第5話
俺が腕時計を取り出し、確認すると、既に時間は午後十一時を回っていた。だいぶ遅くなった。うっかりしていた、としか言いようがない。
今の地球で、時計を使わずに時刻を判断することは極めて困難だ。
今日の場合は、ずっと地下のフロアにいたから問題なかった。しかし、外に出たからといって時刻の判断できるか、と言われればそうでもない。
そもそも、外に出ることが困難だ。出るには強烈な酸性雨の制裁を免れるための装備が要る。俺がここに不時着するのに使ったカプセルのような。
また、カプセル内から外を見上げても、視界いっぱいに広がるのは重厚な雷雲だ。雲から雲へ、あるいは地上へと落ちてくる雷は、真昼の日光より遥かに眩しい。
昼夜を確かめるには、なんとか雲の切れ間を見つけ、見上げるしかない。月でも出ていればまだ確かめようがあるが、そこまでして目測で時刻を知りたがるほどの物好きはいないだろう。
宇宙船から見えたショッキングピンクの色彩は、主に植物や海洋プランクトンのものだ。酸性雨に耐え、クリーチャーの捕食を逃れ、効率よく養分を摂取するために生まれた、異形の生態系の象徴。
植物たちは、日光が遮断されたことで、光合成に頼れなくなった。葉は光合成のためでなく、植物本体を守るために使われることとなったのだ。葉緑体が耐酸性雨の成分に置き換わる過程で、現在の色彩が生まれたらしい。
代わりに根から摂取するのが主な養分となるが、それも決してクリーンなものであるとは言い難い。結局、成るようになった、というか成るようにしかならなかった。
人類がこの星を捨てた、という一般認識。それを、俺は常々誤りだと思ってきたし、今もそうだ。
人類が地球を捨てたのではない。人類が地球に捨てられたのだ。
それでもまだ、数十億の人口が月、火星、スペースコロニーに点在しているところを見るに、人類というのは植物群よりも粘り強い生物であるようだ。
などなど考えが脱線しまくった挙句、時刻は既に、日付を跨いでしまった。
ユウはと言えば、未だに上機嫌で歌いながら舞っている。
「ユウ、エネルギーパックの残量を確認しろ。天候によっては、電気が来なくなるかもしれない。充電はこまめにしておけ」
《えーっ、お説教?》
「生き残るための注意事項だ」
むすっと頬を膨らませる、ユウの姿をしたホログラム。だが、次に発せられた言葉は、俺の胸を強打した。
《私は生きているのかどうかも分からないのに?》
一言。そのたった一言が、強烈なボディブローとなって俺の胸部を直撃したのだ。肋骨が粉砕され、心臓を握り潰されたかのような錯覚に陥る。
「くっ……」
俺はちょうど土下座をするような格好で、両手を床に着き、頭を抱えた。
《あ、あれ? どうしたの、お兄ちゃん?》
「……」
《お兄ちゃん?》
「いや、何でもない。悪いな、ユウ」
《何が?》
「何? 何って言われてもな……」
上体を起こしながら、俺は返答に窮した。自然と首が傾ぐ。
謝りたいと思うことはたくさんある。同じくらい、仕方なかったのだと語る言い訳もある。
無論、今まで、そしてこれからも、戦っていかなければならないという決意も。
それらがごた混ぜになって、言葉にならない。かと言って、感情的に涙がせり上がってくる感覚もない。
もしかしたら、俺の存在意義というものも、その実体は宙ぶらりんなのかもしれない。
などなど考えたが、今回の黙考は一瞬のことだった。それだけ深く、俺の心に刻みつけられているともいえる。
「とにかく、今日はもう寝ろ」
気の抜けた、吐息にも劣る声音で俺はユウに促した。それを受けて、ユウも素直に従う気になったらしい。俺が顔を上げた時には、立体映像も音声も、一般照明以外の電器は全てダウンしていた。
「お兄ちゃん」
ギシギシと、ジャンクの近づいてくる音がする。ユウの意識はジャンクに戻ったらしい。
「ああ、ユウ、ケーブルを出せるか? 外部電源に接続するから。俺は寝る。お前も今日はもう自分をスリープモードにしておけ」
「分かった」
嫌に素直だ。それほど俺は惨めに見えたのだろうか。
「じゃあね、お兄ちゃん」
そう言いながら、ユウは体操座りをして項垂れた。スリープモードに入ったのだ。静まり返るフロア。
初の実戦があったにも関わらず、それについての感慨は、意外なほど薄まっていた。そんなことより、ユウは一体、何者になってしまったのだろうか。そればかりが気にかかっていた。
※
