後編 送別の合作
「そんな……! 何と言うことを……」
恐るべき事実が明らかとなった。国使の殺害、これもまた重罪である。
「どうして勅書を捏造することになったのか。これが真実です」
「…………」
国使が殺されていて既に居ない。当時の時点で都からは記録が一部失われている。
つまり蒼言は――。
「蒼言は亡くなった国使の存在も隠ぺいしたのですね。任官の勅書を捏造して」
尹巴は静かに首を縦に振った。
勅書の捏造に触れるならば、この事件も露見する。それ故にこの版を厳重に隠し続けてきたのだろう。
「それだけではありません。この街の自治権に関する提言も同時に巡察吏に伝えました。都へ定期的に人を寄こす代わりに国使を県令に改め、世襲で街を治めていくことを認めさせたのです」
「なるほど、当時は政府の律への関心は低いものだったでしょうし、その要求もすんなり通ったのですな」
そして、県令の役目を与えられたのが尹家という訳か。
「弑殺された国使ですが、蒼言はささやかな廟を建て、その御霊を弔い続けたと言われております。彼はこの街の業さえも背負おうとしたのです」
「言われている? ということはその国使の廟は……」
「蒼言が独りで行なったことで、住民には詳しいことは伝えられませんでした。その廟がどこにあるのか、未だにわかっておりません。もう失われて久しいでしょう」
殺された国使が非道な行いをしていたのならば、事件から時が経ってからも住民に憎しみは残り続けていたことだろう。そのような人物の霊を鎮める廟を建てれば批難は免れない。故に詳細を明らかにしなかったと考えられる。
「これが律の民が背負う業……。我々はこうして大罪の自白を秘匿し続け、罰を免れてのうのうと暮らしてきました。この街は桃源などではございません。いえ、そもそも元より律は……どこにも居付けぬ流浪の者が集ってできた集落なのです」
尹巴の言葉が重々しく堂内に響く。理想の秘境なぞ存在しない。ここは人の世の掃き溜めだと……。それには開き直りや居直りではない、明確な覚悟を秘めた意志が感じられた。
「そんな忌まわしい過去をもつこの土地にも、人が集い、和し、栄え、一端の歴史を持つほどになりました。今更これを滅し、無かった物にすることは……できないのです。たとえ罪に罪を重ねることになろうとも」
ただ、天子の代役とも言える国使の殺害、その隠ぺいの為に勅書を捏造したという事実、これでは――。
「これでは万に一つの可能性も……」
私は堪らず顔を伏せる。遠い過去の事件だとしても、宮廷の官僚がこれほどの大罪を見逃すはずがない。知られれば間違いなく律に兵が大挙して押し寄せる。宮廷としてもこの事件を「無かったことにできない」だろう。
「宇曽殿、今は途方に暮れている場合ではありますまい」
泰然たる口振りで由殿に諭される。目をやるとでんと腕を組んで佇んでいる。この男特有のふてぶてしさは、決して私には持ち得ない徳性だろう。
「由殿……。そうですね。憂いた所で何も変わりません」
「憂慮すべき点は明らかになりました。都の者に追及される前に、こちらから仕掛けてやりましょう」
そう話す大男はいかにも悪だくみを考えているような笑みを浮かべている。何やら案が浮かんだようだ。
「やれやれ、こういう閃きを詩の方にも活かせるようになれば良いのですが」
「失敬な。これでも少しは上達しておりますぞ」
「で、その策は上手くいく見込みはあるのでしょうね?」
「正直、分の悪い賭けになります。ですが懸けてみる価値はあります」
力強さを宿した眼光に私は信ずるに足る根拠を得る。尹巴に目配せすると、彼も無言で頷いた。
「……その賭けに乗りましょう。詳しくお願いします」
「この策は街の者の協力が不可欠です。まぁここで立ち話も何ですので、ひとまず落ち着ける所へ戻りましょう」
そうして私達は薄暗い御堂を後にする。通路を戻り、扉を明け放つと眩い光に出迎えられた。明るさに思わず目を瞬かせる。外からの強い西日が屋内に射しこんでいた。
「話しこむ内にもうこんな時間になっていましたか」
「思えば中に籠りっきりでしたね。では、打ち合わせは夕食を摂りながらするとしましょうか」
尹巴からの提案に由殿が嬉々として応じる。
「それは良いですなぁ。私もすっかりお腹が空いておりました!」
「ちょうど良い頃合いですし、ご提案に預かることにしましょう。それにこういう悪企みは日が暮れてからするのが相場ですしね」
由殿が「やはり小説の読み過ぎでは?」と問うてきたが気にせず、夕陽に向かって伸びをする。
時間の猶予もない上に、都と律、双方にとって良い落とし所が見つかれば良いが、事はそう上手く運ぶものではないだろう。それでも私達は不思議と「何とかなる」と思えた。何やら閃いた同僚の雄姿に肩の荷が下りたのか、煌々と輝く夕陽が心の惑いを晴らしてくれたのか、理由は自分でもよくわかっていない。
