第5話 凶鳥


「なにか見えるか?」

「いいや、天気晴朗なれども風強しってところだ」


 エリクシルの風が頬を撫でるのを感じながら、草原を走行しているノーマッドのキューポラから上半身を出して周囲を見渡していたユキトが答える。

 一夜明け、再び森を抜けて旅を再開した放浪者達は地平線まで続く平原を時速60kmで巡航していた。空は雲一つなく晴れ渡り、青い空をエリクシルの周囲を取り巻く巨大なリングが貫いている。


「全く、SF映画でも見ている気分だ」


 ぼやき半分、感嘆半分の言葉をこぼしハッチを閉めて車内へと戻る。主な光源が車長席の大型ディスプレイしか無い車内は薄暗く、狭い。後ろのシートにもう一人乗員が増えたせいもあるのだろうか。


「ほら、冷めない内に飲め」

「ありがとう」


 後ろのオペレーター席に陣取ったアルマから湯気の立つカップを受けとる。昨日の苦いコーヒーではなく、それなりに常識的な範疇のコーヒー。とはいえ、舌が肥えているのか試飲したアルマは渋い顔をして首を傾げていたが。


「ノーマッド、目的地まではどれくらいかかる?」

『この速度で巡航すると、今日の夜には到着しますよ』


 画面端のマップには進行方向上に都市を示すアイコンが明滅していた。シンボルの下にはディオノスという名前が浮かんでいる。

 森を出発する前にアルマがとりあえずの目的地として定めた場所だった。昨日、彼女を救出した地点から北東へ進んだ先にある国で、草原と緩やかな丘陵地を進む予定だった。


「ディオノス市国か。それにしても、エリクシルの文明は都市国家が基本単位だとは思わなかったな」

「700年ほど前はテラの様な国があったらしいぞ」

「そうなのか?」


 後ろを振り替えると、コンソールとタッチパネル式のキーボードに向かって、マニュアルを睨み付けているアルマの横顔が見えた。

 ノーマッドは車長、戦術士、操縦士の3人乗りで、車長席の後ろに車体左側へ向くように戦術士のシートが配置されている。戦術士の主な仕事は周囲の索敵やクラッキングなど電子的攻撃へ対処するAIの補助だが、実際には作戦立案、意見具申など、戦車の参謀役と呼べる立ち位置だった。

 人工知能の発達により戦車の自動化、省力化が進んだが、完全自動化に成功した新第六世代戦車が一つ前の世代の戦車と戦闘を行った際に戦闘以外の面で大きな不利益を被り、キルレートで敗北する事件があった。それ以後、戦車が戦場で生存するためには最低でも3人以上の乗員が乗り込むべきとの見解が世界的なトレンドとなり、完全な単独行動兵器として位置づけられた新第七世代戦車であっても、3人の乗員が乗り込むシートが設けられていたのだった。


「その時代の文献は多くが散逸してしまって残っていないが、なんでもそれまで築いた巨大魔術文明が完全に崩壊するほどの大災害があったらしい。今のこの星の社会構造を、都市国家レベルに拘束している元凶。魔獣が出現したのもその頃だ」


 魔獣。その単語を聞いたユキトの視線は、自然とアルマの前のキーボードの隅に置かれた小さな模型へと注がれた。

 丸い機首に細長い胴体、直線翼が2対並び、その後ろには胴体から突き出したパイロンの先に取り付けられた円筒形のエンジンポッド。A-10サンダーボルトⅡとトンボを足して二で割ったような攻撃機の模型だった。


凶鳥ヒュッケバイン、ねぇ。ビーストとは言うがどう見ても機械マシンだろうに」

「慣習名だからな、魔獣が出現したころは奴らが何でできているかもわからなかった。過去の遺産である装甲車両ビークルを修復・実用化出来て、ようやく魔獣共に対抗できるようになって調査が進んだのだ。今さら変わらんだろう」

「魔獣への対処に魔法は使わなかったのか?」

「魔法にも限界はある。魔術ならなおさらだ」


「魔法と魔術は同じようなものじゃないのか?」と首を傾げると、あきれ半分の横目で睨まれる。


「魔術は体系化され、研究され、民草へもたらされる。他者に伝える方法が確立された、魔力を用いた技術と言える。一方、魔法の場合、効果・出力自体は魔術と比べ物にならない。しかし、理由は様々だが体系化、術式化が施されていないのだ。そのため他者に伝えるのが難しい、というよりもほぼ不可能だ」

「じゃあ、魔法は一代限りなのか?」

「そうでもない。魔力炉の話はしたな?」


 エリクシル人と地球人の唯一にして絶対の違い。心臓の下に存在する器官で、食物などから得た栄養を変換し、魔力と呼ばれる生体エネルギーを生み出している。魔術師はこの臓器から生み出された魔力を用いて魔術を発現させていた。


「子の魔力炉は基本的に母のそれと良く似通うものになる。胎児の段階で魔力炉の基礎部分はほとんどできてしまうからだと考えられているが、この辺りはまだよくわかっていない。重要な点は魔力的な素養、性質は主に母方から遺伝するということだ」


