レイヤー4 【1/7】

 四月七日よう、午前九時四十分。

 こうへいほんばしにいる。

 周囲のビルは重厚で、ちやみずかいわいの建物と違うなんともいえない風格を漂わせていた。あたりにはコンビニ以外目立った商店もない。せんめぐらせば○○証券だの△△銀行だのきんゆうかんかんばんばかり目に入ってくる。

『金融の街』──らしい。日本銀行や証券取引場、かぶとちようもここ日本橋にあるのだという。東京に住んで四年になるがちっとも知らなかった。やはり社会人と学生では住んでいる世界そのものが違うのか。工兵はかんがい深い思いで周囲の町並を見渡した。

 ネクタイをめ直しジャケットの前を整えた。見知らぬ町にスーツ姿でたたずんでいるとしゆうかつだいが思い出されてくる。そういえばあの時もこんな気分だった。知らない土地を訪れた不安、物珍しさ、外国を一人ひとりで訪れた時のようながいかん

 ───。

 ろん、今の工兵は就活をしているわけでない。

 仕事だった。

 初めてのきやくほうもん。ユーザー企業の情報システム部を訪れヒアリングを行う。もちろん一人ではない。むろとペアだ。朝一のアポだったためお互い自宅から直行、地下鉄の駅を出たところで待ち合わせるはずになっていた。

 けいのぞき込む。時刻は九時四十二分、待ち合わせは九時五十分だからまだ少し余裕がある。工兵はほうと息をついた。

 あの突発的な休日出勤から三日、工兵はまだ気持ちの整理をつけられないでいる。果たしていつ会社を辞めると切り出すか。だれに言うのが正しいのか。実家にはなんと説明するのか。思考がぐるぐると回り、気づけばけつろんを先送りにしている。明日あした考えよう、また明日考えよう。そう思ううち今日きようもまた仕事に出てしまった。

 辞表を出すなら早い方がよい。それは分かっている。二週間OJTさせた挙げ句、退職では室見もめいわくだろう。だらだら居続ければ給料もかさむ。に戦力として期待される前にいなくなるべきだ。分かっている。分かっているのだが──

 ──はぁ。

 気が重い。室見さん、なんて言うかなぁ。怒るだろうか、それともけいべつするだろうか。……いや彼女のことだ。ねつが冷めたように無関心となるかもしれない。冷たい表情で口も利いてもらえなくなるかも……

 ちくりと胸に痛みが走る。

 なんだろう、別に彼女の心証なんかどうでもよいはずなのに。どうにも胸がくさくさする。彼女の期待を裏切りたくない? まだ彼女を見返したいと思ってる? いやいやまさか、あんなしごきに付き合っていたらこちらの身がもたない。身体からだも心もすりつぶされえかすのようになってしまう。

 だからこそ身を退くと決めた。双方にとってもっともよいまくきを考えた。何度考えてもけつろんは同じだ。辞める以外に今の問題を解決する方法はない。そう納得したはずなのに……

 ………。

 まぁ、……あとで考えるか。

 ためいきをもう一度、混乱した思考からしきを引きはがす。どのみちすぐに気持ちの整理はつかない。とりあえず目の前の仕事に集中しよう。初めてのきやく訪問。めい交換やミーティングの席順など気をつけることは山ほどある。ミスはもちろん、こくなどしたら目もあてられない。

 ……遅刻?

 ていうか今何時だ。

 けいせんを落とす。時刻は九時四十九分、待ち合わせ時間の三十秒前だった。周囲にむろの姿はない。

 ……ええっと。

 工兵は首をひねった。待ち合わせの場所、ここであってるよな? 地下鉄ほんばし駅のB9出口を出たところ、すぐ前にコンビニあり。──うん、プリントアウトしたメールにもそう書いてある。じゃあなぜ室見は現れないのか。ひょっとして、電車が遅れている?

