第33話 ガエルとガ・エルは別物である。
カトリエル女史に連れられ、サマーダム大学の校舎を歩く。真っ赤な絨毯に施された金色の刺繍は魔術的な刻印と同じ効力を持つのか、魔術的な力が備わっていることが見て取れた。絨毯だけではない。英霊たちの油絵を描く際に利用された絵具、花瓶に活けてある花の色と配置、天井のステンドグラス。それら全てが魔術的な意味が込められている。
防御だろうか。それとも迎撃? いや、意外と生徒たちが快適に過ごせるような工夫を魔術的に解決するために用いているのかも知れない。
残念な事に、主が興味関心を示さなかったので、カトリエル女史も特に解説するようなことはしなかった。ソウブルー要塞の巨大門にはよく目を奪われているので、主の教養不足と言うよりも、それどころでは無いということなのだろう。
「細身の長身よりも長い剣に黒髪黒目で未知の幻獣を連れ歩く男。きっと彼が七代目の龍殺し、倉澤蒼一郎だ」
「隣を歩いているのはカトリエル首席卒業生じゃないか。相変わらず、お美しい。新時代の英雄と大学きっての才媛が二人で訪れるなんて新たな英雄伝説の始まりか?」
主とカトリエル女史の無関心とは裏腹に大学の生徒や研究者たちは興味深そうに吾輩たちの一挙手一投足に注目していた。主が龍殺しの称号を得て、まだ一月足らず。思っていたより情報伝達速度が速い。
帝国にもインターネットに似た情報通信網は存在するのだが、要塞の支配者等の一部の権力者であったり、アーベルト殿のような多くの配下を動かす立場にある者にのみ使用できることを風の噂に聞いた事がある。
サマーダム大学ならゴドウェイン・ゼマリノフ学長が情報通信網を使える立場にある筈だ。
あの厳めしい顔でゴシップ情報を収集し、学内に伝えている姿が想像し難くあったが、一番近くの街、トルトーネ街に行くにも馬車で半日は要することを思えば、世間から隔離されたサマーダム大学内で、主の活躍を広く報せるのは打って付けの娯楽になるのだろう。
「名前が売れすぎるのも考え物ね。わたしたちの話は余人には聞かせられないことばかりだから、注目されたり、あまり聞き耳を立てられても困るわ」
「何か秘密の話ができる場所は?」
主の問いにカトリエル女史は人差し指を唇に当てて考え込む。
「学長室以外だと……作るか」
「作る?」
「ええ、無いなら作るしかないでしょう?」
図書館で魔人に関する書籍の幾つかを持ち出し、吾輩と主はクエスチョンマークを浮かべて、カトリエル女史の後に続き、本棟の隅にある扉を抜けて鉄塔に続く空中回廊を進む。建材も大工工具も持ってきていない。
「校舎の施設には全て魔術的な印が刻まれている。言うなれば、巨大な魔術兵装。いつ、何処で、誰が、何をして、何を話しているかもゴドウェイン・ゼマリノフ学長の耳に届くようになっているのだけれど、一人の人間が抱えるには情報量が多過ぎるし、中には何の価値もない情報もある。情報の濾過と整理する術式も組み込まなくてはならない」
「では、自分たちの会話や行動も筒抜けに?」
「それはそうでしょう。あなたが築く伝説が気になるのは若い生徒たちに限った話ではない。今のあなたは人々の好奇心を大いに煽る程の存在なのよ。そして、これからもっとそれが強くなっていく」
魔人を殺し、邪神を殺し、オライオンを殺す。その過程で多くの怪物や悪党も殺すことになる。途中、主のことを遠巻きにしながら興奮を隠せない様子の生徒が口にした『英雄伝説』も決して戯言ではない。
――主の怠惰な日々が終わりを迎えようとしている。いや、もう終わっている。
そんな事を思いながら歩いていると、鉄塔の最上階もあっと言う間に辿り着いてしまう。カトリエル女史が「呆れた。まだ放置してあったのね」と言葉とは裏腹に安堵の吐息を漏らした。
「此処は?」
「昔、わたしが愛用していた悪戯部屋よ」
ゴドウェイン・ゼマリノフ学長とのやり取りを見る前だったら、絶対に信じなかったであろう言葉が彼女の口から飛び出した。
