妖しいアイツが見えなくなるまで

無月兄

夏まつり

第1話

 日が沈み、うだるような暑さがようやく和らいできた頃、私、朝霧志保あさぎりしほは浴衣の袖を揺らしながら神社の裏山を登って行く。

 開けたところに出て眼下に広がる風景を眺めると、さっき歩いてきた神社へと続く道が見える。道の両脇には屋台が並び、掲げられたいくつもの提灯によって照らされていた。耳を澄ませば、風に乗って微かにお囃子の音が届いてくる。小さいころから何度も見てきた夏祭りの光景だった。


 だけど私はそんな賑やかな光景を背に、山の中へと続く道をグングン進んでいく。しばらくの間歩いていると、やがて前方に一軒の古びた社が見えた。


 社の前までたどり着くと辺りを見回す。祭りのあっている神社とこの社は距離こそ近いものの双方には特に関係性は無く、今行われている祭りの賑やかさも、ここでは無縁のものだった。

 こんな日に、わざわざこんな所に来るような人間なんて私くらいのものだろう。そう思っていた時だった。


「志保!おーい、志保ってば!」

「きゃっ!」


 急に耳元で名前を呼ばれた。それも結構な大声で。それがあまりにも唐突だったから、私は思わず声を上げた。


「やあ志保。待ってたよ」


 びっくりしてバクバクと心臓を鳴らす私をよそに、声をかけてきたそいつは暢気そうに言った。

 相変わらず音も無く現れる奴だ。ゆっくりと隣を向くと、そこには時代がかった白い着物を身にまとった少年がいる。彼はにこやかに私を見ていた。


「少しは人を驚かさずに出てこようとは思えないの。木葉このは


 逆に私はこれでもかというくらいの仏頂面だ。だと言うのに木葉は何が面白いのかクスクスと笑っている。

 木葉とはそれなりに長い付き合いだけど、こういうとき何を考えているかは未だにわからない。


「酷いな。俺は何度も声をかけたよ。志保がそれに気づかなかっただけじゃないか」


 そんなもの全く聞こえていない。本当は怒って抗議したいところだけど、何を言ってもこいつが堪えるとは思えない。結局私は僅かに顔をしかめるだけだった。



 その時、急に後ろにある茂みからからガサガサとがした。それと同時に私達を光が照らす。


「そこに誰かいるのか?」


 そんなセリフとともに茂みの向こうから姿を現したのは、ライトを手にした警察官だった。毎年祭りに乗じてハメを外す輩がいるので、こうしてその周辺まで見回りをしているのだろう。


「何やってるんだ。女の子がこんな所に一人でいたら危ないじゃないか」


 警官は私を見るなりお説教を始めた。一方木葉はこんな状況でも相変わらず暢気そうにしている。警官はそんな木葉の事など見向きもせず、ただ私にばかりお説教を繰り返す。

 私は、一人じゃないよと密かに心の中で呟いていた。


 何も悪い事をしていたわけじゃないので補導されたりはしなかったけど、警官は一頻り注意した後、すぐに山を下りるようにと言い残して去って行った。


「怒られちゃったね」


 ずっと私の隣にいた木葉が他人事のように言う。実際に怒られたのは私だけだから、確かにコイツにとっては他人事かもしれない。だけど…


「木葉も一緒に怒られなさいよ」


 私だけが怒られるのは何だか納得がいかないので、そんな悪態をつく。


「そうしたいのは山々なんだけど、俺の姿は志保以外の人間には見えないからね」


 そう言って大げさに溜息をついた。



 そもそも私があんな所まで行ったのは木葉に会うためだと言うのに、当の本人がこの態度というのは何だかずるい。


「だいたい、せっかくのお祭りだって言うのに何で待ち合わせが山の中なのよ。神社にしなさいよ」


 文句を言うと、木葉はまたふっと笑う。


「祭りだからだよ。俺達妖怪にとって主でもない神格の領域にはなるべく近づきたくない。まして祭りで力が強まっていたら、とても中に入るなんてできないよ。志保だって知ってるだろ」


 妖怪。それは人が聞けばふざけて言っているものと思うかもしれない。だけど私は、それが決して嘘でも冗談でもない事を知っている。

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