第15話 這い寄る暗鋏
一瞬の出来事だった。
それまでノーマッドのセンサーからの情報を視覚的に共有する
二人の傍で、星遺物を眺めていた彼らの幼体であるタブリスは、何かに気づいたようにどす黒い感情をむき出しにした唸り声を短く発し、いつでも最大加速が出来るように体勢を低くした。
――シャムシエル、ガギエル、サンダルフォン、サハクィエル反応ロスト!敵襲です!同時に反応消失地点に空間異常を確認!
脳内にノーマッドの報告が響くのと同時に、ガギエルと思われる断末魔が深い森の闇に溶けて消えた。
「チッ、何か居るぞ。認識阻害の魔術をかけてはいるが目を離すな、静かに後退するぞ、ユキト」
ノーマッドからの情報を得られないアルマは森に響いた悲鳴から事態を推測するしかない。そのため、ガーズルフ程の強大な力を持つ生命体が4体同時に行動不能になるという異常事態に気づけていなかった。
ユキトが外に飛び出した時から張りっぱなしにしていた視覚に対する認識阻害魔術を維持しつつ、ガギエルの声が聞こえた方向へ注意を向けてノーマッドへ戻ろうとする。
「いや、もう遅いな」
「なに?ひゃっ!?」
言うが早いが、アルマを半ば突き飛ばすような格好で共に横へと跳躍しタブリスもそれに続く。直後、ノーマッドの方向から放たれた4条の薄く紫がかった白色の閃光が、つい数瞬前まで彼らが立っていた地面を吹き飛ばし、土砂と灰になった草花が盛大に舞い上げる。
ユキトによる雑な回避で盛大に体勢を崩しながらも、状況を即座に理解したアルマの行動は早かった。コートの内ポケットから6つの六角柱上の楔を取り出し周囲にばらまくと、2人と1頭を囲むような半径2mほどの正六角形を形作るように地面に突き立ち、赤、青、黄、緑、白、黒の6色の淡い光を放つ。
地面に倒れこみそうになる身体を何とか制御して、2人は自然と背中合わせになり周囲に視線を走らせる。ユキトはホルスターから抜き放ったサーマル・コイルガンを、アルマは光をたたえた杖を構え、タブリスは2人の足元で姿勢を低くし迎撃態勢。
「結界か?」
「そんなたいそうなモノじゃない。何があった?」
「ノーマッドとは反対側に布陣していたガーズルフの反応が4つ同時に消滅した。すく悪とも8体はナニカが居て、そいつらは僕らを囲んでる」
「なっ…」
考えていたよりも4倍ほど悪い状況であることを認識したアルマが絶句し、全身が強張るのが密着した背中から伝わる。
「地面にクレーター作るほどのビームを撃つ連中ってフォレスピオン以外に居ないのか?」
「フォレスピオンが子供と思えるほどの奴なら」
「全く安心できない情報をどーも」
――4体の反応が消失した地点から2つの反応が貴方に向かって前進中。速度は30㎞/h、視認距離まで3、2、1
ゼロ、と頭の中に声が響くと同時に――彼らから見てノーマッドの停車している方向を6時とするならば――10時、1時の方角の木立が踏みつぶされ、2つの影が姿を現す。
緩やかな曲線を描き、鈍く光を放つ群青色の装甲。扁平な体節から両側面に突き出した4対8本の脚。振り上げられた尾の先には毒針の代わりに、薄紫のクリスタルが薄い光を放ちながら頂点をこちらに向けている。前方をにらむ鋭角的な頭部甲殻の下側には、1の大きな単眼とその両脇に2周りほど小さい眼が赤い光を放つ。そして、頭
の側面からは胴体長の3分の1ほどもある巨大な鋏脚が1対伸びていた。
「フォレスピオン…」
「…なるほどね、狙いは」
肩越しに森から出てきた魔獣の姿を確認し、最悪の予想が当たってしまったことに歯噛みする魔女。一方、異星人の関心は10時方向から姿を現したフォレスピオンの鋏角で弄ばれているモノに注がれていた。
鋏脚に比べれば小ぶりだが、人の胴体などたやすく噛みちぎってしまえるだろう鋏角の間で赤い血を滴らせているモノ。数度の咀嚼により変形し、切り裂かれ辛うじて球体の名残を、フォレスピオンは鋏角を動かして、彼らの足元にいるタブリスに見せつけるように、”食べていた”。
「キチキチキチキチ…」
―フォレスピオンは肉を食わん。奴らが食うのは魔力、すなわち
道中で開催されたフォレスピオンに関するアルマの講義が頭をよぎる。
「魔力炉か」