「大学の校舎には後から増築された箇所が幾つかあるのだけれど、狭くて小さい場所ほど魔術的な処理が甘い。拡張性のない魔術兵装に新たな魔術刻印を施すような物だから当然なのだけれどね。巨大な建築物ならどうにか出来るなんて傲慢で造り出されたサマーダム大学の弱点。此処なら校舎中に張り巡らされた術式に阻害されることなく、盗み聞きも、盗み見も出来ない私的な空間に再構築出来る」
部屋が吹き飛び、飛び散って宙に浮いた建材が再び集まって、鳥籠の形に再構成される。
まるで自分の運命が鳥籠に囚われているという悲痛が込められる一方で、この皮肉めいた部屋を何が何でも飛び出して自由を手にするのだという驀進的な強い意思を感じた。
その感覚は吾輩だけが感じた物では無いらしく、主は図書館から持ち出した書籍の内の一冊、改訂版魔人概論を手に取り言った。
「それでは未来と自由を取り戻すために、一仕事はじめましょうか」
「そうね」
カトリエル女史も書籍を一冊手に取り、檻の形状に変質した建材に寄りかかって本を開いた。
魔人の概論が記述された序文を斜め読みしているか、殆ど読んでいないと思わせる勢いでページを捲っていた主の手が止まった。
「序列17位、ライゼファー、か」
主は特に驚いた様子も無く呟いた。どのタイミングか定かで無いが、どうやら主もライゼファーが魔人だと疑いを持っていたようだ。
寧ろ、あの男が偽名すら使っていなかった事に吾輩は驚かされた。
何故、カトリエル女史の叔父を自称して吾輩たちをサマーダム大学へ誘導し、こんな迂遠な手段で正体を明かしたのだろうか? 意味が分からなかった。
「そして、ライゼファーは序列19位のハーティアと兄妹の関係」
主の言葉に息が詰まりそうになる。ライゼファーはカトリエル女史を姪と言った。ならば、魔人ハーティアがカトリエル女史の母親ということになるのだろう?
父親は誰だろうか? 魔人か、獣人か、亜人か、人間か。ヴァルバラから、ハーティアが融和派の魔人であることは聞かされている。
――だとすれば、ハーティアの夫は魔人以外。オウラノ種の誰かだ。
それでカトリエル女史を身籠り、ライゼファーも人類融和派の魔人になったとしたら、それは自然な事のように思える。
他者との関係は言ってしまえば妥協するか、させるかだ。その振れ幅が小さければ小さいほど関係は良くなるし、逆に妥協の振れ幅が大きくなるにつれて関係は悪化していく。
だが、それが家族の望みとなれば、妥協の許容値は大きくなる筈だ。
「序列14位のガ・エルと序列12位のギ・エルは兄弟だし、魔人でも普通に人間みたいに家族がいるのよね」
それもその筈。帝国文明はルカビアン文明を簡易的に模倣したに過ぎない。帝国にある文化、知識、技術、主義、思想の全て物事の祖はルカビアン文明にあるのだから、家族制度だって帝国にあるなら魔人にもあるのが当然だ。
魔人たちこそが、この世界における本来の普通の人間なのだから。
帝国人――人工的に生み出された筈のオウラノが人間らしく、振舞えているのが出来すぎているのだ。
その話を聞かせてくれたヴァルバラも今では融和派の魔人として帝国人との共存を望むようになったようだが、吾輩は彼女が口を滑らせて発した差別的な表現を吾輩は忘れていない。
『でも実際に立ち上がったのは神々で、オウラノによる文明の再建を後押ししたんだ。そりゃあアタシらもカンカンになって怒ったもんだよ。産まれた時から搾取されて、社会が崩壊して、仲間も減って、落ち込んでいたらヒトモドキのモルモット如きがアタシらの土地まで奪おうとしてるんだからね』
オウラノは人間では無い。社会実験の果てに生まれた実験動物。人の形をしているが人では無い。だから人権も何も無い。
それがルカビアン文明におけるオウラノに対する標準的な物の見方であり、帝国の獣人差別や亜人差別、元の世界での人種差別とは意図も、意識も、悪意も全然違う。
人類融和派の道を標榜する姿勢を見せながらも、敢えて侮辱的な表現をしたのは歴史的事実を伝えるのが目的だったのだろうか。それもあるかも知れないが、帝国に攻撃を仕掛ける理由や人類に敵対的な魔人の価値観を教えたかったのだと思えてならなかった。
――だから何故、主の前で言わなかったのだ。あの女は。
