第20話
爆音が止んでから、しばしの時間が経過した。へたりこんだ俺のそばでは、アミがすぐに抜刀できる体勢で向こうを覗き込んでいる。
「キョウ、どうやら爆破は終わったようだ。偵察に出る」
「待て。俺も行く」
俺は立ち上がろうとして、ふらり、とバランスを崩した。
「おい、キョウ! 大丈夫か!」
叱責するような口調でアミが言う。
「お前はここに残れ。あたしだけで行ってくる。下手に動くなよ、今のお前はとても戦えな――」
「うあああああああ!!」
全く唐突に、俺は雄叫びを上げた。立てた膝の間に頭を入れ、ヘッドセットを放り投げて、髪を掻きむしる。
「くそっ! くそっ! くそおおおおおおお!!」
「ちょ、キョウ?」
アミが身を翻し、さっと俺の肩に手を載せた。その手を振り払い、俺は魂を吐き出すかのように五臓六腑を震わせる。
そんな馬鹿な。ユウは自分の身体を望んでいたはずだ。少なくとも、ここに来るまでは。
だが、ユウは変わってしまった。俺のピンチを救わんとして、機械との融合を試みている。
いったい何が、ユウを変えてしまったのか。これでは本末転倒ではないか。
《お兄ちゃん、聞こえる? お兄ちゃん?》
微かな声がした。俺が放り投げたヘッドセットから、声が響いてくる。
「ほら、キョウ!」
アミがヘッドセットを拾い上げ、俺の首にかけた。
《お兄ちゃんが、私のために戦ってくれたことには本当に感謝してる。でも、でもね、お兄ちゃん》
すっと息を吸うような気配がした。それから聞こえたのは、寒々とした、呼気が震えるような声。
《私はもう、死にたくないんだよ》
「……?」
俺はぼんやりと顔を上げた。何だ? ユウ、お前は何を言っている?
「ユウ、それはどういう意味だ?」
するとユウは、今までの我慢の鎖を引きちぎるようにして叫んだ。
《お兄ちゃんには分からないでしょう!? 私やお父さんやお母さんが、どれほど苦しんで死んでいったか!!》
俺は頭蓋を粉砕されるような感覚に陥った。
そうだ。ユウはもう、死んでいるのだ。俺の手元にあるのは、彼女の記憶。手に入れようとしているのは、ユウに似せて造られた人格のクローン。
クローンということは、ユウ本人とは別人だ。そんなことは百も承知でいるつもりだった。だが、クローンとはいえ、ユウの記憶や性格はここに――。
しかし、俺は決定的なことから目を逸らし続けてきた。『ユウ自身が』自分の身体を欲していたかどうか、ということだ。
俺は一体何をしてきたんだ? ユウのためだったと、胸を張って言えるか?
そんなわけ、ないじゃないか。少なくとも、ユウの本音を熟考したことはない。
ユウの怒涛の言葉の波は、まだまだ押し寄せてきた。
《お兄ちゃんが戦う覚悟をしてくれたから、私もずっと気にしていたんだよ? 『自分の生身の身体をもう一度手に入れたい』って、お兄ちゃんにはそう言ってきたよね》
ああそうだ。そうだとも。お前はいつも俺の行動にYESと答えてきた。だが――。
《でもねお兄ちゃん、私、もう人間には戻れない。だって、死にたくないんだもの! 二回もね!!》
その瞬間、確かに冷たい風が俺の頬を撫でた。そんな気がした。
俺には最早、冷静に言葉を理解する頭脳や理性はもちろん、揺さぶられる心すら残されていない。脳も心臓も、完全に破砕されてしまった。
俺は自分の信念を疑ってかかったことがあっただろうか?
ユウが何を望んでいるのか、膝を付き合わせて語り合ったことがあっただろうか?
そもそも、ユウが俺を頼っていたのではなく、俺がユウに縋りついていただけではないのか?
「おい、何を言ってるんだ、ユウ!」
俺に代わって、アミが叫んだ。
「こいつがどれほどお前のことを思っているか、分からないのか!?」
普段だったら、俺が『いいんだ、アミ』とでも言って制するところ。だが、今は身体が動かなかった。そもそも、生きている実感が湧かなかった。
ユウに言われた文言が、ガラスの破片のように散らばり、俺の胸に全方位から突き刺さる。
目眩がする。強烈な吐き気も。倦怠感は言うまでもない。今の俺には、自らを肯定するものが何も残されていない。ただ、見知らぬ荒野を彷徨うような絶望感だけが、俺がまだ存在していることを示している。
「なあキョウ、お前も言ってやれ! この親……じゃない、兄不孝者って!」
ざっとアミがひざまずき、俺の両肩を掴んで揺さぶる。
「おい、キョウ! キョウってば!」
視界が揺らいだ。頭がガクンガクンと前後左右に振れる。
そうか。これが絶望というものなのか。クリーチャーに追い詰められたのでも、ジャンクに包囲されたのでもない。希望が失われることこそが、真の絶望なのだ。
「キョウ? どうした? 返事をしろ、キョウ!」
アミの声で、俺は自分の瞼が落ちかけていることに気づいた。しかし時すでに遅く、俺の意識はすっと闇の向こうへと消え去っていった。
※
荒っぽい振動が背中を打つ。キリキリという摩擦音が時折鼓膜を震わせる。全身がどこかへ運ばれていく感覚。ここは、どこだ?
