第14話 星遺物


 太陽が中天を過ぎるころ、放浪者達は草の海を抜けた先の森の中を進んでいた。そびえたつ木々の合間に微かに残る程度、獣道と大差ない曲がりくねった道を進む。周囲の起伏は激しく、著しく成長した樹木の極相林によって太陽の光はほとんど消え去り、木洩れ日というには頼りなさすぎる光が周囲を淡く照らしている。


「すごい森だな、こんなのは見たことがない」

「ヴァプールの森じゃよ。ディオノスから最も近く、この辺りでは最も危険と言われておる」

『森、というよりも腐海って感じですねぇ。王蟲とか大王ヤンマとかウシアブとか出てきてもおかしくないですよ、これ』

「蟲笛とストロボ光弾持ってくればよかったな。その辺に青服の聖女や鳥にまたがった高性能爺さんとかうろついてないか?」

「なーに言っとるんじゃ、お主ら」

「フェネカ、あまりコイツらの言うことを真に受けるな。胃が持たん」

「それもそうじゃの」


『解せぬ』と不満を漏らすAI。「残念でもないし当然」と肩をすくめる異星人。しかし、確かにノーマッドの言うように言われてみれば腐海のようにも見えてくる。ジブリによるミーム汚染、おそるべし。


「ガーズルフ達はどうしてる?」

『ゼルエル、シャムシエル、ラミエル、ガギエル、イスラフェル、サンダルフォン、サハクィエル、イロウル。いずれも健在。4頭ずつの1列縦隊で左右およそ300mを随伴しています。残りの6頭については話す必要はないでしょう?様子でも見てきたらいかがです?』

「……はぁ。どうしてこうなった」


 個体識別という名目で趣味を爆発させたノーマッドとそれ以上の不可解な事態に頭を抱えたくなるのを必死に我慢し、車長席を上昇させてハッチを開ける。開けたハッチから吹き込んでくるのはむせ返るほどの樹木と土の香りを乗せた冷涼な空気。そして、ハッチが開くと同時にユキトを覗き込んだガーズルフの幼体の生暖かい呼気だった。


「えーと、お前は…タブリスか」


 確認するようにつぶやかれたユキトの言葉に、肯定するかのようにタブリスと呼ばれたガーズルフの幼体は小さく唸る。ハイイロオオカミの成獣ほどもある体躯の向こう側では、ノーマッドの装甲板の上でくつろぐ他の5体の姿もあった。


「まったく、頭が良すぎるってのも考え物だよなぁ」

「ぐる?」

「まあ、役得と思っておけばいいだろう。ガーズルフから子守を任されるなど、貴様はよほど気に入られたと見える」


 視線を再びタブリスの背後にやると、ノーマッドの前部偽装装甲板に設けられたハッチから頭と腕だけを出しているアルマの姿があった。手の届く範囲で丸くなっていた幼体――確かマトリエルという名称だったはずだ――に手を伸ばして柔らかな毛並みをなでている。敵意がないことを本能的に理解しているのか、あるいは単に撫でられて気持ちがよいのか、マトリエルはされるがままだった。

 その顔には一瞬見とれてしまうほど柔らかな笑みが浮かんでおり、ここが駆け出し冒険者ならば決して足を踏み入れない危険区域であると忘れてしまいそうになる。


 ――モフモフを楽しむ美少女とか最高ですねー。㊙フォルダが潤います

 ――撫でられている相手が6足4つ目のクリーチャーなのは無視か。それはそうと、この識別名は何とかならないのか?

 ――まだその話ですか。私たちデウス・エクス・マキナで4、ガーズルフで14。合わせて18。18といえば18の使徒エヴァでしょう?

 ――力を司る天使ゼルエル雷を司る天使ラミエルはまだしも鳥を司る天使アラエル魚を司る天使ガギエルは無いだろう?そして何より、どうしてアルマがアダムで僕がリリスなんだ。逆だろ、神話的に考えて。

 ――私の識別名はリリンなのでエヴァ的に考えると合ってますよ。

 ――補完されてしまえ

 ――わたーしにかーえーりなさーいー♪記憶をたどりぃー♪

 ――魂のルフランを通信回線で流すな!そして歌うな!


 頭の中で流れだした聞覚えのある曲を必死に無視しながら周囲に目を凝らす。相変わらず周囲に立ち並ぶ木々は密度が高く、今走行している道以外を走ろうとするならばチェーンソーではなくシールドマシンの方が便利だろう。時折、鬱蒼と生い茂る木々の向こうを走り抜ける灰色の体躯が見え隠れする以外には生命の気配は感じられない。


「本当に危険な森なのか?まあ、ピクニックに来ようとは思わないが」

「ああ、危険だとも。中堅クラスの冒険者でも極力避ける森だ。入る前にさんざん反対しただろうが」

「しかし、ここを通らなければリミットまで間に合わない」

「だから、最後は退いたんだろうが。最初から3対1だったがな」


 面白くもなさそうにフンと鼻を鳴らす。彼女自身の考えとしてはこの森は極力通過したくなかったらしい。また、当事者であるため森への突入策を支持したフェネカも、内心ではアルマと同意見の様な迷いがあるように見えたことを今さらながらに思い出す。

