第19話

「お兄ちゃん一人で行くつもりなの?」

「そうだ」


 俺は即答した。


「誰にも邪魔させないし、邪魔者がいれば殺す。それだけだ」

「待てよ、キョウ」


 慌ててアミが、俺の肩を掴んでくる。


「お前一人では、やれることが限られてるだろう? 特大のクリーチャーに出くわしたら? ジャンクの大群に囲まれたら? 対処できるのか?」

「できる」

「落ち着けって!」


 アミは俺の前に回り込み、両肩に手を載せた。


「いいかキョウ、お前は今、正気を失ってる。冷静じゃないんだ。いつものお前とは違うんだよ。そんなお前に単独行動させるなんて、あたしには――」


 俺は、アミにこれ以上喋らせることを許さなかった。

 逆にアミを引き寄せ、口づけするという行動で。


 沈黙ではない。静寂でもない。時が止まった。誰も息をしないし、頭の中は空っぽだ。

 俺は硬直したアミを引き離し、『好きにしろ』とだけ告げた。

 無音のフロアを後に、階段を降りていく。大方の敵は撃破したから、何者にも憚ることはない。カンカンカンカン、と、コンバットブーツが金属製の階段を叩く。


 その響きが乱れたのは、誰かが追いかけてきたからだ。俺は振り返りもせずに、踊り場で歩幅を縮める。するとぶつかってきたのは、思いの外柔らかな感触だった。


「独りにさせないで……。いえ、独りにならないで」


 俺はわけが分からなかったが、淡々と応答することにした。


「どういう意味だ、アミ?」

「今のキョウは危ない。次に何かと戦ったら絶対に死ぬ。だから、行かないで」

「行かなきゃユウの身体を元に戻してやれない。『行かない』という選択肢はない」

「じゃああたしを同行させて」


 俺は僅かに首を傾けた。清潔な甘い香りがする。


「……分かった」


 俺に言えるのはそこまでだった。


         ※


 俺たちは、地下十三階に降り立った。フロア全体が焦げ臭く、壁や床どころか天井までも真っ黒だ。地下十二階から投下した爆弾の威力を、改めて思い知らされる。

 スティーヴ大佐には、後で詫びねばなるまい。こんな若造に命令順守をさせられなかったとすれば、彼の面目は丸つぶれだ。ユウを救った後のことを考えれば、彼の目的にして人類の目的――クリーチャーとジャンクの殺戮を続けなければなるまい。


 地下十四階からは、未知の領域だ。が、動体反応も熱源反応もない。では地下十五階はと言えば、こちらはこちらでもぬけの殻だった。地下十六階も、十七階も。かつて人がいたことが察せられる諸々の痕跡はあるが、クリーチャーもジャンクも、その姿は見せない。


 これは推測だが、クリーチャーとて生き物だ。じっと地下にこもっていては、栄養源を捕食できない。あまりにも深いところで生活する、ということは考えづらい。

 また、ジャンクも自分たちの存在と意志を示すために、ある程度人間の降りてきやすいところにいる必要があった。だから、ここから先にはいないのだ。


 俺たちは、実に呆気なく地下二十階へ到達した。ここが、生物兵器の研究施設か。俺は警戒心もなく、アダムだけをすぐ抜けるようにホルスターに手を遣りながら、短い廊下を渡った。アミもついて来る。


「ユウ」

《……》

「おいユウ、聞こえてるんだろう?」


 すると何の返答もなく、ドアがスライドした。『関係者以外立ち入り禁止』の立体表示が虚しく舞っている。

 次に俺が口にするであろう言葉を、ユウは先取りした。照明を点けたのだ。礼を述べる気にもなれず、俺はぶらぶらと入っていく。後方警戒中のアミとはえらい違いだ。


 ユウが叫んだのは、それから二十秒ほど経ってからのことだった。


《二人共伏せて!》


 すると俺よりも早く殺気に気づいたのか、アミはドン、と俺を突き飛ばしてから、抜刀した。

 なんだ? 銃撃を受けるのなら、アミとてしゃがみ込んでやり過ごすはずだが。

 闘争本能がやや復旧した俺の目には、しかし、とんでもない光景が飛び込んできた。

 アミが二刀流で、凄まじい勢いで刀を振るっていたのだ。目にも留まらぬ速さとはこのことか。きっと敵の初撃は壁を破ることだ、と察したアミは、砕けた壁面の破片を弾きまくっていた。


 言葉もない俺の前で、アミはようやく腕を止めた。僅かに汗をかいている。どう考えても、アミの連続斬りは人間業ではなかった。

 

