第11話

「――――――っ」


 もうすぐ木葉が見えなくなる。そんなのは嫌だ。そんな本音を漏らした直後、私は嗚咽の混じった言葉にならない声を上げた。

 それから、気がついた時には身を預けるように木葉に向かってもたれ掛かり、両手を背中へと回していた。


「志保……」


 木葉が驚いた顔で私を見る。その温もり感じながら、この温もりさえももうすぐ分からなくなるという事実が胸を刺した。


「木葉。私は、アンタが……」


 握っている手に力がこもる。かつて私は、妖怪が見えることが嫌で嫌で仕方がなかった。いつか自分も他の人と同じように、妖怪なんて見えなくなることを心から望んでいた。

 なのに今は、妖怪が見えなくなるのが、木葉のことが分からなくなるのが、たまらなく怖い。このままずっとこうして、木葉の体を抱きしめていたかった。そしてできる事ならそのさらに先も―――


「志保はもう、俺がいなくても大丈夫だよ」


 なのに、この期に及んで木葉はまだそんな事を言う。そんな言葉なんて聞きたくない。木葉が見えなくなる未来なんて、想像するのも嫌だった。

 掴んでいる手はそのままに、顔を上げ、改めて木葉の顔を覗き込む。あと少し近づけば互いの唇が溢れ合うくらいの、ほんのわずかな距離。そこで私は、もう一度さっきと同じ質問を繰り返す。


「答えてよ。木葉は、私が木葉のことを見えなくなっても平気なの」


 耳をすませ、じっと答えを待つ。一呼吸おいてから、木葉の声が届いた。


「俺は、志保が笑っていられるならそれでいい。その時、俺が傍にいなかったとしても」


 返ってきた答えは、私の望んだものじゃなかった。木葉は私の肩を掴むと、遠ざけるようにその体を引き離した。

 そして、わずかに目を泳がせながら言う。


「俺のことは、忘れていいから」


 その一言で、元々涙で滲んでいた景色が更に不鮮明になる。

 忘れていい。木葉が本当にそう思っているのか、それともこのどうしようもない状況を無理やり納得させるためにそんな事を言ったのかは分からない。だけど、例え建前だったとしても、木葉の口からそんな言葉は聞きたくなかった。


「……バカ」


 その一言が自分から発せられた言葉だと気づき、しまったと思う。

 本当はこんな事を言いたいわけじゃない。もっと他に伝えたい事が沢山ある。だけど一度できてしまった流れは変えられない。続く言葉もまた、本音とはかけ離れたものだった。


「いいわよ。だったら忘れてやるわよ、木葉のことなんて!」


 怒りと共に罵詈雑言をぶつける。木葉はそれに対して反論も文句も言わず、黙ってそれを受け止める。その態度が余計に腹を立たせた。

 それからも私は、思いつく限りの暴言をぶつけた。

 木葉を傷つけたいわけでも嫌いになったわけでも無い。ただ、私の目からは落ち着いたようにしか見えない今の彼から、もっと感情を引き出してやりたがった。暴言に対する否定でも、あるいは怒りでもいい。なんでもいいから、この全てを受け入れているような表情を崩してやりたかった。

 けれどどんなに言葉をぶつけても、木葉は決して何も言い返しはしなかった。


「……見えなくなって、せいせいするわ」


 出てくる言葉もついに底をつき、とうとう吐き捨てるようにそんな事を言う。

 そして、背中を向けてその場から立ち去ろうとする。だけどその足取りは重く、どこかで木葉が呼び止めてくれることを期待していた。


「……ごめん」


 後ろから、ポツリと木葉の声が聞こえた。もしかしたらそれは、私の願望が生み出した幻聴だったのかもしれない。それでも私は、聞こえた瞬間に足を止めて振り返り、再び木葉に向き合おうとした。

 だけど……


「木葉?」


 そこに木葉の姿は無かった。


「木葉、どこ?」


 名前を呼んでも返事は無い。私に呆れてどこかへ行ってしまったのか、あるいはここにいるのに見えていないのかもしれない。

 どちらにしろ、目の前に木葉がいないことがたまらなく不安になる。


「いるんでしょ。返事してよ」


 既に、ついさっきまで罵倒していたことも忘れていた。だってあんなのはいつものことだ。私が木葉にあれこれ文句を言って、少しすれば何事も無かったみたいに元の調子に戻る。今まで私達はずっとそうやってきた。

 だけど今、何度呼んでみても返事は返ってこない。


「……どうして」


 今頃になって後悔が押し寄せてくる。

 どうしてあんなに簡単に腹を立ててしまったのだろう。どうしてもっと話をしようとしなかったのだろう。こんなはずじゃなかった、こんな事になるなんて思わなかった。

 本当は、二人でお祭りを楽しんで、残り少なくなった時を一緒に嘆いて、そして今まで言う事の出来なかった思いを伝えるつもりだったのに。


「木葉…木葉…」


 涙の混じる声で何度もその名を呼び続ける。だけどいくら読んでも、ついに木葉の声が聞こえてくることは無かった。

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