第28話
俺と生身のユウは、天井で点灯している矢印状のマークに従って歩んでいた。もう機械のユウは何も言ってはこない。しかし、どうやら俺たちを援護してくれるらしい。たとえ無言でも、その神経の及ぶ限りで、俺たちの誘導を試みている。
「大丈夫か、ユウ?」
僅かな出血を伴いながらも、生身のユウはこくりと頷いた。やはり、声帯は損傷してしまったようだ。
しばらく歩いていると、上へと登る梯子を目にした。その梯子がある以外は、行き止まりになっている。この梯子を登って行くしかない。俺はその梯子の先を見上げてみたが、ところどころに淡い警告灯が灯っている。機械のユウの援護で灯っているのだとすれば、この梯子は安全なはずだ。
「ユウ、登れるか?」
こくり、と頷くユウ。俺たち家族が火星で事故に遭う前、俺もユウも運動神経は抜群だった。これなら、この梯子を登るのは造作もないことだろう。しかし、爆撃まであと十分を切っている。楽観できる状況ではない。
ざっと二十メートルほどの梯子を、先に俺が、次にユウが登って行く。俺の腰には、傍に落ちていた頑丈なロープが巻かれ、そのもう一端をユウの腰に巻いている。万が一、ユウが落下したら、俺は自分の腕力だけでもユウを救い上げ、この梯子を登り切る覚悟だった。
幸いなことに、俺たちは二人共、無事梯子を登り切った。やや荒い息を整えつつ、俺はユウの背中をさすってやる。梯子の先は、五メートル四方のスペースになっていた。梯子の反対側に電子ロックのかけられた扉があるが、今はロックされていた。
「ユウ、ここの扉を開けてくれ」
機械のユウに、俺は呼びかける。しかし応答はない。
「どうしたんだ、ユウ?」
沈黙するスピーカー。恐らく、ユウは状況を見計らっているのだろう。あるいは、音声通信まで遮断して、この構造物全体に神経接続を試みているのか。
だが、段々と俺も焦りが込み上げてきた。爆撃まであと三分強。扉の向こうで何が起こっている?
俺が思索を巡らせていた時、ユウが俺の肩を叩いた。
「どうした?」
ユウは耳に手を遣って、それから両腕を掲げてみせる。何かが聞こえているのだ。これは、まさか。
ようやく俺の耳にも、その音が届いた。構造物のメインシャフト――地下鉄の発車地点のあった部分が攻撃を受けている。パールフロートが、空爆を開始したのだ。時間はまだ二分半あるが、これは恐らく、俺たちをおびき出すための爆撃だろう。そうすれば、地中貫通型爆弾などという、高額な兵器を使わずに済む。
「ユウ、頭を守れ!」
さっとうずくまったユウの頭部を押さえるようにして、俺もまたその場で丸くなった。しかし、空爆の音は聞こえてくるものの、近づいてくる気配はない。微かに砂塵の降って来る天井を見上げ上がら、俺は直感的に、今は動かざるべしと判断した。
しかし、次に聞こえてきたのは思いがけない音だった。これまた遠くからではあるが、ガコン、と何かが開閉する音がした。扉ではない。まさかこいつは――。
「ユウ、よせ!」
俺は立ち上がって叫んだが、機械のユウは完全に聞く耳をもたなかった。この開閉音は、VLS――地対空垂直発射型ミサイルシステムの蓋が開く音だ。反撃する気なのか!
