第10話 吾輩たちは追跡者である
道すがら、見かけた邪教徒たちを吾輩が誘引し、主が始末すること十人。
順調だが、どうにも怪しい。十人が十人とも貧弱な無能なのだ。
群れの大半が使い物にならないというのは由々しき事態だ。大惨事と言っても良い。
だと言うのに気配が一向に変わらないのは一体、どういうことだ?
己が追い詰められているという意識がない。緊急事態だという自覚がまるで無いように思える。
恐ろしく頭が悪いか、吾輩たちが敵を見誤っているか――前者であれば話はずっと楽で簡単になるが、おそらく後者だ。
かつて主が言っていた。
『弱い奴、怖くない奴、馬鹿な奴は敵じゃない。強くて、怖くて、狡猾だから敵なんだ』
だから、邪教徒たちが弱すぎるという印象は間違いだ。
恐らくこの窮地を一手で挽回する必殺の秘策があるに違いない。
「信徒の半数がやられたらしい」
「結構なことではないか。邪と蔑まれた神の信奉者は少ない。その分、顕現の暁には信徒一人あたりに還元される加護はより手厚くなる。八雷神のあるかどうかも定かでない薄い加護とは段違いのな」
「だったら、あの教皇気取りのハイエルフも――」
「ああ、生贄にしてやった方が邪神ガエルもお悦びになるだろうよ」
どうやら吾輩たちは幸運に恵まれていたようだ。敵が愚かで、弱いという幸運に。
一つの目的のために集まっているものの邪教徒の結束は皆無で秘策もない。
彼らの口ぶりによると、邪神は信仰する者が少ないが故に信仰への見返りが大きく、減れば減るほどその見返りは更に肥大化する。
邪神ガエルの顕現という一つの目的を共有する集団でありながら、勢力の半数を失って尚、見返りが巨大過ぎるが故に彼らの結束を阻んでいた。
――矢張り、愚かだ。
邪神の復活に至る間も無く、吾輩の主、倉澤蒼一郎に根絶やしにされるという絶体絶命の危機に瀕している自覚が微塵もない。
既に主に敗北した邪教徒たちは、主と激戦を繰り広げたのではない。
ただただ一方的に藁のように吹き飛ばされ、教皇気取りのハイエルフ――邪神ガエルを復活させようとする一派の首魁が召喚したモンスターも主に掠り傷の一つも与えることなく一方的に、そして何より雑に駆逐された。
それでも主に油断はない。
事実、邪教徒たちはベルカンタンプ鉱山に押し入り、屈強なドワーフの鉱山労働者たちの多くを奇襲して殺したのだ。仮に教皇気取りのハイエルフとやらが脆弱で、愚鈍で、恐怖を感じるに値しない存在であったとしても、奴がその気になれば驚異的なモンスターを召喚できる可能性は非常に高く、何より邪神ガエルの強大な加護を一足先に得ている可能性がある。
だから主は吾輩に言ったのだろう。無傷で始末できるのは五人までだと。
五人しか始末出来ないのではない。傷を負うことを許容すれば六人以上でも邪教徒を殺せるのだ。
総力を結集し、死力を尽くさぬ限り、彼らに勝機は万に一つもない。
邪教徒にとって不幸なことに、主は傷を負うことなくハイエルフと対峙しようとしている。
奴等がどんな魔術や魔術兵装を忍ばせているか定かでないのだ。多くのドワーフを殺したという事実だけが、主から油断を奪い取った。最早、付け入る隙などない。
「胡桃さん、ありがとうね」
二重に重なった打撃音が響き、立ち話をしていた邪教徒二人が昏倒した。
残り八人。主は未だに涼しい表情を浮かべている。
殺人にリラクゼーション効果は無い筈だが、主は非常にリラックスしていた。
「さァて、死んだ死んだ!! 盛大に殺してやった!! 残りもすり潰して依頼達成だ!!」
だから爽やかな笑顔と朗らかな声で言うことでは無いと言うのに……
しかし、遭遇した邪教徒十二人を拷問、並びに惨殺。召喚モンスター多数を駆逐したわけだが、拉致されたであろうドワーフたちと遭遇出来ていない。
