第3話

 飽くまで俺の目的は、この地下施設全体の安全確保。各フロアの、人類に対する敵対勢力の排除。つまり、エレベーターで降りたところで、なんの解決にもならないということだ。

 この地下施設は、元々、総合娯楽施設として造られた。様々な機械や組織が稼働している可能性もある。吉と出るか凶と出るか。それが決まるのは、きっと一瞬だ。

 そんなことを考え、ぐっと唾を飲みながら、踊り場を経て地下一階を覗き込む。ゆっくりと顔を下げていく。そして目に入ったのは、そこは上のフロアとは異質な空間だった。


 照明は点々と点いているが、薄暗い。フロア全体の広さは上階と変わらないはずだが、仕切り板が視界を遮っている。俺はホルスターからアダムを抜き、両手持ちにした。セーフティを外し、照準をそっと目線を合わせる。目に映る全てが、ひどく錆びついたしまったかのように見えた。

 次に五感を刺激したのは、ひたひたと液体の滴る音に、鼻を突く異臭。生臭さと薬品臭さが混ざったような臭いだ。

 思わず顔をしかめたが、飽くまで想定の範囲内。音を立てず、ゆっくりとフロアの壁や仕切り板の間を覗いていく。


 ピタン、ピタン、ピタン、ピタン。

 これは恐らく、損傷した空調設備から滴る水音だ。もう少し歩を進めると、水音に加えて、連続した高い排気音のようなものが鼓膜を震わせた。角を曲がって見上げれば、天井を走る配管に亀裂が入っている。白煙が噴き出している。これは無害のようだ。

 こいつも空調の一部、か?


 慎重にそこを見上げていたのは、まさに僥倖だった。何故なら、そこの天井パネルが勢いよく開いて『何か』が落下したからだ。


「ッ!」


 慌ててバックステップし、アダムの銃口を向ける。白煙はすぐさま消え去り、そこにいたモノの姿はすぐさま露わになった。


 昆虫だ。カブトムシのような。ただし、体高一・五メートル、体長三メートルはあると見た方がいい。キシイイイイイ、と甲高い声を上げ、頭部の角を振りかざしている。

 俺はすぐさまアダムを連射した。三発。弾丸は弾かれることなく、カブトムシの表皮――あたかも装甲板のようだ――に潰れてへばりついた。


 俺たちが地球に派遣されるにあたり、兵器は一新された。今までは、その火力でクリーチャーを駆逐するのが基本スタンスだった。が、それでは限界が見えてきたのだ。クリーチャーたちは、明らかに進化している。防護力も、素早さも。


 そこで、クリーチャーを火力で圧倒する方針は撤廃された。代わりに提案されたのは、毒素による駆逐方法だ。銃弾を表皮に付着させ、そこからじわじわと毒素を注入する。ちょうど、ヒルが貼りついて吸血するのと同じ原理。ただし、今回は吸うのではなく注入だ。

 クリーチャーやジャンクの情報は、すぐさま月や火星の人類居住地に送られる。そして、安全な場所で対策が練られ、研究が重ねられる。

 それらを後ろ盾にして、俺たちが矢面に立っているというわけだ。


 流石に違和感くらいは覚えたのか、カブトムシは床を引っ掻きながら後退した。しかしそれは、こちらに猛ダッシュをかける前動作でもある、と俺は読んだ。

 キシイイイイイ!

 勢いよく突っ込んできたカブトムシを、俺は転がって回避した。横倒れの姿勢で、さらにアダムを三連射。再び地団駄を踏むカブトムシ。

 もう少し、時間稼ぎをする必要がある。毒素が奴の中枢神経に回るまでは――。


 立ち上がり、やや距離を取る俺。だが、敵は思いがけない行動に出た。跳躍したのだ。


「なッ!?」


 突然の、高速度での接近。俺は一瞬で脳のギアを『冷静』に切り替え、大幅に右に跳んだ。俺の背後でショウウィンドウの割れる音がする。振り返ると、カブトムシはガラスのみならず、その奥の壁面までをもえぐっていた。直撃すれば命はあるまい。


 だが、その後ろ姿に俺は勝機を見出した。カブトムシは翅を展開していたのだ。背面を守る外皮がめくれている。俺はすぐさまアダムを収納、同時にイヴを抜き、四発を叩き込んだ。

 今度は通用したらしい。カブトムシは呆気なくひっくり返り、六本の足を滅茶苦茶にざわめかせた。なかなか起き上がれずにいるところを見るに毒素が回ってきたようだ。あるいは激痛のためか。


 暴れることしばし、カブトムシは唐突に動きを止めた。俺は片膝を床につきながら、敵の頭部にイヴを向ける。

 なるほど、これが実戦か。そんな感慨と納得をもって、俺は敵の頭部を撃ち抜いた。グシャリ、という生々しい音と共に、灰色の粘性をもつ液体が床に広がっていく。


「……はあっ!」


 膝に手を当て、身を折って大きく息をつく。俺はようやく、自分が呼吸を止めていたことに気づいた。これではいけない。酸欠になってしまう。

 

 さて、次には何が待っているか分からない。俺はカブトムシに背を向けながら、アダムの弾倉を交換し、イヴのシリンダーに弾丸を込めていく――はずだった。

 床を濡らした水溜まりに映っていたのだ。のっそりと身を起こすカブトムシが。


「チッ!」


 短い舌打ちと同時に振り返り、アダムを向ける。思いっきり引き金を引いた。が、数度の金属音が響くばかり。給弾不良、ジャムだ。こんな時に……!

