月下の兵士に讃美歌を
岩井喬
第1話【第一章】
「諸君、まずはこれを見てくれ」
上官がそう呼びかけた。スティーヴ大佐だ。俺たちは一様に顔を上げ、お世辞にも広いとは言えないスペースで二次元映像に見入る。映像は、まさにその戦端が開かれたところから始まった。
《目標、十二時方向! 集中砲火!》
ノイズ混じりの大声に、銃声が入り乱れる。ひどいブレ具合だ。どうやらヘルメットに横付けされたカメラの映像らしい。
時間は夜間。たまたま映り込んだ月光が、それを示してくれている。
俺の前席で観ていた兵士が、ごくりと唾を飲む。
《そのまま押し込め! 手榴弾の使用を許可する!》
《隊長、三時方向に敵! 新たな『クリーチャー』です!》
《右翼、第二目標を駆逐せよ! 左翼は俺と一緒に第一目標を――ぐわあああああ!》
《たっ、隊長―――!!》
手前から奥、すなわち腹部から背中へと鎌で貫かれた兵士が、無惨にも放られる。あれが隊長だったらしい。その奥から現れたのは、体高二メートルはあると思しきカマキリのような怪物だった。
《よくも隊長を!》
カメラを搭載したヘルメットを装備した兵士が、重火器をそちらに向ける。彼は、両手持ちにした大口径機関銃をカマキリに向けた。けたたましい銃声が響き渡り、カマキリの頭部がぐちゃぐちゃになっていく。次いで投げつけられた手榴弾が、カマキリの足を吹き飛ばし、透明な体液を飛散させる。
しかし、ここで俺は悟った。この小隊はすぐさま全滅する、と。
遅い。兵士の動きの一つ一つが、あまりにも遅い。機関銃の狙いが定まるまでの数秒間。その間に、第二目標である巨大なネズミのクリーチャーは、二、三の兵士の胴を食いちぎっていた。
《畜生!》
バルルルルルルッ、と重苦しい銃声が轟き、ネズミは一瞬にして血みどろになる。だが、身体を捻って頭部を守ったネズミは、今度は鋭利な爪を振るった。無暗に近づいた兵士の首が飛ぶ。
その時、今俺たちがいるキャビンのどこかで、ひっ、という短い悲鳴が上がった。なんなんだこいつらは? それでも兵士か?
俺はこのキャビン全体に響き渡るようなため息をついた。
そんな中でも、映像は進んでいる。どうやら小隊はネズミを追い払うには成功したようだ。
だが、当然安堵するには至らない。
《副隊長! 我々は包囲されています! 早急に撤退を!》
《馬鹿、隊長たちの死を無駄にする気か!》
つくづく呆れた小隊だ。キャビンの窓際に座っていた俺は、あたりを憚りもせず窓枠に肘をついた。
映像には、人間大のクモや四対の足を持つ大トカゲ、さらには拳大のハチの群れが入り込んでいた。同時に、のそのそと銃口を向ける兵士たちの姿も。
《くそっ、くそっ! う、うあ!?》
《おい、通信兵! 支援要請! 支援要請だ!》
《了解! こちら01、クリーチャーに包囲された! 支援部隊を――ぐぼっ!?》
クモに掴みかかられ、トカゲに踏みつけられ、ハチの群れに覆われながら、映像と音声は続いていく。
かと思っていたら、唐突に音声だけが消えた。マイクがいかれたのか。キャビン内には、鑑賞者たちの荒い息遣いが反響する。
さて映像はといえば、まだ続いている。しかし、完全に固定されていた。そうか。この兵士はクリーチャーに倒され、内臓に損傷を被って動けなくなったのだろう。さしずめトカゲの尾にでも打たれたのか。
横倒しになった映像の中で、あっという間に小隊はその人数を減らしていく。やがてホラー映画さながらに、カメラの上方から赤黒い液体が垂れてきた。
そこでスティーヴ大佐は、『映像停止』と一言。ちょうど画面全体が真っ暗になったところだ。そして続けざまにこう言った。
「これが、諸君らの相手となる敵の一種、クリーチャーだ」
そんなこと、とっくの昔に知っている。何を今更。俺はまたため息をつきそうになるのをなんとか堪えた。
しかし、そんなゆとりを持って映像を見つめていたのは俺だけだったらしい。互いに目配せしたり、何かを呟いたりしている連中がほとんど。誰も小便を漏らしてなければいいのだが。
「もう一つの脅威、『ジャンク』については口頭で説明する。心して聞いてくれ」
ちらりとこちらに視線を投げた上官に向かって、俺は肩を竦めてみせた。仕方ない。ありがたく拝聴しよう。だが、その前に。
俺はもう一度、肘から先を窓に着いて、そこにあるものを見つめた。
黒い空間に浮かぶ、灰色とショッキングピンクに染め上げられた、気色の悪い球体。吐き気すら覚えさせるような、排他性を帯びた姿。
