第27話

「どけよ畜生!」


 俺はアミにのしかかっていた敵を蹴り飛ばした。思いの外、呆気なく飛んでいくコッドの成れの果て。

 

「大丈夫か、アミ?」

「あ、ああ……」


 俺はアミの顔を覗き込むようにして声をかけた。それから、傍に落ちていたアミの左足を取り上げ、靴下を履かせる要領でくっつけようと試みる。


「アミ、さっきみたいにやってくれ。くっつけられるんだろう?」

「……」

「アミ?」

「無理だ」


 なんだって? 無理ってどういうことだ?


「胸の傷を治癒するのに力を使いすぎた。この足はもう……」

「わ、分かった!」


 俺はアミに背を向け、しゃがみ込んだ。


「負ぶっていくから、早く掴まれ!」

「いいんだ、キョウ。私はもう……」

「何言ってるんだ!」


 俺はアミにすり寄り、腕を引いた。すると脱力してしまったのか、アミは反対向きに、仰向けに倒れ込んだ。


「あたしを置いていけ。もう爆撃まで三十分も残ってないぞ」

「馬鹿野郎!」


 俺はぐっと顔を近づけた。


「俺たちは一緒に戦ってきたじゃねえか! アミ、お前を見捨ては――」


 すると、アミは両腕を俺の後頭部に伸ばし、より顔を近づけさせた。唇が触れ合うほどに。

 俺が無理やり地下に行こうとした時とは違う、何か温もりを感じさせる。これが人の心の温かさなのか。そう気づいた頃には、アミは血塗れの顔に、穏やかな笑みを浮かべていた。


「私はお前に会えてよかった。造られてから出会った人間の数などたかが知れているが、それでもキョウ、お前は特別だった。人を助けたい、ユウを守りたいという気持ちに、あたしは突き動かされたんだ。そしてその温もりの一部を、お前はあたしにもたらしてくれた。だから、生きられてよかった」


 しかし。


「あたしはこの世にいてはいけない存在なんだ。命を受け継いでいないから」

「知るか!!」


 俺は唾を飛ばして抗議した。


「昔のことなんて知るか! お、俺はお前が好きなんだ! 置いていけるわけがねえだろうが!」


 その時、アミの瞼が僅かに引き上げられた。


「だ、だって、あたしはただのアンドロイド――」


 再び『知るか!』と一喝する俺。だが、言葉が続かない。俺はアミの頭部を抱き締めて、泣きじゃくった。俺の涙と鼻水で、アミの顔はより一層汚れていってしまう。だが、アミの笑顔は維持される。まるでそうすることが、自分に与えられた最後の任務であるかのように。


「馬鹿だな、キョウ」


 俺は無言で顔を上げる。


「こうしている間にも、タイムリミットは近づいてきてる。いっそ、あたしを見捨ててユウと一緒に逃げればよかったじゃないか」

「……」

「違うか、キョウ?」

「大間違いだよ!!」


 俺はもう、何が何だか分からないままに喚いた。対するアミは冷静そのものだ。いや、喚き返すだけの余力がないのか。


「何故?」


 無機質なその問いかけに、俺は感情剥き出しで怒鳴り返した。


「だから、お前が好きだからって言ってんだろうが!」


 こんなに好きでありながら、疎ましさを覚える対象を、俺は知らない。

 

 肩で息をする俺の頭上から、真っ赤なランプが点灯を始めた。ヴーン、ヴーンという警報も鳴り始める。理由は聞くまでもあるまい。


《大型戦闘航空機が接近中。空対地攻撃を行う可能性あり。総員、最地下層に退避せよ。繰り返す――》


 恐らくパールフロートだろう。そのまま警報を聞き続けると、爆撃開始まであと二十分。アミを担いで脱出するのは不可能だ。残り三十分でも不可能だっただろうが。


「ほら、お前らも巻き込まれるぞ。あたしのことは捨て置いて、ユウを連れて逃げろ」

「そんな……」


 だが、そこで割り込んできたのはユウだった。生身のユウではなく、上方のフロアで機械と一体化したユウだ。


《お兄ちゃん、私を捨てて逃げるの?》


 びくり、と、すぐ傍に来ていた生身のユウの肩が震える。自分が俺と共に脱出できると思っていたのだろう。

 機械と化したユウをここから連れ出すことは不可能だ。しかし、今その基盤は崩れつつある。機械化したユウもまた、俺との脱出を考えている。しかも、この施設の起動及び停止に関しては、機械化したユウが絶対的権限を持っている。これでは、妹のクローン同士で戦争が起きかねない。