 なお、約1両は”新しいバイオームキタコレ!”と燥いで突入を強硬に支持していた。エリクシルの少女2人は生物群系という意味でとらえたのだろうが、ユキトにとってはマインクラフト的な意味にしか聞こえなかったのは完全な余談だ。


「その魔獣の数は多いのか?」

「いいや、決して多くはないし小規模な群れを作っているから遭遇する確率は低い。………と思いたい」


 ヴァプールの森を危険区域たらしめているもの、それこそがフォレスピオンと呼ばれている魔獣だった。

 体長3m、尾部を含めれば全長5mに達する多脚の魔獣で、地球で言うところのサソリによく似た造形をしている。大抵は3から9体の群れを成して行動し、主な武器は1mに達するほど異常に発達した2対の鋏脚と尾部の先端に発達したクリスタルによる様々な属性の収束魔力光線。

 鋏脚は竜種の甲殻で補強されたビークルの外壁や多重魔術防壁を易々と引き裂く力を持っており、動きも巨体に見合わず機敏であるため近接戦闘は至難の業。

 ヒュッケバインの様な相手を妨害するような遠隔魔術は使わないものの、収束魔力光線は生半可な結界では防げないほどの威力を持ちながら複数の属性を放てる上に外からでは違いが分かりづらく、単属性の対魔術結界で防ぐことが難しい。

 さらに、全身を覆う群青色の甲殻は曲面と複数の材質を重ね合わせた所謂複合装甲となっており、水か土属性の対魔術結界を常時展開しているため高火力魔術の多い火属性と風属性の魔術が効きづらい。

 そして何より、このように面倒な性質を多々持ったうえで個々に連携して獲物に襲い掛かるので質が悪いことこの上なかった。水属性の魔力光線を火属性の対魔術結界で防がせた直後にほかの2体が火属性と土属性の十字砲火クロスファイアを浴びせる程度の連携は息をするように行ってくる。一流の魔術師ならば水か土の属性を持つ魔術を急所である頭部にピンポイントで打ち込めば仕留めることが出来るが、今のところ6体以上の群れと遭遇して生きて帰った前例は存在しない。


「………改めて聞くと選択を誤ったような気がしないでもないな、それ」

「だから言っただろう?”祈れ”、と。まあ、今回はガーズルフが居る上にその子供のお守りすら任されているんだ。奴らが待ち構えているところに行こうとしたら何かしら警告を出すだろう」

「頼りになるのは野生の勘か」


 ――おい、ノーマッド

 ――やさーしさとゆーめのーみなもとーへー

 ――いつまで歌ってるんだ。空間歪曲レーダーに変化は?

 ――今のところなしです。でも、今回はアテにならんでしょう。

 ――何故だ?

 ――空間歪曲レーダーは質量に反応しますが、レーダー画面上に反映されるのはデータベースに検索をかけたうえで不自然な”動き”をする物体だけですからね。全力で待ち伏せガン待ちオンラインやってる連中には効果がありませんよ。

 ――ちっ、考えてみれば当然か。フォレスピオンが芋砂だってことを願うしかないか

 ――ところで、フォレスピオンがどうあがいてもデススティンガーな件について

 ――ガイサック程度であってほしいよ、いやマジで。

 ――味方にコマンドウルフ的なのは8体いますけどね

 ――ロングレンジライフルとか作れないか?

 ――無茶言わないでください。発煙弾ぐらいがせいぜいです

 ――なら


「わぷっ、なんだ、おい」


 ノーマッドといつも通りに暴走気味な脳内会話を繰り広げていたユキトの意識は、タブリスに頬を舐められたことによって強制的に中断させられてしまう。ガーズルフ流の信頼の意思表示なのか、それとも単に3時のおやつに見られているのかはわからなかったが、ぼんやりと外の風景を眺めるだけだった彼の認識を現実に引き戻す効果は確実にあった。


「僕はエサじゃないぞ、どうしたんだいきなり」

「グルゥ」


 一つ唸って、タブリスは2時方向へとその突き出した鼻先を向ける。自然、ユキトの視線もそれにつられて右側に広がる密林へと向かい。ある物を見て硬直した。


「おい、どうした?ユキト」


 石化の魔術でも受けたかのように固まった彼を不審に思ったアルマが声をかけるが、その言葉は彼には届かなかった。ユキトの視線は右側の木々の間から洩れる光にくぎ付けになっている。


「止まれっ!」


 普段の彼からは考えられないような鋭い声が森に響き、腐葉土と倒木を踏み砕きながらノーマッドが停車する。その直後「なんじゃ?何故止まる」と避難がましい目をしたフェネカが戦術士席のハッチから顔を覗かせた。


『どうしまし…って、アレは』

「ノーマッド、周囲を警戒しておけ。フェネカとアルマは此処で待っててくれ。すぐに戻る」

「は?いきなり何を…待て!おい!」


 アルマの制止を振り切り、キューポラから躍り出たユキトはヴァプールの森に降り立つと木々から洩れる光に向け、途中障害となる小枝や巨大な菌類を切り飛ばしながら一目散に走りだした。その後ろをタブリスがぴたりとついていく。