まさかこれが、かつて俺たちの祖先が生命を繋いできた惑星の成れの果てだとは、俄かに信じ難い。
かつては青かったとか、木々は緑色だったとか、雨は地に恵みをもたらすものだったとか。
聞き及んでいた事実を総動員しても、この球体が『地球』であることを、俺は信じ切れずにいた。
沈鬱な俺の態度を咎めるでもなく、上官であるスティーヴ・ドウェイン大佐は説明を続ける。俺、キョウ・タカキ准尉は、防弾ベストの腰ポケットに忍ばせた小型の情報チップをそっと握りしめた。
※
事の始まりは、約五十年ほど前になる。某国がかつての仮想敵国と緊張状態に陥り、生物兵器を使用した。細菌によって多臓器不全を引き起こす、という代物だった『つもり』らしい。
『つもり』と言っているのは、実際にその兵器はまともに機能しなかったからだ。世界中に広まっていく細菌。だが、その影響を受けたのは、開発段階で標的にされた人類ではない。人類『以外の』動植物だ。
巨大化や奇形化を成した生物群は、一斉にその牙を人類に向けた。月と火星、それに周囲のスペースコロニーに人類の大半が移住していたのは、まさに不幸中の幸いというべきだろう。逆に言えば、地球に残っていた人類の約半数が、この生物『クリーチャー』たちによって命を奪われたという。
この事態に、流石に月や火星、コロニーに住んでいた人々も、状況を看過することはできなくなった。そこで科学者たちは、その技術力を存分に発揮し、クリーチャー殲滅のためのロボット兵器を開発した。
元々なんと呼ばれていたかは知ったことではない。だが、地球上のクリーチャーが人類、すなわち人間を目の仇にしているのは明らかだった。
そこで、開発は人型のロボット兵器ということになった。
火星から超大型宇宙船団十二隻が発進した。それらの宇宙船は、地球の周回軌道から目標地点まで降下し、着陸と同時にロボットの製造プラントを展開する。つまり、地球上の十二ヶ所で、対クリーチャー用のロボット軍団が組織されることになるはずだった。
しかしその目論見は、見事に外れた。否、より状況を悪化させることとなった。
科学者たちの誰もが、見落としていたのだ。人体に影響のないほど希薄化した細菌兵器のことを。そしてそれが、ロボットの鋭敏なセンサーをお釈迦にしてしまうという可能性を。
ロボットに搭載されていた戦闘用AIから駆動制御装置に至るまでが、完全に狂ってしまった。それは、地球に残された人類にとって、自分たちもロボットの殲滅目標にされる、という悪夢を意味する。こうしてロボット兵器群は、総称して『ジャンク』となった。
こうなってしまっては、もはや生身の人間が地球に乗り込み、『クリーチャー』『ジャンク』を抹殺する以外に方法はない。こうして、細々とした地球への帰還が開始されることとなった。
これが、幾度となく上官に聞かされてきたジャンクの正体と、わざわざ生身の人間が戦地に向かう理由だ。
「諸君らはこの『グリーン・バック作戦』第16次殲滅部隊となる。全員が再びここで、誰一人欠けることなく顔を会わせることはもはやないだろう。間もなくこの宇宙船は大気圏に突入し、諸君らを目的の降下ポイントまで送り届ける。この気色悪い大気の下は、酸性雨の嵐だ。迂闊に外に出るなよ」
俺はふっと脱力し、シートに背中を押しつけた。こんな余裕を持っていられる人間は俺と、ああ、スティーヴ大佐くらいか。
《大気圏突破、シールドを格納。大気圏内での航行に移行します》
キャビンの四隅のスピーカーから告げられる。
外は酷い嵐だった。雷雨の中に突っ込んでしまったようで、対腐食用のガラスが猛烈な勢いで叩かれる。
始めは落雷に怯えていた兵士たち。連中がようやく慣れてきた頃には、既に第一班の降下が始まるところだった。小型の航空機がゆっくり離脱し、酸性雨を弾きながら四方八方に向かって飛んでいく。
《第十二班、降下準備》
「第十二班、準備よし」
我ながら淡々と、俺はそう告げた。俺が搭乗しているのは、他の航空機ではない。降下カプセルだ。俺一人だけで横たわっている。
カウントダウンは省略され、ガタン、という離脱音を伴って、俺の身体は目標地点へと運ばれていった。そんな中で俺が意識したのは、ずっと握りっぱなしだった情報チップの安全だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます