第11話

 そこにいたのは、上階から見たままの姿のワニだった。体長は約八メートル。ここまで肥大化したのは細菌兵器による影響だろう。四本の足に加え、三本の足が脇腹から飛び出し、ぶら下がっている。

 何より強いインパクトを抱かせるのは、双頭の頭部だ。綺麗に二股に分かれており、目、鼻、牙のいずれもが整然としている。


「行くぞ、アミ!」

「おう!」


 俺たちは互いを突き飛ばすようにして、左右に展開した。こちらから見て、俺が右翼、アミが左翼だ。相打ちを防ぐため、慎重に互いの距離を見計りながら弾丸と手裏剣を浴びせる。

 ここで思いがけず、手裏剣の弱点が露わになった。俺が拳銃に込めている特殊弾頭とは違い、純然たる物理兵器である手裏剣。これはあっさり、ワニの装甲に弾かれてしまったのだ。


「チッ!」


 アミが舌打ちし、日本刀を抜刀する。ワニはと言えば、最初は双頭を俺、アミにそれぞれ向けていたが、まずはアミを仕留めにかかるようだ。首を左翼に巡らせている。


「アミ! 狙われてるぞ!」


 しかし、


「キョウ、避けろ!」

「え?」


 怒声を上げたのはアミの方だった。ワニは方向転換する、と見せかけて、右翼にいる俺に向かって思いっきり尾を振るったのだ。


 今度は俺が舌打ちをする番だった。風圧に流されるがままに、サイドステップしつつ倒れ込む。が、尾の先端が微かに俺の額を掠めた。ピッ、と僅かに真っ赤な鮮血が舞う。

 俺は自分を落ち着けようと試みた。額は人体の中でも、出血しやすい場所だ。逆に言えば、出血してもそれは致命傷とは言えない。

 俺は、まだ戦える。


 その僅かな間に、ワニはアミに向かって飛びかかった。双頭の顎をどちらも大きく開き、アミを食いちぎらんとする。


「ふっ!」


 アミはサイドステップを繰り返し、ワニの噛みつきを回避。しかし、アミが一瞬前にいた場所は、煙に巻かれてしまった。構造物の材質であるコンクリートが、ワニの牙によって噛み砕かれたのだ。

 既に抜刀していたアミは、大きく跳躍して、ワニがいるであろう場所を斬りつけた。ガシャン、と妙な音がする。煙が晴れていくと同時、真っ直ぐに赤い液体が噴出する。


「アミ! 大丈夫か!」


 ワニの狙いをこちらに向けさせるためにも、俺はわざと大声を発した。

 果たして、アミは無事だった。しかし、刀を握っていない。再び呼びかけようとした俺を、アミは手を伸ばして制した。

 距離を取ったアミから視線をずらすと、ワニの双頭のうち片方が、鼻先から顎の下までを日本刀で貫通されていた。ちょうど縫い合わされたように。

 甲高い声で咆哮するワニ。今度こそ、こちらに注意を向けさせよう。いくら皮膚が硬質でも、近づいてイヴを撃ち込めばまだ勝機はある。


 ワニはグオオオッ、と低い声で唸り、今度こそこちらに顔を向けた。といっても、無事な方だけだが。俺はアダムとイヴ、その両方でワニの瞳を狙いながら発砲・挑発を繰り返す。流石に目障りだったのだろう、身体全体で俺の方に向き直るワニ。


 そうだ。こっちだ化け物。もう少しこっちに寄って来い。俺は弾の切れたイヴをホルスターに戻し、その左手で手榴弾を手に取った。

 グワアァァァア!

 大口から粘液を滴らせ、無事な方の頭部でこちらに突進してくる。俺はサイドステップしながら、その口内に『それ』を投げ込んだ。同時に柱の陰に身を隠す。


 びたり、びたりと音がする。ワニはこちらに向かってきている。自分の口に何を放り込まれたかも知らないで。

 ミシリ、と音がする。ワニが後ろ足を曲げて、床面にひびを入れたのだ。跳びかかってくるつもりか。その前に起爆してくれれば――。


 その直後、すなわちワニが跳躍する直前に、未だかつてないグロテスクな爆発音が響き渡った。ぐちゃり、とワニの頭部が肉片となって飛び散り、俺の足元にも眼球が転がってくる。

