レイヤー4 【7/7】

結局、問題の原因はファームウェアのバグだった。

 今回リプレースしたメーカーのルータは、同一バージョンのファームであってもしゆごとに異なるファイルを使用しているらしい。例えばVer4・07というファームウェアについて、機種A用ならVer4・07(for A)、B用ならVer4・07(for B)という具合だ。もちろん提供される機能、サポートするコンフィグは同じ。だがファイルが違う以上、ある機種で動いた設定が別の機種で動作しないことも起こりえる。そうした機種依存問題の一つに工兵達ははまりこんでしまったのだ。

 細かい話はよく分からなかったが、悪さをしていたのはVPNトンネル上のACL──アクセスせいぎよリストだったらしい。だいたい機器のファームウェアでは仮想インタフェース上の(つまりVPNのトンネルなどの)ACLをうまく扱えず、正常な通信までがいしていたのだという。ぞん機器、及びスルガシステムの検証機器では同様のバグがなかったため同じコンフィグでもきちんと動いてしまったらしい。

 室見はコンフィグを作り直す際、いつたんACLを適用せずVPNを設定した。それでうまくいったため今度はACLの設定箇所を仮想インタフェースから実インタフェースに変更、挙動をかくにんしたのだという。

 ──以上は請け売りなので、実のところ工兵は問題を完全に理解していない。ただ状況を説明されたきやくはひどくきようしゆくし、以降必ず検証機材をかくすると約束してくれた。さらには『ほかのトラブル案件についてもスルガシステムさんにそうだんしたい』とか言い始めたので、工兵達はあわてて会話を打ち切った。まともな案件ならともかくトラブルシュートのみ持ちこまれても困る。に社長経由で依頼されてもまずいので、一旦持ち帰ると言葉をにごし工兵達は退散した。

 そのあとのことはよく覚えていない。

 きんちようが抜け落ち、ほとんどがらのようになって帰りの電車に乗った。横に座る室見はやたらとじようぜつで何かいろいろなことを話しかけられた気がする。その大半は社長ので、残りはたわいもない世間話だったが、工兵はただただゆめ心地ごこちに彼女の声を聞いていた。

 連日のすいみん不足がたたったのだろう。電車の揺れに身を任せながら工兵はじよじよしきをなくしていった。

 だから、それはぶん気のせいだったのだろう。

 ちやみずまであと数駅に迫ったころ、横にいる室見がぽつりと口を開いた。せんを正面に向けたままひどく柔らかな調ちようでつぶやく。


「──今日きようはありがとね、さくらざか


    〓


「桜坂君、ちょっといいかな」

 デスクで週報を書いているとふじさきに声をかけられた。

 ほりどめ証券の作業から土日を挟んだげつよう、終電を一時間後に控えスルガシステムのオフィスはかんさんとしている。カモメは一足先に退社し他の社員も外出先からちよつとのことだった。なんとかちよつきんの仕事を片づけ、帰れると思っていた矢先だけにこうへいはぎょっとした。

 ──まさか、また飛び込みの仕事じゃないだろうな。

 恐る恐る立ち上がり振り返る。藤崎は手帳だけをたずさえパーティションの出口にたたずんでいた。

「ミーティングスペースで。すぐ終わるから」

 にこやかな表情が逆に恐ろしい。

 丸テーブルにたどりつくと藤崎がじようの書類を片づけた。工兵にすすめ自分も向かいに腰掛ける。

「……えっと、何かありましたか」

 おずおずたずねると藤崎は苦笑した。じりゆるみ柔らかな表情となる。

「そんな構えないで。いや、ほら。そろそろ入社して二週間だからね。うちの会社で働いてみてどうだったかいてみたくって」

「どうだったか、──ですか?」

むろさんとはどんな感じ? うまくやれてる?」

 ……ああ。そういうことか。工兵は肩の力を抜いた。

「怒られてばかりですよ。……そろそろあいを尽かされるんじゃないかと思ってます」

「そうなの? カモメさんの話だと、二人ふたりとも仲良くやってるって聞いたけど」

 またあの人は適当なことを言って……。工兵はややげんなりしながら答えた。

「一回客先からの帰りに昼ご飯をごいつしよしただけですよ。仕事では──相変わらずです。今日きようも作業報告書、二十回くらい突き返されましたし」

 実際、以前よりきびしさが増している気もした。何かするたびに入りさいに入り指摘が飛んでくる。かいの設定一つでも、なぜそうなるのか、どうしてそのパラメーターを選んだのか説明を求められる。一週間前の自分なら間違いなくいじめと思っただろう。じゆうばこすみをつつき自分にを上げさせようとしているのだと。

 ──まぁ、こないだの作業中もさんざん失礼なこと言ったしな……。

 ごうとくだと思った。むしろ無視されていない分、まだマシと考えるべきか。ただその場合、作業帰りに電車で聞いた言葉は何だったのだろうと思う。ひどくやさしい調ちようで『ありがとう』と言われた。あれは、やっぱり夢だったのか。──というかがんぼう? 自分は深層心理でむろやさしくされたがっているとか。……ううん、いや、まさか。

