中編 友


「さて、どこから話したものか」

 久方ぶりの我が家ではささやかな宴が開かれていた。そこで一行は旅の無事を労い合うも、話は早速本題に入ろうとしていた。

「私達が律を発つ前に聞いたのは、鈍灰殿が天子の血縁であること、皇位継承から離れた立場であったおかげで現天子とは幼なじみの関係でいられたこと、この二点ですな」

 突拍子もなく聞くと、仰天する事実ばかりである。どうして今までこれを掘り下げなかったのか不思議なくらいだ。

「衝撃的な事実ですし、強力な手札になり得ることに浮かれて、今まで詮索しませんでしたね。今はむしろこれが我々の行動を妨げる要因になってしまっていますし、中書令が仰っていた件も含めて徹頭徹尾お話頂くべきかと」

「天子の血縁が都を離れた経緯」なぞ考えるまでもない、権力絡みのごたごたであると高を括っていた。

「そういやお前達はこの話を全く疑わなかったよな。何も聞かれなかったから取るに足らない放言と捉えられたのかと内心がっくりきたぞ」

「もちろん、どこまでが真実なのか測りかねたというのもあります。実際、曹中書とお知り合いとわかって驚きましたしね」

「まあそれが本当だとしても強く押し出すのは得策ではないと思いましたな。担がれて犠牲になるのは鈍灰殿ですし、遂行中の例の計画と相まって過激な運動に展開する可能性もありますから」

 宮中において力を持たぬ私達が頼れるのは律が歴史の裏で細々と紡いできた人の繋がりであった。律の為に私達が案じた策ではそれが肝となる。これが実を結ぶかどうかは分の悪い賭けであるものの、成就した場合、高貴な血筋の出である鈍灰が担ぎ出され、過激化することも想像できた。

「とは言っても俺も当事者だ。が当たれば俺のことも遅かれ早かれ表沙汰になるだろう。その時のことを考えると俺も全てを話しておく必要があったな。これに関しては何も言い訳できん」

 私達は鈍灰が面を下げようとするのを慌てて制する。

「お止めください。今はとにかく私達の役目を果たすことだけを考えましょう」

「本陶殿の言う通りです。それにいつまでもしょぼくれているのもお前らしくない。面を上げよ。胸を張れ。それでは耀白殿に笑われるぞ」

「太清を引き合いに出されるとぐうの音も出んな……。それなら俺らしいってこういうことか?」

 そう言うと鈍灰は杯を目一杯呷り、酒を一気に飲み干す。そのまま空杯を膳にうち捨て、頬を叩いて気合いを入れた。

「うっし! 旨い! もう一杯!」

「そうです。その強がりこそ私の知る鈍灰殿です」

 私は相槌を打ちつつ、空になった杯に酒を注ぎ足す。

という言い方に反論したい所だがまあいい。それで、どこから話そうか?」

「主として聞くべきことと言えば「都を去ることになった経緯」ですが、この際、天子との関わりも含めて貴方の過去をお話し頂けますか?」

「うーむ……。そうなるとかなり長話になるぞ?」

「まだまだ夜は長いですから大丈夫ですよ。妻には片付けは自分達でするし、適当な頃合いで床に就くよう言ってありますから、いくら遅くなっても構いませんよ」

「いやはや、帰ってきて夫婦水入らずで過ごしたい所をお邪魔して申し訳ないですなあ」

「それを言えば由も同じだろ。良いのか?」

「……私めは未婚です」

 余談になるが、由殿はとっくに妻を娶っていなければならない歳だが、致命的に女性慣れしていない。縁談の話もこれまで尽くふいにしている。

「わ、私のことは良いですから、ささ早くお話を……」

「うむ、何かすまんな……。それではせっかくだからそもそもの生まれから話をするとしようか」

 時刻はまだ夜になったばかり。室内では灯火がゆらゆらと揺れて人型の影を作る。窓外では月が昇り始め、夕げのざわめきが辺りからかすかに聞こえてくる。

 そのような中、一同は鈍灰の話に耳を傾ける。



 文昌とは本当に小さい頃から、それこそ物心ついて間もないくらいに出会っていた。あ、文昌ってのは今の天子の名前な。俺は昔から一文字取って昌と呼んでいた。下々の者がやってはならん呼び方だが、天子天子といちいち言うのも語りにくいし、彼っつーのもいまいちだし、便宜的に……というより、ここでは好きなように呼ばせてくれ。

