レイヤー2 【4/10】

「おはようございまーす」

 部署名のプレートをかくにんしオフィスに入る。見覚えのあるコピーが入り口わきちんしていた。こぢんまりとした空間にミーティングテーブル、かんよう植物、パーティション付きのデスクが並んでいる。……よかった、自分の知っているスルガシステムのオフィスだ。

 の奥、あさし込むまどぎわだれか話し込んでいる。パーティションのせいで横顔しか見えないが、あれはむろだろう。明るい色の髪につんと上向きの鼻、マシュマロのように柔らかなほおえりの大きなストライプのシャツにえんのネクタイを合わせている。

 向かいに立っているのは背の高い眼鏡めがねの男性──ふじさきだった。こんな早くから一体何を話し込んでいるのか。ていうか二人ふたりともてつ? いや、でも室見の服装は昨日きのうと違うし──

「おはよう、こうへい君」

 席につくなりカモメがあいさつしてきた。長く美しい髪を二つにまとめ、陶器のようなひたいしゆつさせている。工兵は小さくしやくして荷物を置いた。

「おはようございます。……皆さん早いですね」

「藤崎さんは徹夜、りつちゃんは着替えだけすませてとんぼ返り、私は基本三十分前行動」

 うわぁ……。

 相変わらずひどい状況だった。だがまぁさっきの部署よりははるかにましか。オフィス内の人間が全員倒れているとか、悪夢のような光景だった。配属されたのがこの部署でまだよかった……ためいき混じりに独りごち荷物を開こうとした時だった。

「……え? そんな、聞いてませんよ。困ります」

 不意に不満そうな声がひびいた。室見の声だった。

 振り向くと藤崎がもうわけなさそうに頭を下げている。片手にけいたい電話を握りしめ、すがるようなまなしで室見を見ていた。

ちやは承知だけど、先方のごうでどうしても今週中ってことなんだ。なんかシステムテストが週明けに予定されているらしくって。こっちの作業が遅れると全部予定が狂うらしい」

 室見は小さなこうを広げ、下唇を突き出した。

「そんなの事前にスケジューリングしていなかった向こうが悪いんじゃないですか。客側のタスク管理が甘いのをこっちに押しつけられても困ります」

「いやまぁ、……そうなんだけどね。それはそうなんだけど」

 藤崎は頭をいつそう低くした。

「あそこはうちの上得意だから。今後の案件を考えるとに断るわけにもいかないんだ。頼むよ室見さん、しようだから」

 言いながら哀れなくらい小さく身をちぢこまらせる。むろはそっぽを向いていたが、ふじさきが頭を下げ続けているのに気づき心地ごこち悪げに身体からだよじった。

「……ああもう、分かった。分かりました。やりますから頭を上げてください。今週中ですね」

 断ち切るように言って身をひるがえす。そのままこうへいに近寄って、むんずとえりくびをつかんだ。

「ちょっ、ちょ、なんですか? 一体」

「いいからだまって来る。仕事よ」

 強い力で立ち上がらされ、引きずっていかれる。

 いや、え、ちょっと何? 何なの? 思わずこうしかけたが室見は問答無用だった。

 ラボルームに入るなり工兵を長テーブルの手前に座らせた。自分は散らかり放題のゆかぞうに進んでいき、ホワイトボードの横──古びた回転に腰掛ける。背もたれに胸をおしつけ、くるりと回転。小さなひざぞうを工兵に向けた。

「本当だったらあんたみたいな素人しろうとにはやらせたくないんだけど──」

 彼女はたんそくし唇をゆがめた。めいもくし、深刻な表情で考え込んでいる。ややあって考えがまとまったのか彼女は目を開いた。

「状況を説明しておくわ。今、私は五つの案件を抱えてる。どれもプライオリティマックスで納期は今月中。遅れたら大クレームの案件ばかり。……て、案件って分かる?」

「……いえ」

 室見は盛大なためいきを漏らした。

「案件ってのは仕事……プロジェクトって考えてもらえばいいわ。それぞれお客さんがいてやることが決まってる。たとえばA社メールサーバこうちく案件って言ったら、Aというお客さんにメールサーバを作ってあげること。これで一案件。ま、仕事の単位みたいなもんね」

 つまり室見は今五つの仕事を並行してこなしているということか。たった一人ひとりで。昨日きのうのような作業をあと四つ行っている?

