後編 真実の在り処


 私達は応接間を後にし、外廊を抜けて屋敷の奥へ奥へと進んでいく。進めば進むほどに建物の床や柱に所々風合いが異なる部分が見え始め、最深部にかつての「資料」が残されているのだという確信が高まりつつあった。尹巴は建て替えと銘打っていたが、増築といった方が正しいのかもしれない。

「少し趣きが変わってきましたな」

 由殿が目線をきょろきょろさせてぽつりと漏らす。

 新旧が入り混じった不思議な建築に私達はえも知れぬ感覚を抱く。ちぐはぐに見えるようで均整が取れている奇妙さと言えば良いだろうか。とにかく腹の下がそわそわするし、胸の方もこれから迎える事態を前にどきどきと高鳴っている。

「玄関や応接、酒宴を行なった座敷などは、ほとんど新しい建材を用いています。この辺りは半分近くが建て替え前の物を再利用しています」

 尹巴の説明にうんうんと二人して頷く。

「私は以前、見学させてもらいましたが、そういえば由殿はここまで入るのは初めてでしたね」

 私は詩会前に詩耽を見舞った後、公邸を訪ねている。その際にこのちぐはぐな空間も見学していた。

「あの時は屋敷に何かしらあると、突拍子もなく思いついて来てみたのですよ。これを見て何かあると確信したのですが、全く手掛かりを掴めなくてほとほと困りました」

「ははは。たしかにこれを見れば誰でも怪しさを感じるでしょうね。街の子ども達も不思議でわくわくするとよく話してくれます。しかしながら、今いる所は公邸の真ん中ほどに当たるのですが、ここは単にばらした古い建材で補っただけなのです。人手も資金も限られております故、ケチれる所はとことん切り詰めています。外部の方も入れますし、ここには隠す物はありません」

 つまり、あの時の私は見事に化かされていたという訳だ。

「そうですね。見物を断って下手に怪しまれるのも良くありませんでしたから。入れる所はとことん調べてもらって帰って頂いた方が良いかと思って、あの時はお通ししました」

 実際、じっくり観察しても柳蒼言に関するきっかけを得るに至らなかった。壁や天井、家具の裏側から隠された扉が見つかることもなく、古い装飾に石をはめ込む穴が見受けられることもなかった。

「いやはや宇曽殿、それは冒険説話の読み過ぎですぞ」

「だからこそ驚いたのです。一体、どのようにしてあの推理に辿り着いたのか……」

 たしかに手掛かりがあると信じて公邸を調べた結果、何も得られなかった。

 だが、手掛かりは潰えていた訳ではなかった。

「仰る通り、公邸を調べたけれども何もありませんでした。ならば公邸だった物……要するに建て替えの際に出た廃材はどうかと思ったのですよ」

 私の言葉に尹巴が目を剥いた。

「廃材ですと……?」

「木材が豊富であっても色々と切り詰めている辺り、廃材もできるだけ再利用しているのではと思いましてね。いやー調べるのに骨が折れました」

「これについては私が街の区画整理に関する調査を宇曽殿に命じられていたので、多少円滑に事が運んだのですがね」

 訪問二日目のことだ。私は外回りしている間、由殿に書庫で街並みの変遷を調べさせていた。

 その時の私達はすでに「内偵の必要なし」と高を括っていたし、彼に至ってはもはや旅行気分で「何故こんなことを?」という顔をしていたものの、念の為に調べてもらっていたおかげで助かった。

「それから公邸の建て替え後にできた宅地をひたすら回りました。住民が公邸から買い取ったという建具や調度品には、蒼言の人柄に関する伝承が断片的に記されていました。あくまで伝承ですので真偽は定かではありませんがね。ただ、碑文や紙媒体の史料において、彼が律で為した事業に関することに終始していたのと大きな違いです。そして、これが全くの創作とは考えづらい。おそらく都から帰ってきた律人の伝聞を元にしているか、もっと大元の史料がこの地に隠されているかのどちらかだと考えた結果、あの筋書きに行き着きました」

