第4話 告白
前編 詩会の機会
「それで、計画というのは?」
宿舎に帰り、夕食を摘まみながら私は鈍灰殿に問うた。街の住民から頂いた土産品も世話人に調理させて卓に出してある。酒も頂いていたことだし、そのあてにちょうど良い。私の帰りが遅かったことに膨れていた由殿も今はすっかり上機嫌だ。
「計画? 宇曽殿、また女性絡みで良からぬことを……」
あながち間違ってはいないが、私の問題ではないということを強く主張しておかなくては。
私は尹巴殿の娘、詩耽さんのことと彼女の悩みについて簡単に説明した。ただ、耀白殿の秘密については、今は不要と思って特に伝えなかった。彼は女性に対する免疫がほぼ皆無と言っても良い。下手に伝えると妙に意識してしまうだろうし、折りを見て明かすことにした。
「なるほど、相変わらず悩める女性に弱いお人だ。とはいえ、街の希望とも言える御方なら、この地の民の為にも何か手助けしたいものですなあ」
悩んでもいない女性にさえ弱い御仁に言われるまでもない。私は改めて鈍灰殿に話を振る。
「あいつらを結び付ける為に必要なこと、それは言葉を交わすことだ」
ほうほう、それで? と二人して次を促す。
「言葉を交わすには顔を合わせること、つまりあの二人を同じ場所に引っ張り出すしかないって訳だ」
つまりはあの二人が良い雰囲気になれる場をこちらで設けるということか。
「そういうこと。色男は切れるから助かるねえ」
「鈍灰殿の意図はわかりましたが、具体的な方法はどうなさるのです? 耀白殿の前に詩耽さんを引き合わせるのは些か難しい気がしますが」
殻にこもった相手を無理やり引っ張りだすのはこちらとしても忍びない。下手を打てば彼女は永遠に陰に隠れたままという事態になりかねない。
「それですが、全く希望がないようには思えませぬ。宇曽殿が外で出会っている訳ですから、詩耽殿も私室で完全にこもっている訳でもないのでしょう?」
「由の言う通りだ。それこそ憧れの君子様のお誘いでイチコロよ」
そのように上手くいくものだろうかと甚だ不安だ。ただ、鈍灰殿の余裕の表情からして、何らかの腹案があるのだろう。
「まぁ、それで上手くいくとしましょう。肝心の彼女らを引き立てる「場」は如何お考えなのです?」
鈍灰は待ってましたと言わんばかりに得意になって返す。
「普段、俺達は自分の思いをどうやって人に伝えている? 勉強しろ、仕事しろなんてことはただ言えば伝わるが、心に秘めた情は言葉の羅列では伝わらない。だから俺達は表現をするんだ。要するに何を言いたいかっていうとだな……」
「詩会を開く、という訳ですな」
「あ、てめえ! 先に言うなよ」
由殿に先を言われ、鈍灰は口を尖らせる。そもそもそこまでもったいぶる所だろうか。
「まあそういうことだ。ただ飯食うだけの会合だと尹巴も渋るだろうが、詩会なら詩の名手である詩耽を呼ぶ気も湧くだろう。自慢の娘だしな。耀白は言わずもがな二つ返事で了承する。詩耽についてはあんたらからもけしかけてほしい。つっても優しくだぜ? 「鑑賞するだけでも良いから気晴らしにどうですか」って具合にな。その後に俺は耀白に一声かけて、あいつを詩耽に差し向けるからな。この手筈で頼むぜ」
「それでも目的の面子が揃わなかったら?」と私は尋ねると、鈍灰は自信満々に「この国の奴らの詩狂いっぷりはわかるだろう? 璧を完うすることこの上ないぜ」と身も蓋もない答えを返してきた。
詳細を聞いてなお、不安は拭えないが、その他に妙案が浮かぶ訳でもないし、彼の提案に乗るが良いのかもしれない。鈍灰は必要なことは全て話したとでも言うように、ごくごくと杯に注いだ酒をあおり、舌鼓を打っていた。それは私が持ち帰ってきた物なのだが……。
