第1話 律の国

律の国

 面白い詩を賦す者達がいると聞いた。

 彼らは世の文士が為す詩とはおよそかけ離れた詩形を作り、放埓な文を以て民を惑わしているという。

 その詩――詩と呼べるものではないらしいが――は平も仄もない為、吟ずるにめりはりがなく、合っているのは韻と字句の数くらいだけだという。何とも破天荒なものだ。だがそのくらい自由な物があっても良いかもしれない。

 山野を越え、森林をかき分けてりつの土地に辿り着いた。低木の群れの先に城門が見える。

 この地については宮廷の中でも限られた者しか知らぬという。天然の要塞に囲まれ、人の行き来が稀なこの地は長年、戦乱とは無縁であった。支配する価値もないほど小さき国であった。

 それ故、過去の朝廷は県として扱いつつもこの国に自治を認め、半ば放置のような形で統治を進めてきた。このような取るに足らない国に、何故今になって妙な噂が流れ、私のような者が調査に向かわされるようになったのか。それは最近都の士大夫の間で詩形に関する論議が為されるようになったのがきっかけであった。

 我が華の国の詩はおよそ五言か七言、四句の絶句、八句の律詩が基本である。そこに対句表現、偶数句末の韻を踏む、平仄という音の流れを重視する等の様々な表現技巧が求められていた。それらの技巧を用いるのは当然となっており規則と言っても良かろう。その縛りの中で味のある表現を為してこそ価値のある詩とされてきたのである。

 ところが一部の官吏の中でこれに疑念を持つ者が現れた。若い官吏だけではない。それなりの立場に就く役人の中にも、より自由な作詩を求める声がくすぶり出していたのである。

 我が国では作詩の腕も官吏登用に関わる重大な案件である。それ故に文の乱れは国家の基盤を揺るがす事態にもなり得る。

 そう判断した帝は配下の文官にこの論議を弾圧するよう命じた。そして、そのような中で詩形改革派の集会場を摘発した際、律の書物が発見された。

 これに帝は憤慨し、ただちに律県に派兵しようとしたものの、宰相の取り計らいで一先ず文官を調査に派遣させることで落ち着いた。

 以上のような経緯で私はこの秘境に赴くことになったのである。

宇曽うそ殿、いやはや律などという県があるとは眉に唾を塗るような話でしたが、あの城門を見るにどうやらも真のようでありますな」

 私と共に調査に赴くことになった顔路がんろ(字はゆう)が話しかけてきた。

「全くです。由殿。官廷の一部の者しか知らぬ秘境、そこから持ちだされた一冊の書物がよもや我々をこのような所へ導くとは」

 私は手に携えた一冊の書を眺め取る。

『漢柳集』と題を付けられたその書には様々な詩とその作者の名が著されていた。どれも型破りだが内容はバラエティ豊かで、旅の暇つぶしに読むにはちょうどよかった。

「その持っておられる書ですが、証拠の品を粗末に扱われないか、私としては冷や冷やしましたよ。取るに足らない詩とも言えぬ物を読んで何が楽しいのか」

「由殿、敵を知れば何とやらというものです。もっとも彼らが我々の敵となるのかどうかはこれからの視察次第ですが……」

 馬を進め、一行は城門に近づいてゆく。城壁には番兵が立っているのが見える。我々が近付いて来たことを認めたのか、騎馬が走り寄ってきた。

「そこに止まられたし。ここは律の土地、汝らは斯様な用を以て何処より来られた?」

「我々は都より勅命によってここへ参った。書はこちらに」

「……県令に確認を取る。しばし待たれよ」

 勅書を受け取った騎馬は配下の兵を残して街の方へ立ち去っていった。

「やはり随分と警戒されておるようですな。これは何やら後ろめたいことがあると見ます」

 顔路がひそひそ声で話しかけてきたが、相手の兵にも聞こえたようだ。表情に若干力が入ったように見えた。

「見ず知らずの者がやってきたのですから当たり前のことです。この天地は天子の物ではありますが自治を認められている以上、ここは彼らの土地なのです。結論ありきで思案するのは小人の為すことです」

 そう宥めると顔路ははっとした様子で「やや、それは確かにそうですな。失礼致した」と詫びてきた。私ではなく兵に詫びるべきだと思うが、彼は自分の話したことが聞こえていないと思っているので仕方ない。

