番外編
志保と木葉と少女マンガ
「木葉…木葉!」
私は一人、何度もあいつの名前を呼ぶ。
もし知らない人がこれを見たら不思議に思うかもしれない。誰かを探しているというのは分かるだろうが、中学生がわざわざこんな山の中に来ることはそうそう無いだろう。
だけどいくら想像力を働かせたところで、おそらく正解には辿り着けまい。そんな事を考えているうちに、辺りに鳥が大きく羽ばたくような音が聞こえてきた。
「志保、おまたせ」
同時に呑気そうな声が聞こえてきて、私は空を見上げる。そこにいたのは時代がかった白い着物を着て、背中に大きな翼を生やした少年、木葉だ。
翼の色は白いが、これでもカラスの妖怪であり、私の悪友だった。いったい誰が、私を見て妖怪に会いに来たのだと予想できるだろうか。
「それにしても木葉、あんたに会いに毎回山まで来るのも疲れるわよ。どうにかならないの?」
「ごめん。でも俺と話していても他の人間から見れば志保が独り言を言っているようにしか見えないから、あまり人目につかない方がいいんじゃないか?」
木葉の言う事ももっともだ。こいつの姿は普通の人間には見ることはできない。それにこんなのは私がいつも言っている悪態の一つで、本当のところ私はここに来るのが嫌というわけじゃ無かった。
木葉もそれは十分に分かっているだろうけど、それでも一応ご機嫌を取るようにあるものを私の前に差し出した。
「なにこれ?」
「見ての通り饅頭。小豆洗いに良質の小豆を分けてもらったんだ」
小豆洗いとはその名の通り小豆に縁のある妖怪だけど、今気にするのはそこじゃない。小さな子供じゃあるまいし、お饅頭なんかで機嫌が取れるとでも思っているのだろうか。
「…あっ、美味しい」
「だろ」
そのお饅頭は思った以上に美味しかった。まあ、これなら機嫌が良くならない事も無い。
「ところで志保、あれは持って来てくれた?」
私が食べ終わったのを確認すると、木葉は期待のこもった目で聞いてきた。
「ああ、心配しなくてもちゃんとあるわよ」
そう言って私は持って来た鞄を開いて中身を取り出す。それは木葉から、次来る時に持ってきてほしいと頼まれていたものだった。
それは何かというと……
「はい、マンガ本」
「おぉーっ」
木葉に渡したのは、言葉通り数冊のマンガ本だった。人間の世界に興味のある木葉は、時々こうして私に様々な人間特有の品を見せてほしいと頼む事があり、今回はマンガだった。
「持ってる中から適当に選んでおいたから」
「ありがとう。さっそく読ませてもらうよ」
言うが早いか、木葉は手にしたそれをパラパラとめくり始めた。
だけど彼は知らない。私が持っているマンガはそのほとんどが少女マンガ。しかも甘い雰囲気の作品が好きだったりする。そんなのを読んで木葉がどんな反応をみせるか、実は少し楽しみだったりもする。できれば赤面の一つでもしてくれれば面白いと思っていたのだが。
「う~ん」
木葉は小さく唸って本を閉じた。その顔は赤面どころか、何とも困った表情をしていた。
「面白くなかった?」
期待していた反応が得られず、少しがっかりしながら聞いてみる。だけど木葉のその表情のわけは、面白さ以前のもっと根本的なものだった。
「字が読めない。考えてみれば俺達と人間じゃ使う文字が違ったんだ」
「あっ……」
そうだった。木葉達のような知性を持った一部の妖怪は文字だって使うけど、それは私達人間のものとは違っていた。
「じゃあそれは無駄だったか」
面白い反応を期待していただけにちょっと残念だ。ところが木葉は、少し考えた後にこう言った。
「ねえ志保。読んでくれない?」
「えっ……」
木葉は純真な目で私を見る。しかし私は返答に困ってしまった。
「いや…それは、ちょっと」
そりゃ確かにそうすれば木葉にだってマンガの内容は伝わるだろう。だけどそれを実行するには、私にとって大きなハードルがあった。
「だめ?」
そんな私の心の内など知りもせず、木葉は寂しそうな表情を見せる。
うん、だめだ。木葉には悪いけど、これをやると言うわけにはいかない。そう思っているのに。
「……わかったわよ」
残念がる木の葉の顔を見ていると、気が付いたら何故かそんな事を言ってしまっていた。
―――ああ、そうだ私
もうずっと前から
「私、真白くんが好き!」
「おぉーっ」
私の読んだ文章に反応し、木葉が声を上げる。私はその様子を見てキッと睨みつける……元気もなかった。
今読んでいるのは主人公の女の子がヒーローポジションの男の子に告白するシーン。私の好きなシーンでもあり、何度もキュンキュンさせられた。
だけど……
「真白くんのこと好きだって分かって、今こんなに嬉しい…魔法みたいだよ……」