それからまたしばらく日が経ち、私達はいよいよ律を発つことになった。冬になれば山越えは完全に不可能になるからだ。
短い月日であったが、由殿発案の「秘策」は街総出で準備に勤しんだ結果、何とか間に合った。あとは私達が都へ帰るまでの道程と到着後でどれだけ根回しを進められるかだ。
多少の動揺はあったものの、街の住民達は律が直面している問題をすんなり受け入れてくれた。
いや、これはあくまで私の主観だ。取り急ぎ眼前の困難から免れる為に、何となくこの計画に賛同してくれた者もいるだろうし、反感を抱いた者はひそかにこの地を離れているかもしれない。私達の行なおうとしていることは絶対的に正義ではない。ただ街の存続の為に一肌脱ごうと決めただけのことだ。
「いやはやぁ……。いよいよここを離れるかと思いますと、感慨深いものがありますなあ」
「また、来れば良いのです」
「そうですな。また……」
楼台の下にて振り返り、真っすぐに伸びた街路をじっと見据える。掃き清められた石畳は来た時と変わらぬ風景を見せてくれていた。透き通った風が往来を吹き抜けていく。
「お二人とも、お待たせしました」
馬に乗って尹巴がやってきた。後ろには耀白、鈍灰、詩耽、それに多くの住民らが連れ立ってきている。
「おいおい二人ともどうした? しけた面しやがって。この俺様もついていくんだから心配すんなって」
「ふふふ、緊張して今日まで夜な夜な酒を呷っていたのはどこのどいつだったかな?」
「ばっ!? 太清! おい!」
此度の帰京においては鈍灰も同行することになっていた。元々は視察が任務だったし、宮廷への報告には漢柳に明るい者が必要であった。
それに加えて今回の計画が定まった頃、彼は私達に己の秘密を打ち明け、洛鳳へ同行したいと願い出たのである。それは宮廷に対して切り札になり得る事実であった。元より同行をお願いするつもりであった私達は彼の申し出を快諾した。
それにしても、この二人のやり取りも聞けなくなると思うと一層寂しくなるものだ。
「本陶様、父をよろしくお願いします。街の外に出たのは遠い昔のことですので」
また、律の長(名目上ではあるが)である尹巴も朝廷へ参じる必要があると考え、彼も私達の帰路についていくことになっていた。
耀白と詩耽はその留守を預かることになっている。二人からはこちらに心配を見せぬよう態度を取り繕っている様子が察せられた。
それを見て、私もまた努めて明るい調子で詩耽の言葉に応じる。
「ご心配いりません。県令のことは私達にお任せください」
普段のように軽口を叩けず、気休めにもならないことしか言えぬのがもどかしい。自分達の信念に基づいて、ここまで準備を進めてきたが、決して安心できる状況ではない。場の流れによっては投獄あるいは首刎ねもあり得るのだから。
それはおそらくこの場にいた誰もが理解していた。各々が無理に明るく振る舞って、空回りした空気が曇天の如くこの場に重く圧し掛かっている。乾いた笑いが山谷にこだましていく。
「ハアアアやめだやめだ。何だこの空気は? どいつもこいつも変に気を遣って息が詰まっちまう」
鈍灰が耐えかねて不平を漏らした。
「これじゃ見送る方もすっきり送り出せねえじゃねえか」
「…………」
押し黙ってしまう一同。覚悟を決めたつもりでもやはりその時を迎えると、惜別の情が湧いてしまう。
「詩を……」
静まりかえった集団から小さな一言が漏れる。皆が視線を向けた先には一人の少年がおずおずとした面持ちでこちらを窺っていた。広場で出会い、聖剣の漢柳を詠ったあの子だ。不安がる大人たちを鼓舞するように彼は、今度は大きな声を張り上げた。
「詩を詠もう! こういう時って詩を贈り合って気持ちを伝え合うのでしょう?」
「馬鹿を言いなさんな。それじゃまるで今生の別れみたいじゃないの。皆さん、うちの子がすみません」
母親が慌てて叱責して頭を下げる。しかし、私はそれを即座に諫めた。
「いやいや奥さん、叱らないでやってください。詩か……。こんなに身近だったのにすっかり失念していました。たしかに長い別れとなる際、詩を贈り合うというのは文人の習いです。それは今生の別れに限ったことではありませんし、今回の景気づけに良いですね」
「宇曽殿! ならば私から一首詠わせてくだされ!」
突拍子もない由殿の発言に一同が目を瞠る。彼も律に来てから意欲的に詩作に励むようになったものの、技量の程はまだまだであることは人々の知る所であった。
だが、彼の申し出を止める者はいなかった。勇気を振り絞っての行動だと皆が承知していたからだ。
「あの由殿がそう申すのならば私には断る理由がありません。天に、地に、人に、思いの丈を表してください」
「おうおう由よ、いけいけ! 詩は技術じゃねえ! 魂だ!」
「では、お返しの詩はぜひ私に。留守をしっかり守り、必ずや再会せんという誓いを真心込めて贈りましょう」
「太清だけに良い格好はさせません。私だって詩を作っちゃいますわ」
――じゃあ僕も!