 しばらく待っていると先ほど書を渡した騎馬が戻ってきたが、先ほどと一転、馬から降りて礼をしてきた。

「県令より許可が出ました。どうぞこちらに」

 勅使だとわかってもらえたらしい。私達も礼を取って応え、彼らともに城門に向かう。

 城門をくぐると県令と文官が並び立ってこちらを出迎えにきていた。

「よくぞこのような秘境にお出でになりました。私が律の県令、尹巴いんぱです」

「こちらこそ突然の視察にも関わらずお出迎え頂き光栄であります。私が使者を務めます張本陶ちょうほんとうです。そして同じくこちらは顔路です」

「県令、どうぞよしなに」

「こちらこそ、ではどうぞ奥へ」

 互いに礼を済ませ、館ヘ向かう。街の様子を窺うに、住民は和気藹々としており、風俗が乱れているようには見えない。路は綺麗に掃きだされており、我々が来るからといって取り繕っていたようでもないようだ。

「県令、いやはや美しい街ですな」

 顔路が尹巴に呼び掛ける。彼は自分から話題を出す時は決まって「いやはや」という言葉で間を作る癖がある。

「そうお褒め頂けると民も私どもも幸いでございます」

 尹巴は屈託のない笑みでこちらに応える。

「街の清潔さと活気は民の徳化が十分に行きわたっている証左ですな。ここの者の著す文もまた美しいものなのでしょう」

 嫌みのように聞こえる言葉も豪気な顔路の口から出れば、裏表のない言葉に聞こえる。聞きたかったことをよく言ってくれたと思う。

「都の洗練された文化と比べるのはおこがましい話ですが、ここの者も文筆にただならぬ熱を持っております。官吏だけでなく商人も職人も、果ては老人も幼子も物を著す喜びを知っております」

「何と! 子どもまで! それは驚きました。一個人としても是非、詳しくお話を伺いたいものです」

「ええ、是非。よろしければ街の者とも交流なさってください。外からの訪問者は珍しいですから、話を聞けば皆忌憚なくこの地のことを教えてくれるでしょう」

「ありがとうございます。是非そうさせていただきます」

 言葉を交わし、雰囲気もほぐれてきた頃、県令の館に到着する。奥へ通され、会見の支度を待つ。

「さて由殿、街を観察してどうでしたか」

「先の宇曽殿の言葉ももっともですな。街は清潔で民は和し、県令も立派な人物のようにお見受けします。取り繕っているわけでもなく、普段から教化が行きわたった豊かな街だと感じました。とてもではありませんが乱文によって風俗が乱れているようには……」

「同じ感想です。となるともうこれ以上は視察の意味はありません。あとはこれに書かれた詩とその作者について色々聞いてみませんか? もちろんこの書のことは伏せてですが」

 手に取った書物をぽんぽんと軽く叩きながら顔路に尋ねる。

「そうですな。せっかく窮屈な都から離れられた機会ですし、さっさと引き揚げるのも妙に思われるでしょう。念を入れる意味でも、しばらくはここに滞在するのが良いかもしれませんな。あ、後で私にその詩集をお貸しくださらんか? 目を通していなかったもので……」

「わかりました。ただ、ここの者には見せぬように」

 視察の理由を知られるのはあまり良くないだろう。我々はあくまでここについては無知でいた方が都合が良い。

 いそいそと書を懐に忍ばせ、その後少々待っていると尹巴がやってきた。

「お待たせいたしました。宴の支度も命じていたら長くなりました。さて、勅書の方も拝見しておりますが、念の為に改めてお聞きします。お二人は如何様な用事でこちらに?」

「この地においても詩の論議は盛んかと思われますが、都でも同じように詩の論議にはことかきません。その中で面白い詩を賦す者が現れはじめましてね。詩形は破調甚だしいのですが意は心打つ作品なんです」

 私の言葉に尹巴は「ほぉ」と相槌を打つ。

「偶然その詩のことが帝の耳にも入り、詠んだ者を召したところ、この地で詩を学んだと話しまして……。すると帝が是非この県の詩について話を聞きたいと仰り、その視察に我々が命じられました。なのでここ特有の詩について色々お話を聞ければと思い、赴いた次第です」