翌朝。
ユウお手製のチャーハンをかき込み、俺は再び地下一階に踏み込んでいた。カブトムシの死骸はその骨格こそ残っていたものの、内部の臓器や神経が溶けて流出していた。ひどい腐臭だが、昨日の段階でもう慣れた。
アダムの銃口を先行させながら、俺は歩を進めていく。昨日、あれだけドンパチをやったのだから、クリーチャーが残っていればその痕跡くらいは残しそうなものだ。が、そんな類は一切見受けられない。
「ふっ!」
最奥部、トイレの最後の扉を蹴り開け、何もないことを確かめてから、俺は大きなため息をついた。一旦帰投し、スティーヴ大佐に報告を入れるべきだろう。
そう考えて、俺が来た道を引き帰そうとした、その時だった。
「……?」
息を止め、耳を澄ます。銃口を下げ、壁に沿いながら素早く移動。何らかの違和感があると、俺の第六感が叫んでいる。それは聴覚が捉えた違和感だった。
そう気づく間に、俺は階段まで引き帰していた。違和感が湧いてくるのは、どうやら下方、地下二階からのようだ。一度大きく息を飲み、再度耳を澄ますと――。
ギシン、ギシン、ギシン、ギシン――。
俺はすぐに音の正体に気づいた。ジャンクだ。複数のジャンクが起動し、地下二階を歩き回っている。階段を上ってくる気配はないが、この構造物に存在する以上、殲滅しなければなるまい。
俺は手持ちの武器を確認した。アダムとイヴの弾丸は十分ある。手榴弾は、標準とされている四個。使い道はないだろうが、一応コンバットナイフも所持している。
報告は後回しだ。まずは、地下二階を制圧しよう。俺はゆっくりと、降りる階段に足をかけた。
地下一階同様、地下二階もまた淡く照明が点いていた。ジャンクの数は、足音からして三、四機。標準型であれば、単発式小銃を所持しているはずだ。
ふと、昨日のユウの姿が被ったように見えたので、俺は慌ててかぶりを振った。
あいつらはジャンクだ、ユウじゃない。魂なんか込められていないんだ。
短く息を吸って、俺は最寄りのジャンクの頭部にアダムの狙いをつけた。
バン、と一発を見舞う。一撃で頭部、すなわち光学センサーを潰した。
次に起こる事象は二つ。
一つ目は、ジャンクが索敵方法を変えること。光学センサーが駄目なら熱線追尾センサーで、というわけだ。切り替えにかかる時間は、およそ三十秒。
二つ目は、今の銃声に気づいた残りのジャンクが、敵襲を察知すること。まずは光学センサーで、俺の姿を捜しに来るだろう。
俺は極力音を立てずに、狙撃したジャンクに接近した。完全に動きを停止し、センサーの切り替えを行っている。
俺はジャンクの首を肘裏で掴み込み、最も細い駆動部を思いっきり捻った。バチッと音がして、すぐさま首がもげる。電光が走ったが問題はない。絶縁素材の手袋をはめておいたのは正解だ。
ジャンク共は、量産性を重視するあまり、ところどころに脆弱なパーツがある。そしてそれらがどこなのか、俺は完璧に頭に叩き込んでいる。
だが、それでも問題があった。アダムもイヴも、対クリーチャー用の兵器だ。通常の弾丸を使っても、それでどれだけジャンクの装甲を破れるかは定かでない。
俺はそっとジャンクの首なし死体を横たえ、握られていた単発式小銃を奪った。拳銃よりは破壊力があるはずだ。
俺は思いっきりジャンクの残骸を蹴飛ばした。甲高い金属音がグシャグシャと響き渡る。その音に紛れて、最寄りのカウンターの陰に滑り込む。そこから頭と小銃だけを出して、ジャンクの駆動音のする方に目を遣った。
視界に入ってきたジャンクは――三機。内心舌打ちする。いっぺんに狙撃するのは困難だ。と、いうことは。
俺は一旦頭を引っ込め、小銃を単発からフルオートに設定し直した。ジャンクの足音から、大まかな位置を割り出す。そして勢いよくカウンターから上半身を乗り出した。
最も近いジャンクに狙いを定め、その頭部から首筋にかけて弾丸を見舞った。
やはり拳銃の弾丸とは、『物理的な』威力が違う。ジャンクとやり合うには、こいつが適切かもしれない。
残る二機が、すかさずこちらに振り返る。俺はカウンターに身を潜め、銃弾の嵐をやり過ごしながら手榴弾のピンを抜いた。
三、二、一、零。
コロン、と向こうへ投げ出すと同時、俺は耳を塞いでうずくまった。
爆音が響き渡ったのは、まさにその直後のことだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます