政治は貴族たちの円卓会議によって運営され、八雷神信仰は教会が司っている。

 仮に彼が大貴族だとしても円卓会議は合議制であり、独断でどうにか出来るものではない。

 彼が教会の人間だとしたら、自己否定も良いところだ。主の発言どころか存在を認めていること自体が大問題だ。

 柴犬にですら分かるのだから、主が訝しがるのも当然と言える。


「それは僕の台詞なんだけどね。まあ良いや、一応名乗っておこう。僕はライゼファー」


 姓を名乗らなかったが平民ということは無い筈だ。

 物腰に余裕があるし、タキシードに似た服装や肌、髪があまりにも綺麗すぎる。

 それに何より体臭がしない。


 カトリエル女史とて主が見惚れる程の美女だが、香水の下からは草花、鉄と火の匂いがしていた。


 ――おや? これは変だぞ。


「頭のいい子だね。ずっと聞き耳を立て、君や僕を観察して、表情、感情、発言、声色、動作を判断材料に五感を総動員して思考し、自分なりの結論を出せる子だ」


「ええ、自慢の家族ですよ」


 主が得意げに笑みを浮かべるが、吾輩が知能明晰であるのは今更語るまでもない。当然である。

 子犬の頃、酔っ払いたちに殺されかけたところを主に救われて以来、吾輩は主との会話を通じて日本語を会得し、周辺の人間たちが発する言葉を洞察する習慣を身に着けた。インテリを目指しているのではない。

 全ては自分の身を守るためだ。あの時、酔っ払いたちに殺されかけた時、吾輩は連中の危険性というものをまるで理解していなかった。だから殺されかけた。


 吾輩の深く鋭い洞察力は人間不信の賜物だ。

 それが巡り巡って自他共に認める天才犬になってしまったのだ。

 まあ、怪我の功名という奴だ。


「家族を大切に思えるのは良いことだ。そういうところは凄く好感が持てるね。さて話を元に戻そうか。君が異端認定されても問題なくすると言っても僕が何かするわけではない。すべて君がやるんだ」


「自分が?」


「帝国は武を尊び、力を貴ぶ。だから武威を示せば良い」


「帝国は世界制覇を成し遂げ、残るは支配する意味のない小さな島国が点在しているだけ。戦う相手のいない帝国で何と戦って武威を示すと言うのです? ましてや教会さえも納得する程の敵なんて――――まさか!?」


「そう、魔人だ。復活したトゥーダス・アザリンがジエネルを滅ぼした噂は、君も聞いたことがあるんじゃないかな? 武威を示すには打ってつけの相手と言える。」


「それは無理と言うものですよ」


 ニヤリと笑みを浮かべるライゼファーに、主が反射的に否定する。


 しかし、彼の提案は決して適当で野放図な与太話だとは思えなかった。

 人の好さそうな笑みを浮かべていたものの、瞳に籠った力と真実味を含んだ声色から説得力を感じられた。


「数千、数万の騎士と魔術師を結集させて漸く一体と引き分けられる程なんだから。自分ひとりだけじゃ相対すると同時に消炭にされている」


「それはどうかな? 君なら魔人とも対等以上に戦えると思うんだけどなぁ」


「買い被りすぎですよ」


 矢張りそうだ。ライゼファーは主が魔人を打倒できると確信している。

 可愛い姪に擦り寄ってくる住所不定の非正規労働者を魔人にぶつけて合法的に始末してしまおうという悪意は全く感じられなかった。

 主や吾輩では見えず、理解出来ないものを彼は確信しているのだろう。

 

「買い被りなものか。試しに僕に斬りかかってみないかい? もちろん殺すつもりで」


 そう言われて主は喜び勇んでライゼファーに斬りかかる――なんてことはしない。

 寧ろ、突拍子のない提案に主が目を丸くする。

 暴力が推奨されるお国柄とは言え、殺す気で斬りかかって来いと言われれば、流石の主も困惑を隠せないのは無理もない。


 主は何の躊躇もなく暴威を奮えるし、平然と人を殺すことができる。

 だが、それは敵に限った話だ。無差別殺人鬼ではない。殺してはいけない相手を十二分に弁えている。それがカトリエル女史の叔父なら猶更無理だ。


「帝国は歴史から何も学んでいない。古代文明の魔術を復元、体得し、鉱石に刻印して魔術兵装を量産し、武装して大部隊を編成しようとも前提条件を満たしていなければ無駄に屍を増やすだけだ」


「ライゼファー、貴方は一体、何者なんだ。自分に何をさせようとしているのです」


「ただの劣った人間だよ。この時代の人々は不幸だ。復活したのはトゥーダス・アザリンだけじゃない。君もサマーダム大学に行く用事が出来たら魔人の復活周期を調べてみると良い。今期は十九体の魔人全員が復活する」


「魔人が一つの時代で一堂に会する。何が起こるのです?」


「分からない」


「分からないって……」


「何も変わらないかも知れないし、破壊の時代が到来するかも知れない。だけど魔人たちが人々を害する意識が無くても、無自覚にアリを踏み潰す感覚で大陸を破壊できる力を持つ。それが十九人だ。恐るべき事態だというのは事細かに説明する必要もないだろう?」


