第23話 オライオンは卑劣の王である

「異世界人のあなたが先帝の死に心を痛めるとは思ってもいなかったわ」


「自分のいた世界では人が殺されるのは当たり前のことではありませんでした。それまで言葉を交わして好感を抱いた人の訃報は辛く感じます」


 問いかけるカトリエル女史の口調は少しばかり不思議そうだった。

 多分、この世界の価値観ではそうなのだろうと気付いて、主は渋面に無理矢理笑顔を張り付けた。

 この世界で多くの人間の命を奪ってきたのは主も同じ。

 しかし、親しみを感じている人の死は初めてのことだった。


 普通の帝国人とは異なる価値観を有するカトリエル女史ですら、普通の帝国人と同様に死を悼むより、ハルロンティ・アーリーバードを先帝と呼んで過去の人物にしている事実に吾輩は驚きを隠せなかった。


「陛下が生を全うしての死なら納得したと思います。ですが、親しくしてもらった矢先に暗殺での死は受け入れ難くありますね」


 主が弱弱しく笑う。新皇帝誕生に喜びの声をあげれど、皇帝の死に悲しまない。

 この世界に主と哀しみを共有できる者はおらず、嘆き、悲しんで見せても弱者の誹りを受けるだけだ。

 主はもう龍殺しの称号を――強者の証を得てしまったのだ。弱者であることを見せることは愚か、普通の人として振る舞うことすら許されない。

 だから吾輩が主の代わりに悲しみ、死を惜しむことにした。手向けの遠吠えで。


 この世界には犬どころかイヌ科の動物すらいない。

 だったら吾輩が遠吠えをしたって、余人には何をしているかすら分かるまい。


 男たる者強くあるべきだし、弱さを見せるべきではないが、それは理想や目標だ。

 犬にも人間にも感情というものがある。意思や理想だけではどうもならぬ時は必ずある。

 ならば一目に付かぬ場所で泣くか、こうして誰にも分からない方法で泣けばいい。


 やせ我慢は強者の義務だ。


「ありがとうな、胡桃さん」


 もう一度遠吠えしようとすると、主が吾輩の頭を撫でてくれた。

 十分意図は伝わったようだ。たった一度、されど一度。

 吾輩の遠吠えで主は悲しみを晴らすことが出来たようだ。


「ねえ」


「なんです?」


「あなたは……わたしが殺されても今と同じように嘆き、悲しみ、憤ってくれる?」


「はあ?」


 主が素っ頓狂な声をあげるが、主はまだ彼女の幼稚な一面に気付いていないのだ。

 吾輩からしてみれば、実に彼女らしい言葉だと思う。


 神を殺さねば未来がないにも関わらず、神殺しという異端性が誰にも相談できず、頼れず、筋金入りの異端者たる我が主と出会うまで彼女は孤独の中にあった。

 つまるところ彼女は人間同士のコミュニケーションから得られる社会性が少々欠如している。

 孤独の中から拾い上げてくれた倉澤蒼一郎が、誰も顧みなくなってしまった先帝の死を悼み、未練を残す姿から嫉妬のような感情を抱いたのだろう。

 嫉妬だけではない。異世界人であるが故に、ハルロンティ・アーリーバードの死の悲しみを共有できない。

 共感性の差異が理由で我が主、倉澤蒼一郎が彼女の前からいなくなってしまう恐怖を感じているようだ。


「答えて」


 有無を言わせない強い口調と人形のような固い表情。だが、それは本質ではない。

 嫉妬だが女の嫉妬ではない。何かを訴えようとするも上手く言語化することが出来ずに愚図る子供に近い。


「貴女が殺されるなんて想像もしたくないな」


 気を取り直した主の第一声は即答に近いものだった。


「貴女を死なせないために必死になっているのですから。もしも、万が一つでも、それが叶わなかったとしたら、きっと自分は泣き叫ぶだろうし、怒鳴り散らかして人や物に八つ当たりもすると思う。貴女を殺した奴も、その関係者も全員まとめて皆殺しにします。けれど、悲しみが晴れることはなく、ずっと引きずるだろうな。きっと」


「そう。それを聞いて少し安心した」


「安心したって……」


「たった一度か二度話をしただけで、死をあなたに悼んでもらえる先帝が羨ましくなったのよ。わたしには誰もいなかったから……わたしが死んだら、あなたはどう思うんだろうって」