 もちろんこれは建前である。実際は帝は文の乱れに憤慨しており、この視察の如何によっては、ここに兵を送りかねない状況である。

「なるほど。あいわかりました。詩については何なりとお聞きください。しばらく滞在してこの地の文学を都に持ちかえっていただけるのなら、こんなに嬉しいことはありません。良ければお二人がお帰りの際にはこちらからも博士を何名かよこしましょう」

 そのようなことは露知らず、県令は丁寧に私達をもてなしてくれている。

「ご厚意ありがとうございます。早速なのですが、まずはこの地方が発祥とされる詩についてお聞きしたいのです」

「ええ、どうぞ」

「召した者曰く、この地の詩は従来我々が詠む詩の他に、新しい詩形を用いていると聞きました。先ほど破調甚だしいと言いましたが、謂わば平仄の決まりを完全に無視しているのです。字句の数、韻は平水によっているか、あるいはそこから更に緩く、母音さえ合わせていれば良いと。そのような詩で詩として成立するのでしょうか?」

「なるほど、たしかにこの地には仰るような形の詩が存在しております。具体的に例を挙げた方がよろしいですな」

 尹巴は立ち上がり、端にある棚から紙片を取り出す。

「拙いながらも私が考えた詩です。手元に良い例がないのでこれを用いることにしましょう」

 私達は紙片に書きしたためられた詩に目を通す。


 滔滔黄之川 滔滔たる黄之川

 今昔流連綿 今昔流れは連綿たり

 澄江為桃園 澄江は桃園を為し

 豊穣生嬋娟 豊穣は嬋娟を生む


 黄之川は我が国に流れる大河である。ここまで流域が続いているのだろう。詩の大意としては、黄之川は長い時間変わらず流れ続け、その恵みは土地を豊かにし、そこに住む民も育んでいるといった所であろう。

「この詩の韻は平水によっておるようですな。さらに緩く見れば、全ての句の母音がおおよそ揃っている。ただ、平仄はでたらめですなぁ。本陶殿、しかしこれは――」

「ええ、路殿。内容は素朴で個人的には好みの作品です」

「都の方にもお気に召していただいたようで恐縮です。これが律独自の詩形です。邪道甚だしいのですが、この地ではむしろこれが本流となりつつあります。ただ、もちろんこの土地も天子のご慈悲によって成り立っております。古から続く古詩、今の朝廷の下に確立した近体詩も学んだ上でそれを賦すように推進しております。我々はこの特有の詩を「漢柳」と呼んでおります。古い時代にこの県に赴任した官吏、柳蒼言の提唱が基となって作られたれっきとした詩形です」

「柳蒼言……聞いたことありませんな。記録にも残っているか定かではないでしょうな」

 顔路がうんうん頷いて応える。

「この地はない物として存在している夢の如き地域ですからそうでしょうね」

 知る人ぞ知る桃源郷――おそらく記録にも残っていないだろう。

「話を続けます。柳蒼言はこの地に赴任した際、詩による民の教化を進めます。詩は唱和するものですから、読み書きができなくても言葉を学べることから昔から重宝されてきたのはお二人も儒を学んでいるならばご存知でしょう。そうした学びは知識人層の幅を広げ、老若男女に至るまでになりました。知識の深まりは新たな発見と挑戦を生みます。音によって学んでいた詩に、意をより強く求める動きが起こったのです」

「なるほど。それが破調詩の始まりなのですか」

「そうなのですが、初めはこうした慣例を破るということに対して、反発が根強かったと記録にあります」

 たしかに今我々が基としている近体詩も過去の積み重ねがあってこその物で、それを破って各々が自由に作詩すれば取りとめのない粗製乱造になるであろう。

「そういった反発がなくなるのには何か発端があったとみますが?」

「仰るとおりです。破調詩である漢柳が為されるにはとある出来事が関係しています。突然ですがの国はご存知ですか?」

 環の国といえば海を越えた先にある小邦だ。我が国に貢物を贈る使者がたまに帝に謁見している。未開の後進国だと聞いている。

「環の国でしたら我が国に朝貢にくる属国ですな」

 顔路も同様の理解を示した。

「では当時の官朝の施策でその環に僧や職人が渡っていたことはご存知ですか?」

 もちろんだと二人で頷く。

「実はその送った文人や技術者の中に律出身の者がいたのです」

「何と! 深い山野を越えるだけでも我々は苦労したというのに更に海まで越えていたと!」

「そうです。山海を越えて、そして驚くことにこの地に再び帰ってきたのです」

「驚きました。凄まじい胆力ですね」

「宇曽殿! もっと驚く所ですぞ! 秘境から秘境へ渡り、再び戻ってくる……。常識をも越えた話ですぞ」

 由殿は興奮のあまり、普段の字呼びでこちらに唾を飛ばしてきた。

「話を止めて失礼しました。その環から帰ってきた者が漢柳の創造にどう関わったのですか?」

「この国は外から人が入ることは稀ですが、中から外へ出るのはよくあることでした。前提としてその者以外にも、この華国各地に律出身の者はいたということを頭に入れておいてください」