 けいたいを取り出し室見の番号を探る。遅れるなら遅れるでどうするか指示してほしかった。まさか一人ひとりで客先に行けとか言わないだろうな。いや、意外にあの人そういうスパルタも好きそうだし……

 不安に胸をがしアドレス帳を開く。しゆんかん、液晶の時刻が九時四十九分から五十分に切り替わった。


「おはよう」


「おおぉぉう!」

 あやうく飛び上がりそうになった。表情をこわばらせ、恐る恐る振り返る。

 くりいろの髪が揺れていた。がらなシルエットが地下鉄の出口に立っている。肩からハンドバッグをげ細い首を傾けていた。

「む、む、室見さん」

「なによ、そんなびっくりした顔して。普通にあいさつしただけでしょ」

「いや……急に現れるから」

「急?」

 室見は腕時計をのぞき込んだ。

「ちゃんと、待ち合わせ時間だけど」

「ええっと……あの、いいです。僕が悪かったです」

 まさか一秒の狂いもなく現れるとは思わなかった。どんだけ時間にせいかくだよ。英国しんか。

 こうへいは荷物を肩にかけ直し、資料の入った袋を持ち上げた。紙の重みにふらつきながらむろに向き直る。

「………」

 言葉を失った。

 彼女の格好は──何というか普通だった。白のシャツブラウスにチャコールのジャケット、ひざたけまでのスカートにパンプス。だん、キャミソールとプリーツスカートでね回っているとは思えない、きちんとしたOLのよそおいだった。

「なに」

 室見がげんそうにまゆをひそめる。工兵はあわてて首を振った。

「いえ……あの、室見さん、そんな服も持ってたんだと思って」

「ん……? ああ、こないだカモメに買わされたのよ。動きづらいからあんまり好きじゃないんだけど」

 室見は腕を折り曲げて自分の格好をかくにんした。左手でスカートのすそをつまむ。

「タイトスカートとか本当めんどうくさいわ。カモメとか、よくこんなもの穿いて出歩いているわよね。これじゃあラックマウント作業とかできないし」

「いや……それは作業用の服に着替えればいいだけでしょ」

「は? 用途ごとに服準備しろっていうの? じゃない」

 社会人とは思えない、恐るべき発言だった。ていうか寝る時とかどうしてるんだ。

「いつものキャミだけど。あれ色違いを四着買ったから、ネットで。あとはロングシャツ一枚とか」

「きゃああああ!」

 たずねると何を言い出すか分からなかった。なんというか、普通に下着をどこで買ったとか教えてくれそうな気がする。……かないけど。

「と、とにかく行きましょう。こっからそれなりに歩くんですよね?」

 強引に話を打ち切り歩き出す。むろげんそうに口元をゆがめたが、だまってあとに続いた。しばらく歩いたのち、気になっていたことを訊ねる。

「──それで、今日きようの案件ってどんな内容なんですか」

 しようさいは当日と言われ事前に説明を受けていなかった。室見は、すんと鼻を鳴らした。

「VPNのリプレース。きやくほりどめ証券株式会社、機器のパフォーマンスが足りなくなってきたから新しいのに入れ替えたいんだって」

「VPN?」

仮想Virtual プライベートPrivate ネットワークNetwork。インターネット上で暗号化通信をして、的なへいもうを作り出す技術。ブロードバンドかいせんを使って安価に網をこうちくできるけど、かわりに安定性もインターネットやフレッツ並みに落ちる。まぁ専用せんれんばんってところね」

「………」

 さっぱり分からなかった。少しはネットワークのことを勉強したつもりなのに、まだ全然ついていけない。やっぱりこの業界、奥が深い。

「その……VPなんとかの機械を入れ替える? そのためのヒアリングってことですか? 今日は」

 室見はうなずいた。

「現行機器のスペックを訊いて、実際どのくらいパフォーマンスが不足しているかあくしないとね。ひょっとしたら回線自体がボトルネックになってるかもしれないし、まぁ社長の持ってきた案件だから、一から情報整理しないと」

「……また社長案件ですか」

 がくりと肩を落とす。まったく、あの禿はげあたまは中途半端に話を進めた挙げ句、丸投げしてくるから始末に負えない。どうせならもっと早い段階でこちらに任すか、あるいは細部まで詰めてから落としてほしかった。