「堅いことを言うなって。さて、由よ。昨日に続いてお前さんにまた詩を手ほどきしてやるよ」
「いやはや、かたじけないですなあ」
「いやいや、それにかこつけて本当は酒を飲みたいだけでしょ」
実際、由殿に詩を教えてもらえると、こちらとしても助かることは間違いないのだが。
「へへへ、ばれたか。つーわけで頂き!」
「あ、こら!」
こちらの隙を見逃さず、鈍灰は酒瓶をかすめ取る。神技のような速さで栓を抜き、瓶に直接口をつけて、だばだばとこぼれてくる酒を被るように飲む。それを止めようとすかさず伸ばした我々の手をするりと躱して、部屋を縦横無尽にかけまわる。
「おらおらー! 早くしないと無くなっちまうぜ?」
「ま、待て!」
「鈍灰殿、詩を見てくだされー」
大の大人の男が屋内をどたどたと駆けまわる姿は見苦しいことこの上ない。やかましい男共の騒ぎ声から目を背けるように、月は傾いていった。
そのような出来事があって、私は今日、県令邸を訪ねている。昨日とは分担を入れ替えて、今日は由殿が街の見物に出ている。
「昨日は街の見物をなさったようですが如何でしたかな?」
尹巴殿がにこやかにこちらに尋ねる。彼の態度には押しつけがましい自慢とは一線を画す、確かな自信を見受けられた。それほどこの街に誇りを持っているのだろう。
「率直に良い街だと感じました。民はにこやかで余裕があり、外部の者との関わり合いにも積極的です。また、県令の仰った通り、女子どもまで詩を賦し、家族で和気藹々と詩談に興ずる姿には感嘆しました。教養と徳が隅々まで行き渡っている、こんな街は我が国でも他にないでしょう」
「いやいやそこまで賞賛していただけると、この街の一員として誇らしいものです」
私の賛辞に尹巴は謙遜しつつ、茶を口に含む。彼は碗を見下ろし、ふうんっと軽く鼻から息を漏らす。碗の中の濁りに向けた眼差しはどこか物憂げである。
「ところで――今日は私に何か用があってお越しになったのでしょう?」
「ええ、この街の民と語り、漢柳に触れる中でふと思いついたことがありまして……」
「と、言いますと?」
詩耽の件もあるし、婉曲に話を進めていくべきかと迷い、言葉に詰まる。しかし、回りくどく説明するのもまどろっこしいかと思い直した。
「詩会を催してみたい、と考えております」
「ほお……それは結構なことです」
尹巴の眼が微かにぶれる。次の言葉を挟まれる前に私はすかさず二の句を告げる。
「実は昨日、偶然お嬢様にお会いしました。その時の感想を率直に申しますと、何かに深く悩んでおられる様子で――」
「お気遣いなさる必要はありませんよ。抜かりがない貴殿のことです。娘のことやあの子が抱く憂いについてもすでにご存知なのでしょう?」
「尹巴殿には敵いませんね。お嬢さんからは口止めもされていたのですが、知っておられたとは」
「私も人の親です。妻が早くに先立ち、男手で育ててきたものの、娘のことは言葉を交わさなくとも何となく察します。世の価値観とは異なりますが、あの子が望んだなら、私はそれを応援するだけです」
「ということは彼女の想い人のことも?」
「彼と話している時の顔のきらめきを見たらわかりますよ。私に反対されるかもしれないと娘は思っているのでしょうが、彼ならむしろ歓迎です」
「失礼ですが意外ですね。この地の県令は世襲と伺っておりますし、私はてっきり家柄や血筋を重視するものだと」
私の無礼な物言いにも尹巴殿は微塵も不快さを表さず、快活に笑い飛ばす。
「はっはっは、この家はそれほど立派な家柄ではありませんよ。あくまで官朝に管理を任されているだけの身ですから、与えられた位も形だけのものです。実際、この家は基本的には自由恋愛で家督を受け継いできました。娘にもその辺りはよく伝えてあります」