 卓に置かれた茶を一口すすり、尹巴はなお続ける。

「さて、停滞していた破調詩運動を進めたのがそれらの外国へ出ていた者達の後押しでした。狭い視野ではなく広い視野で新しいことを取り入れていく姿勢が文学にも表れるようになったのです。その中で決定的になり、なお且つ律の文と合致したのが環の国の文学なのです」

「して、その環の文学とは具体的にはどのような物なのですかな?」

「環の国にも詩があり、我が華の国と同じく漢字の詩も存在していますが、それとは別に特有の詩があります。それはかの国独自の文字を用いて各句五・七・五・七・七の順に字数、厳密には音数が定められている詩型で、それ以外には音の平仄や韻を踏むといった原則がないのです」

「はっはっはっ。全く珍妙なことを仰る。それで詩と呼べるのでしょうか?未開の地の文化は理解できませんな」

 尹巴の説を顔路は高笑いを以て否定する。彼は、いや彼に限らずこの華国には夷狄の文化を遅れた物として捉える者が大半だ。私自身も彼らの文明の技術や制度に関しては未熟だと思っているが、こと文芸についてはその国の風がでるもので、そこに先進後進の差はないと考えている。

「路殿、文芸に貴賤はありませぬ。その形がその国の風土に合っているということでしょう」

「小人の説も好む本陶殿らしいお言葉ですな。県令のお話を聞いたり、貴殿の振る舞いを見たりしていると、私は自分が文に関して狭量なのではないかと錯覚してしまいます」

「ここには都のような頭の堅い難物はおりませぬ。まあとりあえず話に耳を傾けましょう」

「ふふ、異国の文化という物は受け入れがたい物です。私とて漢柳を遠く離れた都で流行させようという気はさらさらございませぬ。あくまで文化振興のささやかな助けとなればという思いで話しております」

「話の腰を折って申し訳ございません。続きを話していただけますか?」

「ええ……さて、どこまでお話しましたかな……? そうそう、原則が字数と句数くらいだという所まで話しましたな。たしかに規則が少なく、一見単調に思えるかもしれませんが、同音同訓の言葉の掛け合わせや言葉の連想を用いた表現など、その作法は非常に奥深いものなのです。また、規則が少ないということは作詩の難易度が低いということでもありまして、もちろん粗製乱造もありますが、身分に捉われない、門戸を開いた文学ともいえるでしょう。これは民謡から政の善悪を察する孔儒の教えとも合致するのです。実際、環国では民草や名もなき者が詠ったとされる詩が撰集に収められているのです」

 孔儒の教えとは我が華国の国教とされている学問である。父母兄弟の調和を一族、集落、町、地方、最終的に国へと推し広げていくことを芯としている。同族であろうと殺し合いをしていた戦国の世に生まれた思想だ。国家統一が為された昨今においては、国体を保つ上でこれによる教化は有効な施策ともいえる。

「民草まで詩を賦すのはこの地の民とも共通していますね」

「ええ、属国といえども他国の良いところは受け入れる寛容な風土は先人の智慧あってのものです」

「なるほど、いやはやこうお話を伺っていると実際に詠み手の方ともぜひ交流しとうございますなぁ」

 つい先ほどまで見下すような発言をしておきながら、由殿は身替わりの早いお方だ。しかし、自分が間違っていると感じればすぐに態度を一転させるのはある意味彼の美点ともいえる。

「お二人とも詩に篤いお方なので、そう仰ると思い、宴に漢柳の名手を呼んであります。支度の方も間もなく整うかと思いますので、そろそろ場所を変えるとしましょう。こちらへどうぞ」

 県令の案内によって我々は宴場へ移ることになった。

 そこで我々は二人の詩の名手に見えることになるのだが、それについては次の話に持ち越すことにしよう。


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