「大丈夫ですよ。悲しむ以前に自分が貴女を独りにはしませんから。でも、そうですね。死んでしまった人では無く、生きている人のために全力を投入しないとな」


 彼女からは鉄と火の匂いがする。鉄と火の匂いは戦う者特有の匂いだ。例外はない。

 孤独を厭いながらも身を守るために孤独を選び、孤独でも生きていけるように戦ってきたであろう事は言葉の端々から察せられる。

 同時に、主が持つ神殺しの力が彼女を孤独から解放しようとしつつある。それ故にそれまで隠していた稚気が発露しつつある。

 人形のように表情が変わらない鉄面皮。美しいが無感情。人間味とは無縁の印象も今や主の前では形無しだ。

 事実、主がカトリエル女史を優先すると口にした途端、彼女の視線と雰囲気が柔らかくなった。主は上手い具合に彼女が欲していた言葉を的中させたようだ。


 ――尤も、自覚があるかどうかは定かでないが。


「これからは氷の団と戦うつもりかしら」


「それはしません」


 即断言するも主の声色には、ほんの僅かばかりの苦渋が滲んでいた。


「奴等には利用価値があります。邪神復活の情報を全て吐き出させるまで戦うべきではありません。殺すよりも生かしておいた方が目標の達成に近付ける筈だ」


「そう、ね。あなたには負担ばかりをかけるわね。本当なら今すぐにでも仇討ちをしたいのでしょう?」


「いえ、陛下の仇討ちは貴女の呪いを解いてからでも出来ます。下手人も潜伏先も分かっているんだから殺すのは簡単だ。全てに片が付いた後の仇討ちなら箱舟に渡った陛下も許してくれるでしょう」


「後回しにしたら許される?」


「不思議なことではありませんよ。オライオンの動きを察知した陛下は真っ先に言いました。ソウブルーに戻り、守るべき者を守れと。真っ先に仇討ちを望むような方なら最初から自分を手放すことを良しとはしないでしょう」


 同感だ。恐らくだが、皇帝は主に敵討ちすら望まない気がする。

 何なら皇帝は死期を悟ったが故に主をレーンベルク要塞から遠ざけたように思えてならないのだ。

 そして、互いの武運を祈り、惜しくも皇帝は敗れてしまった。


 多分、敗北と死を納得して帝国人らしい潔さで眠りについたのだと思う。

 確証は何一つ無い。それでも死に際の淵に立たされながらも、倉澤蒼一郎には仇討ちでは無く、戦うべき場所で戦い、勝利を得ることを願ったのではないだろうか。

 帝位に就きながらも象徴以上の何者にもなれず、不自由と窮屈さを感じていた皇帝に、主が伸ばした手は財も権威も無いが自由と闘争があった。


 それが親子ほど歳の離れた両者が友情で結び付いた。

 だからきっとハルロンティ・アーリーバードは思った筈だ。友達に復讐は頼めないと。


『君は君の戦いをしなさい』


 吾輩の願望かも知れないが、彼ならそう言うのでは無いだろうか。


「それよりも新皇帝が誕生したというのに浮かれた空気が漂っていないのはどういう事でしょうか? 陛下が先帝を討った時は新皇帝の誕生に人々は沸き、勢いのままに世界制覇を成し遂げたと――書物の知識でしかありませんが」


 更に言えばハルロンティ・アーリーバードに討ち取られた先帝を蔑む声も多かったらしい。

 今はまだそんな声も聞こえて来ないが、やがて彼に侮蔑の言葉を放つ者で溢れかえるようになるのだろうか。主が暴走しないか少し不安だ。


「ハルロンティ・アーリーバードの帝位継承はわたしもまだ生まれていない頃だから当時のことは分からないけれど――」


「奴は帝位継承を宣言せずにアンドウン要塞に帰還した。奴は帝位に最も近い場所にいるだけで反乱軍を指揮する反逆者であることに変わりはない。それが大衆の歓喜に歯止めをかけている」


「アーベルトさん」


 まるでタイミングを計っていたかのようにアーベルト殿が現れ、カトリエル女史が無感情に一瞥する。

 無表情で身じろぎ一つせずに警戒心を露にするのは器用と言うか、流石と言うべきか。いずれにせよ彼の接近は嗅覚と聴覚で察知していたから偶然であることは分かっている。

 主とカトリエル女史が神殺し云々の話をしている時に、彼が聞き耳を立てていたら吾輩が警戒を促している。聞かれて不味いことは何も聞かれていない。


「オライオンが宣言しない限り、帝位は空位のままだ」


「奴は何を考えている? これじゃ陛下を弑殺して帝国を揺るがしただけだ」


「存外、それが目的なのかもな」


「世間を揺るがすことが目的? そんな事をして何の意味が」


「貴様も先帝に会ったのなら分かるだろう。皇帝の座に就いても、帝国の支配者になれるわけではない。帝都で力の象徴として君臨するだけで、権威はあれど何の権力もない。しかし、人々の心の拠り所として必要不可欠な存在。それが皇帝だ」


 オライオンは力を誇示しながらも、不自由な象徴となる事を望まなかった。


 理由は何故か――?