 工兵はごくりとつばみ込んだ。

 ──なんというか、すごすぎてイメージがかない。

 室見はホワイトボードの上でマーカーをおどらせた。きやくめいと案件タイトル、納期を表形式でまとめ上げていく。

「特に納期が近いのはこの二つ。T不動産のコアL3構築とM情報のインターネットゲートウェイリプレースね。このうちT不動産の方はあらかた検証が終わって今日きよう出荷予定。……と、そこまでもっていったらだれかさんが昨日の朝一でぶちこわそうとしてくれたわけだけど」

「………」

「ぶちこわそうとしてくれたわけだけど」

「………!」

 二回言った!

「まぁ全然気にしてないから、この件はいいわ」

 ………。

 だまこうへいを前に、むろましがおでホワイトボードをたたいた。

「問題はもう一個の案件。M情報の方ね。もともと来週いっぱいで出荷する予定だったんだけど、さっきふじさきさんのところに連絡が入って来週げつようには客の手元に届けてほしいんだって。もちろんじつの設定はまだ全然手をつけられてない。……まぁ私がどう100%かければ一日二日で終わる話だけど、そうするとあんたのめんどう見ている余裕がない」

「………」

「というわけで」

 室見はくるりとマーカーを回し、M情報の社名の横に大きな○を描いた。

「これ──あんたの担当」

 ………。

「……え?」

 工兵は目をぱちくりさせた。

 ちょっと待った。……今なんて言った、この人。

「聞こえなかった? あんたがこの案件を担当するの。私は別案件をこなせるし、あんたは実地で仕事を学べるし一石二鳥でしょ?」

 工兵はいつしゆん絶句し、声を裏返した。

「……い、いや……でも、自分みたいな新人がいきなり……その、機械をいじるなんて」

 現実のきやくがいて実際のお金が動く。そんなもの素人しろうとにやらせてよいのか? しかも室見の口ぶりだと、自分はM情報の仕事を一人ひとりで担当するらしかった。とてもやり切れる気がしない。

 だが室見は涼しい表情を崩さなかった。

「技術的には初歩の内容だし、案件資料もちゃんとまとまってるわ。あんた日本語くらい読めるんでしょ。コピー機の扱いはにがだったみたいだけど」

「………」

 室見はを回し長机からノートPCを引き寄せた。かろやかなキータッチの音をひびかせ液晶ディスプレイをこちらに向ける。手招きされるまま工兵はディスプレイをのぞき込んだ。いろあざやかなパワーポイントの資料が画面に展開されている。

「案件がいようを説明しておくわ。内容はさっきも言ったけど、インターネットゲートウェイのリプレース──つまり入れ替えってことね。今あるゲートウェイルータがパフォーマンス不足になってきたから新しいものに入れ替える、ただそれだけ」

「ルータ……?」

「IPレイヤーでトラフィックをコントロールする装置。電話で言う交換機みたいなもんと思ってもらえればいいわ」

 ………。

 さっぱり分からない。

ぞんのコンフィグは取得済みでネットワーク図はこれ。新しく入れる機器はCiscoのアクセスルータ。現状の構成を見た限り大してややこしいことしてないから、機能的には十分なはず。──そうね、NATの記述方式が大分違うからそこだけ気をつけて」

「NAT……?」

「アドレスの変換規則。……細かい用語はネットで調しらべて。いちいち説明するのもめんどうだし。ま、いきなり実機渡されても使えないだろうし、とりあえずじようで一からコンフィグ作ってみて。イニシャルのコンフィグをテキストにはりつけとくから、それをローカルでへんしゆうする感じで」

 むろの指がウィンドウを切替えメモ帳に文字列を張りつける。またたに大量のアルファベットがウィンドウを埋め尽くした。室見は「はい」とノートPCを差し出した。

「はい?」

「準備完了、作業にとりかかって」

 ───。

 のうで室見の言葉をしやくする。

 なるほど……準備完了ね。これで用意ばんたん、作業に取りかかる準備が──

 できるわけないだろ!

 工兵は目をいた。

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