第31話 ウボア

「ゆ、由宇? 大丈夫か?」


 何事かと驚いて由宇へ尋ねるが、彼女は俺の言葉なんて聞こえていないようだった。

 

「ダ、ダメ……やっぱり恥ずかしい……」


 かあああっと頬を真っ赤にして、またしても立ち上がるとキッチンの奥へと歩いて行く由宇。

 一体どうしたってんだよ。

 

 続いて、由宇はキッチンにある引き出しから小瓶を取り出すと、蓋を開け。

 

「待て、由宇。それは」

「お薬の力は借りたくないけど……やっぱり無理いい」


 無理と言いながら、由宇は小瓶を口にやり一気に中身を飲み干す。


「由宇。それは女神の吐息だぞ」

「う、うう。お、思った以上に……すごいです。ソウシさんー」


 ふらふらと足元が覚束ない様子の由宇はこちらに戻ってこようとしたものの、足がもつれてしまう。

 急いで立ち上がった俺は、倒れ込む彼女の体が床に着く前になんとか支える。


「や、優しいですう。ソウシさん」


 しなだれかかってくる由宇。

 彼女の熱い吐息が首筋にかかり……。


「由宇。分かった。分かったから落ち着くまで部屋にいろ」

「ダメです。このまま行きましょう。ソウシさんのお相手が他の人なんて嫌なんですう」


 酔っ払ったように呂律が回らなくなっているぞ。

 女神の吐息はかなーりやばい効果があるんじゃあ……いけない気持ちってのはエロい気持ちになるわけじゃなく、トリップしたりするんじゃないのか?


 だ、だが。

 せっかく由宇が勇気を出して? シナリオ通りに演技をしてくれるんだ。このチャンスを生かさねばならねえ。

 他の案を考えてるって言ったのにとか野暮なことを突っ込むのはこの際無だ。

 

「えむりん、頼むぞ」


 バナナを食べ終わって、机の上でぐでええっとなっているえむりんへ目を向ける。

 

「うんー、先にお布団にもぐっておくねー」


 えむりんは鱗粉をまき散らしながら、先に二階へ飛んでいった。

 回転ノコギリは既にベッドの中に忍ばせてある。

 あとは、作戦実行すれば女神の元へ行けるはず。

 

 問題は……。

 

「ソウシさーん」

「だあああ。押し付けないでくれ!」


 俺の理性が演技に耐えられるかどうかだけだ。


 ◆◆◆

 

――ラブホ部屋。

 ベッドの前で仰向けになったまま上気した潤んだひとみで見つめてくる由宇。

 ゴクリと生唾を飲み込み首を振るう。

 ど、どんだけ強烈なんだ女神の吐息ってやつは。実にけしからん、けしからんぞ。


 彼女は白いブラウスにブラウンの膝上スカートとシンプルではあるが、ハイソックスを履いているから絶対領域が艶かしい。

 胸こそ薄いものの、太ももをもじもじさせながら片膝が少し上がり……それに伴って太ももの付け根の方まで見えそうに……や、やばい。


「素数だ。素数を数えるんだ……」

「ソウシさんー」


 耐えきれなくなったのか、由宇は甘えた声を出しガバァッと俺の腰にのしかかってくる。

 彼女はそのまま体を回転させるように俺と共にベッドに倒れ込む。


「ソウシさんだー」

「由宇……呂律が回ってないぞ……」

「そんなことないれすう。ソウシさーん。暑いー。いえ、熱いー」

「うわああ。ま、待て。待て。由宇。『まだ』はやい」

「そうれしたっけえ。あー、そうだー。続きが見たかったらあ」

「そうそう。全裸待機で」

「『続きを所望する』って叫んでくらさいねえ」


 覚えていてくれたか。ホッとした。

 ちょ。え。ええ。

 由宇が自分のブラウスのボタンへ俺の手をやる。しかもわざわざ胸のところに。


「ゆ、由宇」

「まだお預けですかー? 私、もう……」


 涙目で見上げてこないでくれ。

 俺の方も……もう限界だ。


「由宇!」

「きゃー」 

 

