悲しい恋の歌
4
風呂から上がると、キッチンから良い匂いがした。
「ドライヤー借りたよ。」
『はいはーい、そこ、座ってー』
来たばかりの人間に、そこ、って。
多分ダイニングのことだろう、とやたらとオシャレなテーブルに着く。
間も無く彼女は、2人分の朝ご飯を運んで来てくれた。
『はい、ご飯と味噌汁ね。朝は和食派だったよね?』
「え?」
『前ラジオで言ってた。』
…ああ、と納得する間も無く、またキッチンへ行ってしまう。
『私スムージー作ったけどユキ君も飲むー?』
「あ、じゃあ、頂きます。」
『んー、持ってくー』
…あれ、これ、待ってないで俺も動いた方が良いんじゃないか?
「いややっぱり自分で取りに行『良いから座ってて』」
良いから、と言われてしまって、一度浮かせた腰を素直に戻す。
『…はい。ユキ君は今日は1日だけお客さんで良いから。でもその気配りはイケメンだと評価してあげよう!』
焼魚とスムージーをお盆に乗せて持って来た彼女は、明日からはしっかり動いてもらうよ、なんて言う。
「…じゃあお言葉に甘えます。」
『はい!どうぞ!んふふっ。』
まだ少ししか一緒にいないけど、こいつ、本当によく笑うんだよな。
「いただきます。」
『召し上がれ!』
「…ん、美味しい…料理できるんだ?」
『そりゃあ未来の旦那のために?』
「なるほど。」
『…あ、そう言えばスウェット入った?良かった良かった。』
「あ、うん、ありがと。…ていうか。これ、メンズLだったよ?」
女子の家のメンズ服なんて、なんとなく触れてはいけないことなのかな、とも思いつつ聞いてみると、
『あはははは!バレた~!』
あっけらかんと笑っている。
「やっぱり元カレの服?」
そんな気にすることでもないのか、と核心を突くと、途端、キョトンとした顔で頭に大きくハテナを浮かべ、次の瞬間、笑い転げるんだ。
忙しいやつ。
『何、そんな風に思ったの?違う違う!…私、実はさ、持ってる服、メンズ多いんだよね~』
「へ?」
『ほら、スタイルが良いから女物の既製服だとサイズ合わないんだよ。』
「うわ、自分で言ったよ。」
『別に、隠せることじゃないしー?』
確かに、日本を代表するスーパーモデルなだけって、背も高い。178ある俺にも引けを取らないし、メンズの方がサイズが合う、と言われれば納得だ。
抜群のスタイルとルックスなのに愛されるのは、敢えて自分でそんな風に言ってしまうような、飾らない性格のお陰なのかもしれない。
『てかユキ君も着れるんだったら、好きに着ていいよ。あとでクローゼットに連れてってあげる!』
「いや、別にいいよ、そんな。」
『いいじゃんいいじゃん!ユキ君元々オシャレさんなんだし。昔からね、貰えるものは貰っておきなさい、使えるものは使いなさい、貸せるものは貸しなさい、って言われて育ったの。だからユキ君も借りときなさい。』
「…ははっ。はいはい。」
なるほど、そういうお母さんに育てられて、この自由の塊が生まれたわけだ。1人で妙に納得してしまう。
「俺はてっきり、元カレの残してった服だと思ったよ。」
こいつにつられて、なんだか俺もよく喋ってしまう。
思えば、誰かとわいわい食べる朝食なんて、いつ以来だろう。
『はー?ユキ君面白すぎ。ていうか私、彼氏なんていたことないし!』
「ブフォっ」
突然の爆弾発言に、思わず咳き込む。
「え?!彼氏いたことないってことないでしょ?」
『いや、むしろここで嘘吐いてもしょうがないでしょ。』
「…嘘だろ」
『いや、だから本当だって!』
このルックスで?このスキルで?男が放っておく?マジかよ。
「…え、じゃあ何、こんな広い家、ずっと1人で住んでんの?」
ここも元々二人暮らししていた、とかだと勝手に思い込んでいた。
『そうだよー、ずっと1人だよ?まあ…広すぎるなーとは思ってたけど。』
「あー…御両親金持ちなんだ?」
『ん?いや、そういう訳ではないよ。』
「えええ。」
『いやいや、金持ち?って言ったら金持ちだったかな?お父さん普通にサラリーマンだったけど、多分年収1000万は貰ってたし…』
それは十分金持ちだろう。
ああでも確かに、娘にこんな良い部屋を与えるほどではないな。
狭間の言わんとしていることは分かった。
「え、じゃあなんで…?」
こんなに広いとこで、1人で?
こんなに良いタワーマンションの最上階なんて、自分の年収じゃ到底届かない。
こいつだって、いくら売れてるスーパーモデルとはいえ、20でここに一人暮らしできるほどは稼いでないだろう。
いつも通り、満面の笑みで、狭間ルナはこう答える。
『んー……まあ、その辺はね。オトナの事情ってやつ?』
「…そうっすか。」
これ以上問い詰めるのも無粋だろうと、そこでこの話は終わらせた。
『まあそんなことはどうでもよくてー。広いお家には余ってる部屋がある、というのは考えが甘い訳です。』
「ん?どういうこと?」
話の展開がよく見えない。
『んー?や、実はね。この家だいぶ改造しちゃってて。日常生活に使えるのは、このダイニングにリビングにキッチン、あとお風呂と、さっきまで寝てた和室だけなの。』
「おう。」
『だからね、ユキ君に一部屋あげる、みたいなことが出来ない訳でして。』
なるほど、そんなことを気にしてたわけか。
確かに、付き合っている訳でもない男女が一緒に暮らす上ではプライベートな部屋が欲しい気もする。…ていうか欲しい。
かといって俺の家に来られてもここよりだいぶ狭いんだし、だったらそんなのは仕方ないじゃないか。
「まあ、お互い忙しくてそんなに家にいる訳でもないだろうし。別にそんなの全然いいのに。」
『うー、ごめんね、本当に。私がうち来る?なんて言っておいてさ…』
ああ、なんだ。
やっぱり気にしているんじゃないか。
こいつ、一見何も考えていない自由人のようで、実は色々考えてるんだろう。
さっきも、BLUEのゴシップを私のせいで、なんて言っていた。
昨日だって、平気ですみたいな顔で同棲とか言ってたが、本当は色々思うところがあったらしいし。
今日だけはお客さんで、なんて言うのも、服を貸そうなんて言うのも、きっと俺のこと、考えてくれているんだろう。
…なんて、ポジティブすぎるかな。
『てことで今から、ユキ君の布団とか食器とか買いに行きまーす。はい準備して~』
…自由すぎるのは、本当だけど。
「ん。ご馳走様。」
でもどうせなら、ここにいる間くらい、こいつのペースに巻き込まれるのもアリかもしれない。
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