レイヤー4 【2/7】

「……ちょっと、だまってちゃ分からないよ。いてるでしょ、こりゃなんのじようだんですかって」

 きつねの男性がバンバンと机を叩いた。

 ほりどめ証券本社ビル二階──古びた応接室は険悪な空気に満ちている。窓側には室見と工兵が並んで座り、机を挟んだ向かいにきやくが腰掛けていた。出されたコーヒーはだれも口をつけることなく放置されている。打ち合わせが始まって十分、だが工兵達はいまだに顧客とめい交換さえできずにいた。

「ですから、何度も言ってますように」

 室見が固い口調で言う。ほおの筋肉がいびつに引きつっていた。口元にはかろうじて営業スマイルを残していたが、目元にみはない。彼女は刺すようなせんを男性に向けた。

「私が本案件の担当者です。スルガシステムのエンジニアとして、本日こちらのさくらざかとヒアリングにうかがいました」

「担当者、担当者」

 男はあざけるように言った。ソファーに深々と身体からだを沈め足を組む。

「あなた達みたいな新人が? 鹿にしないでください。私はね、お宅の社長がいつせんきゆうのエンジニアを出すっていうからお任せしたんですよ。だいインフラこうちくじつせきもある、ベテランを出してくれるって。それがなんですか? 新卒に毛が生えたような人間をよこして」

 室見はしんぼう強く説明を重ねた。

へいしやでネットワーク案件を担当しているのは私です。数百きよてん規模のWAN構築についても実績があります。ろつぽんまつうそを言っていません」

「それじゃあ資格は? 資格、何か持っているの、あなた。CCIEとかネスペとか」

「………」

「はっ」と鼻を鳴らして男は首を傾けた。

「口ではなんとでも言えますよ。でもね、スキルを証明できるものがなければあんた達みたいな中小ベンダ、安心して使えないの。ていうか本当に、あなたエンジニア? アシスタントじゃなくて」

 みしりと何かのきしむ音がした。室見の指がボールペンをにぎつぶしている。まがまがしいはい陽炎かげろうのようにむろ身体からだから立ち上っていた。

 これは……やばい。

 こうへいそうった。空気が硬さを増し、ちくちくと肌をげきする。一週間前と同じだ。室見がげつこうしてあばれ出すぜんちよう

「どうすれば、ご納得いただけるんですか」

 室見は声をふるわせながら言った。

「業務経歴書を書面でお出しすればいいですか。それともろつぽんまつを連れてきて、私の経歴を保証させればよいですか」

「……あー? そんなのどうせ口裏合わせてそれっぽいこと言うだけでしょ。とにかくね、きちんとした人を連れてきてください。信用して任せた挙げ句トラブられたら、鹿を見るのはこちらなんですから」

 とりつく島もない。事実上の交渉打ち切り宣言だった。

 ぷちりと、何かの切れる音がひびく。室見が腰を浮かしていた。顔から表情を消し手帳を机にたたきつける。何をしようというのか。工兵はろうばいした。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 あわてて声を上げ室見をめる。ジャケットのすそをつかみ強引に引き寄せた。

「……うにゃっ!?」

 バランスを崩し室見が転倒する。片足をすべらせに落下、盛大なほこりを巻き上げる。彼女はソファに埋もれたまま工兵を見た。とびいろひとみはげしい混乱と動揺、怒りがある。やばい、やってしまった。だが仕方ない。あのまま室見をぼうそうさせていたら絶対暴力に及んでいた。突き刺すようなせんほおに感じながら、工兵は男に向き直った。

 男はげんそうに工兵を見た。

「……あなたは?」

さくらざかです。室見と同じ部署の──エンジニアです」

 どくどくとしんぞうが高鳴る。だがここで平静を失ったら、もう取り返しがつかない。彼はこわばったみを浮かべた。

「あの……そちらのごねんはよく分かりました。たしかに、担当するエンジニアのしようさいを事前にお伝えできていなかったのはこちらのぎわです。もうわけありません。今のお話は社に持ち帰り、改めてご説明の場をいただければと思います」

 強硬な反応を予想していたのか、男が拍子抜けした表情になる。横で室見がぽかんと口を開けていた。工兵は場の雰囲気がやわらいだのを感じ言葉を重ねた。

「ただ、新規のエンジニアを連れてくるにしても、ある程度案件の状況を理解した上でないとまたごめいわくをおかけすることになるかもしれません。ですからかんたんにでかまいませんので、今回の件、ご要件をうかがわせてもらえませんか」