「貴様の前に2体、その後ろにおそらく2体、私の前の森におそらく4体。完全に囲まれたな。ノーマッドの側にいたガーズルフは何処に行った」
「最初の襲撃の直後に1匹残らず逃げ出したよ」
「賢明な判断だな。もっとも、1匹は」
吐き捨てるように紡がれた言葉は、広場に姿を現したフォレスピオンがゆっくりと前進を開始したことによって中断されてしまう。
「これはまずいのぅ。ノーマッド、車体上面の機関砲で援護はできんか?」
『無理ですね』
搭載されたありとあらゆるセンサー群を駆使して敵の動きを探っていたノーマッドのメインフレームは一見酷薄とも思える意見を出力した。
状況は圧倒的に不利だ。少しは役に立つだろうと考えていたガーズルフの群れが、寒気すら覚えるほどの鮮やかな奇襲で半壊させられ戦意を喪失。このパーティーの近接職と後衛職がそろって8体のフォレスピオンの包囲下に置かれており、自分は丸裸に近い。
一応の対策としてステルス装置を起動させ、岩石と倒木の塊に偽装しているが未知の生物相手にどこまで通用するか疑問だ。
偽装装甲をパージして主砲による
エノーモティアの場合は旋回、発砲ともに可能ではあるが、ここでも密生した木々が邪魔になり、射線が通らない。一般的な構造物単体であるならば易々と貫通する砲弾を装填してはいるが、無数の木々を突破したうえで重装甲とされるフォレスピオンの装甲を撃ち抜ける可能性は限りなく低い。
木々をなぎ倒しつつの強引な接近も、結局はフォレスピオンに懐へ潜り込まれる結果を生むことは目に見えている。古今東西、強力な戦闘能力をもつ敵の接近を許した戦車の末路など碌なモノではない。
「やはりの。では、奴らのお手並みを拝見してやるとしよう」
『随分暢気ですねぇ。彼らがやられたら次は我々かもしれませんよ?』
「見つかっているのならとっくに攻撃されておるわい。奴らが死んだら死んだで、運が悪かっただけの事。ほとぼりが冷めた後で貴様に魔力を供給して前に進む。ま、生き残ることに越したことはないがの。そういうお主こそ、パーティーの過半が危機的状況じゃというのに落ち着いておるの」
『今のところ私にできるのは情報を集めることぐらいですからね。2人とも面白い人なので、できるだけ死んでほしくないですが。この程度の災難で戦死するなら、所詮その程度だったという事です』
「はっ!お主、随分人間臭い言動をしておるが。実際は相当の人でなしだの」
『機械ですから』
レーダー画面上では2つの敵を示す輝点の反対側、ノーマッドとユキト達の間の空間に高エネルギー反応を示すアイコンが明滅し始めた。
「後ろだ!」
ノーマッドからデータを受け取ったユキトの警告に反応したアルマが結界の術式を励起させると同時に、再び2条ずつの収束魔力光が4時と8時方向から襲い掛かる。収束口径20㎝程のビームはアルマが展開した結界の境界線をやすやすと突破し、直撃まで1mを切った瞬間、射線上に現れた30㎝程の4色の魔法陣の様なシールドに行く手を阻まれた。
斜めに展開された防御結界に直撃した収束魔力光が、僅かな威力低下とともに、シールド表面で跳弾したかのように上空へと弾かれる。
「づぅっ!…くそ、流石に威力が高いな」
魔術の行使によるものか、それとも強力な魔力光の衝撃にやられたのか魔女の顔が歪み、うめき声と悪態が歯の隙間から洩れる。
――着弾はしても爆発は無し。純粋な運動エネルギーで加害するタイプの攻撃のようですね。
――荷電粒子砲とかそんな奴か?
――いえ、熱量は大したことありません。周囲にプラズマ化した粒子もなく、ガイガーカウンターも無反応。その名の通り魔力を収束して放出している、水鉄砲と大差ありません。まあクレーターの規模から見るに、第2世代戦車の105㎜砲ぐらいの能力はありそうです。生身で105㎜砲弾弾き続けてるアルマ△
――で、支援は?
――森の中で身動き取れないので、情報提供のみです。後は野となれ山となれ、高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応してください。
――つまり、行き当たりばったりと
――でも、奴らが魔力炉を狙っているのなら。アルマさんとタブリスを囮にすればワンチャン逃げれますよ?