 踏み固められていない堆積物で埋まった森の地面は走りづらく、ナノマシンの補助がなければ何度よろめいていたかわからない。倒木を踏み越え、自分の背丈ほどもあるキノコの間を抜け、100mほど走ったところで視界が急に開け、ようやく立ち止まる。ややあって、たまらずノーマッドを飛び出したアルマがコートのあちこちに落ち葉や泥をつけながらユキトへと追いついた。


「おい!何を考えて!い…る…」


 アルマの怒気を含んだ声は目の前の情景を脳が認識するにつれて指数関数的に小さくなっていき、ついにはユキトと同じように目の前の光景にあっけにとられたように棒立ちになってしまう。


「は、はは。どういうことだよ、おい」


 そこは、極相林となっている森には似つかわしくない。それ以前に、この星には似つかわしくない光景が広がっていた。

 目の前に広がる半径50mほどの領域にはこれまで飽きるほど見た巨大な木々が一本も生えておらず、傾きかけた午後の日差しがまぶしいほど降りそそいで居る。地面に生える草木も森に生えていた種とは全く異なるもので、彼にとっては懐かしさすら覚えさせる。


「これは…星遺物アーティファクトか」

「アーティファクト?」


 聞きなれない単語に隣の魔女へと視線を移す。彼女の眼には隠し切れない好奇心の光が見て取れた。


「私もこの目で見るのは初めてだ。星遺物アーティファクトは大災害後に知生体がゆりかごから外へ出た時には既に存在していた、魔力を全くもたない物や土地の事だ。何時、何故、どうしてできたのか全くもって謎。唯一解っているのは大災害前には存在しなかったという事だけだ。だから、星の涙がこの星に遺した物、すなわち”星遺物”と呼ばれている」

「聖遺物、これが」


 ―嘘だ、ありえない。こんなことがあるのか


 頭の中ではそんな言葉がぐるぐると循環している。理性が眼球から取り込まれる情報に叫び声をあげ、直観が固めたくもない予想を急ピッチで建造していく。そして彼の意識は、数瞬の後に常識を振りかざす理性という名を借りた固定観念をを切り伏せた。


「ありえないことは、ありえない。か」


 ゆっくりと歩き出す。泥と落ち葉に汚れた半長靴がオオバコの葉を踏みつぶし、シロツメクサを踏みつけ、見慣れたタンポポの茎を蹴り上げて白い綿毛を数本飛ばした。

 視線はぽっかりとあいた空間の中心に立つ、半壊し朽ちかけた木造の建築物へとくぎ付けになっている。

 カツリ、と硬い地面の感触を感じ視線を落とす。薄い土と草の向こうには整然と並んだ石畳がうっすらと見て取れる。視線を建造物とは逆の方へと向けると、砕けて苔むした円筒や直方体の岩がゴロゴロと転がっていた。

 硬い地面の上を歩いて建造物へと近づいていく。一歩進むごとに疑念は確信に変わり、また一歩進むごとに確信は疑問へと置換される。答えの無い問いが頭の中で跳ねまわるのを無視したまま、半壊したソレの3mほど手前で立ち止まった。ややあって、ついてきたアルマも隣に並び、普段とはかけ離れた様子の彼の顔をちらりと確認した後、目の前の星遺物へと視線を向け、結論を出した。


「これは、何かの家か?木で作られているようだが、やはり随分と古い」

「家、といえば家なのかもな。だが、違うだろう」

「何だと?」


―なんてこった、何が星遺物だ。の間違いじゃないか

 

 星遺物の詳細を知るはずのないユキトの言葉を、根拠のない意見だとアルマは無視することはできなかった。それほどまでに、彼の言葉にはある種の確信が込められていた。


「神の家だ。僕らの言葉でいうならば、そう…

「じん、じゃ?」


 長い年月によって朽ちてしまったためか半分ほどが自重を支えきれなくなりつぶれてしまっている。しかし、まっすぐ続く石畳、一か所に転がっている砕けた石倒壊した石造りの鳥居、申し訳程度に残った瓦、朽ちて2枚の壁しか残っていない横長の箱賽銭箱、辛うじて原型を保っている優美な曲線を描いた屋根、数枚の板しか残っていない階段に遺され風化した金属片の集まり。

 日本人である自分の直観と周囲に散らばる手掛かりは、一つの結論をピンポイントで打ち抜いていた。


「そうだ、僕の星で、僕の居た国ではありふれた建造物だ」

「なっ……」


 手入れされず朽ち果てた地球の神社。エリクシルには存在しない、存在してはいけない光景が目の前に広がっていた。

 それを眺めながら隣にたたずむユキトの顔がゆがんでいくのを魔女は見てしまった。それは嫌悪か、恐れか、失望か、もしくはその全てか。その姿にかつての自分を思い出し、大丈夫か?とアルマが声をかけようとした時だった。




 それまで静寂を保っていたヴァプールの森を、獣の悲鳴が切り裂いた。






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