「ガ・エル……か。なあ、覚えてるか、胡桃さん。あの小屋で召喚者が言っていたよな。ガ・エルを復活させてサマーダム大学を襲撃するって。あの男は氷の団の一員で邪神崇拝の嫌疑にかけられていた。だから、邪神ガエルのことを言っていると思い込んでいたが、あの男が復活させようとしていたのは魔人ガ・エルの事を言っていたんじゃないのか?」
だからヴァルバラも主もなんで吾輩に言うのだ。
超天才の柴犬とは言え、吾輩は犬だ。元野良の犬畜生でしかない。
平時なら記憶と考えを整理する為の独り言に近いのだが、今回に限って言えば、確証を得る為の肯定を欲しているように見える。期待と責任が重い。
だが、あの時の事は一言一句どころか、あの時に感じた怒りや不甲斐なさすら覚えている。肯定の意を込めて吠える。
「だよな。イントネーションが全然違った。あれが訛りとは考え難い。ただ、その場合、あの時のアイツは何だったんだって話になるんだよな。ガ・エルの仲間だとすれば奴も魔人って事になるんだけど……魔人にしては弱過ぎる」
身も蓋も無いが、魔人の眷属とされるドラゴンよりも数段落ちる。
しかし、あの男が語った異世界脅威論はオウラノでは無く、ルカビアンから出た論理だと思えば納得できる。顔立ちもだ。オウラノとも亜人種とも違う整った容姿はライゼファーやヴァルバラに通ずるものがあった。
それに主が帝国建国史記を読んで帝国に停滞を感じたように、帝国人は建国期から安定にも似た停滞を続けている。神の存在により現状維持を是とし、発展的な思考を不得意としている。そんな価値観が蔓延する社会で小異世界しかないことに違和感を覚え、大異世界の究明という発想をオウラノが持つとは到底考えられない。
そもそも、あの男は本当に死んだのだろうか? 主の圧倒的な力を前にして驚愕することなく、自分の論理の正しさを証明できたことに興奮していたように思える。
「あの男の正体なんて今はどうでも良いでしょう。あの男が本当に復活させようとしていたのが魔人ガ・エルであり、サマーダム大学の襲撃を企てていたとすれば――」
「襲撃する理由がある、か」
主と共に魔人ガ・エルの項目に視線を落とす。
ルカビアンの十九魔人、序列14位。霊的な力を使役し、不死者の軍勢を率いる悪霊の王。復活の際、周囲でワイルドハントの発生が確認される。
殺した人間を操る能力を持ち、操られている人間にはその自覚が無く、生前と同じ思考で行動するが、人間に絶対的な敵意を持っている魔人が死者を操り、生者の中に送り込む理由は極めて強い悪意が起因している。
「ワイルドハントとは遭遇しているから、ガ・エルは復活していると考えても良い。復活周期を考えたら、あの男がいようがいまいがガ・エルの復活には関係ない。早かれ遅かれだ。あの男がガ・エルにサマーダム大学を襲撃させたい理由があるとすれば、霊的な力。或いは死者を操る能力で何かをしたいか、させたいと考えるべきか。何か心当たりはありますか?」
「借り腹の儀からの解放とは関係の無いことに一切の興味関心を持っていなかったから……知識が偏り過ぎて、サマーダム大学の事もあまり知らないのよね」
「では、ゴドウェイン・ゼマリノフ学長にご助力を願いましょうか」
「さっき揶揄ったばかりだし、少し気まずいわね……」
主の質問と提案に、カトリエル女史が涼しい顔とは裏腹に、心底嫌そうに気配を歪ませる。
「自分が揶揄ったわけではありませんし」
「あなた、意外といい性格しているわね」
「カトリエルさんこそ、暫くサマーダム大学に留まるのに何故あんな振る舞いをしたのですか……」
「……だって、わたしたちの目的には関係無いと思ったのだもの」
拗ねたようにそっぽを向くカトリエル女史。幼稚な悪童。そんな彼女の本質が垣間見え、主が聞き分けの無い子供を見守るかのような慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
流石、四捨五入すると三十路なだけのことはある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます