第3話 フェニックスの玉子包みは美味である

 アーベルト殿の勧誘をのらりくらりと躱して、ソウブルー要塞の商業地区を練り歩く主へついていく。

 石畳で舗装されたなだらかな登り坂を進むのは、地元とは違った趣きで中々に楽しい。帝国定番のお散歩コースだ。


 道を行き交う人々が吾輩を見るなり、ぎょっとした顔をして避けていく。

 愛玩犬として我が同胞たる柴犬が人気の犬種であることは今や語るまでもない事実だが、全ての人間が犬を好いているわけではない事もまた事実。

 しかし、いつもの事とは言え、モーセの十戒のように人波が真っ二つに裂けるのはどうかと思う。


 これではまるで――


「薄々思っていたんだけど帝国って犬がいないんじゃ……」


 帝国人の恐怖の根源が未知から来ていると判断したのか、主が絶望的な予測を口にする。

 同じ柴犬か、せめて和犬が良いとか、そんな贅沢を言うつもりはない。

 この際、大型犬でも小型犬でも雌犬なら何でも良いから出会いが欲しい。

 折角の異世界だ。異世界特有の犬種に吾輩の胤を撒く。そんな細やかな希望が打ち砕かれた気分になる。


 ブルーな気分だ。ソウブルーなだけに。


「ちょっと胡桃さん。そんなにマジ凹みするんじゃないよ。眉間の皺が凄いことになってるじゃないか」


 主が吾輩を抱き上げ、眉間を揉み解すように撫でる。

 ブルーを通り越して、いっそブラックな気分だが撫でられるのは矢張り気持ちが良い。極楽気分に尻尾が躍る。


「すげぇ、ガチ凹みしながら尻尾振ってら」


 主にからかわれるが凹むなと言われても、それは無理難題だ。

 尻尾が動くのは半分は本能だし、主とて帝国に女が一人もいないなどということになれば、酷く落胆するであろうことは想像に難くない。普通に其処かしこに女が出歩いているから、その光景も吾輩の懊悩も想像できないのだ。


 絶望感が吾輩の胸中を――


「あ、玉子要塞の屋台。今日はこっちでやってるんだ。胡桃さん、そろそろ朝飯にしようか」


 露骨な話題逸らしだ。しかし、卵が食べられるなら、それも吝かではない。

 吾輩が幼少の砌には、よく生卵を殻ごと食していたもので、言うなればソウルフードという奴だ。

 倉澤家の一員になってからは殻の欠片一つない物しか食べていない。所謂、贅沢食いが当たり前になった。

 やれやれ、気付けばグルメが板についてしまったようだ。


「大将、フェニックスの玉子包み二つ。一つは塩抜きでお願いします」


「あいよ!!」


 主が手慣れた調子で注文し、大将のドライセンが威勢のいい声をあげる。

 大きな鉄板から玉子とバターの焼ける匂いが鼻腔を擽られる。

 屋台のフチにしがみついて、鉄板の上を覗き込むと玉子とバターが沸騰し、吾輩の視覚を楽しませてくれた。

 隣の鉄板からはフェニックスの皮付きもも肉が焼ける音と、脂の弾ける音が耳朶を叩く。

 視覚、嗅覚、聴覚を強制的に楽しませる最高のエンターテイメントで殴りつけられた気分だ。

 待ち切れず、衝動的に立ち上がったことを少し後悔した。

 時間にしてみれば僅か、しかし、一日千秋と呼ぶに相応しい光景だ。


「くくく……」


 主が含み笑いを漏らしながら、吾輩の頭を撫でる。

 撫でられる喜び、心地よさ、そして待ち遠しさを隠せぬ吾輩の稚気を揶揄われているようで気恥ずかしい。複雑な気分になるが、フェニックスの玉子包みがちゃくちゃくと完成に近付いていくことを思えば、吾輩の逡巡など些末なことだ。


「お待ちどうさん!! こっちが塩抜きの方な!!」


「ありがとうございます」


 主が受け取りながら、折り目正しく礼を言う。

 それに倣って吾輩も鼻を鳴らして頭を下げる。

 最早、お手もお代わりも待ても不要であろう。


「なあ、倉澤蒼一郎の旦那。手が空いている時で良いから、またフェニックスを狩ってきてくれないか?」


「流通、矢張り不安定なままなのですか?」


「ルカビアンの十九魔人の一人、トゥーダス・アザリンがジエネルで復活したなんて眉唾な噂だと思っていたんだがな、ジエネルの崩壊自体はどうやらマジらしい」


 ルカビアンの十九魔人――


 約六千年前の帝国建国以来、その名を歴史に刻み続けてきた人類共通の脅威。

 数百年に一度、復活しては破壊と殺戮をもたらしては、まるで気まぐれのように討伐される。ある種の災害だ。


 帝国が大陸を制覇し、統一国家となり、戦争をする相手を失ったにも関わらず、軍縮するどころか、衛兵団や騎士団といった大規模な軍事力を保有、維持するだけでなく、我が主、倉澤蒼一郎をはじめとした新たな力を欲し、軍拡を続け、更には怪物退治組合スレイヤーズギルドといった民間組織が戦闘能力を保有することを許しているのも、偏に魔人の脅威を恐怖する感情が払拭できていないからだ。