「痕跡を抹消しようにも忍びなかった結果、半端な対応になってしまいましたね。この街に来たのが貴方がたではなかったら、今の時点で律はどうなっていたことか」

 ちぐはぐな造りの建物の中を進んでいくと、やがて周囲は年季の入った古い建築一色に変じてきた。古めかしくも人の手と時代の流れに擦られた色あせに風趣を感じる。

「ここは増築前の部分でしょうか?」

「ええ。旧庁舎といえばいいでしょうか。今の公邸ができる以前はここで公務を行なっておりました。手入れを続けているとはいえ、かなり古い建物ですので足元や頭上に気を付けてください」

 そう話す間も床が踏まれる度にミシミシと鳴る。なるほど、ここはかなり古いようだ。新しい公邸、新旧が入り混じった部分、そしてこの旧庁舎と、古い部分を覆うように造られているのはなかなか珍しいのではないだろうか。

「たしかに、古い建物を残すにしてもこのような歪な方法は取らないでしょう。ここは真に重要な場所を残して、それを包みこむ形で基礎と骨組を造ったので、このような構造になったのです」

「つまり、ここは律にとって最重要機密であると」

「ええ。そしてこの扉の先に」

 厳重に閉ざされた扉が眼前に立ちはだかる。とはいえ、物々しい威圧感や重圧は感じない。神聖な地に踏み入れる時の、さっぱりとしつつも背筋が伸びるような感覚といえばいいだろうか。

 ここも相当古いはずなのに手入れが行き届いている。扉の建てつけも問題なさそうだ。ほこりや黴臭さに鼻をくすぐられることもない。それは普段から出入りがあるということを示していた。

 習慣的に出入りしているということは……。

「もしやここは……」

 私達の察した様子を見て尹巴は頷く。

「そう、この中には柳蒼言を祭る廟があります。彼は子を為さずにその生を閉じました。死後、彼の邸宅は大事に保存され、そのまま霊廟として彼の魂と共に奉られるようになりました。そして我が尹家は廟の管理者としての役目を請け負い、しだいに街の長老としても発言力をもつようになりました。私の先祖は蒼言に仕える者の中でも、側近の地位にあったようですし、これらの条件が今の県令の地位に推されることに繋がったようです」

 やはり柳蒼言を奉る霊廟であったか。つまりここは文明国としての律の聖地であり、この場所で政治を行うことこそ律の民にとって重大な意味をもつのだろう。

 当人は名ばかりの県令と謙遜しているが、それを受け継ぎ、保ち続けるのは並大抵のことではない。建て替えで一部を取り壊すことも民との間で物議をかもしたはずだ。

「ははあなるほど。今、ズバリ閃いたのですが、取り壊した分の旧庁舎の建材を廃棄しなかったのも、民から要望があったからでは?」

「なるほど」と由殿の質問に私も心の中で合点する。この男もだてに大夫をやっている訳ない。

「仰る通りです。なるべく蒼言の遺物を残していきたいという点では、住民と希望が一致しておりましたので、建て替えで出た廃材や廃棄物は一つ残らず住民に配りました」

「それを見つけられなければ、おそらく私達がここに導かれることはなかったでしょう。断片的に伝承が描かれた書画や巧緻な装飾品……いずれも私の推理を助けてくれました」

「でも貴方がたは柳蒼言が勅書の捏造を行なった確固たる証拠を見つけていない……。推理はあくまで推理です」

 尹巴はさらに言葉を続ける。

「それでも貴方達は辿り着いた。ここに真実があると。蒼言の罪、引いては律の罪はどのみちいずれ白日の下に晒されることになる。今ここであえて罪を明かすこと、それがどのような結果をもたらすのかは、本陶殿、顔路殿、貴方達に懸かっています。おこがましいことではありますが、どうか……」