そして僅かな、しかし規則的な振動が、俺たちの方へと伝わってきた。もし屋外に出ていたら、バシュン、バシュンとミサイルが発射される音が聞こえたに違いない。それよりも巨大な爆発音が、俺の耳朶を打つ。
まさかこの施設にVLSが配備されていたとは恐れ入ったが、パールフロートとて最新型の宇宙及び大気圏内航行可能輸送艦だ。ちゃちな機銃など備えてはいまい。反撃するとすれば――。
ドドドドドドドドッ、と連続した、今までにない爆音が俺とユウを揺さぶった。この構造物全体を敵と見做したパールフロート、そして恐らくはそれに搭乗しているであろうスティーヴ大佐が、今までにない爆撃を加え始めたのだ。小さな街ならまるごと焼き払えるであろう、凄まじい火力だ。
その時、スピーカーから微かな雑音が響いてきた。機械のユウが、通信を試みているのだ。俺はタッチパネル式のウィンドウに鼻先をつけ、叫んだ。
「ユウ、もういい! 止めてくれ! お前が傷つくばかりだ!」
《……》
「ユウ? ユウ!」
《……今まで、ありがとう、お兄ちゃん》
「――!」
声になっていたとすれば、『やめろ』とか『待て』とかだったと思う。ウィンドウに映ったのは、ミサイル――恐らく最後の一基――の先端に装備された熱源センサーからの映像だった。
勢いよく射出されたミサイルは、爆煙の中を通り抜け、パールフロートの中央へ向かった。ハッチが開放され、今まさに地中貫通型爆弾が投下されんとするところだ。蛇行を繰り返し、迎撃されないように投下型爆弾を回避していく。
そのがむしゃらさ、無我夢中さは、かつて一緒に鬼ごっこに興じたユウの必死さに通ずるものを感じさせた。そして海難事故の際、必死に海面に出ようとしていた姿もまた、俺には連想させられた。
そして――。
爆撃音が止んだ。振動もだ。警報ランプは消灯し、俺とユウの前には、先ほどまでロックされていた扉のノブが緑色に変色して輝きだしたのが見えた。開錠されたらしい。
ゆっくりと手を差し伸べる。しかし、まだそのノブを握るのは早すぎるように思われた。
そんな俺の直感は、見事に的中した。今までとは比べ物にならない爆発音と振動が、俺たちの全身を震わせたのだ。
こんな地下にありながら、俺は外の光景がありありと想像された。
「パールフロートが……落ちた……」
その確かめようもない、しかし極めて確実性の高い事実に、俺は戦慄した。そして考えた。
機械のユウは、自分の神経系統を全てあのミサイル一基に託し、飛んでいったのだ。でなければ、ああも易々とパールフロートの急所を突くことはできまい。
ユウは、死んだ。
かつてユウは言った。人間に戻りたくはない、二度目の死を体験したくない、と。にも拘らず、ユウは俺と、生身のユウを救うべく、身を投げ出したのだ。
俺は妹に対して、何ということをしてしまったのだろう。否、させてしまったのだろう。
俺は開錠されたドアに拳を打ちつけ、しとしとと涙を流した。そこにもう一人のユウがいることを気にも留めずに。
結局、俺が為そうとしていたことは何だったのだろう。ユウを生き返らせること。実にシンプルかつ、可能性からして絶望的な行為だ。
そしてそれは成功したと言えるのだろうか? 今俺の背後には、俺の野望を体現した姿のユウがいる。しかし、彼女はユウではない。クローンだ。彼女をユウだと見做すのは、ユウと同時に、傍にいる少女に対しても、その存在を冒涜することになりはしないか。
「俺は……俺は、何をしたんだ……」
扉を背もたれにして、俺はその場にへたりこんだ。すると、裸足のつま先が俺の視界に入ってきた。件の少女のうち、生きている方の少女だ。彼女は俺の前に屈み込み、そっと俺の前髪をかき上げた。俺が何を考えているのか、覗き込もうとするかのように。
彼女はじっと、時間をかけて俺と目を合わせようとしたが、どうやら果たせなかったらしい。『らしい』というのは、俺が自分の知覚に自信がなかったからだ。
その少女は、何の前動作もなく、ぱっと腕を伸ばして俺の背に回した。思いの外、強い力がかかり、俺の頭部は彼女の肩に載る。しかし、今の俺に彼女を抱き締めるだけの余力はない。だらんと腕を下げたまま、俺はしゃっくりを繰り返した。
いっそここから飛び降りてやろうか。そうすれば、少女たちの因縁を生んだ犯人、すなわち俺を殺すことができるし、何もかもが終わりになる。俺はそっと少女を押し退け、立ち上がって梯子から床面を見下ろした。十分、死ねる。
その時だった。俺の脳裏にあの言葉がよぎったのは。
『生命は、繋いでいくものだから』――。アミの台詞だ。どうして今、この瞬間に思い出したのだろう。
アミのことを忘れたくない。そんな想いがそうさせたのか。
不安げに俺の背中を見つめていた少女に向かい、俺はそっと手を差し伸べた。
「ついて来るか?」
少女は大きく頷いた。そっと引き下がり、目線だけで扉の方へと俺を促す。
「下手をすると、外は酸性雨の雨かもしれない。死ぬぞ」
それでも少女は目を逸らそうとはしなかった。これほど強い目をした人間に出会ったのは、俺は初めてだった。そして最後になるかもしれない。
「じゃあ……」
俺はゆっくりと手を伸ばし、ノブを握って、肩で扉を押しながらゆっくりと外気に触れてみた。
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