レイヤー3 【3/5】

 店を出てはんのジュースを買った。

 カモメは取り出し口から缶コーヒーを二つつかみ上げ、一本をこうへいに手渡した。

「あ、ありがとうございます」

「全然、気にしないで。今日きよう工兵君からもらったけいけんに比べたら安いもんだから」

「………」

 それはまぁそうだろうが、何度も言わないでほしい。思い出すたび、気がってくる。

 自販機の横で二人ふたり並び、缶をあおる。たん、ほろにがいコーヒー豆の香りがこうを満たした。工兵はほうと息をついてカモメをいちべつした。

「……ていうかカモメさん、この辺の人なんですか? なんか、電車で通ってるとか言ってませんでしたっけ」

 たしか総武線で通勤しているという話だった。昨日きのうの朝、ふじさきとJRの遅れについて話していたおくがある。ひょっとして聞き違いだったのか。だがカモメは首を横に振った。

「今日はちょっと待ち合わせで出てきたの。このあとりつちゃんと会う約束しててね」

むろさんと……?」

 カモメはうなずいた。

「ほら、あの子、ほっとくと夜昼関係なしに働いちゃうから。たまには外へ連れ出さないとね。買い物とか、映画とか、少しは女の子らしい遊びもさせないと」

「女の子らしい……ですか」

 室見にはまったく似つかわしくない単語だった。いや、だが外見だけなら別におかしくないのか。目鼻立ちは整っているし服のセンスも、まぁ悪くない(TPOをわきまえてるかどうかは別として)。あとは同年代の子と連れだち食べ物やタレントの話にきようじていれば。

 ………。

 だめだ、まったく想像がつかない。こうへいのうに浮かぶむろは常にまゆり上げげんそうなおもちで仕事の話をしている。プライベートの彼女などまったくイメージできなかった。

「室見さんって仕事好きなんですかね」

 言わずもがなのことをたずねる。もちろん好きなのだろう。でなければ、あれほど仕事に打ち込めるはずがない。だがカモメは「うーん」とうなって首をかしげた。

「好き……っていうのとは違うかも」

「違う?」

 カモメは困ったように口元をゆがめた。

「仕事しかないっていうか、あの子の場合、ほかせんたくがないっていうか、……んー、うまく言えないけど」

「………?」

 よく分からない。きょとんとしていると、カモメは「あはは」と頭をいた。

「あたし、なんかよく分からないこと言ってるね、ごめんごめん」

「いえ……」

「工兵君はどう? 仕事楽しい?」

「楽しそうに見えますか?」

「たまにハウス・オブ・ザ・デッドに出てくるゾンビみたいな顔色してるよね」

 工兵はうなだれた。

「………、じゃあそういうことです」

昨日きのうはちょっと楽しそうだったけど」

 よく見てるなぁと感心する。一昨日おとといの晩も室見と険悪になったしゆんかん、現れたし。ひょっとしてどこかでようをうかがっているのかもしれない。

「正直、よく分からないんです」

 両手で缶を包みこみ、飲み口をえる。うつろな空洞が今の自分の心を表しているようだった。

かいを設定して思い通り動かした時は楽しかったです。でもてつとか一日中休みなしで作業するとか、ああいうのが続いたら正直ついていけないと思うんです。室見さんみたいに働き続けるのは……自分には無理だろうなって」

 それに──と工兵は続けた。

「僕、Yさんみたいになりたいって、それだけを考えてこの会社を選んだんです。なのにあれがうそだって分かって、人事の作り話だって分かって、何を目指してよいか分からなくなったっていうか……」

「あ、ごめん。あれ書いたのあたし」

 ……へ?

 こうへいは顔を上げた。

 カモメは気まずそうにせんらした。

「あたし、昔ライターやっててね。そのこと人事に言ったらしゆうしよくサイトのひながた? を作るからなんか適当に書いてくれって。でまぁそれっぽい話をつらつらっとね。まさか、そのまま使われるとは思わなかったけど」

 ………。

 あ、あんたか!

 あんたなのか!

 あんたのせいで、自分は……!

 ていうかライター? あやうくスルーしそうになったけどなんだその隠し設定。対戦麻雀マージヤンゲームの件といいこの人、たいが知れなさすぎる。

 がくぜんとする工兵の前でカモメは「たはは」と肩をすくめた。

「いやぁ、言い出しづらかった。なんか工兵君、あのサイトにすごく思い入れあるみたいだったし」

「できればずっとだまっていて欲しかったです……」

 うらめしげな調ちようでつぶやく。全部人事が悪いと思っていれば、まだしも気が楽だった。少なくとも同じ部署の人間を恨むより気分がいい。

 カモメはもうわけなさそうに頭を下げたあと、声を固くした。

「ごめん、ごめん。でもね工兵君、あれ別に全部うそっぱちってわけじゃないよ」

「………? どういうことですか」

「あたし、SEの知り合いが何人かいてね、──あ、この会社じゃないんだけど。飲み会とかあるとさ、それはもういっぱいを聞かされるわけよ。今の工兵君と同じ、残業がひどいとか休みがとれないとか。あと納期がちやちやだとか、営業ができもしない案件とってくるとか」