さくらざか君がどう考えてるかは分からないけど」

 考え込むこうへいふじさきはやや口調を改めてみせた。

「室見さんがあれだけだれかといつしよに動くのって珍しいんだよ。だんの彼女は打ち合わせにも一人ひとりで出てほかの人には手順化された仕事だけ渡すから。桜坂君を客先に連れていったのにもおどろいてたんだ」

「はぁ」

「あと先々週のよう。僕が君を休日出勤させた件あるでしょ。あれ、室見さんにちやちや怒られてね」

「……え?」

「勝手に人の部下を使わないでくださいって。ものすごけんまくだったよ。どうしても人手が必要なら自分が対応するから。新人は土日くらいしっかり休ませろって」

 工兵はぽかんと口を開けた。

 たしかに、あの日室見は工兵の作業量を調ちようせいすると言った。社長の無茶振りを食い止めると言ってくれた。だがまさか藤崎にまで食ってかかっていると思わなかった。

 ………。

 藤崎は「とにかく」と言葉を重ねた。

「室見さんがあそこまで人のことを気に掛けるってあんまりなくてね。彼女、技術的にはゆうしゆうだけどコミュニケーションだから。下の人間つけても一人で動いちゃうし、お客さんとぶつかることも多くてね。桜坂君がつくことでそのあたり変わればと思ったんだけど、──予想以上によい結果が出たかなぁと」

「よい結果?」

「技術的な部分を室見さんが受け持って、コミュニケーション面を桜坂君がフォローする。桜坂君、実家でお店の手伝いとかしてたんでしょ? その時のけいけんかしてもらえればと思って」

 工兵はぎょっとなった。きようがくのあまりから転げ落ちそうになる。彼はろうばいして藤崎を見返した。

「な、なんでそんなこと知ってるんですか。僕、藤崎さんにそんなこと一度も──」

「面接でアピールしたって聞いてるよ? 人事から回ってきた評価資料に、そう書いてあったけど」

 ぜんとする。

 まさかそれを折り込んだ上でむろのOJTを決めたのか? 自分の教育だけでなく室見のフォローも考えて。というか、ひょっとして最初の部署決めからそこまで考えていた?

『──やるなぁふじさきさんも』

 カモメの台詞せりふを思い出す。……なるほど、彼女はあの時点で藤崎の意図に気づいていたのか。にしたって先読みしすぎだろ。この人。社長にやられっぱなしの顔をしながら、なかなかどうして、とんでもない食わせ者だった。

「そういうわけなんで」

 藤崎はにやりとこうかくを持ち上げた。いたずらっぽいまなしでこうへいえる。

「これからもよろしく頼むよ。室見さんからしっかり技術を吸収してもらって、お客さんとのやりとりでは逆に彼女をフォローしてあげて、二人ふたりで早くの戦力になっていってほしいな」


 きゆうけいスペースにおもむはんのコーヒーをこうにゆうする。

 さきほどまでだれかいたのか、備品の灰皿からうっすらと煙が立ち上っていた。工兵はかべぎわのソファに腰掛けプルタブを引いた。一口つけ、あとはもう放心状態でてんじようを見つめる。とてもすぐ仕事に戻る気になれなかった。

『これからもよろしく』

 藤崎の言葉が耳に残っている。これから──つまり、以降も引き続きスルガシステムの社員としてがんれってことだよな。

 ………。

 無理だ──。

 理性が冷静な判断を下す。この会社に入って以来、数限りないトラブルに巻き込まれてきた。わずか二週間でこのありさま。一年、いや一月続けたらどうなってしまうか分からない。だいいち自分はもう会社を辞めるつもりでいたのだ。室見にめいわくを掛けないため、自分の無力さをこれ以上思い知らされないため。スルガシステムを出て次の会社を探す。自分の身のたけに合ったしよくを見つける。

 それが室見を支え部門の戦力となる? じようだんにしても笑えなかった。

 笑えない……よな。

 ───。

「何してるのよ、こんなところで」

 聞き覚えのある声が休憩スペースにひびいた。顔を向けると、廊下の入り口に明るい髪の少女が立っていた。ややとびいろまなこ、桜のつぼみのような唇、小さな顔はいつものようにげんきわまりない。彼女はモカブラウンのプリーツスカートにベージュのパーカーを合わせていた。フロントポケットに手を入れているようがまたひどく子供っぽい。

むろ……さん」

 室見はものげな様子で周囲を見渡した。すん、と鼻を鳴らしこうへいいちべつする。

「週報、書き終わったの?」

「……あ」

 やばい、待っていたのか。あわてて立ち上がりオフィスに戻ろうとする。

「いいわよ、できてないなら。まだ休憩してて」

 室見はない調ちようで言うと歩みよってきた。ぼうぜんとする彼の横にすとんと腰掛ける。

「座ったら」

 中腰の工兵に室見はあごをしゃくってみせた。されるように着席する。室見は特に飲み物を買うわけでもなく彼の横に腰掛けていた。無言でパーカーのポケットに手を入れている。

 ──なんだ、これ。

 工兵はあぶらあせを流し固まっていた。

 ……え? なに、あらいじめ? どうしてこの人、僕の横に座ってるの。何か言いたいことがある? それとも僕に何か言えってこと?

