志保と晴とクリスマス
年の瀬迫るある日。すっかり暗くなった道を、私は車を走らせながら我が家へと急いでいた。
家には小学四年生の我が子、晴が一人で待っている。今日はいつもより帰るのが遅くなったのできっと寂しがっているだろうし、お腹を空かせていることだろう。
「ただいま。遅くなってごめんね」
玄関の戸を開くととたんに甘い匂いが鼻腔をくすぐり、奥から晴が現れた。
「あっ、母さんお帰り」
晴はエプロンを付けていた。まだ小さいその体には少々大きく見える。そして変わらず漂ってくる匂い。これは間違いないだろう。
「晩御飯作ってくれたの?」
「うん。クリームシチュー」
嬉しくて思わず声を上げそうになる。晴は私の帰りが遅いと、時々こうして自分で夕飯の用意をする。最初は一人で火や包丁を使うのが危ないと思い、目の届く範囲でしか料理をさせなかったが、今ではすっかり慣れたものだ。私自身は元々料理が得意ではなかったので、いつか追い抜かれるのではと危機感を募らせているくらいだ。
何より私が忙しいからと気遣ってくれるその優しさが嬉しかった。我が子は同年代の子と比べてもしっかりしている方だと思うが、それは親バカだろうか?
「ありがとう。着替えてきたら後は私がやるから、晴はもうゆっくりしてて」
コートを脱ぎ、リビングを後にしようとする私。その時テーブルの上にいくつものスーパーのチラシが置かれている事に気付いた。
「これ何?」
「ああそれ。底値表を作ろうと思って」
「底値表?」
耳慣れない言葉に思わず聞き返す。
「底値表って言うのは商品が一番安かった時の値段を記録したものなんだ。それを見れば次に買う時いくらの物を買えばお得かわかるようになるんだ」
「…………」
本当に、しっかりしている。確かに母子家庭で日々家計の切迫している我が家にとってその気遣いはありがたい。ありがたいが、そんな事まで子供に考えさせてしまうようでは母親として何だか申し訳なく思う。
「ありがとう。でも、そこまで気にしなくていいから」
そう言いながら改めてチラシの束を見る。ここ一カ月くらいに届いた近くのスーパー全てのチラシ。そのほとんどに赤ペンでチェックが入れられている。とりあえずこれは有難く使わせてもらおう。
そんな中、脇に避けられたチラシの中におもちゃ屋のチラシがあった。様々なおもちゃの写真と共に、サンタクロースのイラストが描かれている。
そうか、もうそんな時期だっけ。
クリスマスも気付けばもう半月後に迫っている。だけど私はまだ、晴が何をプレゼントに何を欲しがっているのか聞いていなかった。
いい機会だから今のうちに聞いておこう。
「ねえ晴。もうすぐサンタさんがやって来るわよね」
小学四年生ともなるとサンタクロースの正体を知っている子もだんだんと多くなるが、我が家では子供の夢を守るため、サンタはいるんだよと言い聞かせている。
サンタという言葉を聞いて晴は言った。
「サンタクロース、世界中の子供たちにプレゼントを配って回るなんて、奇特な妖怪もいるんだね」
こんなことを言うのは晴がサンタの存在に疑いを持ち始めた頃に、私が言った言葉が原因だった。
『河童や天狗立っているんだから、サンタがいても不思議はないでしょ』
妖怪が見える我が子だからこそ通じる理屈だが、おかげで晴はサンタのことを妖怪の一種と思っている。はたしてサンタを妖怪のだと認識させるのことで本当に子どもの夢を守れるのかは分からないが、おかげで晴は今でもサンタは実在するのだと信じていた。
「晴はサンタさんに何をお願いするの?」
晴は普段、何か物をねだるという事があまりない。いつも家事を手伝ってくれるお礼も兼ねて、クリスマスくらい欲しいものを買ってやりたかった。だがその一方で、あまり豊かではない懐事情というものがある。
遠慮なく欲しいものを言ってほしい。だけどできればあまり高く無いものがいい。矛盾する二つの想いを抱きながら答えを待つ私に、晴は言った。
「乾燥機付きの洗濯機」
「―――っ⁉」
思いの外高いものがきた。しかもなぜ洗濯機?
「えっと…どうして洗濯機が欲しいの?」
恐る恐る尋ねてみる。
「最近服が乾きにくくて、よくコインランドリーに持っていくでしょ。洗濯機に乾燥機がついてれば便利だなって思って」
確かにそうだ。冬場は日差しが弱く、洗濯物を乾かすため近所にあるコインランドリーをよく利用する。私だって、あれば便利だとは何度か思った。
だけど申し訳ないが、我が家にはとてもそんな物を買う余裕は無い。それに何より、家の手伝いのことなんて忘れて純粋に自分が楽しむためのものを言って欲しかった。
「洗濯機は大きすぎて、サンタさんも持ってくるの大変だと思うの。他には何か欲しいものってある?」
「他に?うーん」
言われて晴はしばらく考える。そして次に言った答えは―――
「新しいフライパン。今使ってるやつ、最近こびり付きが酷いから」
洗濯機からずいぶんと安くなった。確かに最近調理する時こびり付きが酷くてイライラするから、そろそろ買い替え時かもしれない。
じゃなくて!
「ねえ。他には、他には何か無いの?何でもいいから言ってみて」
このままだと晴はますます家事に没頭してしまう。それはとてもありがたいのだけど、それに頼ってばかりいては母親として駄目な気がする。
「それじゃあ……」
今度こそ子供らしいものであってくれ。祈るように願いながら、晴の答を待った。
「洗剤に、トイレットペーパーに、キッチンタオル。消耗品はいくらあっても困らないから。あれ、母さん。頭おさえてどうしたの?痛いの?」
「ううん。何でも無い、何でも無いの」
結局、この年のクリスマスプレゼントは図書券になった。これで存分に好きな本を買ってほしい。
何だか母親としての至らなさを痛感させられた気がする。もっと頑張って、せめて我が子がもっと自由に自分の欲しいものを言えるようにしなければ。そう決意した冬の日だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その夜。僕、朝霧晴は学校で出された宿題をしに自分の部屋へと入った。本当は夕飯の後片付けを終えてからのつもりだったけど、母さんは自分がやるからと言って譲ってくれなかった。
母さんはあまり体が丈夫じゃなく、これまでにも小さな入院を何度か経験している。
なのに朝からずっと働いて、家の事まで全部一人でやろうとして、いつかまた体を壊してしまうんじゃないかと時々心配になる。
そんな母さんを支えるためにできる事。それが家事だ。
サンタクロースに頼もうと思った洗濯機やフライパンは無理みたいだけど、道具が無いならその分もっと僕が頑張れば良い。
母さんは無理にしないでいいと言ってくれるけど、たった二人の家族なんだから、出来る限り力になりたい。
うちには父さんがいないのだから、その分もっと僕を頼ってほしかった。
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