――冷たい方程式は性に合わん
――なら、ぶち抜くかぶった斬るしかないでしょう
絶え間なく襲い掛かる魔力光の制圧射撃を的確に、しかし必死に防御し続ける彼女へとちらりと視線を向け「解ってるさ」と呟いた。
迎撃に忙殺されている彼女では、ゆっくりとした速度で接近してくる2体に対処が出来ない。タブリスに戦う力はない。生き残るには現状を打破するしかなく、その手段は頼りない。
それでも右側の個体へ銃口を向け、引き金を連続して引く。
発砲、鋏角に直撃し高音を発して跳弾する。発砲、間接に命中すれども効果なし。発砲、発砲、発砲。3つの眼球に直撃するがわずかな傷を付けるにとどまった。所詮は継戦能力に重きを置いた対人スチールコア半誘導弾であるため、予想通りの結果。
落胆する暇もなくシリンダーを開いて残弾ごと排莢、ポケットから弾頭が赤く塗装された弾を保持したスピードローダーを取り出し再装填。ナノマシンを介して発砲システムを変更し再び引き金を引こうとするが、それよりも早く半壊した神社を貫いて2条の魔力光が飛来する。
アルマによって即座に展開された防御術式によって直撃は避けられたものの、先ほどまでは上空にそらされていた魔力光は術式に直撃した瞬間四方八方に拡散した。幸いにも防御術式の表面で拡散したため、解れた魔力光が2人に襲い掛かることはなかったが視界を遮られてしまう。
「拡散型かっ!伏せろ!」
鋭い声に反射的に身をかがめた瞬間、頭の上を高圧の
彼女から見れば完全なカウンターが決まった形だが、それ以上に森の魔獣は狡猾でもあった。
「グルァッ!」
タブリスの警告を含んだ咆哮と自身の悪寒に従って後ろへと視線を向けると、すぐそこにまで迫った1体のフォレスピオンの姿を確認し戦慄する。神社を貫いた魔力光も、光に紛れて接近した2体もすべて陽動。本命は視覚から忍び寄らせた1対による急襲。
距離は2m。鋏と言うよりもペンチに似た鋏脚を既に振り上げており、あとは踏み込みつつソレを振り抜くだけで此処に居る3つの命を紙くずのように引き裂くことが出来るだろう。
防御術式、不可。フォレスピオンの一撃を防御できる術式など一瞬で編めるものではない。
回避、不可。前方に逃げれば鋏脚でなく鋏角に食いちぎられる、1m近い両脚を大きく広げた2方向からの同時攻撃であるため左右に跳躍したところで薙ぎ払われる。ユキトを巻き込んで後方に跳んだとしても、崩れた体勢で2撃目への対処など不可能。
魔術迎撃、不可。先ほど、万一の迎撃用にプールしておいた魔力を使ってしまった。フォレスピオンの行動を止めるほどの貫通力とエネルギーをもつ魔術を発動するにはどれ程急いでも4秒かかる。
即座にリストアップされた対応策のことごとくが自身の敗北と死を決定づけ、悪魔に心臓を掴まれたかのように体内の温度が一気に冷え切ったような感覚にとらわれる。自身を取り巻く時間の流れが緩慢になり、ひりつくほどの戦場の空気が途端に粘性を帯びた。少しでも被害を減らすべく鋏脚の進路に物理防御に特化した魔術を構築しようとするが、空間に編まれ始めた魔力の盾は絹のように引き裂かれてしまう。
―死
そんな思いが頭をよぎったのと同時、隣を2つの風が通り過ぎた。
しゃがんだ状態から立ち上がりつつアルマの隣を抜け、両手を抱きつくように振り上げたフォレスピオンへと全身の発条を使いつつ加速する。左手に拳銃を握ったまま右手は刀の柄に、ナノマシンで加速された思考の中で最適の攻撃経路をはじき出し、体へと入力、攻撃へと移る。常人では不可能な瞬発力を無理やりに発揮したため筋繊維が次々と断裂していくが、破壊された瞬間にナノマシンによって人口筋繊維へと置き換わっていく。
――ナノマシン適合率20%、アクセス許可。
時間の流れをひどく遅く感じる中、脳内に無機質な声が響く。と同時に、それまでどこか”見よう見まね”であった身体の動きが一瞬にして最適化され、1瞬の後に目の前で発生する事象を直観的に理解する。