 男はまゆを寄せ考え込んでいたが、「まぁ……そういうことなら」とつぶやいた。

 すかさずこうへいむろに目配せした。室見はぴくりと眉をふるわせたが、彼の意図を読み取ったのか平板な表情をきやくに向けた。準備した資料を取り出し調ちようを改める。

「それでは、いくつかかくにんさせていただきます。まずVPNセンタの機種についてですが──」


「ああっ! もう頭来る! 本当ムカつく!」

 室見の声がそうぞうしい店内にひびいた。昼時のイタリア料理店はけんそうに満ちている。満席の中、スカーフを首に巻いたウェイター達が殺気だったようで動き回っていた。

 室見は青筋を浮かび上がらせ水をあおった。

「ったく、なんなのよ、あのきつね。言うにこと欠いて私のことをアシスタントだなんて。ユーザー企業の情シスぜいがエンジニアを値踏みとか、ちゃんちゃらおかしいわ。死ねばいいのに」

「室見さん、室見さん、声が大きいです」

 工兵はあわてて彼女をとどめた。りんせきのOL達がおびえた様子で身をちぢこまらせている。工兵は荒ぶる室見をなだめるようにランチメニューを差し出した。

「ほら、注文しないと。店の人、待ってますよ」

 室見はひったくるようにメニューを受け取った。ギラギラと目をかがかせページをめくる。店員を呼び止めメニューを指さした。

「これ。和風ツナパスタと、あとツナサラダ。……ツナトーストって昼でも頼める? じゃあそれも」

「本当にツナ好きですね……」

「ツナはタンパク質としつ、炭水化物をふんだんに含んだ完全食なのよ。これさえ食べればすくすく元気に育つって、おばあちゃんが言ってた」

「………」

 すくすく元気に。

 まじまじと室見の姿を見つめる。

 これは突っ込むべきなのか? ていうか、そういうかたよった食生活をしてるからこんな体型になってるんじゃないのか?

 反応に困りちんもくしていると店員がパンの皿を運んできた。室見はバターナイフを取り上げカップのジャムをすくった。

「……ていうか、あんたさ」

 室見はうわづかいに工兵をうかがった。パンにかぶりつき声のトーンを落とす。

「なんかやたらと客対応れていなかった? 営業のバイトとかやってたの?」

「ああ。えっと、実は」

 こうへいは鼻の頭をいた。

「うち実家がお店やってるんです。子供のころから店に出されて。たまにちや言うお客さんがいるとクレーム対応とかもしてたんで」

「お店?」

「お菓子屋さんです。うなぎのお菓子とか作ってて。僕、実家はままつなんですよ」

 むろが目を丸くする。工兵は肩をすくめた。

「あの手のお客さんって自分の意見が通るまでずっと同じことを言い続けるじゃないですか。だからいつたん分かりましたと答えて、ガス抜きしてあげるんです。そうするとこっちの話を聞く余裕も出てくるんで」

「………」

 室見はきつねにつままれたような顔でいたが、やがてぷいとせんらした。げんそうに「生意気」とつぶやく。

さくらざかのくせに、……偉そうに」

 僕はのび太ですか──

 まぁ室見は間違いなくジャイアンだろうが。

 室見はパンを水で流し込み工兵をにらんだ。

「あんたね、今回はたまたまうまくいったからいいけど、お客さんって言ってもいろいろいるんだから。適当にした挙げ句、かえって話がこじれることもあるんだからね。いい気にならないでよ」

「……はぁ」

 別にいい気になってるつもりはないんだけどな。

 こうへいまゆを寄せた。むろほおふくらませ、むくれている。そのぐさがまたひどく子供っぽい。ねているのだ。工兵は怒るのを通り越しあきれてしまった。

「ああ、むかつく。本当むかつく」

 運ばれてきた皿に手をつけながら室見がつぶやく。食べるペースは速い。見ているうちサラダのうつわまたたからとなった。室見はいたコップを持ち上げ店員の姿を探した。その目つきがまたえたおおかみのようで、せんの先にいたOLが「ひっ」と顔を引きつらせる。

「あ、あの、すみません! お水もらえますか!」

 工兵はあわてて手を上げ店員を呼び止めた。コップをかき集め自分と室見の水を注いでもらう。

「……まぁでもよかったじゃないですか。結果として予定通りヒアリングできたんですから」

 なだめるように言うと室見は鼻から息を吐き出した。ほおづえを突きものげな表情で「まぁね」と言う。

「これであとはたんたんと進められるんじゃないですか? 担当決めの件は社長にフォローしてもらわなきゃいけませんけど、今回はお客さんとも直接話せてますし、情報伝達の漏れとかなさそうじゃないですか」

