レイヤー3 【4/5】

 ……まぁ、悪い予感はしていたのだ。

 だいたい休日のゲーセンで会社のどうりように会うことからしておかしかった。運命の女神かやくびようがみか、とにかくそういうたいのしれない存在が工兵の幸運をみ取っているようだった。

 悪いことは重なる。大通り沿いの本屋で工兵を迎えたのは書棚を物色するむろの姿だった。

「……っ!」

 あわてて柱のかげに隠れる。

 室見は料理本のコーナーを行き来していた。幸いこちらに気づいたようはない。彼女はまゆじりり上げ、真剣な表情で本の背表紙を眺めていた。

 室見の服装はイエローチェックのワンピースにリボンタイ、黒のリブタートルという可愛かわいらしいものだった。小さな足をおおうのはふさかざりのついたローファー。会社とはまたずいぶん違うよそおいだが、どちらにしてもひどく子供っぽい。やはり中学生か、よくて高校生程度にしか見えなかった。

(何してるんだろ)

 工兵は恐る恐る顔を出した。じようしきてきに考えれば本を探しているのだろう。だが、なんでまた料理本コーナー? 手料理でも作るのか、室見が。

 ……似合わなさすぎる。しかもあの目つきだ。かちこみのものを探していると言われた方がまだ納得できた。

(ていうか……室見さん、カモメさんと待ち合わせなんじゃ)

 首をひねる工兵の前で室見は一冊の本を取り上げた。タイトルは──『缶詰でつくるかんたん料理! ツナ缶大特集』

「………!?」

 思わず吹き出しそうになった。

 そんな本あるんだ! ていうか、またツナ缶!? 本当好きだな、この人!

 見ているうち、むろの顔がじよじよにほころんでいく。小鼻がひくつき小さな唇がむずむずと動いていた。

 ああ……喜んでる。

 見ているだけで室見のはなやいだ気分が伝わってくる。

 彼女は少し考え込んだあと、本を置いた。細い首を回し棚の最上段にせんえる。目当ての本があったのか、すっと手を伸ばした。

 ………。

 届かない。

 伸ばした指先はむなしくくうをつかんだ。続けてもう一度、つま先立ちになって手を差し伸べる。だが結果は同じだった。何度背伸びしても室見の指は目当ての本に触れられなかった。

「………」

 彼女の顔が赤く染まっていく。怒っているのだ。室見は下唇をみしめ細いあごを持ち上げた。深呼吸を一回、全身に力をみなぎらせ。

 ジャンプ。

 ───。

 高さは十分、だが指先は別の本をたたく。着地したあと、再度ちようやく。今度は目的の本に触れる。だがそれだけだ。ぎっしりつまった書棚から目当ての品を取り出すには至らなかった。

 こうへいは腹を押えもんぜつしていた。

 おもしろすぎる。

 い、いい年こいた大人おとなが本棚にジャンプとか。なんだあれ。しかも取れてないし。うは、うはははは。

 見かねた店員が踏み台を運んでくる。室見はゆでだこのように顔を赤くしながら台に乗った。周囲のせんが生温かい。おそらく小学生のお使いとでも思われているのだろう。そりゃそうだ。いくら背が低くても、社会人は普通本屋でんだりねたりしない。

 ………。

 笑いすぎて気がゆるんでいたのかもしれない。工兵は、自分が柱から身を乗り出しすぎていることに気づかなかった。台から下りた室見がこちらに向き直る。しゆんかん、視線がこうさくした。

 ………!

 やばっ。

 あわてて柱のかげに隠れる。

 見られた?

 いや、一瞬だからこちらの顔までは分からなかったかもしれない。でも最後に見えた室見の目つき、明らかにげんそうなようだった。

 足音が近づいてくる。工兵は逃げ場を求め周囲を見渡した。右、左、もう一度右。だめだ、どちらに行っても姿をさらしてしまう。

 ごくりとつばみ、息を吸い込む。こうなったら一気にとんそうするか。この場さえ逃げ切ればあとからなんとでもせる。

 いつしゆん、なんでこんなびくびくしなければいけないのかと思ったが、むろのことだ。あんなしゆうたいを晒したと知ったらこうへいおくを失うまで責め立てかねない。

 ドライバーとか、レンチとか、ケーブルカッターとか。

 入社当日のしゆのうよぎる。

 ……いや、まじめにあれは洒落しやれにならない。一歩間違えばリアルに死ぬ。殺される。

 ぶるりと身体からだふるわせ覚悟を決める。腰を落とし、室見と反対方向に走り出そうとした時だった。

 不意にけいたいの着信音がひびいた。

「はい……、ああカモメ?」

 室見の足音がんだ。無言の圧力がふっと弱まる。

「もうついたの? ……ああ、うん、私は今本屋。……パセラの前? 分かった。すぐ行く」

 ぱちりと携帯のまる音がする。そのすきのがさず工兵は柱の陰から飛び出していた。書棚の間をい一路出口に。レジの横を抜け外に出た。パセラ──カラオケ屋と反対側、表の大通りに出る。こちら側に来れば室見と出くわすことはないはずだった。