 考えてみれば先週の作業について室見はいつさい触れていない。あれだけれいな態度を取ったのに一言のなんもなかった。だんの彼女なら考えられないことだ。実は、たいがい腹にえかねてこの場で報復しようとしているのかもしれない。とすると今のちんもくはなんだ。ひょっとして自分をどうめ上げるかあんしている? たとえばドライバーを鼻の穴につっこむとか、ケーブルで首を絞めるとか、あるいはタイラップで全部の指をしばり上げるとか──

さくらざか

「すいませんでしたぁ!」

 飛び上がらんばかりの勢いでしていた。ひたいゆかにすりつけ室見のあおぐ。目の前にブーツのつま先があった。工兵はこうべを垂れたまま、ただひたすら小動物のように身をふるわせていた。

「……なにしてんのよ、あんた」

 あきれたような声が降ってくる。恐る恐る顔を上げると、室見がげんな表情で見下ろしていた。

「……なにって、……あやまれってことじゃないんですか? こないだのこと」

「こないだのこと?」

「先週の作業で、室見さんにぼうげん吐いたことです」

 室見は「はあ?」とまゆをひそめた。

「なんでいまさらそんなこと謝ってもらわなきゃいけないのよ。いいから座りなさい。ちょっと話があるから」

 ……話?

 なんだろう、おずおずと立ち上がりソファに腰掛ける。むろぶつちようづらのまま鼻の頭をいた。深呼吸を一回、口を開きかけちゆうちよする。また何か話し出そうとして、すぐに唇を結んだ。

 ………。

 なんだ、一体何を迷ってるんだ。

 に思い見守っていると、室見は「ああもう」と頭を掻いた。かぶりを振りひざ上でこぶしを握る。

「OJT」

 彼女はとうとつに言った。こうへいは目をしばたたいた。

「……は?」

「OJT、合格だから」

 キッとにらみ上げるようにして告げられる。


 ……え?


「まだ二週間たってないけど、あんたには結構働いてもらったし。それなりに使えることも分かったから、そろそろいいかなって。……まぁ、まだ全然だけどね。あんたなんか私から見たらひよっこ同然だけど、それでもしごく価値はあるかなって思ったから」

「………」

 工兵はぽかんと口をあけた。

 予想外の台詞せりふに思考がついていかない。じようだんを言っているのか、いつしゆんそう思いかけたが彼女は真顔だった。

 室見がおもてを伏せる。工兵の反応が気になるのだろう、表情をこわばらせややうわづかいにようをうかがう。

「………、どう」

「どうって」

「私の下で、まだやっていく気ある?」

 調ちように不安げなひびきが混ざっている。こわもてほころび意外なほど気弱な表情がのぞいていた。とびいろひとみが落ち着きなく揺れている。工兵はだまった。

 十日前の自分なら即座に断っていただろう。もともと室見を見返すつもりでがんっていたのだ。彼女に自分を認めさせ、その後辞表をたたきつける。暗色の感情をねんりように自分をり立ててきた。

 だが今、室見に対するわだかまりはうすらいでいる。彼女を上司としてあおぐことに不満はなかった。……いや、まぁ体罰反対とか終電げんしゆとか言いたいことはいくつもあるが。それはそれとして。彼女の下で働くこと自体に異存はない。だから問題があるとすれば、それはもっとおおわくの話。

 果たして自分はこの会社でやっていけるのか、ITという業界で生きていけるのか。──

 ………。

 ………。

 くそっ。

 こうへいてんじようを仰いだ。

 ほんのところではもう分かっているのだ。この会社に入って以来、数限りなくたいけんしてきたしゆ、鉄火場。それらをギリギリのところでくぐりぬけていく快感。本番システム切替え時のひりつくようなきんちようかん。──

 こんな感覚、今まで経験したこともなかった。

 DCでの件を思い出すたび、苦痛とストレスと快感がない交ぜになり神経をおかしていく。バイトや家業の手伝いではけっして得られない感覚。それはやくのように工兵をむしばみ、ほかの可能性をいろせさせていった。

 いまさら自分は他の仕事に満足できるのか? こんな世界を経験して、これだけスリリングな毎日を過ごして。九時に出社し、ルーチンワークをこなして五時に退社する。そんなしよく続けられるのか?

 ………。

 あーあ。

 工兵は口元をゆがめた。

 あくられたときの気分ってぶんこんな感じなのだろう。ひどいことになると知りながら、身を滅ぼすと分かっていながら、それでもきつけられてしまう。引き寄せられてしまう。

「……さくらざか?」

 ちんもくが不安になったのかむろが彼の名を呼ぶ。

 工兵はせんを戻しまっすぐに室見をえた。

「例の検証ざい、──あれ、半分僕のおかげで買えるようなもんですよね?」

「え?」


 僕も──使わせてもらいますから。


 そう、さらりと。

 なにげない調ちようで。

 工兵は自分の進むべき道を告げてみた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なれる!SE 夏海公司/電撃文庫 @dengekibunko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