 帝国に未曾有の危機が迫ろうとする時代に吾輩たちが迷い込んだのは、神に類する存在の意思が働いているのではと疑いたくなるが、まあ偶然と言うか運が悪かったのだろう。

 そもそも我々を召喚したのは神では無く、邪神ガエルを信奉する一邪教徒に過ぎない。


「だけど僕は絶望するには早いと思っている。集結するルカビアンの十九魔人。そして君たちの存在は世界に変革をもたらす切っ掛けになる筈……まあ半分くらいは僕の願望だけどね。僕を斬って欲しいと言ったのは君が変革の中心になるという僕の直感を裏付けたいからなんだよ」


「まあ……折角ですし、腕試しをさせてもらいましょうか」


「わふっ!?」


「そんなに驚くなよ、胡桃さん。それに多分、勝てないだろうから。言ったろ? 腕試しだって」


 二重に驚いた。


 主が敵でもない相手に攻撃の意思を持ったこと。

 そして目の前の少年の面影を残す男に劣ると判断したこと。


 別に主が世界最強だとは思っていない。

 それでも、やっぱり自分のご主人様が最強だという願望をゼロにすることを吾輩にはできなかった。

 事実、主が地を舐める姿を日本でも帝国でも一度も見たことがない。帝国人にとっての力の象徴が皇帝であるように、吾輩にとっての力の象徴は倉澤蒼一郎であって欲しいのだ。


 それにも関わらず、主があっさりと負けを認めるのはモヤモヤとした納得し難いものがある。


「別にこれでも構わないでしょう?」


 そう言いながら、主が精霊剣を召喚する。

 歪な切っ先、凸凹の刀身。

 人間の物創りに感銘を受けた人好きの精霊たちが見様見真似で作ったなまくら刀だが、吾輩の主が構えれば殺意の具現と変じる。


「何も問題ないよ。僕が見たいのは君が使う道具じゃない。君自身だ」


「では――」


 主が鋭く息を吸い込む。それだけで空気が凍て付く。主は本気だ。

 邪神相手にすら見せなかった本気の殺意に周辺の重力が増し、太陽の光が阻まれ世界が暗闇と冷気に閉ざされる。

 そんな錯覚すら起こす程の殺気が、主の身体から放たれる。


 殺意を向けられていない吾輩ですらこうなのだ。

 一身に殺意を受けるライゼファーは如何程の圧力に襲われているのか。

 少なくとも吾輩とは比較にもならない筈だ。


「行きます」


 主は白い吐息を吐いて身を沈め、突風と共に姿をかき消す。

 地を蹴ったことを証明するように、それまで主が立っていた場所が鋭く貫かれたかのように沈下した。四本足だというのに立っていられない程の衝撃に晒された。


 吾輩がバランスを崩した瞬間、肉迫した主とライゼファーの間から、雷鳴よりも遥かに低く、大きな轟音が鳴り響き、精霊剣が粉々に砕け散る。陽光に反射して煌めく剣の破片を振り払うようにして次の剣を召喚。斬撃を振り落とすも、ライゼファーの指に挟み取られる。


「やっぱり僕の思った通りだ」


 そう口にするライゼファーの顔には歓喜が浮かび上がっていた。

 斬り付けられた剣を逆に粉々にするという離れ業じみた肉体強度や、主の斬撃を指二本で受け止める技量を勝ち誇っているのではない。

 ただ自分自身の直感や考えが間違いではないということを確信した笑顔だった。


「思った通り、君が世界を革新に進ませる始まりの人だ」


「お眼鏡にかなったようですが、自分に何を望んでいるのですか?」


「それを語ることに意味はないよ。君は君のまま、あるがままにいるだけで良い。それだけで世界は変革する。せざるを得なくなる。歩みを止めてしまった帝国六千年の歴史は今この瞬間から歩みを再開する。倉澤蒼一郎、君の出現によってね」


「は、はあ……」


 感極まって一人で盛り上がるライゼファーに主は置いてけぼりを食らったような顔で戸惑うが、話はそんなに簡単なものではない。

 帝国が全戦力を結集させて漸く勝ち目が見えてくる程の脅威に、彼は主が一人で立ち向かえると確信してしまったのだ。


 まだ確信には至らないが、吾輩は彼に一つの疑いを持っている。


 主が神を侮蔑する様を見て、邪神ガエルは言った。

 ルカビアンに感化されたのか、と。


 常軌を逸した出鱈目な能力、神を信仰しない主を受け入れる精神性、そして思考形態。

 いずれも帝国の常識から離れている。

 外見も帝国人の特徴に一致せず、吾輩は亜人である可能性を考えたが、ドワーフ、エルフ、ヴァンパイア、オーク、ホビット、ハーフリング、オーガ、ゴブリン、バードマン、トロール、ハーピー、マーメイド、そしてドラゴニアン。今までに出会った亜人種のいずれにも該当しない。


 吾輩の疑念。それは、この男、ライゼファーこそが魔人の一人では無いのかということだ。

 だが、そうだとしたら何故、魔人が主を魔人と戦わせようとしているのかという疑問が浮上する。


 だから、これは吾輩の何の根拠もない直感だ。

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