この国の士大夫には珍しい風習だ。県令級になれば縁談が組まれるのが普通だが……。律を取り巻く環境を考えれば、縁談を組むというより、組めないと言った方が正しいのかもしれない。
「とは言っても、お嬢さんは直系の血を残せないことが枷になっているようでした。たとい耀白殿への思いが成就したとしても、家の血が途絶えることにためらいがあるのでしょう」
耀白は心は男でも体は女性だ。もちろんそれでは子を為すことができない。
「彼のこともご存知でしたか。それも含めて、あの子にはそれとなく「気にすることはない」と伝えているのですが、難しいものですね。私の手で縁談を取りつけるのも訳ないのですが、こればかりは当人同士で決着させるのが筋でしょうし……」
「そのことも見据えての詩会開催なのです。彼女らが前に進むには何かきっかけが必要でしょう。実はすでに鈍灰殿からも協力すると賛同を得ています」
「最後の一言を聞いて一抹の不安を覚えたのですが……。わかりました。諸々の手配は私の方で行ないますので、詳細が決まれば連絡してください」
ひとまず尹巴の協力を得られそうで安堵した。私は丁重に礼を述べ、口を付けてなかった茶にようやく手を伸ばす。
それから首尾について打ち合わせを進めて、県令の公邸を後にする。それほど渋られることなく、すんなり事が運んで良かった。
ググッと伸びをして一息ついてから「さて、お次の相手は彼かな」と呟く。
公邸の門先に広がる街並みを眺めて、彼の自宅への道のりを確かめる。街の大通りからはずれ、質素な造りの邸宅が立ち並ぶ一角を見据える。「あの辺りか」と独り言をぼそっと吐いて、私は歩を進めた。
よく言えば質素、悪く言えば粗末な家々が並ぶ区画に彼は住んでいた。この辺りは大通りに比べれば華やかさはやや落ちるけれども、下町情緒のある闊達な雰囲気が見て取れた。
土で汚れた石畳や茅葺が突き出た屋根が目立つ中、彼の家の門構えは清潔に整えられており、ひっそりと祀られた廟のような荘厳さを感じさせた。
門を通り、彼の在宅を家人に尋ねた所、どうやらまだ仕事から戻っていないらしい。時を改めようかと踵を返そうとしたが、厚意で中に通してもらえた。
邸宅の中もまじまじと観察してみると、随分と手入れが行き届いているなと感心した。都の自分の家と比べると天地の差だ。
そのようなことを考えつつ待っていると、耀白が帰宅してきた。突然の訪問だったにも関わらず、彼は嫌な顔一つせずにこちらを歓待してくれた。
「お待たせしていたようですみません。よくお越しになってくださりました。言ってくださればこちらから出向くものを……」
「いやいや耀白殿、詫びるのはこちらです。突然、伺って申し訳ございません。用事自体はちょっとしたことでしたので、日を改めるつもりだったのですが、見事な家構えに惚れ惚れして長居してしまいました」
「ふふふ、本陶殿もお上手ですね。昨日も街の女性に対して、そのような達者な口ぶりだったとお聞きしていますよ?」
「…………」
まったく、この街の情報網には驚かされる。公園であの家族と別れた後、色々と粗相をしていたのが筒抜けだったようだ。彼にさえ指摘されるとは思わず、私はつい苦笑いを浮かべた。
「耀白殿もいずれわかりますよ。巡り合った運命の相手との逢瀬のときめきが」
探りも含んだ私の冗談を彼は一笑に付す。
「ところで、ご用件というのは?」
「ああそうそう、実は近い内に詩会を開こうかと企画しているのです。先に尹巴殿に相談した所、是非二聖のお二人もということになったので、お誘いに参ったのです。漢柳についてもっと学びたいですし、何より皆さんと親睦を深めたいですし、如何かと思いまして」
私の申し出に彼は興味津津の様子だ。
