レイヤー3 【5/5】

 カモメさんに連絡とってみたらどうですか?


 そう藤崎に伝える。

 ……ああ、いえ。カモメさんに直接仕事をおねがいするわけじゃなくって(あの人はパートだから休日出勤とか無理なはず)。

 さっきむろさんといつしよに歩いてるところを見たんです。

 じんぼうちようの本屋にいたんで、今ならこっちに来るよう伝えてもらえると思いますよ。

 僕ですか?

 ごめんなさい、ちょっと今からはずせない用事があって。……すみませんけど今日きようは室見さんにお願いしてもらえますか。

 ………。

 たったそれだけですべて丸くおさまる。ふじさきは自分の作業に専念でき、こうへいも休日を取り戻せる。かわりに室見の休みはつぶれるが、あの仕事狂ワーカーホリツクのことだ。仕事に戻ることを苦とは思うまい。むしろとして会社に現れるかもしれなかった。

「あの……藤崎さん」

 躊躇ためらいがちに口を開く。内心の言葉を口にしようとした時だった。

『──あの子、ほっとくと夜昼関係なしに働いちゃうから』

 ふっとカモメとのやりとりがのうよみがえった。やさしげなまなしで、心配そうに室見のことを語る彼女の顔。

『たまには外へ連れ出さないとね。買い物とか、映画とか、少しは女の子らしい遊びもさせないと』

 ───。

 ああ、くそ。

 工兵は頭を振った。ここで室見の居場所を話したら自分は間違いなく悪者じゃないか。きゆう欲しさにどうりようを売り飛ばした。カモメの善意を踏みにじった。事実はどうあれそう思われかねない。

(こっちだって……今日は休みなのに)

 泣きそうな気分で顔をしかめる。だがもう心は決まっていた。彼は大きく息を吸い込んだ。

「わかりました。手伝います……」

「本当かい!?」

 藤崎の顔がはなやぐ。彼はあんあらわに工兵の手を取った。

「よかった。本当助かるよ。今日の夜はご飯おごるから、工兵君何が好き? 寿? 天ぷら?」

「ああ……いえ、そんな」

 仕事なのだ。藤崎個人に気をつかわせるのも悪い。まぁ残業や休日出勤手当もつくし。割り切れば悪いことばかりじゃない。

「あ、ちなみにうちの会社ねんぽうせいなんで。今日の勤務に手当つかないけど、ごめんね」

うそぉおおお!」

 工兵は絶叫した。

 こ、こ、こ、この会社は! この会社はもう!

「や、やっぱり帰ります! 急用を思い出したんで!」

「あはは、こうへい君のじようだんおもしろいなぁ」

「冗談じゃないです! ていうかなに道ふさいでるんですか!? じりじり迫ってこないでください。怖い、怖いですから!」

 こうして、──工兵の短い休日は終わりを告げた。


    〓


「二十八、二十九、三十──、たしかに三十箱お預かりしました」

 ご利用ありがとうございまーす。

 配達員の元気な声が廊下にひびく。遠ざかる台車を見送り工兵は肩を落とした。

 ……なんとか……終わった。

 よろよろと受付のソファに座り込む。疲労がどろのように身体からだの底からき起こってきた。

(……疲れた)

 身体の力を抜きだらりとかべにもたれかかる。

 結局、夜までかかってしまった。三十台のかいにテプラをり、シリアル番号を控えて箱に詰め込む。エンジニアリングどころかコンピュータを使った作業でさえない。宅配便バイトのような作業で半日つぶしてしまった。

 ……何やってんだろ、自分。

 しゆうしよく活動に失敗しまくり、家業の手伝いも断った挙げ句、こんなところで箱詰めの作業をしている。残業手当も支給されずまったくのただ働き。大学の同期が見たらなんと言うだろう。笑う、いや哀れむだろうか。

 指先で前髪をつまみ伸ばしてみる。心なしつやがなくなっていた。生気が身体中から抜け落ちているような気分。それもこれも自分が変なかんがいにとらわれたからだ。むろの代わりに仕事を手伝うなんて言わなければ──

「ああ……」

 空に向かってためいきをつく。

「室見さん、いまごろ楽しんでるんだろうな──」

だれが楽しんでるって?」

 ………。

「へ?」

 ぼうぜんと首をめぐらす。入り口にがらなシルエットがあった。イエローチェックのワンピースにリボンタイ、柔らかそうなくりいろの髪と細いまゆの下でまたたり気味のまなこ

「え、えええええ!?」

 声を裏返すこうへいの前で少女はずいと歩を進めた。両手に持った紙袋を下ろし、冷めたせんで工兵を見下ろす。ぼうじやくじんな表情は見間違えようもない、彼の上司──むろりつだった。

「あんた、こんなところで何してるの? 会社のソファーをベッド代わりとか、ありえないんだけど」

「む、室見さんこそどうしたんですか? 今日きようはカモメさんといつしよだったんじゃないですか?」

 室見は鼻の両わきにわずかなしわを刻んだ。なんでそんなことを知っているんだと言いたげな表情だった。

「さっきご飯を食べ終わって別れたのよ。まっすぐ家に帰れって言われたけど、メールだけ見ておこうと思って」

「………」

 工兵はたんそくした。

 カモメが気の毒だった。せっかく休養を取らせようとしても室見はすぐ仕事に戻ってきてしまう。まったくもって天性の仕事狂ワーカーホリツク、「労働」というやくの中毒者。

 彼女はギロリと工兵をにらみつけた。

「で、質問の答えは? なんであんた会社にいるのよ。まさか、本当にきゆうけいしてたわけじゃないでしょうね」

「ち、違いますよ」

 工兵はあわてて否定した。どこから説明したものか、迷った末、今日の出来事を話していく。じんぼうちように出てきていたこと、ちやみずに向かう途中でふじさきにつかまったこと、会社に連れ込まれ半強制的に仕事を手伝わされたこと。

