木葉のその後 3
木葉がヌシの下を去ってから一年近くが経ったある日、彼は再びヌシの前へと現れた。
「よくも私の前に顔を出せたものだな。今頃になって詫びる気になったか?」
彼女は一見淡々と言う。だが内心は決して穏やかなものではなかった。そんな心の中心にあったのは、怒りではなく悲しみだった。
木葉を一目見た途端、彼の命が既に尽きかけていると分かってしまった。それほどまでに彼の纏っている気は細くて弱々しいものになっていた。
「お久しぶりですヌシ様。今日はお願いがあってきました」
木葉はそんな死にかけの体であるのを感じさせないような凛とした声で言った。
「願い?言っておくがお前の命を長らえさせることなど出来んぞ。人間の女などに生気を与えた己の浅はかさを呪うのだな」
もし木葉を助ける術があるのなら、彼女はこれまでの遺恨を全て流してでもそれを実行していただろう。だがもはや何をやっても手遅れだった。たとえ彼女が自分の生気を木葉に分け与えたとしても、今の彼にとっては穴の開いたコップに水を注ぐようなもの、すぐに全部零れ落ちてしまう。その事実が、何もできない自らの無力さが悲しく、しかしそんな思いを押し込めながらあくまで冷たい物言いに徹する。
だが木葉はそれを聞いても落胆した様子は無い。
「俺の命が尽きるのも、助かる方法が無いのも分かっています。だからヌシ様、そうなる前に俺を封印してくれませんか?」
「封印だと?」
木葉が言ったのはあまりに予想外の言葉だった。彼女は困惑しながらも、何とか損の真意を測ろうとする。
「封印されれば命が尽きることは無い。それが狙いか?」
「はい」
頷く木葉を信じられないという目で見る。封印されている状態というのは、その間時が止まっているようなものだ。確かにそれなら死ぬのは回避できる。だがそれでは到底納得がいかなかった。
「封印されては、お前は何も考えることも感じることもできなくなる。ずっと眠っているのと同じだ。そんなものは到底生きているとは言えんぞ」
「分かっています」
「ならお前はいったいなぜそれを望む」
木葉が何を考えているのか分からなかった。そんなことをしていったい何になるというのか。
じっと黙ったまま答えを待っていると、木葉がゆっくりと口を開く。
「子供が産まれたんです、志保と俺の子供が。名前は晴って言います」
「何の話だ?」
質問と帰ってきた答えが噛み合わず、彼女はますます困惑する。だが木葉はそのまま言葉を続けた。
「晴は志保が人間の世界で育てます。だけど妖怪である俺の血を引いた子、もしかしたらそのせいで将来人には無い悩みを抱えるかもしれない。だからヌシ様」
木葉はそこで一度言葉を切ると、改めて主を見据える。そして言った。
「もしいつか、晴が俺を頼ってここに来たらその時は封印を解いてほしい。我が子が悩んでいる時に、力になってやりたいんだ」
ヌシは唖然とした表情でそれを聞いていた。それから少しの間沈黙が流れ、ようやく再び声を発する。
「一度封印を解けば二度目は無い。その時こそ間違いなくお前は死ぬぞ」
「はい。でもどうせ残り少ない命なら、子供のために使いたい」
「……そのための封印を、私にかけろと言うのか?」
「はい」
事の重大さとは裏腹に、木葉はいたってあっさりと言い放つ。だが話を聞いたヌシはそれとは対照的に、肩を震わせ目にははっきりと怒りの色がさしていた。
そして、そのたまりにたまった感情を一気に爆発させた。
「バカか貴様は!私に逆らった身でよくもぬけぬけとそんなことが言えたな。私が今でも許していないのが分からんのか、お前なんぞの頼みを聞くとでも思っているのか!」
荒々しい声で捲し立てながら、気づけばその手で木葉に掴みかかっていた。これまでは最低限保ってきていた主としての威厳さえ、もはやそこには残っていなかった。
木葉はそんな彼女に何の言い訳も反論もしない。ただもう一度はっきりと言う。
「お願いします。俺を封印してください」
その途端、今まで掴んでいた手が外れダランと垂れ下がる。
「……お前のような身勝手な眷属などいないぞ」
ため息をついたヌシは、怒っているようにも呆れているようにも見えた。
「一つ聞く。お前の子がいつまでたってもここに来なければどうする気だ?」
「その時は、俺が出るまでも無く健やかに育っているということなので安心します。でももしそんなことになったら、ヌシ様の判断で封印を解いてください。そしたら、俺は志保に会いに行きます。例え向こうが俺を見えなくても、出来ることなら最後はそばにいてやりたいから」
それを聞いて、ヌシはもう一度盛大にため息をついた。その表情からは疲れが見え、もはや声を上げる気力さえも残っていなかった。
「……半分だけ聞き入れよう」
やっとの思いでボソッと呟く。
「封印はする。だがそれをいつ解くかは約束できん。たとえお前の子が訪ねてきても解くとは限らん」
だけど木葉はそれを聞いて尚、ヌシに向かって深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます」
彼女はそれでも何も答えない。ただ黙ったまま木葉に手の平を向けてかざした。するとそこから光が現れ、見る見るうちに木葉の体を飲み込んでいく。封印が始まるのだ。
光に包まれながら木葉の姿が見えなくなる中、最後に声だけが届いた。
「ヌシ様、今までお世話になりました」
そして光は木葉の体を包んだまま、近くの木へと吸い込まれていった。
これで木葉は、この木を依り代として封印された。再び封印が解かれるまで、姿を見る事も声を聞く事もできなくなった。もはやその影さえも残っていない。
ふとその時、近くに誰かの気配を感じた。
「辛い決断でしたね。我が主よ」
振り向いた先にいたのは鹿王だった。いったい何時からそこにいたのだろうか。彼は今起こった一部始終を理解していたようだ。
「………」
ヌシは何も答えなかった。だけどその目には光るものがあった。
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