第23話

「ユウ、聞こえるか?」


 彼女の上腕を掴み、真ん前に座らせる。だが、全身の筋肉が弱っているのか、首がぐらぐらと揺れて定まらない。そっと掌を口元に遣るが、呼吸はしていなかった。


「ユウ、起きろ! 起きるんだ!」


 ますます揺さぶりをかける俺。そこにちょうどよく、アミがアルミホイルでできた貫頭衣のようなものを持ち出してきた。


「体温が下がっているのかもしれない。ユウにこれを着せてやれ」


 俺はアミから奪い取るようにして貫頭衣を受け取り、すっぽりとユウの頭から被せてやった。それから後頭部を軽く叩くこと数回。


「けほっ! げほ、けほ……」


 ユウが、喉に詰まった培養液を吐き出した。はあっ、と思いっきり息を吸う。


「そうだ! いい子だユウ、そのまま吐いて吸うのを繰り返すんだ」


 砂漠で風に吹かれる一凛の花。そんなものを連想させながら、ユウは浅い呼吸を繰り返す。


「俺が、分かるか?」

「けほ……、おにい、ちゃん……?」

「そ、そうだ。お前の兄貴だよ、ユウ!」

「キョウ、お兄ちゃん……」


 その言葉に、俺はもはや、落涙を止められなかった。ユウの細い肩を抱き締め、とにかく泣き喚いた。号泣、絶叫、歓声。その全てが、俺の声帯を叩きまくる。アミがその場にいるのも忘れていた。冷たい声が、この研究施設に響き渡るまでは。


《私を裏切ったのね、お兄ちゃん。いえ、この際『裏切った』という言葉は不自然だけれど》


 はっとした。ユウの声だ。しかし、それは目の前にいるユウからではなく、天井のスピーカーから聞こえてくる。


「……ユウ?」


 その時になって、ようやく俺は自分の考えが稚拙だったことに気づいた。

 構造物のセンサーを自らの身体と一体化させたユウ。腕の中で、ぐったりとしているユウ。

 これでは、二人ユウがいることになってしまうではないか。記憶も好みも性格も、全く同じユウが。


《確かに、私は生身の身体に戻りたくはないと言った。でも、それは『もし私が、もう一度お兄ちゃんに愛してもらえるか』ということが保証されていたから、文句を言っただけ。それなのに一体、どういうこと? お兄ちゃんは、生身の身体のある私の方が好きなの? いえ、今あなたの腕に抱かれているユウは私じゃない。結局私は、ただのジャンクに過ぎなかったのね》


 返す言葉もなかった。カプセルから生まれたユウと、これだけの啖呵を切ったユウ。本物はどっちだ?

 いや、どちらも本物ではない。本物のユウ・タカキは、十年前に、火星極地で発生した海難事故で死んでいる。俺はその事実から目を逸らしてきただけだ。


「お兄ちゃん、どういうことなの?」


 かさり、と音を立てながら、貫頭衣を被ったユウがカプセルから出てくる。悠々とこちらに歩み寄って来るその姿は、ありとあらゆる負の感情を従えているように見えた。


「ま、待ってくれ、ユウ!」

《それはどっちに向かって言ったの?》

「当然この私に向かって、だよね? 私には生身の身体があるんだから」

「い、いや、一概にそう言うわけでは――」


 俺は両の掌を差し出し、首をぶるぶると振り出す。その時、ドッ、と鈍い音がして、眼前のユウが倒れ込んできた。その肩越しには、刀を鞘に収めたまま振りかぶったアミの姿が見える。アミは、ユウの後頭部に打撃を与えて気絶させたらしい。


「あ、ああ……」


 アミに礼を述べようと顔を上げると、つっ、と何かが俺の首筋を流れた。この、僅かに粘性を帯びた感覚は――血だ。アミは抜刀して、俺の首筋に刃を当てていた。


「お前に命のなんたるかを語る資格はないな、キョウ」


 アミは俺の首筋の、外皮だけを斬っている。少しでもアミが手を滑らせれば、あるいは俺が腰を抜かしたら、俺の首はスッパリ刎ね飛ばされるだろう。


「あたしもまた、この馬鹿でかい試験管から生まれた身だ。ここで伸びているユウの肩を持つ気はないが、あたしは貴様を許せない。分かるか?」

「……」

「あたしは誰に愛されるともなく、誰の役に立てるかも分からず、今こうしてこの場に立っている。GBA上層部の考えは知らん。知りたくもない。だがな、忌々しいことに、貴様の肩にかかっているんだよ、どちらのユウを生かすかということは」

「俺がユウのうちどちらかを殺す、と?」

「違うのか?」


 アミの瞳が、その切れ味を増した。俺は唾を飲むこともままならず、ひたすらに瞬きを繰り返した。


 俺にとって、ユウとは何なのだろう。ただの妹、されど妹。唯一生き残った俺の家族。だが――何度も自問してきたところではあるけれど――、俺が今やっていること、戦っていることは、本当にユウのためと言えるものだろうか? 俺が寂しさを紛らわすのにユウを傍に置いておきたい、それだけのことなのではないか?


