第4話

 ひとまず、ユウのことについて触れねばならない。

 ユウは俺の妹だ。俺以外では、『あの事故』で唯一の生存者。しかし、厳密に『生存している』と言っていいのかどうか、未だに俺は迷っている。


 彼女の身体は、既に火星で埋葬されている。しかし、彼女は今ここにいる。

 その矛盾に対する答えは、ユウが絶命する前に行われた処置にある。彼女の脳内情報は、電子チップに移植されていたのだ。

 記憶や性格はもちろん、知力や学力、好みの傾向なども、全てそのチップに入っている。


 事故から十年強もの間、ユウの遺した電子チップは、ずっと俺と共にあった。そしてユウの意識体は、その間もずっと俺と思い出を共有してきた。

 時には介護ロボットとして。時には資材運搬用機械として。コミュニケーションが取れれば、特にその形態はこだわらなかった。


 そのこだわりのなさ。それは、俺の傲慢さ故だろうか。ユウも望んでのことだろうか。とにかく、俺としては、『あの事故』で両親のみならず妹まで喪うのは耐えられなかった。


 一昔前の言葉で言えば、俺はシスター・コンプレックスと呼ばれる人種なのかもしれない。

 ふん、知ったことか。ユウは唯一生き残ってくれた家族だ。そんな家族を愛でることに、何の罪があるというのか。

 いや、罪に問われても構わない。俺は必ず、ユウを生き返らせてみせる。たとえそれが神にのみ許された、模倣されざるべき行為だったとしても。


「お兄ちゃん?」

「ん」


 しばしの間、俺は一人で黙考していたらしい。ユウがやたらと人間臭い所作で、俺の注意を惹こうとしていた。顔の前で手を振ったり、パチンパチンと掌を打ち合わせたり、軽く俺の頬を突いてみたり。


「お兄ちゃんってば」

「うむ」


 いつもだったら、目障りだと言って止めさせるところだ。それをしなかった俺に対して、ユウは違和感を覚えたらしい。


「どう? 私の順応性! もうこのジャンクの身体に慣れちゃった」

「ああ、そうか」


 俺のリアクションは、相変わらず希薄だったと思う。だが、それで文句を言われても、今考えなければならないことがある。

 こうして魂だけを有したまま、現世を彷徨っている妹に対して、どう接してやるべきか、と。


「あ、分かった! お兄ちゃん、お腹が空いてるんじゃない? だからむすっとしてるんだ!」

「馬鹿言え。俺は赤ん坊じゃないぞ」

「じゃあ、私がお料理作ってあげるね! 肉野菜炒めでいい?」

「だからそういうわけじゃねえって!」


 と言った直後、俺の腹の虫が、情けない悲鳴を上げた。

 ジャンク姿のユウは、腰を折ってノイズ音をぶちまけ(爆笑しているのだろう)、俺は赤面するしかなくなってしまった。


「じゃあ、ちょっと待っててね。そこにある食糧から適当に何か選んで調理するから」


 かくして、十分後。

 湯気の立つ皿を持ったユウが、座り込んだ俺の前にやって来た。再び腹が鳴らないよう、細心の注意を払いつつ、俺は匙を差し込む。……悔しいが、相変わらず美味い。

 それが顔に出てしまったらしい。俺が感想を述べる間もなく、ユウはさも得意気にコツコツと自分の胸を叩いた。


「私の料理の腕、いい加減認めたら?」


 だが、俺はその言葉を、より直接的に捉えてしまった。

 腕。ユウの腕。火星で荼毘に付され、灰になってしまったはずの、細くて繊細な腕。

 それを思うと、俺は例えようもない負の感情に囚われた。

 喪失感。罪悪感。無力感。それらがごた混ぜになった、茫漠とした悲壮感。急に胸のあたりがひんやりと冷気を浴びせられたような感覚がついてくる。


「……ごめんな、ユウ。死ぬほど美味いよ」

「え?」

「いや、何でもない」


 俺はなんとか、鼻をすする程度で感情の表出を抑えた。


 俺は久々にゆっくりと時間をかけて食事を摂った。備え付けのキッチンなどここにあるわけがないのだが、調理器具セット一式は食料と共に置かれていた。助かる。下手をすれば毎食栄養ゼリーだろうな、と思っていた俺にとって、ユウの食事が食べられるという状況は僥倖だ。


「ご馳走様でした」


 俺は床に食器類を置き、そっと両手を合わせた。このあたり、我ながらきちんとしているなと思う。

 水に関しては心配ない。フロア隅に、数百リットルは入るであろう真水のタンクが置かれている。近々このフロアを居住空間にしようと思っていた俺は、シャワーやら浴槽やらをどう配置しようかと考えていた。

