木葉のその後 2

 志保と晴が社を去って行くのを、遠くから見ていた影があった。それは白い着物を身に纏った女性だった。


「また性懲りも無くここに来おって。当てつけのつもりか」


 二人を見ながら、彼女はその美しい容姿に似つかわしくない怒気を孕んだ声で言った。そんな彼女の前に、もう一人別の人影が現れる。いや、人影と言うのは誤りだろう。新たに現れた彼は人間に近い姿をしていたが、その頭からは二本の角が生えている。鹿王だ。


「あの二人のことが気になりますか?ヌシ様」


 ヌシ様。それが彼女の呼び名だった。もっともっと昔は何か別の名前で呼ばれていた気もするが、そんな物はとうに忘れてしまっていた。故に彼女の本名を知る者はもはや誰もいない。

 ヌシは鹿王の問いに、元々不機嫌だった顔をさらに歪めながら言った。


「憎い相手という意味では、気になるな」

「憎いですか。その割にははぐれてしまった青子を送り届けていましたが?」


 鹿王が柔らかな表情を浮かべながら、彼女に真意を確かめるように言う。穏やかな顔つきのはずなのに、なぜかその奥にあるはずの感情というものが見えてこない。まるでリアルな仮面でもつけているようだ。


「あいつらがいつまでも私の領地にいれば不愉快にもなる。それだけだ」

「ならいっそのこと命を奪いますか?いつかあなたが僕に命じたみたいに」


 さらりととんでもなく不穏なことを言う鹿王。しかしかつてヌシが鹿王に対して志保の命を奪うように言ったのは事実だ。正確には、志保が木葉に会いに行くのを止めないなら力づくで排除しろとのことだった。

 結局その命令は木葉によって止められ、木葉が彼女のもとを去って行く原因にもなったのだが。


「鹿王、


 彼女が鋭い声で言った。するとその途端、鹿王はそれまで動かしていた口を急に閉じ、一言も喋らなくなってしまった。それは単純に主である彼女の言葉に従ったというわけでは無かった。

 その様子を見て、主はフンと鼻を鳴らす。


「所詮お前達は私の命令には逆らえん」


 逆らえない。それは決して比喩などではなく、言葉通りの意味だった。

 神格の妖怪である彼女には、ある特殊な力があった。主である彼女が命令すれば、鹿王を始めとする彼女の眷属は決して逆らえないという絶対服従の力が。それはある種の呪いと言ってよかった。


「木葉もそうだ。あいつが私に逆らうなど、あってはならぬと言うのに」


 木葉も彼女の眷属の一人であり、当然その命令には逆らえないない。だからこそ木葉はこの地を去った。決して命令の届かない場所に行く。それが眷属である木葉にできる最大の反旗だった。

 当時の事を思い出し、気づけば彼女は固く手を握りしめていた。


「バカな奴だ。あんな人間の女など忘れ、ただ私の言葉にだけ従っていれば良かったものを。そうすれば、そうしていれば…」


 いつしか握った手は震えていた。そして吐き捨てるように言い放つ。


「木葉、お前の命が尽きることも無かっただろうに」

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