第7話
「ん?」
ミシリ、と足元から不吉な音がした。俺が足元を見下ろすと同時、ガタン、と音を響かせて、キャットウォークの一部が傾いた。ネジが落ちながら、壁にぶつかって高い音を立てる。
微かな振動が足の裏から伝わってきて、俺は自分が危険な場所にいることを悟った。
「ッ、冗談じゃねえぞ!」
そう呟いて、俺はがばっと振り返り、急いで引き帰した。もはやなりふり構わず猛ダッシュだ。カンカンカンカン、とコンバットブーツが金網を叩く。その間にも、足元は揺らいでくる。そして、ついに俺の足元は崩落を始めた。
「ふっ!」
俺は思いっきり膝を折り、斜めになった視界の中で跳躍を試みた。急に視界情報の流れがゆったりとしたものになる。
届け、届け、届け――!
「ぐっ!」
俺の指先は、辛うじて隣の金網状の足場を掴んだ。しかし、無事床に着いたのは右腕の肘から先だけ。俺の肩から下は、ぐわんぐわんと揺さぶられている。
左腕も足場にかけ、なんとかぶら下がっていると、周囲が急に騒がしくなった。
しまった。落下した足場が羽虫共を刺激してしまったらしい。
俺の足先を掠めるように、ヴン、ヴン、と空を斬る音がする。こんな体勢で襲われたらひとたまりもない。羽音はどんどんその厚みを増し、見下ろせば、すぐ近くで黒光りする影がこちらの様子を窺っているのが察せられた。
こいつらが俺のことを『敵』と認識するまで、もうそう時間はあるまい。俺は肩から腕にかけての筋肉をフル稼働させ、上半身を持ち上げた。
「はあっ!」
掛け声にも似た呼気と共に、全身を金網に載せた。息をつきながら、幅のある金網の足場の上で横転する。そして仰向けになりながら、拳銃二丁をホルスターから引き抜いた。
「ッ!」
見上げれば、羽虫はすぐそばにいた。内一匹が、俺が数秒前にいたところに向かって顎を突き出す。食いちぎるつもりだったのか。
俺はすぐさまアダムを連射。三発で一匹を仕留めた。しかしその頃には、羽虫は群れを成し、俺を狙って陣形を整えていた。
俺は再び両腕で身体を跳ね上げ、次々に迫ってくる顎、針、鉤爪などを回避。舞うように、とにかく羽虫たちの攻撃をかわしながら両手から発砲する。だが、これではキリがない。三百六十度を警戒し、矛先をあちこちに向けるものの、だんだん俺は追い詰められていく。
気づいた時には、俺の背は壁に押しつけられていた。
「くっ……」
ここまでか。あれだけ訓練を積んできたのに。あれだけ頭を使ってきたのに。そしてこれほど、ユウを想っているというのに。
だったら、せめて一匹でも多く、地獄へ道連れにしてやる。
イヴの銃口を最寄の羽虫に向けたのと、『それ』は同時に起こった。一瞬、視界が真っ白になったのだ。
俺は思わず、腕を目の前にかざした。
「なんだ!?」
ゆっくり目を開けると、視界の斜め左から右下にかけて、光線が一直線に走るところだった。その光線は、俺から見て手前から奥へと掃射され、触れた羽虫を一瞬で蒸発させていく。凄まじい威力だ。
俺を狙っていた羽虫共は、たちまち混乱に陥った。互いにぶつかったり、壁やキャットウォークに頭を打ちつけたりしている。
何が、誰があんな光線を放射したのか? いや、今はそんなことはいい。この機に乗じて、俺は拳銃二丁をリロードした。
頭部を狙えば、羽虫共はすぐに落とせる。俺は無駄弾を使わないよう、しかし素早く狙いをつけて、羽虫共の残党を葬っていった。続けて、手榴弾を二個、地下八階に向けて投げ込んだ。爆発音は、羽虫の飛散するグシャリ、という音が重なり合って聞こえなかった。
残る羽虫は五匹。よほど光線が眩しかったのか、その飛行はふらふらと覚束ない。俺がそちらに銃口を向けた、その時。
「!?」
光線が放たれていた方から、何者かが飛び降りた。
「お、おい!」
動揺のあまり、俺は手すりから身を乗り出して叫んでいた。一体何をするつもりなんだ、あいつは?