 だが、それよりも先にやるべきことがある。


「なあ、ユウ」

「なあに?」

「さっき俺が戦っていた映像、どうにか引っ張って来られないか?」

「ちょっと待ってね」


 食器の片づけをしていた手を止めるユウ。すると背中のハッチがかちゃりと開き、ケーブルが一本飛び出してきた。するすると這うようにケーブルは壁面に向かっていき、一旦停止。


「この壁のハッチを開いてみて。監視カメラに直結する配線の接続機械があるから」

「分かった」


 俺は腰を上げ、さっさと歩いて壁の一部を開いた。そこには、ちょうどユウのケーブルと同規格の配線がある。接続ユニットも健在だ。

 

「よし、繋ぐぞ」

「オーケー」


 皿洗いの手を止めたユウが答える。すると、


「ッ!」


 目の前に、先ほどのカブトムシが現れた。慌ててホルスターに手を伸ばしかけたところで、


「慌てないでよ、お兄ちゃん」

「あ、ただの立体映像か……」


 俺はほっと胸を撫で下ろした。

 数歩下がって様子を見る。アダムを三連射したところから、戦端は開かれたのだ。

 濃い緑色一色で展開される、一進一退の攻防。俺は真横に回り、じっと自分の戦い方を確認した。目を細め、息を殺して。


 そこまでして確認するのには理由がある。火星生まれ、火星育ちの自分、すなわち地球より低重力下で生きてきた俺が、きちんと地球でも遜色なく戦うことができているか否か。それを確かめたかったのだ。


 先ほど、地球に降下する際に見せられた映像から、俺は兵士たちの動きが『遅い』と感じていた。あれはきっと、地球の重力下に突然踏み込んだものだから、身体が重くて仕方がなかったのだろう。

 とんだ訓練不足だ。が、それも実際の重さを感じたことのない人間にとっては仕方がないのかもしれない。俺は少しばかり、あの兵士たちに同情した。


 その点、俺は地球と同じ重力下で訓練を積んできた。人工重力場調整装置内で、身体を鍛えたり、戦闘シュミレーションをしたりと、人一倍努力してきた自負がある。そうでなければ、今頃俺はカブトムシの角に串刺しにされていたことだろう。


 俺は三、四回、この戦闘の映像をユウにリピートしてもらった。


「もういいぞ、ユウ」

「はーい」


 戦闘映像の惨たらしさなどどこ吹く風。ユウはやや陽気にも聞こえる声音で、映像を消した。まあ、俺が今こうしてここにいるということ自体が、俺の無事を証明しているわけで、映像は格別のスリルを伴ったものではなかったのだろう。


「お兄ちゃん、ケーブルの格納よろしく」

「おう」


 俺はフロア壁面の接続機を取り外した。すると、先ほど同様に蛇よろしく、ユウの背中から延びていたケーブルが引っ張り込まれ、格納された。


「今日のお仕事はおしまい?」

「ああ。初仕事で疲れた」


 俺が素っ気なく答えると、唐突にフロア中の照明が消えた。


「何だ!?」


 再びホルスターに手を遣る俺。しかし、


《大丈夫だよ、お兄ちゃん》


 響いたのはユウの、落ち着き払った声だった。だが、どこから聞こえてくるのかが分からない。


「まさか――」

《そう。このフロアの照明と音響を操作してるの》


『私がね』と、自信満々に答えるユウ。


「今までそんなことができたか? お前、一体――」

《そんなことより聞いてよ! こんな音楽が音響ライブラリに残ってたよ!》


 音楽? 突然何を言い出すんだ。

 訝しんだ俺の耳に入ってきたのは、しかし、実に心地よいソプラノだった。


「なんて曲だ?」

《え?》

「この曲の名前だ」

《えーっとね、ちょっとデータに欠損があるんだけど……『アヴェ・マリア』っていうみたい》


 ああ、道理で聞き覚えがあると思った。かつて母が、クラシック音楽を好んで聞いていた姿が脳裏をよぎる。

 目が暗闇に慣れてきた頃、再びユウの声がした。


《こんなこともできるよ!》


 すると、ぱっと何かが瞬いた。すると、そこにいたのはユウだった。いや、ユウの映像だ。先ほどとは異なる、淡い水色の映像。生身の身体を失った当時の、八歳の頃の姿のユウだ。しかし、見慣れない格好をしている。修道女のような姿を。


 本人が歌っているわけではないことは確かだ。しかし、胸に手を当て、瞳を閉じてゆったりと口を動かすユウは、実に楽し気で、美しく、そして愛おしく見えた。

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