「たしかにこの街では詩会という改まった形で語り合うことをあまりしないですし、面白そうですね! ちなみに今はどなたにお声かけしているのですか?」
「尹巴殿と鈍灰殿はもちろんとして、あとは尹巴殿の娘さんの詩耽さん――」
「え? 彼女にも声をかけるのですか? ここ最近の所、体調が優れないと聞いておりますが……」
もしかすると彼は由殿以上に恋愛に疎いのかもしれない。いや、それは違うか。私自身が積み重ねた男女関係の経験や知識は、彼のようなケースに当てはめるのは難しいのかもしれない。
「私もそのことについては知っています。というか、町はずれで偶然本人と出会って話もしています」
「そうでしたか。彼女は何か言っていましたか?」
沈痛な面持ちで耀白が尋ねる。直言するにはいかないので適当にはぐらかすものの、どうも忍びない。
「耀白殿からお会いすることはないのですか?」
「ここ最近はないですね……。以前は共に楽しく詩や文章について語っていたのですが、今は見舞いに訪ねても、体が優れないと追い返されます。実は私もこのことで最近少し悩んでいるのです」
「というと?」
「同僚や街の者と話をしていても詩耽のことがたまに話題になるのですが、私が彼女のことを話すと、どうも皆煮え切らないというか……。包み隠さずに言えば、周りはすでに彼女の悩みの内容を知っていて、自分をつまはじきにしているように感じると言ったら良いのでしょうか。被害妄想だと思うのですが、普段と違う周りの態度に戸惑うのです」
「……なるほど、それはたしかに困惑しますね。余所者の私がこちらの事情にあまり口を挟むべきではないでしょうが……。一個人として物を言わせていただくと、おそらくご友人は貴女に自力で気付いてほしいからはぐらかすのでしょう」
私の言葉に耀白は首を傾げる。
「皆目見当付きません。どういうことでしょう? そう仰るということは私は彼女の悩みの種その物だということですよね? もしそうなら私は彼女に詫びなければなりません。でも、何について謝れば良いかわからない以上、どうすることもできないではありませんか!」
彼は自分が男の心をもっていると自覚しているのならば、生まれつき女性の体であることもまた、同時に深く自覚していると考えられる。だからこそ、詩耽さんの思慕に気付けないのだ。
「落ち着いて。これはあくまで私の推測なのですから」
これは参った。彼の事情――耀白の生まれつきは女性であること――を知った旨を打ち明ける機会を逃してしまった気がする。こうなればその辺りは鈍灰殿に任せた方が良いか。
「すいません。つい声を荒げてしまって……」
「構いませんよ。耀白殿はまだまだお若い。いくらでも悩めばよろしいのです。私で良ければいつでも相談に乗りますよ。特に恋愛に関しては一家言ありますよ?」
「……まったく、本陶殿の仰ることは本気なのか冗談なのか測りかねます」
耀白は呆れ気味にうすら笑いを浮かべる。一寸の無言を置いた後、彼はぽつりと独白する。
「今は恋愛には関心が湧かない――いえ、恋愛などできないと感じています。そんな私でもいずれ人をどうしようもなく愛してしまう時が来るのでしょうか。他者の恋愛詩に共感し、自身のとめどない恋情を詩に賦す時がいつか……」
不意に零れ落ちた彼の言葉に私は何も言えなかった。
これは私の推測だが、彼は自分が誰かに恋した時、それは男性としてなのか、あるいは女性としてなのか、今なお掴めていないのだろう。精神が男性で女性を異性と認識して愛そうとも、肉体が女性であることには変わりがない。その齟齬が無意識に作用して、「男性として女性を異性と見ているけれども、女性は同性である」という矛盾が彼の中で生じている。精神と肉体のすれ違いによって、対象への認識が同性との逢瀬にすり替わるのである。それが彼に「女性との恋愛はできない」という先入観を気付かぬ内に根付かせているのかもしれない。