「………、そんなかんたんにもいかないと思うけど」

「? どういうことですか?」

 予想外の回答に目をしばたたく。室見はかたひじを突いたままフォークの先をパスタに絡めた。

今日きようの話、聞いてたでしょ。リプレースするは新規手配じゃなくてぞん機器の流用だって」

 そういえばそんなことを言っていた。ほかの場所で使っていたルータをはずし今回のリプレースに当てるのだという。うちにおねがいしたいのは中身のコンフィグ作成とテスト。性能的には十分な機種だから問題ないと言っていたが。──

「なんか……まずいんですか?」

「まずいっていうか……リスキーよね」

 室見はつぶやくように言った。

「流用する機械に問題があっても事前に発見できない。当日設定中に何か起きても、それがコンフィグのせいか機器のせいか判断できない。せめて事前に機械を貸してもらえればテストとかできるけど、それも無理って言われちゃったしね」

 切替え日ギリギリまでだいたい機を使用し続ける──だっけか。打ち合わせの場ではさらりと聞き流していたが、そんな危ない話だったとは。

「あと、作業時間も平日の昼休みって言ってたでしょ? つまりシステムの停止時間が最大で一時間しか取れないってことよ。じゆん調ちように進めばいいけど何か起きたときのことを考えると……ちょっとね。特に今回はVPNのセンターを入れ替えるわけだし」

「ど、どうなっちゃうんですか。その……何か起きると」

「通信全断。きやくの業務停止」

 恐ろしい台詞せりふむろはこともなげに言い放った。背筋に冷たいものが走る。こうへいひたいに冷や汗を浮かべこぶしにぎりしめた。

「やばいじゃないですか」

「やばいわよ」

「な、なんで断らなかったんですか。そんなちやな話」

だれかさんが自分のことをメッセンジャーボーイみたいに言うからでしょ。全部持ち帰るって言った以上、その場で断ったりとかできないし」

「………」

 思わぬところからのはんげきだった。やばい、気をかせたつもりが逆効果になっていたのか。

 凍りつく工兵に、だが室見はめんどうそうに頭をいてみせた。

「……まぁ、大丈夫よ。同一機種じゃないけど同じメーカーの機器が会社にあるから。そっちで検証すればコンフィグの整合性はかくにんできるはず。あとは切り戻し手順さえ確立しておけば万が一の時もなんとかなるでしょ」

「切り戻し?」

「障害が発生した時、元の構成に戻すこと。──ちょっと、これあんたに一度教えなかったっけ?」

「でし……たっけ」

 おくを探る。そう言えばM情報の作業をしていた時、聞いた気がした。室見の目がきゅっとすぼまる。

「質問。機器設置時に準備するドキュメントは? ラックマウント図とネットワーク図、あと何」

「……え、えっと」

 工兵はせんらした。必死で考えてみるが答えは出てこない。くるまぎれに思いついた単語を口に出す。

つもりしよ……とか?」

 違うよね。やっぱり違いますよね。ごくりとつばみうかがっていると、室見のこうかくが持ち上がった。

「人の教えたことを右から左にスルーとか、ずいぶん風通しの良い耳ね。どのくらい風通しがよいか試してみようかしら」

 言いながらフォークを取り上げる。いや、待った。それをどうする気だ。持ち上げて、真横に構えて、切っ先をこうへいの耳に向け、──うぉおう!?

「ま、ま、に刺すつもりでしたね!? 今!」

 顔をのけぞらせながら工兵は叫んだ。目の前でフォークの先端がにぶい光を放っている。

「あんたみたいな鳥頭はこれくらいやらないと覚えないでしょ。いいから一回刺されときなさい。新しい世界が開けるかもしれないから」

「むしろ世界が終わります! ってか、むろさんやっぱりさっきのこと──客先で僕が出しゃばったこと怒ってます? 余計なことしやがってとか思ってるでしょ」

「そんなうつわの小さい人間と思われるなんて心外ね。ちっとも気にしてないわよ、あのくらい。──死ねばいいのに」

 なんか変な語尾ついたー!

 ………。

 結局、ランチタイムはその後、室見の口頭試問会と化した。

 胃の痛くなるような質問攻めにあいながら、工兵は二度と室見の食事にだけは付き合うまいと思っていた。

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