第18話 主は平等である
カトリエル女史に案内され、職人地区に足を踏み入れる。
ソウブルー要塞の住人や観光客で賑わっている商業地区とは違い、閑散とした印象だ。
出歩いている人たちも職人の徒弟がほとんどのようで、ドワーフが自分の体よりも大きな鉄の塊や木材を抱えて駆けずり回ったり、ノームがこれまた自分の体よりもずっと大きな織物を頭に乗せて、えっちらおっちらと歩いている。
人種は様々だが共通しているのは、皆一様に自分の体よりも大きな素材を抱えていることだ。
そして、意外にも人間が少ない――
「くっせぇ~! 獣人くっせぇなぁ!」
「獣くせぇ! 薬物くせぇ! 泥棒の臭いがプンプンしやがる!」
「その腕章、誰から盗んできたんだぁ!?」
「おーい、お前に言ってんだよ、うすぎたねぇ獣耳ぃ!!」
漸く発見した人間は三人がかりで猫耳の少年に石を投げつけていた。
石を投げつけられているのを見ると嫌なことを思い出す。
まだ仔犬の頃、繁華街の路地裏でゴミ箱を漁って食い物を探していたら酔っ払いに石を投げつけられたのだ。
石の大きさは吾輩の顔と同じか、それ以上。そんな大きな石を建物の壁に亀裂が入る程の力で投げつけられた。もし当たったら死んでいたに違いない。
あの時、不幸中の幸いにも酔っ払いが投石して穴を開けた壁が、主が雇われている店の壁だった。
そして、酔っ払いたちにとっても不幸中の幸いなことに日本の法律のお陰で彼らも命だけは助かった。
それが切っ掛けで主に拾われたから悪い思い出ばかりでは無いが、投石にはトラウマがある。投げるなら丸めてボール代わりにした主の靴下が一番だ。
嫌な物から目を背けるとドワーフが顔を真っ赤にして走ってくるのが見えた。
「ウチの職人だぞ! 何をしているお前ら!!」
そして、蹲る猫耳の少年を庇うようにドワーフが両手を広げて立ち塞がる。
勇気ある行動だが、人間たちはそれすらも嘲笑った。
「チビ爺のお出ましか! 亜人と獣人で庇い合って気色ワリィな!」
「ここは職人地区だ! 誰の許可を得て来た! この技能無しどもが!」
獣人の少年とドワーフの男の右腕には職人であることを証明する腕章がある。細かいデザインは違うがカトリエル女史もだ。
その一方で、あの質の悪い人間たちには腕章がない。
それがドワーフの技能無しという発言の根拠なのだろうが、この言葉は帝国の価値観では余程の罵詈雑言にあたるようで、人間たちの顔色や目付きに明らかな変異が起こっていた。
「あぁ? 帝国は人間の国だ。お前ら敗戦国民が生粋の帝国人に向かって随分と大口叩くじゃねぇか」
「俺たちは先祖代々帝国人だ!」
矜持を傷付けられたことの怒りでドワーフは気付いていないが、人間たちは異常と言って良いほどに殺気立っている。
血が流れるまで――何なら命が失われるまで止まりそうにない。
「関係あるか。お前らは帝国人なんかじゃねぇんだよ、隷属民が!!」
帝国が乱立する国々を次々に併呑し、大陸制覇という帝国6000年の夢は約10年前に達成された。
それにより、この大陸に住む人々は帝国人になった。唯一の例外、吾輩の主、倉澤蒼一郎を除いて全員がだ。少なくとも書類上はそうなっている。
だが、最後に帝国が併呑した国、現在のトレスドア地方は獣人や亜人の多くが人間の奴隷として扱われていた歴史があり、この事が他の地方に住む獣人や亜人に対しても隷属化しても良いという考えが広がりを見せるようになった。
戦争が終わり敵がいなくなったことが原因で新たな敵を求めたせいなのか? 理由は定かでないが、帝国は実力主義の社会である筈なのに、優れた技能を持ち、代々帝国人として認められてきたにも関わらず、獣人や亜人というだけで迫害しても良いという気風が平民、特に貧困層を中心に強く顕在化し、新たな差別が生まれた。
