第6話前編解説1(訓読風の文章)

※本文は自作なので訓読風の文体とみても文法的な間違い等があるかと思います。訳は意訳です。


本文1

――絢爛たる洛鳳に柳家あり。左京一の条にて、背に種々の樹林、邸内に梅花、門前に小川あり。春には梅花の香舞い、秋には樹の実り豊かなり。吾は其の家に生まる。

 族属は古より手工を修練し、乃ち都内を風靡す。建築、工芸、諸々の業において名顕かなれば、則ち職工と雖も官位を得。

 父の椿、版行において其の技を注ぎ、一流を興す。官学の教本を改め、石経を建つるに至る。吾に事業を継がさんと冀う。

 吾は幼時より技芸を授けらる。また、職工の道を志せども官学に入る。詩書礼楽を学び、更に経史子集普く修めんと欲し、書海に沈む。同学みな、士大夫を志す。吾は既に職工の道を定めらる。故に常に孤なり。

 吾の士大夫を志さざるを謗る者あり。然れば則ち官の道に進みて、之より上に立ちて恥を雪がんと望む。吾、本心を隠して父に説いて曰く、学を以て世に利する為に官の道に進まんと。

 父、断固として認めず。曰く、汝に学を与うるは以て家業の為なり。大義を履めば、則ち吏ならずとも世に利するべし。己の執心に因りて志を変ずる。其れ小人の行ないなりと。彼の意に理あり。而れども当時の吾は理を得ず。強行して官吏と為る。是に因りて家を離る。


訳文

――絢爛たる洛鳳の都に我が柳家はあった。住所は左京一条、屋敷の裏には様々な種類の樹木が植えられており、邸内には梅の木が花を咲かせ、門の前には小さな川が流れていた。春には梅の香りが芳しく、秋には裏の木々が実を付ける。私はそんな家に生まれた。

 一族は古くから職工に携わり、その技術は都でも一世を風靡するほどであった。建築、工芸、諸々の分野において評判を得ていたので、商工人の身分でも官位を与えられた。

 私の父、柳椿は出版業においてその職人技を注力し、一つの流派を興した。官学校の教本のテキストを改め、都内に経書の元となる石碑を建てた。父は私にその事業を継がせようと考えていた。

 私は幼少から技能を叩きこまれた。また職人の将来を約束されながらも、(身分不相応にも)官学校に入れられた。そこで詩書礼楽を学び、(それによって関心が湧いて)更に経書、歴史、思想哲学などなど広く修得しようと、書物を読み耽っていた。同級生は皆、官僚を目指す中、私だけは職人の将来が決まっていた。その隔たりの為に、学校では孤独であった。

 私が官僚にならないことを侮辱する者がいた。彼らを見返す為に官僚となって功績を挙げ、彼らより上の立場になってこの恥辱を晴らそうと考えた。その本心を押し隠して父に「学問を用いて世の中に貢献したいので、官僚の登用試験を受けさせてください」と請うた。

 父は断固として認めてくれなかった。彼は「お前に学問を学ばせたのは家業の為だ。個人に与えられた役割(天命)をしっかりと履行すれば、官吏の身分にあらずとも社会に貢献できる。自身の一時の執着によって志を変えるのは小人物のなすことだ」と言った。(今になって思えば)父の言い分ももっともだ。しかし、当時の私はその道理をわきまえなかった。強行して官吏となった。これにより家を離れることになった。



本文2

――吏と為りて数余年、刻苦勉励して務めに当たる。而れども同学と肩を並べることさえ能わず。知と行は必ずしも伴うとは限らず。否、知、元よりあらず。書を読めども思わず、思えども為さず、ただ形を繕うのみ。己の至らざるを知り、志破れる。茫然自失となりて暫く漫々と日を送る。同輩は已に吾を忘れけり。