 はぁ……はぁ、はぁ。

 横断歩道を渡りきり、マクドナルドの前にたどりつく。ひたいの汗をぬぐいながら工兵は外灯に身体を預けた。

 まったく、なんて日だろう。

 こうも続けざまに会社の人間とそうぐうするなんて。全員このあたりに住んでいるのか? とても気分転換どころじゃなかった。このままじんぼうちようにいたらまた室見達とニアミスしかねない。

 かと言ってじゃあどこに行く? いまさらしん宿じゆくしぶには動きたくない。近場のはんがいならかんゆうらくちよう……ああ、いやあきばらがあるか。ちやみずまで歩いて、そうせんに乗って。……そうだな、アキバなら本屋もゲーセンもある。ちよう、新しいPCも見たかったころだ。

 ──よし。

 方針変更、大通りをはず駿するだいの坂を上り始める。めい大学の裏を抜け、やまうえホテルのわきを行き過ぎ、オフィス街に至る。途中、れたがいかんのビルを右手に認めた。ガラスとタイル張りのがいへき──スルガシステムのしやおくだった。

 ふっと足を止める。

 建物を目にした瞬間、昨日きのうおくあざやかによみがえってきた。コンフィグ作成、投入、そのあとのテスト。pingが通った時の感動、なんとも言えない達成感。

『気持ちいいでしょ?』

 むろささやごえのうだました。あくゆうわくのようにかんこわ。気を抜けばしきがもっていかれそうになる。あのな世界、32ビットのアドレスで構成されたデータの海に。

 ………。

 いかん、いかん。

 あわてて首を振る。

 だから、会社のことは忘れるんだって。今日きようはオフ、仕事のことは考えない。思い出さない。自分は今日、だれとも会わなかった。カモメや室見とも出会っていない。もちろん、このあとも会社の人と会う予定はない。だから──

「あ、さくらざか君?」

 うそだぁああああ!

 ………。

 絶望的な気分で振り返る。気弱そうな男がビルの入り口に立っていた。けたほおうわぜいがあるわりに細いたい。真ん中でわけた髪とぎんぶちまる眼鏡めがね。──ふじさきだった。

「ふ、藤崎さん」

 弱々しく首を振りあとずさる。藤崎はゾンビのようにふらふらと近づいてきた。

「さ、桜坂君? なんで逃げるのかな。丁度いいところで会った。少しそうだんがあるんだけど」

「いや、あの、人違いです」

「今、僕の名前呼んだよね!?」

「ふ、れいだな……と」

「そっち東だから」

 し失敗。がしりと腕をつかまれる。

「大丈夫、ちょっと話を聞いてもらうだけだよ」

「いやですよ! 目、ちやちや据わってるじゃないですか! なんですか!? 今日きよう、僕休みですよね!?」

「だ、だれでもできるかんたんな仕事だから」

 仕事じゃねぇか!

 あわてて腕を振りほどききよを取る。

 肩で息をつきながらこうへいうわづかいに藤崎を見つめた。

「と、とにかく話を聞かせてください。何があったんですか」

 会社に入るかどうかは事情を聞いてからだ。藤崎は気まずそうにせんらした。

「実は、さっき社長から電話があってね」

 ……またか。

「なんかお客さんからの発送を早めてほしいと言われたらしくって。いつものノリで『わかりました』とやすいしちゃったみたいなんだよ。で、僕、別件で会社出てきてたんだけど。ほかのことはいいから、とにかく至急発送するようにって」

「………」

「ちなみに、今日きようの夜までに三十台ね」

「ひどいですね! 本当に!」

 やけくそ気味に言って天をあおぐ。本当よく回ってるなこの会社。そんなたらな仕事の受け方で、ふじさきが会社にいなかったらどうするつもりだったのか。

「で? つだってくれる人を探していたってわけですか」

 藤崎はもうわけなさそうにうなずいた。

「設定は終わってるんで、テプラりとこんぽう作業をね。僕ができればいいんだけど、ちよう今から作業に入っちゃうんで。さくらざか君が手伝ってくれると、ものすごく……助かる。もちろん、用事があるなら無理にとは言えないけど」

 すがるようなまなしを向けられ顔を逸らす。そんな目で見られたらどうにも断りづらい。……あれ? でも待てよ。

「事情は分かりました。でも、じゃあなんで会社の外にいるんですか? たまたま僕が通りがかったからいいですけど、そうじゃなかったら、どこに行くつもりだったんです?」

「ん?」

 藤崎は小首をかしげたあと、何でもないことのように告げた。

むろさんの家だけど」

「……え?」

 こうへいは目をしばたたいた。

「室見さん……家?」

 藤崎はうなずいた。

「うん、彼女この近くに住んでてね。だいたい休日、室見さんがいるのは家か会社のどっちかだから。さっき電話かけたら通じなかったんで、それなら直接呼びに行こうと思って」

 かちりと何かが音をたててはまる。そうか、だからカモメはじんぼうちようを待ち合わせに選んだのか。しようの彼女でも、なんとか連れ出せる場所として。

 しゆんかん、彼は気づいた。今の状況をのがれる方法。仕事からはなれ自分の休日を取り戻す手段。

 ───。

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