 尹巴が深々と頭を下げる。彼がどこまでも腰が低いのは、己の背に民、友、そして家族があることを常に自覚しているからだと、今ならわかる。

 自分の行動や判断一つで外患を招けば、街の存続が危ぶまれる。そう考えながらこれまでを生きてきたと想像すると、彼の一挙手一投足に重みを感じる。

「いやいやいや県令、そんな頭を下げないでくだされ! そのようなことをせずとも、我々はすでに貴方の決心を十分に心得ております。ともにこの難局を乗り越えましょう!」

「由殿の言う通りです。それにお願いするのはこちらの方です。訪問からまだ日は浅いですが、私達は律の街が本当に好きになりました。この街を守る為には尹巴殿のお力添えが必要です」

「お二人とも……ありがとうございます……!」

 眼前の扉を開いて中に踏み入る。ぎしっぎしっと木板が軋む音は、歩を進める内にいつしかコツンコツンと石を踏む音に変わっていく。

 薄暗い通路を通り抜けて、開いた空間に出る。整然と掃き清められた石畳の上に建った質素な御堂、その真ん前に巨大な碑文が据えられていた。

「これが……」

「はい。これは柳蒼言がここに来た経緯、そして漢柳の起源を著した石碑です」

 私達は石碑に近づいて、その美しき書体に手を這わす。刻まれた字句、文章にいくつか見覚えのある箇所がある。街の石碑や再利用された廃材に描かれた書画の章句はここから引用したものであることが明白だ。

「宇曽殿、まぎれもなくこれは……」

「ええ、おそらくこれが律にある最も古い柳蒼言の記録。街に残る伝承の元になったものでしょう」

 昂る気持ちを抑えて刻まれた文章を目で追う。


 ――翔月二十七年五月、洛鳳より使い来たる。姓は柳、名は蒼言、字は太染。洛中左京の版行、柳椿の子。身は痩にして長、性は洒脱にして軽妙。中書省にて詔を録するを業とす。


 ズバリと推理が的中していたようだ。翔月といえば今からざっと四、五百年前だ。それに左京の柳家といえば、そのくらいの頃に都で名を馳せた職工の一族である。宮殿にも彼らの作による物が今も多く存している。今は一族の影も形もないが、蒼言の件が関係しているのだろうか。これは帰京してから調べる必要があるかもしれない。

「これによれば細身の優男だったようですな。性格は……どこぞの誰かさんに似ていますなぁ」

 こんな時でも由殿は相変わらずの調子だ。戯言に特に触れず、私はさらに碑文を読み進める。


 ――律に至るは前代の乱により、失せたる文を得んとす。郷人の信を得て歓待を受く。よく交わりて厚誼を結ぶ。律人、普く謡を好むも文を知らず。太染、詩を以て文を説く。しかれども真を得ず。戯れに技を廃して義を以て詩を作す。律人、之に興趣を感ず。故に之を以て徳化す。漢柳の起こる所以なり。


 漢柳の起源を記しているようだ。彼は持ち前の性格で律の民と友好を深め、言葉遊びの一環で簡略化した詩作りを始めたらしい。それがよく受けた結果、漢柳として整備されるようになったようだ。ただ――。

「まだ続きがあるようですが、ざっと見た所、これには勅書捏造の件が見当たりません。……ということは本命はこれではないのですね?」

「仰るとおりです。この碑文は街の各地に建てた石碑の大元というだけです。要するに蒼言の死後に霊廟を建てるに当たって、彼を顕彰する為に製作されたもので、都合の悪いことは記されておりません。表向きの経緯と言えばよろしいでしょうか。本命はこの御堂の中に秘匿されている物です」

 尹巴は堂に備えられた小さな祭壇の脇に腕を挿し入れ、ごそごそといじくり回す。カチッと何かが嵌り込んだ音がすると、祭壇が土台ごとずれ動き、石造りの櫃が見つかった。

「冒険説話もあながち嘘ばかりではないようですな」という由殿の二度目の戯言も聞き流す。彼もここに当たって気が高ぶっているのだろう。

 そしてその蓋を開くと、中から何枚もの版木と……印鑑が見つかった。



〈第5話――了――〉

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