『武を尊び、力を貴ぶ』
これは暴力や軍事力だけのことを指しているのではない。戦う場所や状況次第では技能や職能は武にも力にもなる。であれば、職人地区の亜人や獣人たちは尊ばれ、貴ばれるのが正常だ。
しかし、技能なしの人間に蔑まれているのが現実だった。
「――気分が悪いな」
主の足が止まった。
あーあ、あいつらどうなっても知らんぞ。
主は今日一日だけで既に二十三人殺している。
更にキルスコアを三つ増やしたところで最早誤差だが、些か殺し過ぎだ。
モンスターやドラゴンまで含めたら大量虐殺と言っても過言ではない。
「介入する気かしら」
先を行くカトリエル女史が二歩進んで立ち止まり、そして振り返った。
見返り美人という奴だろうか。それだけで主の不機嫌が収まった。やっすい男だ。
「勿論。ああいうのがのさばっていると空気が悪くなるじゃないですか。どちらも同じ平民で怪我は無し、となると適応されるのは騒乱罪。場所は商業地区じゃないから、いつもより少し控えめに……全治一か月以内程度なら正当防衛の範囲内かな。殺さずに無力化する練習には丁度いい」
流石の主でも思うところがあったようだ。
それでやることが殺さない練習というのは何とも野蛮な話だが。
「やあ、こんにちは。ご機嫌ですね」
「あぁ? よぉ、兄ちゃんもムカつくよなぁ? 薄汚い獣人と亜人如きが職人地区に出入りするのが当然の権利なんてツラしてやがるんだからなぁ!」
ドラゴンの血と肉片を全身に浴びた主の汚れは、川に流された程度では完全には落ちはしない。
服は薄っすらと赤茶けた血の色に染まっているし、人間たちの嗅覚で知覚できるか定かでないが、吾輩の嗅覚で言わせてもらうなら少し臭い。
だからなのだろう。主の姿を見て、腕章を付けていない技能無しの人間が職人地区に紛れ込み、差別的な思惑で暴力を振るうご同類だと思ったのは。
しかし、主は善人だ。何度でも言おう。主は短気で、短慮で、短絡で、横暴で、粗暴で、乱暴だが、本質的には善人なので、悪党との相性はすこぶる悪い。
差別と区別と差異は違う。他は兎も角、差別は明確な悪だ。
「はっはっはっは、仲間面して肩なんか組もうとするなよ、馴れ馴れしい」
肩を組もうとしてきた男の手を取り、そのまま関節を極めて捻り上げる。
「ぎぃあああああああ!!」
「大袈裟だな。まだ折ってませんよ? ヒビだって入っちゃいない。そんなことより、腕章無しがソウブルー地方の製造業を担う職人たち相手に随分な言いようですが、一体どういう了見ですか?」
「て、てめぇ!? 何のつもりだ!?」
「質問に質問で返して自分を怒らせても、そちらには何の得もありませんよ?」
亜人虐めの仲間と思ったら攻撃されたことに男たちが腹を立てるが、主も笑顔を浮かべたまま更に腹を立て、関節を極めた腕を更にひねり上げる。
「ぎゃあああああ!! お、折れ、折れる、折れちまううううう!!」
ああ、そうか。今日から此処が定住地。丁寧な口調と好青年ぶった笑顔を崩さないのは此処が地元になるからだ。
何せ、日本の地元のマダム達に『にこにこ蒼ちゃん』と呼ばれていたのだから。
殺さない練習とは猫被りモードで無力化するという意味だったようだ。
言動と行動から主の思惑を洞察していると関節を極められた男が絶叫する。
こうなると「なんだこのヤロー」「テメーこのヤロー」「仲間を離しやがれこのヤロー」とはならず、萎縮するしかない。
仲間の悲鳴という物にはそれだけの力が秘められている。
それは帝国だろうが日本だろうが変わらない。戦いには不慣れだが、一方的な暴力だけは得意という卑怯者にありがちな習い性だ。
「こ、こいつらは人間じゃない!! 亜人だ!! そんな奴らが職人地区にいるのはおかしいだろうが!!」