「妙なことを口走ってすみません。そういえば元は詩会のお話でしたね。それでしたら参加させていただきます。詳しいことが決まったらまた教えてください」
耀白は気を取りなして言葉を続ける。話題を打ち切られてしまって追及するのも野暮なので、話も程々に私は彼の自宅から辞去した。
参加の約束は取りつけたものの、なかなか厄介なことに首を突っ込んだものだと改めて痛感した。
暗くなってほのかに灯りがともりだした家々の間を戻っていく。また三人で作戦会議しないとな。
一夜明け、今朝は詩耽さんの見舞いに向かっている。昨夜、当然のように私達の宿舎にいた鈍灰殿と打ち合わせをした結果である。由殿も緊張した様子でこちらについてきている。鈍灰はというと相変わらず夜行性で、昨夜は我々との打ち合わせを済ますと、さっさと夜の街に消えていった。おそらく日中はまたどこかで惰眠を貪っているだろう。
「宇曽殿、詩耽殿はどのような方なのでしょう? 昨日、街の者から大変美しい方と聞いて、些か緊張しております」
「慎ましくて屈託のない方ですよ。下手に畏まる必要はありませんし、肩の荷を降ろしていきましょう」
私の言葉を聞き、由殿は多少は安堵したようだ。
「宇曽殿の女性を見る目に関しては本物でしょうから信用しましょう」
かねてより感じていたことだが、この男は私を何だと思っているのだろうか。
私邸にある詩耽の私室に到着した。扉の前に侍女が侍っていたので、用件を伝えて応対を待つ。窓を覗くと外には中庭の風景が広がっており、この前に我々が通った渡り廊下が遠くに見える。風に波立つ池の水面もよく見えていた。
「なるほど一昨日の朝は、ここから中庭に降りた詩耽さんを私達は見たのですね」
「ここから見ても見事な庭園ですなあ」
「この景色で一首作れそうですね」
にんまりして由殿を見やる。
「その如何にも嫌味ったらしいにやけ顔は何ですかな?」
「いつも私を女たらし扱いしている仕返しです」
そんなやり取りをしていると、やがて侍女に呼ばれる。入室の許可が下りたようだ。
「さ、行きますよ」
私室に入ると、簾の向こうで身支度を整えた詩耽が出迎えてくれた。由殿の姿勢が固まる。どうやら一目見た瞬間、可憐な姿にあがってしまったようだ。やれやれ、少しは女たらしの垢でも飲めばいいものを。
「大夫様、わざわざありがとうございます。おや? そちらの殿方は?」
詩耽さんは物憂げな雰囲気はなおも取り払われていないが、美しさには綻びは見られない。
「張宇曽です。字で読んでくださって構いませんよ。こちらの固まっている男は顔由と言います。私と共に都から律に来た、使いの一人です」
私は由殿に挨拶を促したが、彼は借りてきた猫のように大人しく礼を取るだけであった。
「ふふっ、宇曽様に比べると可愛らしい方ですね」
「か、可愛らしい……?」
詩耽さんが噴き出して笑う。この男を連れてきて正解だった。それにしても以前より少し明るくなったように見受けられるが、何かあったのだろうか。
「二日前、貴方に悩みを打ち明けられたおかげで、少し前向きになれたのだと思います。それと昨日、染濁から詩が届けられてそれに元気づけられました」
それにしても、パッと見の気性と異なってマメな男だ。昨夜はそのようなことを一言も聞いていない。
「ほほう、それは何よりですなあ」
由殿も徐々に硬直が和らいできたようだ。
「彼のことです。人の尻を叩くような破天荒な詩を贈ったのでしょう」
「あらあら、随分な言い様ですね。書があるので見てみますか?」
「よろしいのですか?」