矢張り、教皇気取りのハイエルフとやらが奥に連れて行ったのだろうか。
「聞こえていないのか? それとも警戒しているのか? 楽勝そうな態度してれば慌てるなり、腹を立てて湧いてくるかと思ったんだけど……やっぱり復活した邪神からの加護がデカくなるから死ぬなら勝手に死んでろって思っているのか?」
良かった。短気で短慮な主だが、まだ完全に知性を捨て去ったわけではないようだ。ただ思考能力の全てが暴力につぎ込まれているだけで。
「胡桃さん、ドワーフたちの悲鳴か血の匂いを追えないかな? 凌遅刑って言って生きた人間を少しずつ解体しながら、長時間苦痛を与えてゆっくり死に至らしめる古代中国の処刑方法の一つなんだけど、邪神ガエルに生贄を捧げる方法がその凌遅刑って奴と酷似しているみたいなんだ。そんな残酷な真似をしているなら悲鳴なり血なりが流れている筈なんだけど、どうかな?」
知性を持ち、思考する暴力装置って質が悪いなって柴犬ながら呆れそうになるが、妙な説得力に口答えする気にもなれず、耳を澄ませ、神経を嗅覚に集中させる。
こういう時、苦痛に耐えて悲鳴を上げない者よりも、例え見苦しくとも喚き散らしてくれる方が助ける者にとっては分かりやすい合図となる。
しかし幸いと言って良いか定かでないが、ドワーフたちの血の匂いは把握している。
彼らの頑固さが苦悶の声を漏らさずとも、血の匂いがその居場所を雄弁に語った。
主に一言、「わんッ!!」と吠え、先導を開始する。
「流石は胡桃さん。やっぱり頼りになる!」
当然だ――と言いたいところだが、如何に吾輩が天才犬とは言え、所詮は柴犬。ただの獣でしかない。
しかし、主はその獣の言葉を信じ、重用する。
だからこそ吾輩は手も気も抜けない。信頼を裏切るわけにはいかないのだ。
その上で吾輩が誤ったとしても、主はきっと許すだろう。
笑って許すに違いない。何事も無かったかのように。
しかし、それは却って吾輩の心と矜持を打ちのめすのだ。
絶対に役に立って見せるのだという強い意志を以て、主を先導する。
主を先導し、坑道をひた走り、最奥と思しき地点に入り込む前に大声で吠えて、主に合図を送る。
「教皇気取りは其処か!」
当然であるかのように主が吾輩の意図を理解する。
統一感のある坑道の調和を著しく乱す扉が鎮座しており、その向こう側にある筈の匂い、音、気配を遮断している。
既に異世界に迷い込んでいる吾輩が言うのも変な話――いや、異世界に来たからこその感じ方かも知れないが、扉の先は坑道とは違う別の世界が広がっている。恐らく、小異世界化しているのかも知れない。
そんな雰囲気と違和感を思わせる扉を、主は何の躊躇いもなく蹴り壊した。
「存外、脆いな」
扉が蝶番ごと吹き飛ぶ瞬間、光が走ったのを吾輩は見逃さなかった。
あの光は主が精霊兵器を召喚する際にも生じる、魔力の迸りと酷似している。
便宜的に魔力光と呼ぼう。
あの扉は侵入者を阻む障壁では無く、扉の向こう側を小異世界――神界に作り替えるための魔術的な斎場なのだろう。
扉を破壊することで異世界化した斎場を元の世界に戻すことが出来る。
吾輩の推理を裏付けるように、ドワーフたちの血の匂いと呻き声が、テレビのミュートを解除したかのように押し寄せる。
両手足を寸刻みにされた者。全身の皮膚を剥がされた者。眼球をくり抜かれ、耳と鼻を削ぎ落された者。身体をバラバラにされて火にくべられた者。半数近くは死んでいる。もう半数近くも命の火が消えるのも時間の問題だ。無傷の者は既に極僅か。
邪神ガエルの供物にされたドワーフたちの無残な姿に主が顔を顰めた。
「殺すぞ豚」
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