 最初はあいまいけいをぼかしていたが、室見の追及はようしやなかった。なぜ神保町にいたのか。どうして御茶ノ水に向かおうとしていたのか。そもそも自分がカモメと一緒だったことをなぜ知っていたのか。

 問い詰められた挙げ句、すべてを話してしまった。カモメとのそうぐう、本屋で室見を見かけたこと。見つかりそうになりあわてて逃げ出したこと。──

 話を聞き終えたしゆんかん、室見のまゆり上がった。

 やばい、怒られる。

 工兵は肩をちぢこまらせた。ごえが脳内で再生される。やっぱり、本屋で盗み見していたのはあんたね! いきなり逃げ出すとかどういうつもり!? 説明なさい!

 ………。

 だが、いつまでたっても怒声はなかった。しんに思い顔を上げる。室見はなんとも言えない表情でたたずんでいた。

「あんた、なんで私が近くにいること藤崎さんに言わなかったの?」

「………、なんでって……」

ふじさきさんは私を呼びにいこうとしてたんでしょ? カモメのけいたいに連絡して私につないでもらえばよかったじゃない。そうすれば、あんたがわざわざ作業を引き受ける必要ないでしょ」

「それは」

 こうへいは口ごもった。

 ──きゆう中のむろを呼び出すのが悪いから。

 カモメのづかいをにしたくなかったから。

 ………。

 だが、それをありのまま話すのは躊躇ためらわれた。余計なお世話と言われればその通りだし、何よりさきほど自分の行動を後悔したばかりだ。いまさら善人ぶるのも気恥ずかしかった。

 考えあぐねた結果、なんな理由を告げる。

「特に予定もなかったですし……、残業代もらえるかと思ったんで」

「うちの会社、ねんぽうせいよ?」

「……さっき聞きました」

「救いようのない間抜けね。仕事を受ける前にかくにんするべきでしょ、そんなこと」

「………」

 こ、この女……、人が下手に出てれば好き勝手言いやがって。だれのために苦労したと思ってるんだ。

 ………。

 まん、我慢だ。まともに取り合っても腹が立つだけ。適当に聞き流し次回から余計な気を回さなければいいだけだ。

 むくれた表情でうつむいていると、不意にむろが手を差し伸べてきた。細い指がけいたい電話をつかんでいる。

「………? なんですか」

「携帯出して、私の番号教えるから」

「………?」

 何言っているんだ、いきなり? きょとんとしていると室見はいらたしげに首を振った。

「あんたの上司は私でしょ。相手が藤崎さんでも社長でも、私の許可なく仕事ふられたら困るのよ。次に同じことがあったらまず私に連絡して。仕事を受けるかどうか私が判断して上の人と調ちようせいする。休日に好き勝手働かせるとか、そういうこと二度とさせないから」

 ぽかんと口を開け、室見を見つめる。

 えっと? つまり、それって……?

 社長のちやりを室見が止める。そう言っているのか?

 予想外の発言だった。いつしゆん、別の意味があるのではとかんぐりたくなる。だが室見の目はまぶしいほどにまっすぐでくもり一つなかった。

 がらたいが妙に大きく見える。口先だけでない、彼女は小さな顔に覚悟をみなぎらせていた。あんたは私の部下、指示を出す以上、めんどうも見る。

 気づけば携帯を取り出していた。むろに言われるまま番号をとうろくする。こうへいは電話帳をかくにんし、恐る恐るせんを上げた。

「……なによ」

 ぶっきらぼうなこわ。いつもと同じげんそうな顔。

 だがないたいの奥に何か硬質な、信念とでもいうべきものがかいえていた。彼女はただのらんぼうものでない。めいかくな意思とかんのもとに動いている。

 ……ああ。

 工兵はうめいた。

 とうとつに気づいた。気づかされた。

 そういうことか、と思う。

 この人は自分と違う場所にいる。違う次元に生きている。

 いやがらせだとか、検証ざいの取引材料だとか、この人は本当のところ、そんなことどうでもいいのだ。ただ真っ当に、まっすぐに自分の義務を果たそうとしている。それだけだ。


 ──プロフェッショナル。


 そんな単語がのうに浮かんだ。

 彼女はプロだ。しようしんしようめい、本物の。

「ちょっと、何笑ってるのよあんた!? 私、何かおかしなこと言った!?」

 室見がまゆり上げ怒っている。おかしなこと? いや、全然まったく。彼女の言葉は真っ当だ。このきだめのような会社で珍しく筋の通った発言だった。

 だけど。

 ───。

 工兵は苦笑しながらてんじようあおいだ。

 だけどだからこそ気づいてしまった。

 彼女のようにならなければ仕事をこなしていけないのなら。

 てつをし、休日出勤をし、上長と戦い、プライベートを投げ捨て。納期と部下、品質を守っていかなければならないのだとしたら。


 二週間後の判断を待つまでもない。


 自分に──この世界は無理だ。

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