 で、俺の生まれだが、俺は前皇帝とその側室との子だな。あいつは正室の次男だから継承順位が二番目、俺はというと数多くの側室、しかもその中でも位が低い者の子だから……何番目だったかな? えーっとたしか十八番目とかだった。歳は近かったが立場は天と地の差がある。親族というよりもはや王と家来だな。まあそのくらい差があったおかげで、あいつも気兼ねなく俺と接することができたとも言える。実際、周りの連中も後継争いから無縁な俺のことなんて眼中になかったようだ。

 ちなみに長男だが幼くして病で亡くなっている。生まれつき体が弱かったとも聞いているが詳しいことは知らん。会ったこともないんでな。

 話は戻るが、昌との出会いは学問の講義が最初だった。あ、講義つっても子ども相手だから字書きとか童歌とかそんなもんだぞ。前皇帝は子沢山だったからな。母親の身分の差を気にせず、歳の近い皇子を一まとめにして世話見させてたんだよ。能力主義な傾向があったのも一因らしいがな。まあそこで俺と昌は出会った。そしてすぐさま喧嘩した。

 昌は生まれつき自分は特別だと認識していた。誰も彼もがへりくだるんだからそらそうなるわな。俺はというと怖いもの知らずなやんちゃ坊主だった。生まれつきから誰にも相手されないから構ってもらおうと必死だったのかもしれん。

 だから俺は会って早々、畏れ多くも奴にちょっかいをかけた。ガキの癖に妙に澄ましているのが気に入らなくてな。いや、本当に品格というか子どもらしさが微塵もない奴だったんだよ。

 あいつと昔話をした際に聞いたことだからはっきりとは覚えていないが、俺は昌に「手下になれ」というようなことを言っていたらしい。

 昌も自分に刃向かってくる奴がいるのが気に食わなかったのか、これをきっかけに生まれつき抑え込んできた激情が甦ってきたのか、そこから取っ組み合いの大喧嘩になった。まあ所詮子ども同士のことだから、見ている大人からすれば微笑ましいもんだったんだがな。

 しかしながら子どもというのは不思議なもんで喧嘩したら仲良くなるんだな。それから間もなく、気付けばよく話す間柄になっていた。俺の母親に何のお咎めもなかったことから先帝の方から何かしらの計らいがあったのかもしれん。

 それから少し年齢を重ねて、十四の成人になってからも変わらず共に過ごしていた。あいつは後継第一位だから休む間もなく学問学問時々公務の毎日、俺はというと程々に遊びつつあいつの側仕えみたいなことをしていた。砕けた言い方をするなら遊び相手だな。

 ん? もっと良い言い方がある?

「友」だって……? ふふん、改まって言うとくすぐったい表現だな。だが悪くない。

 まあそうして成人後の日々を送る訳だが、この頃に俺達は齢然とも出会っている。出会いの場は都の太学府、皇族は十三までは宮中でお抱えの学者から学び、十四になったらそこで他の子弟に混じって学ぶのが慣例なんだ。もちろんそれまで宮中に籠っているわけではなく、私的な付き合いや公務で外とも関わり合いがあった。あくまで教育に関しては他家から隔離されていたってだけだな。いわゆる帝王学ってもんを教え込んでいた訳だ。

 齢然の父もまた中書令の官職に就いていた。元の地位は低かったものの、先帝に抜擢されて頭角を現していったそうだ。それと齢然がその職に就いたのも世襲と言う訳ではなく、努力を積み重ねて周囲に認められてのことだと一言添えておく。

 齢然はそんな俺達に臆面もなく接してきた。不躾と言った方が適切かもしれない。まあそのくらいの方が気兼ねがないので、俺たちとしてはありがたかった。

 定期試験の結果発表の日のことだ。張り出された順位表を見ると、首席に齢然、次席に昌の名があった。俺か? 察しろ。

「曹? どの曹氏の子だ? お前に勝つなんてとんでもねえ奴だなあ」

「中書令の子だよ。やれやれ、入学前に春の祭礼で会ったじゃないか」

「あー……ってことはいずれはお前の臣になるかもしれんのだな」

「僕はまだ皇帝になるとは決まっていない。あくまで太子の一人に過ぎないよ。それに彼にだって将来を決める自由はある」

「そういう謙虚さはお前の良いとこでもあるが、場合によっては他人の感情を逆なでするぞ」

「まったくだ」

「は?」

 どうやら隣で俺達の会話を聞いていたらしい。奴は俺達に何の気兼ねもせずに物を言ってきたんだ。

「微塵も悔しさを見せず、かと言って強がっている訳でもなくて、年相応のらしさの欠片もない。これでは首席を誇っている俺があほらしいではないか。横のお前だってそうだ。先の祭りの時には間抜け面を晒して、今回の試験だって下から数えた方が早いのに、何だその不敵ぶりは。成人してなおも尻の青い凡骨ばかりの中で、異彩の風格を放ちおって……。自分の未熟さが際立って恥ずかしくなるわ」

 おおよそこのような内容の話を早口で捲し立ててきて、こちらは非常に困惑した。褒めているんだか、貶しているんだかよくわからんだろう?