――あたしだって!
――わしらも負けんぞ!
――うおおおお! 天の果てまで届くくらいでっかい声で吟じてやるぜ!
やけくそになった詩狂い共がいきなり騒ぎ立てて一時、収拾がつかなくなる。見かねた尹巴が場を取りなした。
「これこれ、興奮するでない。せっかく由殿が一番手を買って出てくれたのだから、ひとまず落ち着きなさい」
「でもよ、尹巴やい。この調子じゃ日が暮れてさらに明けるまで騒いちまうぜ」
「それならば彼の詩を一旦発表してもらって、皆で一緒にそれを唱和することにしようではないか」
鈍灰は首を傾げる。
「へ? どうして由の詩を?」
「私はお前達がこの時の為に何度も添削していた合作があるのを知っていたのだよ。せっかくの作品だ。ここ一番で聞かせてもらおうと思ってな」
鈍灰は「いぃ!?」と言葉にならぬ呻きを上げた。見透かされていた恥ずかしさから顔はすっかり上気していた。由殿も額を掻いて動揺を紛らわす。私は計画のことで頭がいっぱいだったので、よもや彼らがそんな粋な計らいを考えていたとは露とも知らなかった。
「いやはや、県令も人が悪い。知っておられたのならそう仰ってくだされ」
にやりとした県令の顔は普段の落ち着き払った紳士のものではなく、お茶目な若者のようであった。
「意地悪いですよねえ。父はこういう所があるんですよ」
「共に仕事をしていても部下のことをよく見ておられますからね。本当に頭が上がりませんよ」
「まあまあ私のことは置いておいて……。顔路殿、ぜひその詩をお披露目して頂けませんか?」
「ええ! もちろん! 鈍灰殿と練り上げた渾身の作をお見せしましょう」
由殿は即答して姿勢を正す。少し緊張気味な出だしで朗詠が始まる。
秋気風与発 秋気風と
客鳥嘴終回 客鳥
淹久綴離歌
手指拭塵埃 手指は塵埃を拭う
筆鋒霑酔惑 筆鋒は
別酒盃重堆 別酒にて盃重なりて
一心思之已 一心に之を思うのみ
春信帰去来 春信に帰りなんいざとせんと
再会を誓う送別歌が一同に染み渡る。一旦の静寂の後、徐に吟詠の声が集団から起こり始める。それに追随するように、声は少しずつ少しずつ重なり、やがて山谷に大合唱がこだまする。
面を上げて涙をこらえる者、晴れやかな笑顔で隣の者と肩を組み合う者、愛する人と手を繋ぐ者、手を振り上げて大声を張り上げる者、各々の装いはてんでバラバラであったが、吟唱は不思議と調和していた。
歌声は集落の境界となる城門にも届いた。
「良き詩でした。どうぞご無事で」
見覚えがある番兵に見送られて私達は旅立つ。
長旅遥遥到桃源 長旅遥遥として桃源に至る
山谷森森入城門 山谷森森として城門に入る
番兵剛而知礼儀 番兵剛にして礼儀を知る
往来民和達恭温 往来の民和し恭温達す
婦人添夫助推敲 婦人夫に添いて推敲を助く
老若好文談詩論 老若文を好み詩論を談ず
見遠方友亦至楽 遠方の友に見え亦た至楽なりと
厚賓主交是謝恩 賓主の交わりを厚くし是に謝恩す
私は心の中でかつて為した詩を口ずさんだ。声を出せなかったのだ。
〈第6話――了――〉
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