「だったら、絡む相手が違うんじゃないですか? そういうルールを決めた人間がいるでしょう? 例えばソウブルー要塞の支配者バーグリフとか、円卓会議の貴族たち。貴方達の言葉が有益だと判断されたら、その主張も通るんじゃないですか?」
男たちの正論気取りの暴論に、主が正真正銘の正論に極論を交えてどうでも良さそうに言い返す。
しかし、正論気取りの暴論であろうとも、龍殺し、支配者、貴族といった立場を持つ者の発言であれば、革命的な意思によって検討が論じられることもある。
正真正銘の平民である彼らが円卓会議に乗り込んで、そんな主張をしたとしたら――、まあ問答無用で無礼討ちにされて死ぬのが当然の帰結だが。
だからこそ――、
「支配者や貴族に盾突けってのか!? 無茶苦茶言うな!!」
そんな反論が飛び出るのも当然だ。
「いやいや、貴方たちの方が相当、無茶苦茶ですよ。彼等は帝国の法に則り、技術を認められ、腕章を付ける資格を得、職人地区の居住を許され、ソウブルー地方や帝国発展のために腕を振るう義務と権利を与えられた。それを公的機関に何ら関わりのない貴方たちに彼らの権利に口を挟むとは越権行為が過ぎるとは思いませんか?」
「そういうことを言っているんじゃない!! 道理の話をしているんだ!! 亜人なんかが俺たちよりも上層にいるのはおかしいだろうが!! こいつらは地下か要塞の外にいるべきなんだ!!」
「まさか帝国の法よりも貴方達の感情が最優先されるのが道理だと? 本気でそう思っているなら今すぐ円卓会議に乱入して貴族たち全員の首を取るべきでしょう。此処は帝国だ。法の解釈を捻じ曲げたいのなら法を決める人間たちに力を示せ。抵抗できない相手を恫喝することしか出来ない卑怯者が」
帝国の価値観、法、倫理を振りかざす主の弁論に熱がこもる。
そうなると堪ったものではないのが、関節を極められている男の方だった。
人が喋ると意外と身振り手振りなど身体も連動して動くものだ。
主の発言に合わせて、関節を極める腕が上下左右、あらぬ方向へと振り回される。
「わ、分かったから離せ!! 離してくれ!! 本当に腕が折れちまう!! お、お前らも歯向かうな!! 反論するな!! これ以上は、う、腕が折れるううう!! 折れる!! 折れます!! 折れたああああああああ!!」
「大丈夫。大丈夫。武を尊び力を貴ぶ帝国人は強いですから、この程度で折れたりなんかしませんよ……っと」
主の嗜虐心が刺激されたらしく、クスクスと意地底の悪い笑みを浮かべて、更に捻じ曲げた。
実際にはほんの少ししか曲げていないのだが、腕を極められている側からしてみれば主の愉快そうな掛け声は、腕を滅茶苦茶にされたように感じられたようで――、
「ぎぃやあああああああ…………あぁあぁぁぁ……」
――大きな絶叫は次第にか細くなっていき、全身の力が抜け落ちたかのように地面に崩れる。
「あら、泡吹いてしまいましたね。帝国の男のくせに情けない。ほら、これ以上、無様を晒す前におうちに帰った方が良いですよ。それか人目を忍んでひっそりと自殺するとかオススメです。どうせまた何処かで恥と無様を晒すことになるでしょうし」
「く、くそ!! 覚えてやがれ……!!」
主に蹴り飛ばされた仲間を抱えながらたたらを踏みながら、悪態を吐く。
いや、もう本当に情けないったらありゃしないが、それでも逃げ出そうとしながらも仲間を見捨てずに抱えたままなのは吾輩的には好印象。
「ああ、覚えておいて欲しいのですか」
だが、主は一切の反論を許さない。
逃げようとする彼らの肩を掴んで向き直らせると間髪入れずに胸倉を掴んで顔を引き寄せる。
「な、なんだよ……!?」
「覚えておいて欲しいのでしょう? だったら遠目から見ても貴方たちのことが分かるようにこの目と記憶にしっかり焼き付けておかないと。ね?」