 もしかしたら。


「アミ、お前は――」

「待て!」


 アミは振り返りもせず叫んだ。


「それ以上は、言わないでくれ」


 すると無理やり息を飲むような音がして、


「分かった」


 と一言。

 そうか。アミは、やはり、もしかしたら。だとすれば、もうしばらく彼女の挙動を見張る必要があるな。

 その時の俺には、アミをミキと重ね合わせて見つめるだけの余裕はなかった。


 こちらに背を向けるアミの姿。それがぼんやりと、輪郭がどんどん曖昧になっていく。

 そうか。もし俺の勘が当たっていたとすれば。

 アミは俺にとって、一体何なのだろう。一時期恋慕の念を抱いたとしても、俺の『悪い勘』が当たってしまっていたら。俺は、自部の四肢の先が固まってしまうような錯覚を覚えた。


《二人共、お互いの背後を守って! あとは私が片づける!》


 ユウの言葉が、一気に俺を現実に引き戻す。反射的に動いた両腕が、アダムとイヴをホルスターから引き抜く。だが、次にマズルフラッシュが瞬いたのは、俺の相棒からではなかった。


「なんだ!?」


 アミが困惑の声を上げる。俺はユウの指示に従い、自分の目先に注意を傾けた。

俺の前方でも、同じような現象が起こっている。対テロリスト用に壁、床、天井に仕込まれていた小銃が、互いを撃ち合っている。

 ピッ、と跳弾が俺の耳たぶを掠めた。


「アミ、今は伏せろ!」

「了解!」


 さっと互いの背を突き飛ばすようにして伏せる俺とアミ。だが、その時俺には見えてしまった。アミの肩を、銃弾が掠めるのを。いや、それだけでは問題はない。

 問題は、アミの肩から僅かに散った血飛沫が、真っ黒だったことだ。


 当然、人間の血は赤い。ただ、静脈血はそもそも黒っぽいし、ここが暗い部屋だということもあって、アミの血が黒に見えてしまったとしてもおかしくはない。

 だが、もしその血が黒いものだったとしたら。そこから導き出される結論は一つ。『アミは人間ではない』。


 銃撃が終わるまでの間に、俺はそこまで考えを巡らせていた。


「アミ、大丈夫か?」

「ああ、無事だ!」


 声音からして、ごくごく軽傷のようだ。


《二人共、大丈夫?》

「ユウ、一体何をしたんだ?」


 俺は半ば怒鳴るように声を張り上げた。


《地下二十階の防衛装備に相討ちをさせたの。ハッキングに少し時間がかかったけど》

「お前……!」

《お兄ちゃん、怪我はなかったでしょう?》

「そう言う問題じゃねえ!!」


 俺は喉を張り裂かんばかりの勢いで、天井を見上げて叫んだ。


「俺がどれだけ怖い思いをしているのか、お前は分かっているのか? この建物の制圧任務にあたってから、確かにお前は俺を助けてくれた。何度もだ。だが、その度にお前はこの建物の設備をハッキングして、それを自分の意志で動かしている。それは、お前自身が機械に取り込まれていってしまうことにはならないか? 生身の身体から遠ざかることにはならないか? それが俺は怖いんだよ!!」


 俺が口上を終えてから、しばしの時間が経過した。胸が苦しい。息ができない。早く、早く返事をしてくれ、ユウ。『そんなことはないよ』と。『私も元の身体に戻りたいんだよ』と。

 だが、聞こえてきたのはユウの声ではなく、一種の冷やかさを備えた機械音声だった。


《爆砕ボルトを点火します。すぐにここから退去してください。繰り返します――》


 いつの間にか俯いていた俺は、また天井を見上げた。


「ど、どういうことだ、ユウ!?」


 だが、ユウは本気の気配だ。見えないのに気配もなにもあったものではないが、そこは家族としての意志疎通のようなものがあったのだと思う。


 その時になって、ようやく俺は後悔の念に囚われた。

 今、ユウの電子チップは、最上階フロアのジャンクに搭載されている。そこからなら、いくらでもユウは俺たちに干渉できる。

 迂闊だった。まずは地下の安全を確認してから、すぐに電子チップをユウの生身の身体に搭載させてやる計画だったのに。まさか、ユウの身体を取り戻すための計画が、ユウ自身の手によって妨害されるとは思わなかった。


「何故だ? どうしてこんなことをするんだ、ユウ!」

「喚いてる場合か!」


 俺は後ろ襟を思いっきり掴まれた。アミだ。


「ここからでは操作できないんだろう? 早く隠れろ! 爆死したいのか!」


 後ろからアミに羽交い絞めにされながらも、俺はユウの名を呼び続けた。乱暴に投げ込まれる、俺の身体。そこはちょうど、穴の開いた壁の反対側だった。

 アミが飛び込んできた直後、ズドン、ズドンという音が断続的に響き渡ってきた。

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