「帝国派、反帝国派、帝位、既存の権力構造とは異なる視点による暗殺でしょうね」


「異なる視点……奴らの邪神崇拝の嫌疑はどうなりましたか?」


 そうだ。結局はそこに集約される。


 オライオンは配下の者達を帝国各地に放って、邪神を復活させようとしている。

 皇帝暗殺も帝位簒奪が目的では無く、社会を不安定にして邪神復活の土台作りをしているようにも思えた。

 衛兵団に通報したのは龍殺しの称号授与の先触れが来る前。日本の感覚で言えば、あの日から既に一週間を過ぎている。円卓議会が何かしらの結論を出していて良い頃合いだ。


「疑惑止まりだったが証拠を提示した貴様が龍殺しの称号を得た事、先帝を暗殺したにも関わらず、帝位継承を宣言しない事と併せて大敵認定を受ける筈だったのだが――」


「だが?」


「議会が割れた」


「伝統通りにオライオンを帝位に就けようとする帝国派貴族と、陛下の血脈を帝位に就けようとする反帝国派貴族ですか」


「帝国派の貴族たち伝統を守ること以上にオライオンを皇帝の地位に据えれば氷の団諸共制御できると思っている。代々の皇帝と同じようにな。反帝国派は先帝の血脈に帝位を継承させるさせない以前にオライオンを一刻も早く大敵認定し、始末したい考えだ」


 反帝国派の主張がすぐ様通るものでは無いとしてもオライオンさえ始末してしまえば、空位を埋めるという口実と合わせてゆくゆくはハルロンティ・アーリーバードの血脈に跡を継がせることも出来るだろう。


「バーグリフ様は? どのようにお考えで?」


 主の問いにアーベルト殿が顔を顰めた。


「バーグリフ様は……静観すると。議会決議が帝国派に傾けば内乱が、反帝国派ならば戦争。いずれにせよ闘争が起こるとお考えだ」


 ソウブルー要塞の支配者バーグリフ――今では善政を敷き、大らかで民からも慕われる善き支配者だが、制覇戦争時代の二つ名は戦鬼。動乱の時代の幕開けに鬼が本性を現したということか。


「反帝国派が勝利したら大規模な討伐軍が編成されるのは想像できます。とは言え、オライオンも主要都市を殲滅できるだけの軍事力を保有している。一瞬でケリを付けられなければ戦いが長期化するのも分かる。けれど帝国派が勝利したとして内乱が勃発するほど反帝国派は攻撃的なんですか?」


「奴等が反帝国主義を掲げ、皇帝の血脈による帝位継承を主張し始めたのは戦後間もない頃からだ。世界制覇を成し遂げ、戦う相手を失った政界が次にやるのは権力闘争だ。反帝国派はアーリーバード家を擁立する事で己の権勢を揺るぎないものにしようとした。十年の歳月をかけて成し遂げようとした事をよりにもよって邪神崇拝者にご破算にされたと知れば――」


「反帝国派が暴走しても不思議ではない、か。だったら、そうですね。こういうのはどうでしょう? 陛下を暗殺したオライオンは帝位継承の責任に耐え兼ね、逃げ出した卑怯者。邪神を崇拝する反逆者。卑怯者と反逆者たちを率いる卑劣の王。七代目龍殺しがそう糾弾しているって噂を流せば帝国派は勿論、戦後から十年も手を拱いていた反帝国派も当面の間、動きを止められるんじゃないですか?」


「その間、貴様がオライオンを討つか?」


「理想としては。ですが現実的に考えたら邪神崇拝や復活の証拠をもっと明るみにしていくのが精一杯かと。それでも奴の求心力を削ぐくらいのことは出来る。その過程で戦力を削ることも可能だと思います」


 まずは一手。龍殺しの雷名を使えば一市民の抗議では無く、円卓議会の布告と同等かそれ以上の効力と説得力を発揮する。これによりオライオンは帝国の敵であるという認識を大衆に植え付け、帝国派貴族を中心とした奴のシンパは厳しい目に晒される。

 そして何よりハルロンティ・アーリーバードの仇討ちを名目に、主が氷の団やオライオンと対立し、邪教崇拝の証拠を暴くための活動をしていても、それが当然のことだと認識されるようになる。

 その過程で神殺しが露見したとしても、異端的発想による蛮行ではなく、帝国を混沌に陥れんとするオライオンの企みを打ち破る勇敢な善行に成り代わるのだ。


「彼女のためとは言え、アーベルトさんを騙し、陛下の死を利用しているみたいで少しばかり気が咎めるな」


 吾輩と二人きりになった主が小さな声で漏らした。

 割り切るしかない。アーベルト殿に不審がられないように、つじつま合わせでした発言が奇跡的に矛盾なく綺麗にかみ合ってしまった。主さえ飲み込んでしまえば全員が納得し、全てが丸く収まる。


 これもきっと強者の義務と責任だ。

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