ああ、あの目だ。深淵のような真っ暗闇。
幼い頃、今と違って分別が無かった吾輩は度々悪さをすることがあった。
そんな時、主がしたのはあの目で見ることだった。
怒鳴りもしなければ、暴力を振るったりもしない。
――ただ見るだけだ。
しかし、その目には妙な力が宿っているのだ。
自分の罪悪感を無理矢理引きずり出されるような悪魔的な力が。
今の今まで吾輩は主に一度だって叩かれたことすらない。
だが、悪さをすると決まって、あの目で見てくるのだ。そんな時、吾輩はすぐに降参した。
しかも、それでも吾輩に向けた目は、まだ優しい。
彼らは主にとって無関心な他人である為、怒気や殺気、敵意や悪意、剥き出しの暴力性が露わになっている。一切の反抗の意思を許さない目だ。
だから、彼らが耐え切れず、俯いて視線を外すのは当然のことだと言える。
「……っ!! もう良いだろ!!」
「ええ、しっかり覚えましたよ。貴方たちのことは」
「い、行くぞ!!」
「あ、ああ……!!」
主の死刑判決のような言葉を背に受け、見苦しくも無様に走り去っていく姿に、ある種の懐かしさを感じた。悪党が五体満足で命を失うことなく降参したからだろうか。
「あ、あり、ありがとうございます」
「すまねぇな、たすかったぜ」
「いえ、個人的に目と耳と気に障ったので出しゃばらせてもらっただけですよ」
日本の社会を基準に考えたら過激な対応で、人によっては拒絶的な態度を取るのだろうが、帝国の価値観なら穏便すぎる対応だ。
関節を極めたり、胸倉掴んだだけで基本的には目線だけで撃退しているのだから穏便の化身と言っても過言ではない。
「よぉ、見てたぜ、龍殺しの兄さんよ!」
「お、親方!!」
「親方?」
「職人地区鍛冶師組合の長、ロイド親方だ――と言うか、龍殺しってどういうことっすか親方」
「知らねぇのか? さっき襲撃してきたドラゴンを一人で殺したのはこの兄さんだぞ。フリーのモンスタースレイヤー、倉澤蒼一郎。商業地区じゃちょっとした有名人だ。しかし、次代の龍殺しが人道主義者とは意外だ」
鍛冶師組合の長、ロイド――
縦にも横にも普通のドワーフの二回りほど大きな身体を持つドワーフの王様のような男。
主がドラゴンと戦っている姿をつぶさに観察し、魔人である可能性を疑っていた男だ。
何故、あの男が――ロイドが此処にいる……と言いたいが、この場合、それは寧ろ向こうのセリフだろうか。
「気に食わないと思った犯罪者予備軍が偶々差別主義者だったってだけですよ」
疑念を抱かれていることに微塵も気付いていない主が、気取った態度で肩を竦める。
ただ者では無いと思っていたが、鍛冶職人たちのトップ。
よりによって、そんな立場を持つ者から良からぬ存在だと疑われているとは頭が痛くなる。
「亜人寄りなのは龍殺しの習性なのかね」
そう言って、ロイドが意味ありげな笑みを吾輩に向けてくる。
そんな目で見られても吾輩は知らん。どうすることも出来ない。
「いえ、別に親亜人ってわけでもありませんよ。他人の権利を不当に侵害し、秩序を乱す輩が不愉快なだけで。人間だろうが亜人だろうが自分の目の前で無法を犯すなら、法の範囲内で平等に潰す。それだけです」
「はっ、ドワーフの目の前で剛毅なもんだな! だが、気に入った! 是非とも龍殺しに相応しい剣を打たせてもらいたいもんだ。人間を特別視するでもなく、それ以外を蔑視するわけでもない。中庸。調和と均衡の思想だ。アンタみたいな奴ばかりなら世は太平のままでいられるってのになぁ」
鍛冶職人たちの長が作る剣。恐らく、今の主に一番必要なのがまともな武器だ。
特に龍殺しとなった今、儀礼的な剣と礼服は何にも増して最優先で揃えなくてはならないのは柴犬の吾輩にだって分かることだ。
――だが、何故?