もう一度言おう。私はこのシーンが好きだった。今でも大好きだ。しかしだからと言って、人前でこれを音読できるかと言うと話が変わってくる。何と言うか、物凄く恥ずかしい。きっと今私の顔は耳まで真っ赤になっているだろう。
「それで、次は何て書いてある?」
だというのに木葉は早く続きをとせかしてくる。どうやら内容も気に入ってくれたみたいだ。
お気に入りの作品だから、気に入ってくれて嬉しい……なんて思う余裕はもちろんなかった。
何でコイツの前で甘々な言葉を延々繰り返さなきゃいけないんだ。何度もそう思いながら、やっとの思いで最後のページをめくった。
「いやー面白かった。また今度もってきて」
全てが終わった後に木葉が言った。だけど私の答はこうだ。
「二度と持って来るかーっ」
「えぇーっ、面白かったのに」
木葉は残念そうだったが、いくらそんな顔をしようと、いくら好きなマンガだろうと、こんな恥ずかしい思いは二度とごめんだ。
「そんなに見たきゃ誰か他にあんたが見える人を探しなさい。暇潰しの遊び相手もその子にやってもらって!」
ほとんど八つ当たりのように言葉をぶつける。木葉はその勢いに押されながら、それでも言った。
「もし志保以外に俺を見える人間がいたといても、やっぱり志保に頼むと思うな」
「はぁ、何よそれ!」
そんなに私をからかって楽しいのかコイツは。もう少し文句をぶつけようと思っていたその時だった。
「オレが一緒にいてほしいと思うのは、やっぱり志保なんだ」
突然放たれたその台詞に、私の声が止まる。
「志保はオレにとって、特別な女の子だよ…」
「なっ……なっ……」
何か言わなきゃ。そう思っているのに言葉が出てこない。さっき告白シーンを音読した時と同じかあるいはそれ以上に、体中が熱くなる。
(って言うか木葉、いったいどうしたの。急にこんなそんな事いうなんて、アンタそんな奴じゃないでしょ。これじゃまるで……)
そこまで考えた時、熱くなっていた体が一気に冷めていった気がした。
「……あんた、それってさっきのマンガのセリフでしょ」
「そうだよ」
あっさり言いったなこいつ。
「アホか―――――っ!」
持てる全ての力を使って叫ぶ私。至近距離でそんな大声を聞かせされ耳を押さえる木葉を背に、さっさと山を下りようと歩き出す。
「待ってよ志保。ふざけて悪かったって」
「うるさい、何であんなこと言ったのよ!」
「ごめんって。だって、何だか恥ずかしかったんだよ」
「恥ずかしいって何が?私の方がよっぽど恥ずかしいわよ」
慌てて追いかけてくる木葉。だけど私はそれを強引に振り払いながら再び怒鳴りつける。
「だってあんな言葉でも借りないと、俺が志保をどう思ってるかなんてなかなか言えないんだよ」
「―――っ」
再び私の声と、それと踏み出していた足が止まる。
「俺にとって志保は特別だよ。でもいざ言うとなると恥ずかしいから、さっきのマンガにあったセリフを借りてみました」
木葉がいたずらっぽく言うと、私はしばらくの間黙り込んだ。そして沈黙の後言った言葉は……
「…もう夕方だし、暗くなってきたから帰るわね」
それだけだ。木葉の言葉に対する返事など何もなく、ただそれだけを告げるとまた背を向けて歩き出す。だってそれ以上は言葉が出てこなかった。今にも破裂しそうなくらいに高鳴る心臓を押さえる事に精一杯だった。
だけど木葉はそんな私の態度に落胆も憤慨もした様子は無く、にこやかに私の隣に駆け寄ってくる。
「麓まで送って行くよ」
「いいわよ別に」
「暗くなってきたんだろ?一人じゃ危ないって」
この会話の間、私はずっと木葉から目を逸らしていた。何だか今は、こいつの顔をまともに見る事が出来なかった。
木葉の言う特別が、いったいどういう意味なのかは分からない。だけど、木葉に特別と言われて、とても嬉しがる自分がいた。
そんなこと、恥ずかしいから絶対に言ってやらないけど。
「――っ!」
偶然か、隣を歩く木葉の手が、僅かに私の手に触れた。たったそれだけのことなのに、なぜか私は大きく身を震わせる。
「どうかした?」
「何でも無い!」
手が触れるだけでこんなになるなんて小学生か。そんなツッコミを自身にいれながら、ふとさっき読んだマンガの最後の一文を思い出した。
ずっと離れずにそばにいよう
いつか手を繋いで歩けるように
私達の場合、今みたいに手も触れられない時があるかと思えば、木葉に抱きかかえられて事も何度もある。距離感のよく分からない関係だ。
だがそれでも、一つ大いに共感するところがあった。
私も木葉と、ずっと離れずにそばにいたかった。
木葉もそう思っててくれたら嬉しい。なんてことを思いながら、そっと隣を見てクスリと笑った。
次は音読しても恥ずかしくならないようなマンガでも持ってきてやるか。
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