 まあ要するに齢然は病的な負けず嫌いなんだ。試験結果で勝ったはずなのに、当の俺らはそんなの全く気にする風ではなくて負けた気がしたらしい。この邂逅がきっかけで何かと関わることが増え、太学府を修了する頃には深い付き合いになっていた。



 話がひと段落した所で、鈍灰は次杯を口に含んだ。

「あの中書令がそんな方だったなんて」

「頭が堅い所は今でも変わってなさそうなんだがな……。まあ俺と昌と齢然、三人の関係はそこから始まって今に至る訳だ」

 過去を回顧して懐かしさがこみ上げてきたのだろう。鈍灰の表情が幾分か柔らかくなった気がした。

「その後は齢然殿は手腕を磨いて父の官職を継ぎ、天子は順当に即位したのですね。鈍灰殿はというと……」

「そうだな。次はそこから語るとしようか。俺が都を離れた経緯にも関わってくるしな」

 ヒョイヒョイと肴を摘まんで酒で一気に飲み下した後、鈍灰は再び語り始めた。杯に眼を落とし、そこに映る自身をじっと見つめながら。



 太学府を出て、俺と昌は官職が与えられた。皇族用の別枠のな。もちろん俺は下っ端の下っ端で、昌は後継第一位相応の地位に就いた。齢然はというと超難関と言われる官吏登用試験を一発で通過し、官に就いてからは着々と実績を挙げていった。七光りなんて言わせない程にな。あいつは人徳はそんなになんだが、学識や実務能力は異次元なんだ。

 あ? 人徳に関しては人のこと言えねえだろって? ふーん……。

 ところで人徳はご立派な由殿は何回落ちたたんだっけなあ? え? 今は関係ないだと? あーはいはい、わかったわかった。からかってみただけだって。ったく、しょうがねえな……。

 話を戻そう。俺に与えられた仕事は以前と変わらん。昌の側付きだ。ただ、昌が第一太子として正式に公務に勤めるようになったことで、仕事量はとんでもなく増えた。目まぐるしい生活を送る中で、宮廷が抱える闇とも対峙せねばならなくなった。先帝の後継争いを背景に、有力氏族間の小競り合いが沸々と起こり始めていたんだ。まあ政治の世界においては定番の流れだ。当事者にとっては堪ったもんじゃないがな。

 有力な勢力はいくつかあった。親父の代から中書令に抜擢された曹氏の他に、往古から富と権力を握り続けた、良く言えば由緒ある名門貴族の虞氏、馬氏、陳氏の三氏が主だった勢力として存在していた。まあこの三勢力が曲者でな。今もなおこの国の中枢に居座り続けている。漢柳容認派の弾圧、律への強硬策もこいつらの差し金だ。

 何故なら曹氏の起源が律だからだ。一族発祥の地である律が脅かされれば、曹氏も自ずと動かねばならない。

 こいつらがどうしてこうも曹氏を目の敵にしているのか。それは端的に言えば過去の積み重ねだな。先帝、つまり俺と昌の親父だな。それに齢然の父親が抜擢されてから三氏は大きく割りを食ったんだ。先にも少し触れたが、能力主義だった先帝は欲に溺れて進歩を忘れた一部の臣下を疎んじていた。昌が即位した時、憂いが残らないよう取り図ろうとしたが、それが叶う前に亡くなってしまった。

 そして昌に帝位が移ると、奴らはこれを機と見て再び私腹を肥やし出した。齢然の親父も先帝から引き続いて、昌を支え続けたが間もなく亡くなった。その頃には齢然も相応の実力をつけていたから中書令の職を引き継ぐことができたんだがな。経験の差はどうしても埋まらん。勢いを止めるのが精一杯で結局、今も変わらず奴らはのうのうと権力をほしいままにしている。叛乱を起こされないだけでも良しと思うしかない。

 俺も天子の直臣として昌の補佐に尽力していたが、宮中の腐敗と堕落は思ったより根深く、如何ともし難かった。淀んだ空気に当てられて俺の精神はみるみる内に疲弊していった。

 そんな俺の心が折れる寸前で踏み止まれたのは詩文があったからだった。紙筆に吐き出された感情は、たとえそれが嫉妬や怒りのような後ろ暗いものだとしても美しい。それに共感することで活力になる。情緒豊かに描かれた風景や人の営みはいつまでも色あせない。それに思いを馳せることで心が一新されるんだ。