刀のロックをナノマシン経由で解除。鞘の刀身加速装置作動。電磁力が刀身を加速させるが、鯉口から抜かれていく刀はそうなることが決まっていたかのようにエネルギーのロスなく攻撃の軌道を描き始めた。
「――――――――――ッ!」
猿叫、とも称される奇声を吐き出し、振動刀を一切の迷いなく振り抜く。
――
アルマの頭への直撃コースを迫っていた巨大な左の鋏脚、その根元付近の装甲が比較的厚い部分に衝突した振動刀は、刃の単原子構造にものを言わせて強固な甲殻を切り開いていく。しかし、1枚目と2枚目の装甲を切った刃が3枚目に接触したとき異変は起こった。
切断によって1枚目と3枚目をつなぐ橋となってしまった刀身に数千アンペアにも達する大電流が流れ込み、ジュール熱によって熱せられた周囲の装甲がまばゆい光を発する。
フォレスピオンには魔術による攻撃が有用、裏を返せばビークルや近接武装による物理攻撃は控えるべきとされている絶対的な理由こそ、この防御機構、地球でいうところの電磁装甲だった。不導体の装甲板を導体の装甲板で挟んで高電圧をかけ、表面の導体と不導体を突き破った弾頭や刃がさらに奥の導体に触れることで回路が閉じ、通電による莫大なジュール熱で蒸発させる装甲。魔術に対しては頑丈なだけだが、物理的な攻撃手段での突破は容易なことではない。
あくまでも、エリクシルの技術体系の話ではあるが。
まばゆい光を発し、巨大な熱が発生するがユキトの持つ振動刀が蒸発する気配はない。それどころか白熱した刃が接触部分の装甲板と内部組織を蒸発させ、抵抗らしい抵抗なく刀身が振り抜かれて、切断される直前に弾き飛ばす方向の力がかかった鋏が宙を舞った。
「なんじゃ…、あれは。」
『なに、暇つぶしの産物ですよ。まだまだ物足りませんが、ね』
間髪入れずに左手に握っていたままの拳銃を左へと向ける。銃口の先には、黄色の魔術障壁をまとったタブリスの突進で、軌道を上へとかち上げられた右の鋏脚。すでに方向を修正しつつあり、何もしなければアルマの頭が石榴のようになるのに時間はいらない。タブリスの魔力障壁を伴った突進は鋏の到達を僅かにお売らせるだけにとどまったが、それだけあれば十分だった。
トリガーを引く。シリンダーに収められた10.9㎜衝撃破砕弾頭弾が銃身上部バッテリーの6分の1の電力を食いつぶし、シリンダーの容積の9割を占める長大な弾頭が音速の8倍で撃ち放たれる。銃身から飛び出た弾頭が鋏脚に着弾すると弾頭が瞬時に変形し炸裂、着弾によって目標に生じた運動エネルギー由来の衝撃波を特殊炸薬が増幅させ、複合素材であるはずの装甲板が無残に砕かれ、強固な壁に反射されたかのようにボロボロになった脚が反対側へ弾かれた。
両方の鋏脚を失ったフォレスピオンはそれでも頭部の鋏角を突き刺そうとするが、それよりも早く大上段に構えられた振動刀が振り抜かれ、群青色の甲殻と緑の草原に赤黒い体液が飛び散った。
「アルマ、少し待ってろ」
フォレスピオンを白兵戦で切り伏せる、などという情景に此処が戦場だということを忘れて呆然としそうになった彼女を、ユキトの声が現実へと引き戻す。
茶色い軍服はフォレスピオンの赤黒い体液に濡れ、拳銃は傍目から見てわかるほど赤熱し、片手に下げた振動刀にはなぜか体液一つ付着していない。そして、労わるような声を投げかける彼の目には、一つの感情が浮かんでいた。
ああ、こいつは…
「直に片づける」
アルマの一つの疑念は再び飛来した魔力光を防御するために心の奥底へとケリ墜とされた。
今まさに魔獣を仕留めた異邦人は拳銃をホルスターへ格納し、包囲網を狭めていく中で広場に身をさらすことになった複数体のフォレスピオンへとタブリスを伴い、抜き身の振動刀を振り上げて突撃する。
逡巡もなく、躊躇いもなく、ただ真っすぐに。生きるためでも、逃げるためでも、殺すためでも、楽しむためでもなく。
ただ、進むために。目の前の
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