「マジか……」


 しかし、玉子要塞の大将が眉唾と言ったように、民間層どころか騎士や衛兵、貴族といった歴史を学ぶ機会のある知識層でさえも迷信と考える者も決して少なくない。

 魔人の脅威が訪れるのも数百年に一度。帝国の歴史上、魔人と一切の関わりを持たないまま生涯を終える者の方が遥かに多いのだ。


 事実、平穏無事に定年まで勤め上げて年金暮らしで平穏な老後を過ごす。それが現代の帝国兵に共通する一般的な価値観だ。

 吾輩たちがこの世界に召喚されて一ヵ月。情報収集と言うには、あまりにも短すぎる期間だが、主が毎晩のように足を延ばす盛り場で非番の帝国兵の話を盗み聞きしている内に、不届きで惰弱な騎士と衛兵の存在は決して珍しくないことを知った。


 少なくとも吾輩たちが出会った衛兵と騎士、更にモンスタースレイヤーの内、魔人の脅威を現実のものとして認識を持っているのはアーベルト殿をはじめとした極僅かで、しかも各組織の要職に就いている者だけだ。

 帝国における魔人脅威論はそれ程までに温度差がある。

 だからこそ、アーベルト殿は我が主、倉澤蒼一郎を衛兵団に迎え入れるために自ら何度も足を運ぶし、主は真っ平御免だと逃げ隠れするのだ。


「どうも最近、きな臭いですね」


 しかし、帝国で中規模都市の崩壊原因に、迷信扱いされている魔人と結び付けるのは実のところ現実的な考えだ。

 数えきれないくらい存在する反帝国勢力。所謂、テロリストがジエネルを滅ぼしたと言うよりもずっとだ。

 帝国が世界統一事業を完遂して、まだ十年。その一役も二役も買った衛兵団と騎士団。彼等の戦力を端的に評するならば、最強の二文字が相応しい。

 年金暮らしを夢見るばかりの腑抜けが増えたとは言え、それまでに培ってきた研鑽と力の貯金は未だ十分に蓄えられたままだ。

 そんな彼らが守る都市を成す術無く、しかも誰の手か定かにならない内に滅ぼせる力を持つのは指折りで数える程度。


 最強の幻獣、ドラゴン。


 信仰競争に敗北し、零落した邪神。


 そして魔人。


 この中だと一番現実的なのは唐突に復活した魔人だ。

 何かと目立つドラゴンでは中規模都市を滅ぼすことが出来ても原因不明の崩壊という状況は引き起こせない。

 邪神はドラゴン以上に目立つ。権能次第ではあるが、大地と空気が腐ったり、亡者の群れがひしめくようになったり、吹雪や嵐に包まれたりといった具合だ。


 そうなれば消去法でルカビアンの十九魔人しか有り得ないわけだが、迷信扱いされるようになった昨今、矢張り、半信半疑というのが大衆心理の実情だ。

 しかし、ジエネル崩壊という現実の現象は大衆にとって、原因不明の恐怖心を抱かせたが、吾輩には魔人という驚異から目を逸らすための逃避行動としか思えなかった。


「ホライムーン地方の商売人たちがソウブルー地方の販路を拡大するつもりで動いているようだが、それもいつになるか分からん」


「そういうことでしたら承知しました。散歩にも行きたいし、これを食べたら腹ごなしがてら二、三羽狩ってきますよ。胡桃さんも朝飯が食べられなくなるのは嫌でしょうから。ついでに他の商人さんたちが不足している物がないか聞いておいて頂けますか? 折を見て採ってきますから」


 吾輩にとっては直接的な不幸だ。卵要塞で朝食が摂れなくなるのは確かに嫌だ。嗚呼、とても嫌だ。

 一度も行ったことのないジエネルの崩壊よりもずっと深刻な問題だ。

 帝国では若鶏のもも肉が食えないからフェニックスのもも肉を食っているというのに、これ以上食う肉が減るのは困りものだ。


 しかし、将来の肉が無くなるのは嫌だが、目先の肉と卵をチラつかせたままの待ても存外苦しい。主はそれを分かるべきだ。

 話の続きと営業はまず食べてからでも良いのではないだろうか。

 吾輩は忠犬故に待てと言われれば待つが、無制限には待てぬ。待ってはおれぬのだ。


 食べられなくなるのも嫌だが、待つのも嫌だ。

 なので飛ぶ。主の右手にあるフェニックスの玉子包み(塩抜き)を狙うも、勢いあまって主の目線の高さまで飛んでしまった。


 視線がぶつかり、主が苦笑を浮かべる。


「ああ、胡桃さん、ごめんごめん。まずは腹ごしらえをしようか」


 待っていました!!

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