「………」

「でもなんだかんだ言いながらみんな仕事続けているのよね。だから、理由をいてみたの。なんで仕事辞めないの? 何が楽しくて今の仕事続けているのって」

 それは──

 今の自分が一番訊いてみたいことだった。一体、何をやりがいに仕事し続けているのか。どうしてこんな無茶に耐えているのか。

「なんて……答えが返ってきたんですか」

「何かを自分の手で作り上げる快感」

 カモメはきっぱりと答えた。

「たとえばさ、メーカーでもの作るって言っても自分一人ひとりでできるものじゃないでしょ? 車の開発とか考えると分かりやすいけど、いろんな会社や人、しきが集まって作り上げるものじゃない。でもシステムは別。コンピュータと技術者がいれば、最悪一人ひとりでも作り上げられる」

「一人で……」

「まぁ時間さえかければの話ね。実際には納期の問題もあるし、だい案件ならチームや外注使うことも多いんだろうけど。でも基本はそういうものってこと。ゆうしゆうなエンジニアとパソコンさえそろえば、ただ一人で大企業よりすぐれたシステムを組み上げられる」

 カモメはふっと口元をゆるめた。

「あの記事、そんなことも書いてあったでしょ」

 たしかに『自分で一からシステムを作り上げる喜び。それをお客様に評価される充足感』──そんな記載があった。……ということは。

「うん、あそこに書いているのはそういう知り合いの意見をまとめたもの。つらいところも、うれしいところも、格好よいところも、格好悪いところも、全部、全部ね」

 ちんもくするこうへいにカモメはこくりと小首をかしげて見せた。

「だからね、Yさんはいないけど、ああいうことを感じたり思ったりしている人は実在するんだって。それだけは分かってほしいの。ああいうのを工兵君が目指したいと思ったなら、そういう世界は確かに存在するんだって」

「………」

「ま、うちの会社じゃむずかしいかもしれないけどね」


 台無しだぁっ!


 ……まったくもって台無しだった。

 今までの話はなんだったのか。……くそっ、あやうく感動するところだった。しんみりして損した。

 やっぱりブラック企業なのか……うちの会社。業界が悪いんじゃなくて、スルガシステムという会社が悪いと。……ああ。

 絶望的なけつろんにうちひしがれていると、カモメがコーヒーの残りをあおった。

「さてと、……そろそろ時間かな。あたし行くけど、工兵君もいつしよに来る?」

「一緒にって……むろさんと会うのにですか?」

 工兵はぶるりと身体からだふるわせた。休日まであのおにぐんそうと一緒に? じようだんじゃない。

えんりよします。どうぞ楽しんできてください」

「……そっかぁ」

 カモメは残念そうに笑った。

「あの子に私以外の友達作ってあげたいんだけどなー」

「友達って……上司ですよ、あの人、僕の」

「平日はね。休日の付き合いはまた別でしょ」

「まぁ……それは」

 そんなかんたんに割り切れるものかな? ていうか、いくらむろさんだって友達くらいいるだろう。学生時代の友人とか地元の知り合いとか。自分みたいな新人に同情されるほど、人間関係に不自由しているとも思えなかった。

「そういえば」

 缶をゴミ箱に投げ込みながらカモメに呼びかける。わずかに躊躇ためらったあと、ずっと疑問に思っていたことをたずねる。

「室見さんっていくつなんですか? なんか僕より年下に見えるんですけど……」

「女の子の年くかなー」

 カモメは苦笑しながらほおにくゆがめた。

「でも、まぁ気になるよね。見た目は中学生みたいだし」

「……ええ」

「いくつに見える?」

 そう来るか。

 こうへいまゆを寄せた。普通に考えるなら新卒で社歴三〜四年を経て二十五、六といったところだろう。いや、でも大卒とは限らないのか。二年制の専門卒で同じくらいキャリアを重ねているとしたら。

「二十……四とか?」

「ええええええ!」

 ぎょっとするような大声をカモメが上げた。思わず身を退く工兵の前で、彼女はおおぎように天をあおいだ。

「それはひどいなあ!」

「え、え? じゃあ二十三……二十二?」

 二十二じゃ自分とおなどしだ。まさかと思いまばたきしているとカモメは苦笑した。

「工兵君、それ絶対本人に言っちゃよ」

「………」

 どういう意味でだろう。

 反応にきゆうし口をつぐむ。カモメはうーんとうなったあと、ゆるゆると首を振った。

「……やっぱ駄目。私の口からは教えられないな。本人に訊いてみて」

「はぁ」

 隠すような話なのか。ふじさきさんといい、なんでこうも室見のこととなると皆、口をつぐむのだろう。ひょっとして自分より年下? 見た目通りまだ十代とか。……いや、いやいやまさか。

 待ち合わせ時間が迫ってきたのか、カモメはうで時計どけいのぞき込んだ。片手を上げ「じゃ、またね」と歩み去っていく。ほっそりした背中をこうへいはぼんやりと見送っていた。

 まさかこんなところで会社の人に会うなんて。せっかく仕事のことを忘れようと思って出てきたのにこれでは逆効果だ。まだ自宅周辺でうろうろしていた方がマシだった。

 ……いやいや。

 大きく首を振る。今日きようという日は長い。今からめいっぱい遊んでリフレッシュすればいいだけだ。そうだな、ゲーセン──はもういいから本屋にでも行くか。そういえば好きなコミックの新刊が出ていたはずだ。

 会社のことは忘れる、仕事のことも忘れる。──

 じゆもんのようにつぶやきながら工兵は大通りに向かい歩き出した。

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