 俺は油断せずに、柱から柱に移動しながら敵を値踏みする。

 口内で爆発した『それ』、すなわち手榴弾は、ワニの左頭部を見事に消し去っていた。喉元から胃袋に至る臓器が露出している。これなら、直接体内に弾丸を撃ち込める。

 そう思った俺が、両手に拳銃を握らせながら飛び出した、その時。


「な、なんだ!?」


 ワニは、先ほど俺たちが入ってきた非常口に猛突進。アミも軽々と回避するが、このクリーチャーは一体何をするつもりなのか。

 すると、開かれた鉄扉をバチリ、と封印し、周辺の壁に爪を立ててあたりを瓦礫の山にしてしまった。


「あ、あの野郎!」


 激昂したのはアミだ。レーザー砲は、扉の向こうに置きっぱなしだったのだ。俺はプールの周りをぐるりと回ってアミと合流した。


「アミ! レーザー砲だが……」

「使えねえだろうが! ここにねえんだから!」

「落ち着け!」


 俺はアミの両手を掴み、ぐいっと引き下げた。


「俺の特殊弾頭が効いてきたら、奴の動きは相当鈍るはずだ。そうしたら、瓦礫を手榴弾でふっ飛ばすから、その間にお前はレーザー砲を取って来い」

「その特殊弾頭があいつの中枢神経を冒すまで、どのくらいかかる?」

「奴は巨体だからな。ざっと五、六分といったところだろう。それまで攪乱するんだ。やれるか?」

「やるしかないんでしょ」


 アミはふっとため息をつき、ふっと視線をワニに戻した。


「いいよ。やってやる」

「決まりだな。下がれ!」


 軽くアミの肩を叩きながら、俺は壁にへばりついたワニに向かって銃撃した。狙いはもちろん、露出した臓器群。クリーチャーの体内など、誰も解析したことはない。しかし、どこが何を司っているか、ここまで臓器が丸見えであれば、誰でもわかるというものだ。

 俺が狙ったのは、肝臓と腎臓と思しき臓器だ。本当なら心臓をぶち抜いてやりたいところだが、まだその類が見当たらない。プールの周囲を駆けながら、リロードした二丁拳銃を連射。綺麗に狙った臓器に吸い込まれていく弾丸。


 だが、ここで思わぬ事態が発生した。俺たちの逃げ道を封じたワニが、勢いよく振り返ったのだ。そのままプールの中へと、盛大な水飛沫を立てて跳び込む。


「こいつッ!」


 目くらましのつもりか。汚水が押し寄せ、俺とアミは慌てて距離を取る。見る見るうちにプールは真っ赤に染まっていく――と、思いきや。

 流石にあれほどの血飛沫を上げ、肉片を飛散させたのだから、ワニとて無事ではあるまい。だが、それにしては出血が少ない。


「まさか!」


 柱の陰からそっと覗き込むと、のろのろとワニが這い上がってくるところだった。そして先ほどの手榴弾による傷口は、新たな鱗で覆われつつあった。目に見える速さで。

 それを防がんとして、俺はイヴを臓器に向かって連射。だが、敵の体内に滑り込んだのは最初の二発のみ。残り四発は、新しい鱗に貼りつくように弾頭が潰れてしまった。まあ、それが正しい使い方なのだが。


 俺は今日何度目かの舌打ちをしてイヴをリロード。再び銃口をワニに向ける。だが、この特殊弾頭による効果はまだ現れないのか。特殊弾頭の毒素に免疫を持ったクリーチャーなど、聞いたことがない。

 再び銃撃を開始した。そこをどけ、化け物め。残弾が気にかかり始めた時、この期に及んで、ようやく毒素による効果が目に見え始めた。鱗がめくり上がり、ちょうど水を振り払う犬のような挙動を取る。

 もう少し。もう少しでレーザー砲が手に入る。そうすれば、高出力の光線をこいつのどてっ腹にぶちこんでやれる。


 イヴの弾丸が切れ、やむを得ずアダムを抜いた、その時だった。


「いい加減どけやあああああああ!」

「あっ、おいアミ!」


 痺れを切らしたアミが、残り一本の日本刀を手に駆け出した。人間業とは思えない、半ば跳躍を挟んだ急接近。


「はっ、ほっ、とっ、はあ!」


 アミはワニに致命傷を与えるのではなく、零距離で気を引こうとしている。


「危険だ、アミ!」

「何を今更!」


 すると、ようやくワニの注意がアミへと向いた。


「やれ、キョウ!」

「分かったよ!」


 流石に刀で傷つけられては、ワニも応戦せざるを得ない。その隙に、俺は手榴弾をまとめて二個、ピンを抜いて投擲した。ズズン、と足元が揺れた。ワニは堪らず身を翻す。その隙に、残りの爆風が瓦礫を綺麗に消し飛ばした。


「アミ、無事か!」

「ああ!」


 俺は身を屈めながら叫んだ。


「今だ、レーザー砲を喰らわせろ!」

「分かってる!」


 すぐそばで立ち上がったアミに対し、化け物は残った腕を振りかぶろうとする。が、アミは振り向きもせずにそれらを回避、レーザー砲を拾い上げ、肩に担いだ。


 俺は思いっきり横っ飛びし、倒れ込んだ。次の瞬間、ゴゥッ、という嵐のような音を立てて、レーザー砲の輝きがこの階層を照らし尽くした。

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