 怠業久しく栄達を忘れ、徒に額の皺を益す。人は吾を無き者の如く扱う。洛鳳に吾の安ずる所無し。往時に老道の書を楽しむを顧み、山野に身を埋めんやと愁う。

 亦た失うに惜しむ物無きを知る。既に人間に隠るるが如くなれば、斯に逸せんと発して門を出づ。

 幾ばくの衣、書、器具を抱え、幽谷に籠る。身辺の物品を見て、未だ捨てざる物ありを密かに悦ぶ。其の中に彫刀あり。

 深山にて吾の吾たる由縁を求めて、将に己の既知を明らかにせんとす。或いは書に向かい、或いは木石に文を刻み、或いは瞑想すること悠久なり。尚お心身に手技の存するを知り、是において吾生の命を悟る。未だ智と技を忘れざれば、則ち之を以て何れかを為すべしと。

 再び己を省みて嘗て風説を聞けるを覚る。曰く、天子の威、届かざる秘境あり。深山幽谷、人跡未踏の遠地が故に自治を認めらると。

 他に思う所なし。即ち是に行かんとす。天命を知れば身は雲の如く、心は風の如し。苦楽を忘れて悠々と千峰を渡る。遂に絶境に至る。地名は律と謂う。

 花香芬々、温暖にして気は清し。民は温和にして純朴たり。小邑と雖も美は都に勝る。異客の吾を厚く遇し、早々に親交を結ぶ。

 村民、其の由を対えて曰く、古謡にあり。水土に交わりて花は咲く。異を親しみて地を保つべしと。頑なにして外物を遠ざくは愚なりと。

 蓋ぞ徳深からんや。感服して更に談を重ぬ。而る後、遂に此に居を構う。


訳文

――官吏となって数年間、刻苦勉励して業務に当たった。しかし、功績を挙げられず、同窓生と同じように出世することさえできなかった。知識と行動は必ずしも釣り合う訳ではない。いや、智慧など元より持ち得ていなかった。本を読んだだけで賢くなったつもりになり、思索も行動もなく、外形を取り繕うだけであった。自身の不出来をまざまざと見せつけられ、私の志は潰えた。それからは茫然自失に陥り、漫然とした日々を送るようになった。かつての同輩、同僚はすでに私のことなど忘れてしまっていた。

 怠け始めて長くなり、身を立てることも忘れてしまうようになってから無駄に齢だけを重ねていた。人々は私を居ない者として扱っていた。もはや洛鳳の街には居場所がない。かつて道士の書を読んでいたことを思い出し、自然の中に身を埋めようかと悩んだ。

 また、その中で自身に失う物がないとわかった。今すでに世間から見放されて、隠者と変わらぬ状況であるし、失踪してしまおうと決心して都の城門を出た。

 いくらかの衣服、書物、生活用品を持って深い谷に籠り始めた。身の回りの品々を見て、こんな私にもまだ捨てられない物があるのだなとひっそり嬉しくなった。その中には工作に使っていた彫刻刀もあった。

 深い山中に身を置き、自分のアイデンティティを悟る為に、自分の知識を振り返ることで人格を見直そうとした。ある時は書に向かい、ある時は木や石に文章を刻み、ある時は瞑想に耽って長い時が経った。未だに学んだ職能が失われていないことを認識し、自分の天命を悟った。知識と技能が失われていないのならば、これを用いて何かを為さねばならないと。

 再び省察した所、昔にある噂話を聞いたことを思い出した。「天子の権威も届かぬ秘境がある。自然の奥地にあって人の行き交いもない為に自治を認められている」と。

 他に思い当たることもないし、そこに行ってみることにした。自分の天命を悟ってからは身も心も軽やかで、苦も楽も忘れて峰々を渡り歩けた。そして遂に遠方の地に至った。地名は律という。

 花の香気が漂い、気候は温暖で清らかであった。民は温厚で素朴な土地柄である。小さな集落ではあるが美徳は都に勝るほどだ。外来の者である私を手厚く遇し、すぐに親交を結んでくれた。

 民は「古の民謡に「水や土と交わって花は咲く。異人と親しんで土地は栄える」とあります。意固地になって外物を遠ざけるのは愚かなことです」と、その理由を語ってくれた。

 何と徳が深いことだろうか。感じ入って彼らと言葉を交わし、後に住居を構えることになった。


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