 そんなことをしている暇はない。俺がなんとか、どちらかを選択しなければならない。


 どうしたらいい? 予想外に生まれてしまった、二人のユウ。一体どうすれば? 俺は必死に、脳みそを高速回転させつつ、冷却材を噴きかける。

 すると思いの外、結論は簡単に出た。


「全員聞いてくれ。俺は、今ここにいるユウを連れて脱出する」


 警報以外の音が、一切鳴りやんだ。


「アミは言った。命は繋いでいくものだと。俺はその言葉を信じたい。機械化してしまったユウに、命を繋ぐことができるとは思えない」


 俺には、自分の声がどこか遠くから響いてくるかのように聞こえた。もしかしたら、その言葉とは裏腹に、俺には迷いがあるのではないだろうか。

 この発言に対する、機械化されたユウの行動は機敏だった。すぐそばの扉が一斉にスライドし、俺たちを締め出したのだ。ここにいるのは、俺、生身のユウ、そしてアミの三人。


「おいユウ、開けろ! 俺たちを脱出させてくれ!」


 思いっきり拳で扉を叩く。しかし、機械化されたユウの声音は実にひんやりしたものだった。


《お兄ちゃんにとって大事なのは、生身の私なんでしょう? 機械化された私のチップは、もうダウンロードできるほどの時間が残されていない。私はここで死ぬんだ――二度目の死を味わうことになるんだ! だったら皆、道連れにしてやる!》


 ユウに非ざる狂気じみた言葉に、俺の心は大きく揺さぶられた。

 あのユウが。優しくて、気遣いができて、ずっと俺に懐いてくれたユウが、こんな行動に出るなんて。

 俺は今、何をしている? 人の命を天秤にかけて、何をしようとしている? 俺は、俺は、俺は――。


「ユウッ!!」


 アミの悲鳴に、俺は慌てて振り返った。見れば、生身のユウがガラス片を手に取り、その切っ先を自分の喉に向けていた。


「待て、ユウ!!」


 俺はタックルをかけるように、ユウに飛びついた。


「ユウ!」

 

 幸い、頸動脈には至らなかったらしい。だが、声帯の方はどうだろうか。とにかく出血を止めるべく、俺はあたりを見回した。残念だが、アミの止血に使ったタオル類がちらばっているだけだ。


 俺はユウを、アミの隣に寝かせた。


「ユウ、どうしてこんな真似を……!」


 ユウの意識は明瞭だった。スピーカーと自分の顔を交互に指差し、何度も頷いてみせる。

 まさか――。


「自分が同じ立場だったら同じことをする、と言いたいのか?」


 ゆっくりと、出血箇所を押さえながら、ユウは微かに顎を引いた。

 次の瞬間、スタタッ、と硬い音を立てて、周囲の扉が一斉にスライドした。


 俺は監視カメラに向かって叫んだ。機械化されたユウに向かって。


「どうしたんだ、ユウ? 俺たちを出さないつもりだったんじゃ……?」

《やめた》


 短い返答の後、少し間を置いて、機械化されたユウの言葉が続いた。


《考えてみたの。そっちのユウが自殺しようとしたのは、自分がいなくなれば私が救われると思ったから、よね。私には、そんな勇気はない。だからあなたたちを解放してみることにしたの。上手く逃げられるかどうかはお兄ちゃんたち次第、っていうことにしたかったのよ》


 妙な話だ。電子チップであれ生体チップであれ、ここの設備でクローンを造れば、クローンとして成長し始める直前までの記憶、正確、趣味趣向が同一の個体が出来上がる。

 にも関わらず、『私にはそんな勇気はない』だって? どういうことだ?


 思い当たる原因としては、今回のユウのクローン造形の基になったのは、遺伝子情報ではなく電気信号だった、ということだ。僅かな電圧差で、ほんの少し性格が変わることは十分考えられる。


《ここから先のルートは、今の私には把握できない。もうこれ以上の妨害はしないから、なんとかその区画から脱出してくれれば》

「了解。アミ、聞こえたな? 歩けるか?」

「……」

「アミ?」


 俺はさっと振り返った。生身のユウの姿の陰になって、アミの容態を窺い知ることはできない。


「アミ、一体どうし――」


 と言いかけて、俺は額から滝のように汗が流れ出るのを感じた。

 ユウをどかし、アミの首筋に手を当てる。脈は、なかった。アンドロイドとて、一回死んでしまえば手の施しようがない。せめて、瞼を閉じてやるくらいのこと以外は。


 その後、俺の記憶は僅かばかり飛ぶことになった。ただ、喉の裂けんばかりの痛みが、俺が号泣したことを示していた。

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