いや、確かに近い内に顔を合わせることになるとは言っていたが、さっきの今だぞ。早すぎる。
だが、彼――、ロイド親方は言っていた。八雷神から大きすぎる加護を得ている可能性も。
好意的に見るならロイド親方は主が魔人では無く、八雷神の寵愛を受ける英雄と思い直したのかも知れない――なんてのは身内贔屓が過ぎるだろうか。
「ご期待に沿えず心苦しいのですが、ある意味で自分も極端ですよ」
宗教や信仰の価値観なんかは特に。
「ほう? だったらお前さんは誰に肩入れして、誰を蔑んでいる」
「身内か、それ以外か、ですよ。身内はこの世の何よりも素晴らしく、それ以外は皆平等ですよ。それが皇帝だろうが被差別種族だろうが平等だ」
その中に神を含めなかったのは、主の思想を思えば、ちゃんと言葉を選んでいて賞賛に値する。
だが、強い言い方をしているだけで半分くらいは嘘だ。言葉を変えれば、自分のコミュニティの外にいる者は平等に価値が無いし、その狭い世界の中でしか龍殺しの力を使う気もないと言っていることになるが、実際にはそうなってはいない。
恐らく主自身も気付いていないのかも知れないが、その理屈は平和な日本の環境だったからコミュニティの外にいる他者の存在に興味関心が湧かなかっただけなのだと思う。
帝国のような差別が公然と罷り通り、邪神崇拝に巻き込まれ命を落とす以上の不幸に見舞われ、力の尊貴を正しく理解出来ない者の横暴に泣かされる者が目の前にいたら座視するわけにはいかないのが主も気付いていない本質の一つだ。
とは言え、他人でしかないロイド親方が洞察できるとも思えない。
主の言葉を素直に受け止めた場合、武を尊び、力を貴ぶ帝国の価値観からすると怠惰であり、傲岸不遜だ。
――主の口を塞ぐべきだろうか。少なくとも剣を打ってもらうまでは。
「極端だ。確かに極端だが、それ以上に俗だな、お前。別の言い方をするなら普通だ」
「そりゃそうでしょう。自分は、我が身と身内だけが可愛い、普通のモンスタースレイヤーですよ」
「龍殺しが普通を自称するとはね、謙虚を通り越して傲慢だ」
主の傲慢は今に始まったことではない。
主に引き取られて今日に至るまで、主の傲慢さはこれでもかと言うほど見てきた。
とは言え、主にも社会性や知性はあるので、社会からはみ出さないように、はみ出しそうな時は人目を忍んで、社会と折り合いを付けるくらいの器用さは備わっているが。
それが主の極端な二面性となって表れている。どちらが本質などではない。
どちらも本質なのだ。ニコニコ蒼ちゃん、龍殺しといった対外的な評価も、殺すぞ豚と罵り殺意をばらまく凶暴性も主の一面がその時々で先鋭化した結果に過ぎない。
「先に普通と言ったのは貴方の方でしょうに。力なんて物は、ただの道具でしかない。貴族なら権力、商人なら財力、サマーダム大学の研究者たちなら知力、貴方なら影響力や技術力。けれど、それは本質じゃあないでしょう?」
「さあな、それは人それぞれじゃないか?」
「ご尤も。自分は自分の本質が暴力だなんて思ったことはありませんよ。化け物を殺そうが、悪党を殺そうが、ドラゴンを殺そうが、それはただの評価でしかない。自分の本質は無責任な怠け者なのです。状況が怠けることを許してくれないので、心おきなく怠けるためにも叩いて潰して殺さないと仕方がないのですが」
「気に食わないと癇癪起こして大量虐殺なんてしてくれるなよ?」
「やりませんよ、そんな無意味なこと」
「大量虐殺が無意味か。それはまた変わった考え方だ。残酷だ、薄情だ、恐ろしい。或いは大義のためには仕方がないなんてのはよく聞くがな」