 仕方ない。俺はアダムを、勢いよく放り投げた。同時に、敵の角の先がつられて横を向く。


「とっ!」


 俺は軽く跳んで一回転し、角の根本に思いっきり回し蹴りを喰らわせた。そのまま踏み込んで着地し、イヴを甲殻の隙間に押し当てる。引き金を引くと、今度は弾が出た。さすがリヴォルバーだ。ジャムが少ない点は称賛に値する。


 オートマチック拳銃であるアダム以上の威力に押され、ついに敵は沈黙した。


「ちっ、畜生が……!」


 俺は運動によってではなく、驚きと興奮とで息を荒げていた。それも、悪い意味での感情だ。

 肩を上下させながら、体液の流出するカブトムシの死骸を、俺はじっと見つめていた。


         ※


 かれこれ十分はそうしていたらしい。何故分かったかといえば、ただの勘、としか言いようがない。今の俺は、戦闘の邪魔にならないよう腕時計の類は着けていないのだ。


「これが、実戦か」


 誰にともなく、声が漏れる。

 そう言えば、今日はまだ何も口にしていない。急激な喉の渇きを覚えた俺は、コッドの待っていた安全なフロアへの階段を上った。


 戻ってみると、まず目に入ったのはジャンクだった。と言っても敵ではない。先ほど電源に接続しておいた機体だ。

 俺はまっすぐにそこまで歩き、起動用の小型コンソールを操作した。電源ケーブルを取り外す。すると、ジャンクはゆっくりと、床に手を着きながら立ち上がった。


「ユウ? 聞こえるか?」


 沈黙するジャンク。しかし、起動シークエンスは間違いなく進行しているはず。パーツの隙間から低い機械音がしているし、小型ランプが点滅している気配もある。

 ユウ、早く目覚めてくれ。俺は寂しいんだ。


 そう念じた、まさに次の瞬間だった。ジャンクの頭部ユニットのバイザー部分に、文字が浮かんだ。どうやら起動したらしい。


「ユウ? 聞こえるか?」


 同じ台詞を繰り返す。すると、ギギッ、と首の捻じれる音がした。同時に人間の口にあたるスピーカーから、掠れた音、否、声が流れてきた。


「おに……ちゃん……?」

「ユウ、調子はどうだ?」

「今、光学センサーを、起こすから……」


 すると、ピシン、と通電する音を立てながら、ジャンクは首を一回転させた。


「あ、やっと見えたよ、お兄ちゃん!」


 軽く震える手を、俺の肩に載せてくる。と思いきや、勢いよく身体を引き寄せられた。


「どわ!?」

「お兄ちゃん、久しぶり! この前からどのくらい経ったの?」

「ああ、一週間ほどだ」


 ほら、と言って俺は、ジャンク――ユウの手を取って鏡を握らせた。するとユウは、表情のない顔を左右に振りながら文句を垂れた。


「えーっ、これが私? 今度はロボットなの? それもジャンク?」

「我慢してくれ、ユウ。もうじき身体を取り戻してやるから」

「本当に?」


 声音から、微かにユウの感情が読み取れる。やや高揚したようだ。俺は、思わず口元が綻ぶのを止められなかった。


「あ、ここはどこ?」


 そうか。ユウは今どこにいるかすら分かっていなかったんだな。


「聞いて驚くなよ?」

「うん」

「地球だ。極東の日本という国の、より北東のエリアだ」

「ち、地球!? 本当に!?」


『どうして相談してくれなかったの!?』と喚くユウ。それに対して俺は、


「だって『俺が地球に降りる』なんて言い出したら、お前は反対するだろう? 危険すぎると」

「当然だよ! 地球にはクリーチャーやジャンクが――あ」

「今のお前もジャンクの姿だけどな」

「嫌! 嫌だよこんなの! 早く身体を元に戻してよ!」


 俺は両腰に手を当てながら、ユウに言い聞かせた。


「そのために地球に来たんだろうが。もう少し待ってくれ。俺は約束は破らないよ」

「本当?」

「いや、そこから疑われると元も子もないんだがな……」

 

 俺はぽりぽりと頬を掻いた。

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