 由宇の名を呼ぶと、彼女は嬉しそうな声を出してぎゅーっと腕に力を込める。

 俺も彼女へ応じるように彼女の背中に腕を回す。

 女神とかどうでもいい。今を楽しめばいいではないか。


 しかし……


「えむりん、みつけたよー」

「ウボア」


 そこで呑気なえむりんの声。機先を制された俺の喉から変な声が出てしまった。

 その声で冷水を浴びせられたかのように冷静に戻る。


「お、おお。行けるか?」

「入り口が見つからないのー」


 む。何のことだろう。

 転移は空間を跳躍するけど、ダンジョンのように直接行けないところはある。

 入り口……入り口か。

 あ、そうか。


「えむりん。イルカに手を触れて見て」

「うんー。おー」


 忘れがちだが、俺の体に付かず離れずイルカがふよふよ浮いている。

 たまに水の中へ潜るポーズをしてバシャーンと水を跳ねさせるアクションと共に消えることはあるが、すぐにまた出てきてしまう。


 えむりんがイルカへダイブし青い肌へ触れた瞬間、俺の視界が切り替わる。


 ◆◆◆


 目に映るのは昭和感漂う鄙びた部屋の中だった。風が吹くとガタガタとうるさい音をたてるような格子状の窓があるささくれ立った畳が敷き詰められた八畳間のワンルーム。

 天板をひっくり返すとマージャンが出来そうなローテーブルの上には、お盆に乗ったままの急須と湯飲み。

 そこに正座した全裸待機の女神が固唾を飲んで小さなブラウン管テレビを見つめていた。

 俺の立つ位置からだと、ちょうど女神の背中しか見えないから、彼女がどんなゲスい顔をしているのかここからだと確認できない。


 静かに回転ノコギリを構え、スイッチを入れる。

 ブイイイインと大きな駆動音をたて、ノコギリが回転しはじめた。


「な、な、あなた、どうやって……」


 音に気がついた女神が顔だけこちらに向けるが、もう遅い。


「御託は後から聞いてやる。どうせアバターだろうが、まずは逝け!」


 問答無用で回転ノコギリを振り下ろす。

 一層大きな音を立てながら、回転ノコギリは容赦なく脳天から女神を切り裂いた。


「ウボア」


 しかし、女神は脳漿をぶちまけるどころか血さえ出さずに斬られたところから光の粒子になっていく。変な断末魔をあげやがって……。

 やはり、そうか。

 このクソ女神が万が一にでも害される可能性があるこの場所へ自分の実体を寄越すはずはないよな。

 

 さて、あのふさげた叫び声からして女神は倒せていないと見ていい。

 元よりこれで奴を倒せるとは思ってねえ。

 不意打ちをして女神を消し去れただけでも大万歳なんだよ。

 きっと女神はそのうちここへ戻ってくる。それまでに見つけねば。

 

「家探しをはじめます」


 手をワキワキさせて宣言する。

 女神はこの部屋でいろいろ下界へ嫌らしいことを行っていたから、どこかにシステムを操作する端末があるに違いない。 

 まずはローテーブルの上からだな……と思ったが……俺は部屋の隅にあるパソコンデスクを見やる。

 

 探すまでも無い。あのパソコンだろ。

 今時見ないブラウン管のモニター(CRTモニター)に一抱えもあるほどの大きなパソコン……。どうしてこう、古臭いんだよ。あの女神。

 

 モニターを覗き込むとパソコンの電源が入りっぱなしだった。

 どれどれ……ほうほう。

 おお、これは。

 

 なるほど。この部屋自体が女神アプリの全操作権限(アドミン権限)を持っているようだな。

 シングルサインオンとはやるではないか。しかし、メンドクサイのかここに他の者が侵入してくることを想定していなかったのか不用心過ぎるぞ。

 俺がセキュリティ管理者なら即NGを出す。

 

 女神が触れなければパソコンが動かないようにしてしまえばいいものを……くくく。社畜SEを舐めるなよ。

 おしおきタイムのはじまりだ。 

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