すると俺の疑問に答えるように、そいつの両脇に鋭利な輝きが現れた。あれは、日本刀だろうか。二刀流だ。ぎゅるり、と身を捻りながら抜刀したそいつは、真っ直ぐに羽虫へと急降下。目にも留まらぬ速さで、数匹を一撃で斬殺した。
それからの挙動にも感嘆させられた。そいつは空中で体勢を整え、反対側のキャットウォーク、地下七階の壁にぶつかるようにして着地したのだ。実にしなやかな受け身をもって。
しかし、ぼんやり眺めている場合ではなかった。残る一匹の羽虫が、体勢を整えきらないそいつに向かって突進したのだ。一矢報いるつもりだったのだろう。
俺は叫ぶ間もなくアダムの銃口を向けた。が、俺が引き金を引く直前、奇妙な現象が起こった。
羽虫が、空中で静止したのだ。
「なん、だ?」
俺は狙いをずらさずに首を傾げた。両断された羽虫の死骸が、地下八階へと落下していく。何があった? 件の人影に目を遣ると、背を向けながらも左手を掲げていた。ちょうど何かを、背後に投擲したかのように。
まさか、手裏剣か? まさかな、とは思いつつ、しかしあれだけの体術を見せつけたそいつに、不可能があるとは思えない。
俺の頭上に『?』が浮かぶ最中、そいつはこちらに振り返った。
「そこにあたしの無反動レーザー砲を置いてきた。持ってきてもらえるか、キョウ?」
※
結局、俺はその無反動レーザー砲とやらを運ぶことはしなかった。まずは、最初のフロアに向かうべきだと俺が提言したのだ。
「ああ、それなら構わないよ、あたしは」
日本刀を鞘に収めながら、そいつはアミ・カヤマと名乗った。
「あ、あんたは……」
「今日付けでこの地下施設の制圧任務に加わることになった。よろしく頼むぞ、キョウ・タカキ」
相当な重量であろうレーザー砲を肩に担ぎ、階段へと向かう。
アミ・カヤマは、実にサッパリした女性だった。いや、女性というより少女、だろうか? 背丈は俺と同じくらいで、ばっさりとしたショートヘア。全身、黒いライダースーツのような服をまとっている。俺はついつい、豊満な胸元に目を引きつけられてしまった。……って何を言っているんだ、俺は。
顔つきは、俺より少し幼いくらい。そこから年齢を推し量ると、俺とユウの間、すなわち十七、八歳といったところだろう。
「俺は一人でここの制圧を任されたんだ。どうして――」
「ほら」
歩きながら、アミは小さなボールを投げて寄越した。立体映像展開機だ。ボタンを押し込むと、一枚の紙面が表示された。それは、一種の命令書だった。確かに、アミに俺を援護するように、との旨が書かれている。
「妙だな」
「何か問題があるのか、キョウ?」
「この事例書、発行日が昨日の夜だ。あまりにも動きが性急すぎる気がしてな」
「よくあることさ」
アミは肩を竦めてみせた。
「実際、お前一人じゃさっきの事態に対処できなかっただろう?」
「……面目ない」
「プライドの問題じゃないんだよ」
アミは立ち止り、俺に振り返った。
「大切な人を守ることができるかどうか。それに懸かってるんじゃないか? キョウ、特にお前の場合は」
「ああ、まあな」
……ん? なんだって?
「大切な人って……。アミ、お前、誰のことを指してるんだ?」
「もちろん、ユウ・タカキのことだ。話は聞いている」
「どこで聞いた」
そう尋ねると同時に、俺はアダムを抜いてアミの後頭部に突きつけた。
「おっと、そんなにカッカするなよ。ユウが教えてくれた。大丈夫だ、本部に報告したりはしない」
「……」
「お前たち兄妹の悲願も聞かせてもらった。だが、それとあたしがここに派遣されたのとは全く無関係だ。上官への通告義務はない」
「本当なんだろうな?」
「怪しければ今すぐその引き金を引くといい。あたしの抜刀とどちらが速いか、競争してもいいんだぞ?」
「……ん」
俺はアダムを下ろし、素直にホルスターに収めた。
取り敢えず、アミを敵視する必要はなさそうだ。組織的にも、個人的にも。ユウとも話したようだし、俺たち三人が顔見知りになっておくメリットは高いだろう。
「よろしく頼む」
「おや? 随分と殊勝じゃないか、キョウ。こちらこそ、よろしく頼むぞ」
そう言って、アミは手を差し出した。
一瞬、ドクンと心臓が跳ね上がったが、俺はなんとかその表出をセーブ。『こちらこそ』だかなんだか言って、その手を握り返した。
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