 俺は、クリーチャーを生み出し、結果的に地球を死の星にした科学者たちと同類なのではないか――?


 生憎のところ、俺の胸中には、『地球を守ろう! 取り返そう!』などという綺麗事は微塵も存在しない。だが、地球が無事だったら、祖父たちが火星移住することもなかったかもしれないし、父が火星の極地の海中探査を行うこともなく、さらに言えば、俺たちを襲ったあの海難事故は発生しなかったかもしれないのだ。


 俺は一体、何をしている?


「おいッ!!」


 壁ドンの要領で、俺の顔を掠めるように突き出されたアミの拳。ボゴッ、とコンクリート製の壁面が陥没する。

 アミはぐっと顔を近づけ、俺と目を合わせた。


「責任は取るんだろうな? 二人のユウをどうするか、考えているんだろうな?」


 今更ながら、これは予想外の事態であることを俺は悟った。

 元々、ユウのために用意されたのは電子チップ一枚のみ。それを身体に組み込むはずだった。だが実際には、そんな物理的なことをせずとも、記憶までをも転写したクローンでユウを生き返らせる、否、同じ人物を創り出すことは可能だったのだ。


 いったい俺は、何をしてしまったんだ?


「よく聞けへっぽこガンスリンガー、耳の穴かっぽじってよく聞けよ。命ってのはな、受け継がれていくことに意味があるんだ。もちろん、子孫を成すことができずに絶命する生物たちはたくさんいるだろう。だが、人間はどうだ? ずっと殖え続けているだろう? 少なくとも、ウィルス感染したクリーチャー共が現れるまでは。そこに驕りが生まれたんだ。自分たちの力で、命を『製造できる』なんて傲慢な考えがな」


『するとどうなると思う?』というアミの問いかけに、俺は答えられずにいる。口を開けばその分だけ頸動脈が動き、ひいては、アミの刀がより深く俺の首に食い込むことになりかねない。

 それを、俺が何も思いつかないものと判断したのか(実際そうなのだけれど)、アミは無表情で答えを告げた。


「墓穴を掘ることになるのさ」


 そこでようやく、アミは俺の首筋から刀を離し、鞘に収めた。傷口に手を当ててみると、確かに指先に赤いものがついている。まさにギリギリのところで、俺は命拾いをしたわけだ。


「例えば、ここにあたしなんかがいること自体、おかしなことだ。あたしはアンドロイド、人間とクリーチャーの合成生物だぞ? 思考回路は人間のものであっても、身体はどうだか。腕力も脚力も、人間離れしているって自覚はある」


『そこで』と言葉を繋ぐアミ。


「あたしは人工生物だ。あたしにご先祖様とやらはいないし、子孫も残せないだろう。要は使い捨ての、人類に代わる戦闘兵器に過ぎない。あたしはそのプロトタイプだ。そこで気絶しているユウのような存在は、GBA上層部でも想定外だっただろうが」

「ま、待ってくれ」


 俺は命乞いをするような、情けない声音で尋ねた。膝が震えて止まらない。だが、ここははっきりさせなくては。


「GBの本体は、クリーチャー駆逐のためにジャンクを投入して、地球奪還作戦の失敗を悟ったはずだ。だからこそ、軍事組織であるGBAが組織されたんだろう? 人間の敵を倒すには、最早生身の人間で対処するしかないって。それが今更アンドロイドを作戦に投入しようってのか?」


 アミは大きく首肯してみせた。


「そんなの、無茶苦茶だ! 大体な、アミ、お前が半人の半クリーチャーなら、とっくに俺たち人間を襲っているはずだ。ウィルスに中枢神経をやられて……」

「そうでもないんだよ、キョウ」


 突然暗闇から発せられた声に、俺は足をもつれさせながらバックステップした。同時にアダムをイヴを抜く。だが、この声は警戒に値する者の声ではない。


「お、お前……!」

「よくぞここまで辿り着けたな、キョウ。神の思し召しかな?」


 小柄ながら頑強な身体の作り、浅黒い顔、そしてそこに浮かぶ真っ白な歯。


「コッド・ウェーバー……! どうして貴様がここにいる!?」


 跳びかかろうとした俺は、アミの思いもよらない怪力によって引き留められ、背中をしたたかに打った。

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