「是非見ていただきたい作品ですし、彼は第三者に見せたくない作品に関しては、見える形で残さないですから」
詩耽は寝台の側に備えた棚からすっと紙片を取り出す。昨夜の眠るまでの間、噛み締めるように読みこんだのだろうか。
「こちらです。どうぞ」
私と由殿は差し出された紙片に視線を落とした。
昇日益益求極致 昇日益益極致を求む
深暉愈愈照苑地 深暉愈愈苑地に照る
池上芙蓉仰金烏 池上の芙蓉金烏を仰ぐ
波間水天知虚偽 波間の水天虚偽と知る
彼出闇中発清明 彼は闇中より出で清明を発す
汝在泥濘生雅粋 汝は泥濘に在りて雅粋を生む
人有陰陽得大徳 人陰陽有りて大徳を得る
自欲潔白勿慙愧 自ら潔白たらんと欲して慙愧する勿れ
太陽を耀白、蓮の花を詩耽になぞらえたのだろうか。前半の四句は高みを目指す太陽とそれに恋い焦がれる蓮の花の物語のようだ。
後半はそれを踏まえて、耀白への恋心に悩む詩耽に贈る言葉であろう。太陽は闇の中からやって来るし、蓮は池底の泥から花を咲かす。人も同じようなものなのだから、今更潔癖になることはないと真っすぐに思いを伝えてくる。
「前半の繊細な世界と落差のある、後半のあけすけな説教は彼らしいというか……」
「いやはや、ズバズバ物を言う性格がわかりますなぁ」
「そう思うでしょう? でも普段はもっと含みを持たせた詩を作る人なんですよ。これを見せられたら私もいつまでもくよくよしてはいられないと思ったのです」
詩耽の感想を聞くに、色々と据えかねた上でのこの作品なのだろう。我々がこの問題に関わりだしたのはつい数日前のことだが、以前から首を突っ込んでいた鈍灰からすれば、ようやく事態が進むことに少々熱くなったのかもしれない。
「なるほど……。あ、それならばちょうど良い催しを企画しているのですが、お話を聞いていただけませんか?」
私はさも今思い至ったかのように詩耽に尋ねる。私の申し出を彼女は快諾してくれた。
私は詩会の開催について説明する。うんうんと興味深く頷く彼女の様子に手応えを感じた。だが、話を進める内に彼女の表情は曇り始めた。
「私で良ければ是非と言いたい所ですが、実は太清とはしばらく顔を合わせていなかったもので……。そのような中、彼の前で作品を披露すると思うと……ああ、胸が締め付けられます」
「不安なのはわかります。もちろんこちらとしては、作詩を無理強いする気はございません。鑑賞して久々に人と詩を語れば、少しは気が晴れるのではと思ってお誘いしたまでです。まだ詳細も決まっていませんし、ゆっくり考えてみてください」
彼女としては気持ちが少し前に向いた程度で、まだまだかつての明るさを取り戻すには時間がかかるようだ。
詫びる詩耽に気に病むことはないと慰めて見舞いを終える。やはりもう一押しは彼ではなければならないか。その点については鈍灰が動いているだろうし、我々は自分の務めをこなすことにしよう。
屋敷から出て、由殿とは一旦別行動を取ることにした。詩会のことも気になるが、本来の仕事の方も進めなければならない。由殿に頼んでいた調査と都で事前に行なっていた調査を検証した結果、この地の隠された物語が見えてきていた。これを完全に掴み切るには、記録や伝聞の他にも「鍵」を見つけなければならない。
律の漢柳の起源、それは――。
ざあっと風が吹き抜ける。眼前に望む公園の大樹から木の葉が舞った。樹……街……家々……もしや……!
ただの思いつきなのか、第六感から導き出された閃きなのか、それはわからない。ただ私は衝動に身を突き動かされて、県令の公邸に向かった。明確な根拠はないが、さる人物のルーツがあそこにあると確信したのだった。
〈第四話後編へ続く〉
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