 いつしか俺は詩の世界に耽溺していた。子どもの頃はただの教養だと思っていたのに、作品が病んだ心に沁みていき、やがてその虜となってしまった。来る日も来る日も詩を読み漁っていると、一つの考えが浮かんだ。

 内から変革できないのならば、外からはどうかと。これにより当時、都の中しか知らなかった俺は外の世界を見てみたいと望みを抱くようになる。巡幸に付き添う機会もあったが、そんな限られた時間で得られるものなど高が知れている。それに過去の歴史においても外圧によって停滞した王朝の空気が変わっている事実がある。

 外圧、というと物騒に聞こえるが、文学や芸術の力によっても世の中というのは大きく変化するものだ。とにかく凝り固まった世情を打破するには、そうした衝撃というか運動が必要だという考えに至ったんだ。

 と、まあ建前はこんな具合に色々思いついたんだが、正直な所、俺は汚れきった宮中から逃げ出したかったんだろうな。昌と齢然に相談しても、二人は首を縦に振らないだろうし……。

 まあ今となっては一言でも相談しときゃ良かったと思っているんだがな。とにかく俺は何も言わずに洛鳳の都から身一つで飛び出した。そこから様々な土地を歴訪して律に至った。後はお前さん達の知っている通りだ。

 それにしても、律で柳蒼言の足跡を知った時はびっくりしたぜ。俺が旅に出るきっかけになった人物だからな。都では没落した柳家を惜しんで作られたとされるおとぎ話扱いで、実在しないとさえ言われていたんだ。

 その伝説が発端になって、国を巻き込んだ騒動になりつつあるとはな。これも巡り合わせってなもんかね。



 鈍灰は話を終えると、残りの酒をぐっと飲み干した。それから矢継ぎ早に次の一杯を注ぎ足す。彼にとっては過去の話とは、酒の力を借りなければできないものなのだろう。

「旧態依然の政府に不満を抱きつつも、それを改める力を持たぬとなると、心身に支障をきたすのもわからなくもないですな」

「ええ。この際ぶっちゃけると、私達もそれが嫌で、出世を諦めて公務を怠けておりましたし、今回の視察の任に関してもある意味、旅行のようなものと楽観視していましたからね」

 己の身をこの地に置けば嫌というほど味わわされる。平穏が長く続き、改革の必要に駆られなければ組織は自ずと凝固していく。安定した地位を得た者が欲するは更なる富と権威である。利は志に寄ってくることを忘れれば、古の功臣も現代の佞臣へと変じていくもので、この懸案に歴史上数多の君主が頭を悩ませてきた。

「ええ……? 本陶殿らはそんなお気持ちで律に来られていたのですか。お出迎えした時は私なんて何かやらかしたのかと冷や冷やしておりましたよ」

「ははは。不真面目だったことをこうも堂々と言われると皇族としては耳が痛いな。まあそうでもしないと、優秀な奴は潰されるか派閥に取り込まれるかで面倒この上ないからな」

「そう、面倒なんです。だけどそれではいけない」

 強い決意を秘めた私の言葉に一同は無言で頷く。

 楽な仕事だと思った。面倒な騒動に巻き込まれないよう、適当に用件を済ませるつもりだった。しかし、赴任するまでの道のりで律の文を読み、当地で直に人と交わり、その言葉を、表情を、心を知ってしまった。かの街の人々を守る為に国に盾突こうという時がくるとは、任を受けた当初の私が知ったらどう思うだろう。

「小さな歪みも時間が経てば大きなひずみになります。今や彼らは一つの街を滅しようという暴挙さえ為さんとしている。これには永久に利益を欲し、邪魔する者は排除してしまえという歪んだ考えが根底となっているのだと思うのです。ただ、ここまで至らしめたのは周囲の怠慢……あるいは無関心があってのこと。それを一度でまるっきり矯正できるとは思ってはいません。しかし、私達が起こした行動が現状に「待った」をかけるきっかけになれば……」

「宇曽殿……。できます。できますとも。その為に私達は準備を進めてきたのですから」

「貴方の「志」は伝えたのでしょう。中書令もわかってくれます」

「今ここにいる四人だけではない。律に残る皆だって今も全力を尽くしている。文の華は必ず咲くさ」

 互いに檄しあい、消沈していた意気を高めていく。

 それに釣られるように月は高く昇る。おぼろげな光を放つ明瞭なる輪郭が庭園の池に映っている。その間を舞う鳥の鳴き声を風が運んでいく。

 風に揺られて花弁が……散らない。力強く地に根を張ったそれは強情そうに背筋を伸ばして立ち続けていた。



〈第七話中編――了――〉


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