 ――魔力に関係する遺伝子はミトコンドリアDNAにでも記されているんですかねぇ。

 ――エリクシルにおけるイヴは始まりの魔女だった、ってところか

 ――浪漫がありますねぇ


「母親が魔法を使えたのならばおよそ8割の確率でその子も同じ魔法が使用できる。その際の完成度や出力は個人の力量に左右されるがな。父親の方の魔法が遺伝する確率は0.1%以下だ」

『たまご技や遺伝技みたいなものですかね』

「なんだそれ?」

「知らなくていい、こっちの話だ。だとすると、男性の魔法使いよりも女性の魔法使いの方が珍重されているのか?」

「次世代に魔法を残すという点ではな。とはいえ、一般的に魔力炉の出力は男性のほうが上だ。体のつくりも、より魔力運用に向いている。故に軍人の魔法使いはほぼ男性だ、出力の高い魔術、魔法を行使でき、死んでもそこまで惜しくないからな」


 あっけらかんと無慈悲なことをのたまう魔女に乾いた笑いしか出てこない。言っている理屈は正しく感じ、自分は魔術師でもなんでもないが、なんだか悲しい気分になってしまった。


「アルマは魔法も使えるのか?」

「フ、どうだろうな。貴様の想像に任せる」


 意味深な笑みをこちらに向け、再びコンソールに向き直りマニュアルへと視線を走らせ始める。わざわざ自分の情報を自分からは話してくれるつもりはないらしい。手の内全ては明かさないのは、生来の慎重さゆえだろうか。


「とにかく、移動中の遭遇を最も警戒すべきなのはヒュッケバインだ。狙われたら最後、奴が諦めるまで逃げるしか生きる方法はない。まあ、この辺りに現れたという話はあまり聞かな」

『レーダーに感あり!5時の方向、距離80㎞に高速飛行物体!速度はおよそ600㎞/h!接触まで8分!』

「……なに?そんな馬鹿な」


 どこか呆然としたアルマの声を無視して周囲に隠れられそうな場所を探すが、見渡す限りの緩やかな丘陵が続くだだっ広い草原で遮蔽物などどこにもない。


「停車してステルスモードを起動、透明人間になってやり過ごしてから移動しよう」

「いや無駄だ、奴は目に頼らない。最高位の魔術師が透明化を行っても正確に攻撃してくる。すぐに全速で針路から逃れる他ない。80㎞手前で見つけられたのだから上手くやれば逃げられる」

『既にレーダー照射されてるんですがそれは…』

「れーだー?なんだ?それ」

「要するに、もう見つかってるってことだ。しかも奴さん、此方を殺す気満々だぞ。ノーマッド、電子妨害手段ECMは?」

電子妨害手段ECM対電子妨害手段ECCM対対電子妨害手段ECCCMを実施してますが、完全に目を封じたとは言いづらいですね。此方の予想遭遇地点へ向けてまっすぐ飛んできます』


 ユキトの額に嫌な汗が浮かぶ。完全自律兵器の域にまで達した新第七世代戦車の電子対抗手段を受けて戦闘行動が可能な攻撃機など想定外だ。昨日撃破した装甲車の技術レベルとは比べ物にならない。こんなものがのさばっている世界ならば、都市間の交通が発達せず、最低でも装甲車が必要になるのは道理だ。


「対空戦闘用意、多目的榴弾装填、対空機関砲用意エノーモティア・スタンバイ

「戦う気か?!」

『ヒュッケバインだかオッパイボインだか知りませんが、誰に喧嘩を売ったのか教育して差し上げましょう!地対空戦闘用意!』


 アルマの悲鳴のような声を聞き流し、二門の155㎜砲に多目的榴弾が装填され、砲塔後部に搭載された3銃身ガトリング砲が旋回し草原の向こうにある丘へ向けられる。時速60㎞だった速度はさらに上がり80㎞/hへ達する。


「ビークルで奴に対抗できるわけがないだろう!?正気か貴様ら!?」

正気とか常識はそれ、オプションなんですよ』

「まだヒュッケバインと決まったわけでもないだろう?そのほかのまた別な魔獣かもしれないじゃないか」

『目標を光学で捕捉!モニターへ回します』


 モニターの一部にウィンドウが開き、こちらへまっすぐ向かってくる灰色の機体が映し出される。丸みをおびた機種に、直線翼がトンボのように胴体から2対突き出しパイロンの下には無数の爆弾やロケットの様なものがぶら下がっている。機体後方にはパイロンで斜め上方に固定された2機のエンジンポッドらしき構造体。


『どこからどう見てもヒュッケバインです。本当にありがとうございました』

「ノーマッド、主砲で狙撃できるか?」

『やですよ、記念すべき一発目がヤーボ相手だなんて。重戦車とは言いませんがせめて装甲車に撃ち込みたいです』


 そういってブスくれるノーマッドにため息しか出てこない。その場の気分によってセルフ縛りをするAIをなんで組み込んだんだと製造業者を問い詰めたくなってきた。そんな時、もう一人の乗員が先ほどから静かになっている事に気づいて後ろを振り返る。