「殺戮自体は難しくありません。寧ろ、簡単だ。けれど、問題はその後。自分は文明社会の利便性抜きに生きていける程、勤勉な人間じゃない。自分から生き辛くなるようなことはしませんよ」
「いっそ支配者になって、ぐうたら過ごすのがお前さんの理想かも知れんな」
「冗談じゃない。支配者なんて面倒ばかりで、与えられた特権なんて自分の支配地域を発展させるための権利と義務であって、豪華な椅子に座ってふんぞり返っていれば勝手に社会が良くなるわけでもない。文明発達の奴隷なんて御免ですよ」
文明発達のための歯車になるのが支配者の責務――それは主と言うよりも、生涯が発展と共にあった現代人らしい傲慢さの表れとも言える。
任期が切れるまでの間、文明の保守と維持に専念し、あとはぐうたらしていれば良いのに、停滞を悪と感じ、帝国の長すぎる停滞に違和感を覚えているからこそ、例え話の中でさえも支配者になった場合、文明の発達に持てる力の全てを注がねばならないと考えてしまうのだ。
そして、そのように考えるからこそ面倒臭さが先行し、奴隷という言葉が出てきたのだろう。
何せ日本で雇われているバーの店長から新店舗の店長を任せたいと言われた時も「面倒臭そうだから辞退します」と、ばっさり切り捨てる男だ。
20坪ほどの小さな店一つ支配するのを嫌がる男に、広大な帝国の支配者なんて到底務まるものではない。
「支配者を奴隷と呼ぶか……」
「不敬ですか?」
「いや、それ自体はどうでも良いんだが、そんな価値観や知見を一体、どこで学び得た」
あ、なんか既視感。ライゼファーの時と同じ流れだ。
「さて? 生きて世間を見ていれば、誰でもこの程度は思いつくと思いますよ? そりゃあ幾つかの切っ掛けは必要かも知れませんが」
主が歯切れ悪く、とぼける。
「いやいや、そうはならんだろ――」
「そろそろ良いからしら。彼はわたしの客なのだけれど」
「お、おう、すまねぇな。カトリエル」
カトリエル女史の静かな声にロイド親方がたじろぐ。
よく見るとカトリエル女史と、ロイド親方の腕章のデザインは全く同じ。
彼の徒弟の腕章との差異から見るに、腕章は単に職人であることを示しているだけでは無く、職人としての地位や階級のシンボルにもなっているのだろう。
職人地区の鍛冶職人組合の組長と同階級――つまり、彼女は錬金術師の組長ということになる。
錬金術師の組長カトリエル女史の客人である次代の龍殺し倉澤蒼一郎を、鍛冶職人の組長ロイド親方が横取りする。本人にその意図が無くとも、これはそういう構図だ。
日本でもよく見た派閥闘争だ。
「いろいろ興味は尽きないところだがまたの機会にな、龍殺しの兄さん。いずれ剣は届けてやるから楽しみにしてな」
ロイド親方にとっても派閥争いは望むところでは無いのだろうか。言いたいことだけを早口に言って、徒弟二人を置いて足早に立ち去っていった。
――このヘタレめ。
そう思うだけなら簡単なのだが、あの男はドラゴンと戦う主の姿を観戦していた。
恐怖を感じていなかっただけなら勇敢、或いは、ただの恐れ知らず。
しかし、今になって思えば、ドラゴンを圧倒する主の姿を見ても興奮すらしていなかったのだ。
そんな平坦な感情の持ち主がカトリエル女史には妙に怖気づいていたように思える。
どうにも妙だ。ロイド親方と呼ばれるドワーフなら、あの冷たい目で睨まれても、『お、そうだったのか? 悪い悪い!! ガッハッハッハッハ!!』と豪快に笑い飛ばしていそうなものだが……あの男の真意が今一つ読めず、情けない後ろ姿を見ても不信感を払拭することが出来なかった。
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