「社長以外に案件取ってくる人いないんですか? この会社。まともな営業がお客さんと調ちようせいしてくれればずいぶん楽になると思うんですけど」

 むろは肩をすくめた。

「営業が何人いても売り物にならないって、社長の考えよ。案件は自分のコネでとってくるから、あとはそれを回すエンジニアさえいればいいって」

「……はぁ」

 つまり、スルガシステムの案件は原則、すべて社長経由でくるということか。なんとも絶望的なけつろんだった。ていうか売り物って、自分達のことか。

「あの……」

 迷った末、質問する。あの日、コンビニで読んだ雑誌の特集記事がのうよぎっていた。

「うちの会社って……人材ブローカーなんですか?」

「はぁ?」

「人を右から左に流して利ざやをかぜぐ……とか。すいません、そういう会社があるって聞いたんですけど」

 室見はきょとんとした表情でこうへいを見ていたが、ややあってぷっとき出した。

「何言ってるのよ、うちが人材ブローカー? ありえないから、そんなの」

「……そうなんですか?」

「だってうち、けんぎようの免許とか持ってないから。人を横流ししようと思っても、そもそも法律的に無理」

 明快だった。

 拍子抜けして肩の力が抜ける。

「あれ? でもニンクがどうとか社長に言われましたよ。どうりつを四割にもってけとか」

「工数を売ること自体は普通のSI会社でもやることだから。案件単位で受注してもり項目に人件費を入れる──別におかしな話じゃないでしょ? 人材ブローカーは案件じゃなくて人単位で販売するの。期間と人数を決めてね。契約期間中はお客さんに指示されれば何でもやる。スキルセットにがつしようがしまいがなんでもね。全然違うわ」

「じゃあうちは……普通のSI会社なんですか?」

「DQN企業だけどね」

 うわぁあああん! やっぱり!

 ………。

「……ていうか室見さん、なんでこの会社にいるんですか? 室見さんくらいスキルがあればほかの……もっと大きな会社でもやっていけるでしょう?」

 だった。ここ一週間いつしよに動いて室見のゆうしゆうさはよく分かっている。彼女さえその気になれば、いくらでもてんしよくの口はあるはずだった。

 工兵の問いかけに、だが室見はせんらした。桜色の唇からつぶやくような声が漏れる。

「大手なんて別にいいもんじゃないわよ。何をするにも手順としんせいばかりで。権限もないのに責任ばかり押しつけられる。この会社の方がマシよ。ちやりはしても、あとは好きなようにやらせてくれるから」

 ………?

 こうへいげんな表情を浮かべた。

 むろの物言いは明らかに大手の内情を知っているものだった。すでに……別会社のけいけんがある? 新卒じゃなくて中途なのか、この人。

(本当、いくつなんだろう、室見さんて)

 カモメは『本人にいてみて』と言っていた。だが流石さすがの工兵も女性に面と向かいねんれいたずねる度胸はない。

 考え込んだのち、一計を案じる。

「そう言えば──話は変わるんですけど今日きようの朝、テレビで十二支占いやってたんですよ。僕はうさぎ年生まれでラッキーデーだったんですけど、室見さんは何年ですか?」

「知らない」

 ……え?

「血液型とか星座とか、そういうのきようないから。調しらべてないし」

「いや血液型はやばいでしょ!? 事故の時とかどうするんですか!」

「どうするって?」

けつとか、血液型分からないとできないでしょ?」

「大丈夫、私、引きが強いから。七分の一のかくりつなら、ちゃんと引き当ててみせる」

「血液型はA、B、O、ABの四種類です!」

 前提からして間違ってるよ!

 ………。

 どうやら戦略を根本的に練り直す必要があるらしかった。子供の時、っていた音楽を訊いてみるのはどうだろう。あるいは見ていたテレビとか。──

 物思いにふけっていたせいか目的地を通り過ぎそうになった。ぐい、と腕をつかまれ引き戻される。

「ちょっと、何ぼんやりしてるのよ」

 室見はまゆじりり上げ工兵をにらんだ。気づけばオフィスのエントランスにたどりついていた。入り口に『ほりどめ証券株式会社』のロゴが見える。

 室見は盛大なためいきを漏らした。

「しっかりしてよね。はじめての客先でい上がっているのは分かるけど、あんたがポカやると会社の信用にもひびくんだから。気合い入れて」

「……はい」

 工兵はうなだれた。まさか室見の年が気になっていたとも言えない。ちんもくを反省ととらえたのか、むろは表情をゆるめた。左手を腰にあて右手の甲でこうへいの胸をたたく。

「ま、心配しないで。今日きようは私がお客とやりとりするから。あんたは置物のように座ってればいい。しやべらなければ失敗することもないでしょ」

 自信満々な調ちようだった。

 工兵は無言で頭を下げた。まぁ……たしかに、どれだけ子供っぽく見えようと室見はベテランだ。彼女の言う通りにしていればまず問題にはなるまい。

 ──そう、そのはずだった。

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