「ユウはどうやら軽くトチったみたいだな」
「……アミ?」
ゆっくり首を曲げると、アミの後ろ姿が目に入った。
ここはどこだ? アミは何をしている? 俺たちはどこへ向かっているんだ?
ひとまず俺は、自分の四肢・内臓が無事であることを確かめた。問題ない。
再びアミを見遣る。俺が気がついたことを、なんの確認もせずに声をかけてきたようだが、やはりそれは武人としての勘が為せる業だろうか。
よく見ると、アミは負傷していた。左腕全体に包帯を巻いている。軽傷ではあるようだが、ライダースーツの当該部分は千切れてしまったのだろう。
アミの先に見える光景や、身体に伝わってくる振動から、どうやら俺は自分たちが地下鉄に乗ったらしい、ということに気がついた。
そこでようやく、俺は会話を続けることを選択する。
「ユウがトチった? どういう意味だ?」
随分と掠れた声だったが、声は声だ。アミは『ああ、それな』と言ってから説明を始めた。
「この地下鉄の操縦系統を占有し忘れたってことさ」
ということは、その地下鉄に乗って俺たちが向かう先としては、
「第二研究施設に向かっているのか、俺たちは?」
「おう」
するとアミはこちらに振り返った。もう運行に人の手はいらないらしい。微かに左頬に切り傷を負っている。すぐ完治する程度のものだが。
アミはつかつかと俺に歩み寄り、しゃがみ込んだ。
「脱出成功だ。ここまでくれば、ユウの電子神経系統から逃れられる。もう一つの研究施設に行けるぞ」
俺はぼんやりと思考を巡らせた。
「それからどうするんだ」
「ユウの身体を培養する。それから電子チップを手に入れて、どうにか生体チップにデータを移し替える。電子チップのデータは、恐らく第二研究施設からでもダウンロードできるはずだ。最後に、それをユウの脳髄に取り込ませる。計画に変更はないだろう?」
確かに。いやしかし。
「ユウはそんなことを望んじゃいない。アミ、お前だって聞いただろう? ユウの声を。それに、本物のユウはもう死んでいるんだ。結局、ユウを生き返らせたかったのは俺のエゴで――」
直後、『げほっ』と俺は情けない声を上げた。アミが立ち上がり、軽く俺の頬を蹴ったのだ。
「何するんだよ?」
「やってみてから言うんだよ、そういうことは」
「やってみて、って……」
確かに、研究施設に行けば、ユウの身体を造ってやることはできるだろう。だがそれはユウが望んだことでは――いや、待てよ。
「まさかアミ、お前……!」
俺はがばりと上半身を起こした。
「やっと気づいたか」
やれやれと首を振るアミ。
「アミ、お前は俺がこれからやろうとしていることが、ユウのためにならなくてもいいと思ってるんだな? 俺のわがままでも構わない、と?」
「そうだ」
思ってもみなかった。そんな考え方があっただなんて。
普通なら、俺はアミに掴みかからんとするところだ。が、あまりの驚きと呆気なさに、指一本動かせないでいた。
しばしの間、俺はアミと視線を合わせたまま固まっていた。考えようによっては、アミは俺のわがままを受け入れようとしてくれているのだ。感謝しこそすれ、掴みかかろうとするのはお門違いだろう。
「アミ、俺は……」
そんな沈黙を破ったのは、大きく鈍い打撃音と、床面の傾くバランスの混乱だった。
「何だ!?」
「チッ、また奴らか!」
『奴ら』……? 俺はその正体を察することができずとも、クリーチャーでもジャンクでもない敵が迫っていることを確信した。『根拠は?』と尋ねられては困る。だが、連中はもっと上階にいたはずなのだ。ここまで追ってくるのは――人間か。
俺はホルスターが装備されているのを確認してから、ぐらつく床面の上でなんとか立ち上がった。しかし、
「ッ!」
向かって右から左へ、俺の身体は滑っていく。キリキリキリキリ、と地下鉄が強制停止する摩擦音が轟く。
俺は短く息をついて、うずくまるように身体を守った。
銃声はしなかった。爆発音もだ。その敵たる『人間』は、どうやって猛スピードで迫る地下鉄を止めたのか?
兎にも角にも、俺は車両からの脱出を試みた。
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