第29話【エピローグ】

 はあっ、と俺は思いっきり肺の空気を入れ替えた。

 酸性雨は、降っていなかったのだ。完全に清浄な空気ではないだろうが、地下よりはましだ。


「大丈夫そうだ。移動するなら、今だぞ」


 言いながら、俺は遠くを見遣る。酸性雨を降らせる雲は、ずっと遠くでゴロゴロと唸りを上げていた。振り返ると、こちらでも同じような光景が目に入る。もしかしたら、と思って空気の臭いを嗅いでみると、やはり焦げ臭く、不快な鉄屑や耐酸性用の防腐食剤の異臭がする。やはり、パールフロートは墜落し、爆風が雲を晴らしてくれたらしい。


 少女がおずおずと、外へ出てくる。自分の目の高さにあるものを認識すると、彼女は俺と同じ方角を眺めた。そこには、中央からひしゃげた流線形の超大型航空機が屹立している。二分され、V字を描くように。


「爆風のお陰で雲が晴れたんだ。今のうちに、どこか別な地下施設を探そう」


 俺はそっと、少女の手を取った。


「これから先、俺は軍務に戻れるかどうか分からない。衣食住が確保できるかどうかは微妙だが、取り敢えず、地下の坑道を伝って極東北東支部に向かおうと思う。まだ俺の実力を買ってくれるかもしれないしな」


 自分のホルスターを確かめながら、俺は少女に顔を向ける。少女は何を言われているのか、必死に呑み込もうとしているようだ。


 スティーヴ大佐が、味方のいる施設に爆撃を仕掛けたというのは大変な事態だろう。

 もちろん、彼の権限からして、俺たちに分が悪い判断が為される危険性もある。しかし、すぐに刑に処される可能性は極めて低い。誰かが俺たちに有利な証言をしてくれることは、多少なりとも期待していいだろう。この場合の『誰か』とは、スティーヴ大佐の闇の部分を知っているであろう、GBA幹部の連中だ。

 

 また、貴重な人命を賭して地球の奪還を試みている以上、GBAには反対勢力がつきものである。これ以上、地球に手を出すべきではない、という組織や団体は、政治的に大きな権限を有している。

 なにせ、あのパールフロートを運用して爆撃を試みたのだ。それに、俺たちに命令や警告をしたわけでもない。


 それにもう、情報操作のできるユウはこの世に存在しない。いるのは俺と、少女だけだ。

 俺はふっと、先ほどよりはずっと落ち着いた息をついた。


「それじゃあ行こうか、ユミ」


 突然の呼称に、少女は首を傾げる。


「ユウは十年前、そしてさっき、死んでしまった。君はユウじゃない。ユミだ」


 何故『ユミ』なのかといえば、『ユウ』と『アミ』の名前を合わせたかったからだ。アミのことを、ずっと心のスクリーンに投影できるように。


 その時になって、俺はようやく、何故外が明るいのかを悟った。月光だ。月の光が、俺たちに降り注いでいる。

 青白いその光は、どこか神聖で、温かくて、冷やかで。人間の居住地の一つであるためか、影になっている部分にも微かな光が見える。都市の灯りが、点々と。


 俺はそれを見上げながら、そっと少女――ユミの肩を抱き寄せた。

 死んだ人間は生き返らない。その悲しみを忘れることもできない。だが、誰かに助けを求めることはできる。自分自身は、生きていける。


 俺はエゴの塊だったのかもな、と、今更ながらそう思う。死者を生き返らそうとは。それも、こんな退廃した世界で。

 それでも、そのために行動を起こした俺自身のことを責める気はさらさらない。人の死が、その家族や友人、周囲の人々に及ぼす影響は、その互いの関係によって十人十色だからだ。

 否、一人の人間が一人の人間の死を認識するのに、方法が一つだとも言い切れない。十人十色では数え切れないのだ。そんな中で、俺のような一種の過激派が出てくる。


 そんな思索にふける中、俺の耳に何かが触れた。これは音だ。声かもしれない。

 振り返ってみると、ユミが口をぱくぱくさせていた。

 その時何故か、俺には察せられることがあった。これはいつか、ユミがユウだった時に歌って聞かせてくれた『アヴェ・マリア』ではないか。


「ユミ、それは――」


 と言いかけた時、荒野になっている風景の向こうから、人影がやってくるのが見えた。一人だ。若い男性。武器は携行していないが、念のために俺はホルスターに手をやった。


「怪我人はいるか?」


 大声で男が尋ねてくる。


「いや、俺たちは二人共無事だ」


 俺が叫び返す。


「GBAの者か?」


 返答に窮したが、俺は咄嗟に『ああ、ついさっきまでな』と答えた。


「さっきって……。あのでっかい飛行機が墜落するまでか?」

「ご名答」


 緊張感を和らげるべく、俺はややおどけた拍子で答える。

 すると、向こうから名乗りを上げてきた。


「俺はポーカー。通称だがな。まあ、皆そう呼んでる」


 なるほど。確かに、心配げな口調のわりには無表情を崩していない。

 試しに、交渉してみた。


「数日分の食料と、GBA極東北東支部の地下に通じる通路を紹介してもらいたい」

「なるほど。目的は?」

「俺たちはさっき、あそこで殺されかけた」


 俺は親指を立て、後方を指す。


「復讐って柄じゃないが、ちょっと物申したいんでね。潜り込めると助かる」


『なるほど』と繰り返すポーカー。顎に手を遣り、しばし思案する。そしてふっと顔を上げると、


「俺たちに何か見返りはあるのか?」


 と油断なく尋ねてくる。

 俺はアダムとイヴを取り出し、くるくると弄んでみせた。


「まあ、実戦次第といったところかな」


 ここにクリーチャーやジャンクがいないので、それ以上のことを言うことは難しい。だが、ポーカーはすっと目を細め、俺の目に見入った。


「実はな、俺たちにはGBAの支部に攻撃を仕掛ける計画があるんだ」

「ほう?」


 俺は少なからず驚いた。なかなか骨のある組織があったものだ。


「あんたになら、先陣を切ってもらえるかもしれない」

「それは光栄だな」

「一緒に来るか? 次に雷雲が来るまで三十分とないが」


 俺はユミに振り返った。『どうする?』と首を傾げてみせると、彼女は大きく首肯した。


「分かった。同行させてもらう。だが、信頼に足りるのか? 俺たちは」

「あんたらはあの墜落現場から悠々と歩いてきた。何か訳アリなんだろう?」

「訳アリ、ね」


 おっしゃる通りだ。


「俺たちは排他的組織じゃないし、何が何でも大規模な暴力沙汰にしようとも思っていない。あんたみたいな人間の一人や二人、歓迎できるレベルだ」

「感謝するよ、ポーカー」

「気にするな。ところで、あんたらの名前は?」

「俺はキョウ・タカキ。こっちの少女は――」


 そうして、俺は世界で最も愛すべき人間の名を告げた。


THE END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月下の兵士に讃美歌を 岩井喬 @i1g37310

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