 そこには、キーボードの上に置いた拳をきつく握りしめ、俯く少女の姿があった。


「怖いか?」


 聞こえるか聞こえないか程度の声だったが、ゆっくりと彼女がこちらを向く。必死に隠しているようだが、その顔には恐怖ではなく苦々しい表情がにじみ出ていた。


「いいや、違う。そんなことより、本当に逃げられないのか?」

「電子対抗手段は失敗して、こちらの位置を相手が知ってしまった上に隠れる場所はない。おきらくご気楽な戦車を頼んで腹くくるしかないだろう」

『失礼な、ユーモアセンスの塊と呼んでください』

「戯言吐く暇があったら敵の行動予測でもしててくれ。まあ、たぶん大丈夫だ、アルマ。根拠なんてないが、そんな気がする」


 車長席からこちらを振り返るユキトの顔には小さな笑みが浮かんでいる。

 違う、そうじゃない。何故、貴様は私を責めない?私がディオノス市国を提示しなければ、見晴らしのいい地帯を進む危険性を正しく伝えていれば。少なくとも、こんな最悪な場所でヒュッケバインと遭遇することはなかったはずなのに。羞恥と後悔で意識がねじ切れそうだった。


『あれ?もしかして責任感じてたりします?』


 ざくり、と容赦なく自分の心を切開されたような錯覚を覚えて体が硬直する。そうか、この声の雰囲気がどうにも好きになれなかったのは、本質的に師と似通っているからだったのか。

 此方が必死に隠そうとしたことを、菓子の箱の蓋を取るくらいの気楽さで無造作に白日の下にさらす。さらした後はそのままほったらかしで、決まって虚しさと敗北感だけが残るのだ。


「ッ…ああ、そうだ!私がもう少しヒュッケバインの危険性について話していればこんな最悪な状態に陥ることはなかっただろう、違うか?」


 一息に吐き捨てた後に、気まずくなって視線を逸らす。しかし、帰ってきたのは肯定の言葉や自分の失敗を詰る言葉ではなく、出会った時と変わらない、ある種の暢気さを感じさせる声だった。


「なんだ、そんな事か。気にするだけ無駄だ、アルマ」


 ハッとして声の主へ視線を戻す。そのころには、ユキトの視線はすでに目の前のモニターへと移っており、笑みを浮かべた横顔が辛うじて見える程度だった。


「例えヒュッケバインのやばさを十分知っていたとしても、僕らは最も近いディノス市国へ最短距離で向かっただろうさ。むしろ、ヒュッケバインをよく知る人間がいるときに奴と戦おうとしただろう。それに、一つ忘れてるぞ」

「何を?」

「車長は僕だ、君がいかなる提案や助言を出そうが、最終的な決定権と責任は僕にある。よって、この状況に陥ったのは僕の責任だ」

『そうだそうだー、辞任しろー』

「頼むから空気読んで、ノーマッド。今口走るセリフじゃないだろソレ?!」


 また、いつも通りの掛け合いなのか口喧嘩なのか解らない言葉の応酬を始めた1人と1機に毒気を抜かれてしまったような気分になる。罵詈雑言に近いものだが、ユキトの顔は明るく、ノーマッドの方は言わずもがなだ。自分にとっては絶体絶命の状況だったとしても、彼らにしてみればそうではないのかもしれない。単に無知だから、と言ってしまえば簡単なのだろうが、たぶん、そうではないのだろう。

 気が付けば、自然と自分の顔にも笑みが浮かんでしまっている。数日前の逃避行と比べても、同じかそれ以上に危機的状況だと言うのに気分は随分と落ち着き、安らぎすら感じていた。

 ならば、やることは一つ。萎えかけていた心に喝を入れ、今自分にできることへ意識を向ける。


「まったく……馬鹿どもが」

「何か言ったか?アルマ」

『録音完了、我々の業界ではご褒美です。ごちそうさまでした』

「何も言ってない。それとノーマッド、装甲板をただの鉄板に変えられたくなければ即座にそのデータを削除しろ、いいな?」

『えー、もうバックアップもとっちゃいましたし』

「い・い・な?」

『アッハイ』

「まったく、この駄戦車は。ともかく、やるならやるで叩き落とすぞ、ユキト。魔術的な妨害への対処は任せろ」

「あいつ魔術使ってくるのか?」

「何を言っている、魔獣なんだから当たり前だろう?攻撃妨害の力場位なら今の私でもいくらかは散らせる。奴の魔力障壁はそっちで突破しろ」

「あー、ノーマッド。やっぱり主砲を使うことになりそうだ」

『魔術とか使ってくるヤーボなんてファイッキライだ!ヴァーカ!』

「来るぞ!5時方向、距離4000!」


 ノーマッドに接近した凶鳥ヒュッケバインが前後に並んだ2対の主翼をX字型に展開し、緩やかな旋回を始める。エリクシルの放浪者を葬るべく、災いの鳥は鉤爪を開いた。







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