レイヤー4 【6/7】

 室見は深呼吸を一回、唇を引き結んで腕を持ち上げた。画面上にはファイル転送ソフトが立ち上がっている。ターミナルからコマンドを打てばPCのコンフィグがルータにコピーされるはずだ。彼女はキーボードにせんを落とし親指をエンターキーに近づけた。

「──待ってください」

 思わず声を出していた。室見の指が止まる。彼女は工兵をにらみ上げた。

「何よ」

「コンフィグを入れ直したら五分はにしますよね。それで駄目だったらもう間に合わないじゃないですか」

 室見はげんな表情を浮かべた。何を分かりきったことをという表情だった。

「だから?」

「別の方法を考えるべきです」

 工兵は強い調ちようで言った。室見の目が大きく見開かれる。まばたきを一回、彼女はいらちもあらわせんらした。

「そんなものあればとっくにやってるわ。かいの再起動、線のし、プロセスのリセット、できることは全部やった。いまさら試せることなんて何一つないわ」

「本当ですか?」

「………? どういうことよ」

。そういう可能性はないですか」

 むろぜんとした表情になった。ぽかんと口を開けこうへいを見返す。

「な、何言ってるのよ。このコンフィグはもともと動いてる機械に入ってたもので。リプレースしてもかんきようが変わるわけじゃ──」

「でも、これ室見さんが作ったコンフィグじゃないですよね? いつもみたいに自信をもって一行一行組み上げた設定じゃない。だったら作り直すべきじゃないですか。最初から、室見さんの設定を。──」

「あんた……」

 室見はうめいた。ごくりとのどが鳴り、こうが開く。

「本気で言ってるの? あと八分、ううん、七分しかないのよ」

 工兵は語気を強めた。室見の態度がもどかしい。違うだろう。あなたはそんな弱気な人じゃない。ごうまんむずかしくてどくぜつで、でも天才肌でどんなこんなんも楽々と乗り越えていく。自分がうるさく思ったのは、かなわないと思ったのは、こんなところであきらめる人物じゃない。勝算もなく同じ作業をり返す人じゃない。

「七分もあります。室見さん、しっかりしてください。いつも社長から飛び込みで何十台の機器を押しつけられていると思ってるんですか。今僕らが設定しなきゃいけないのは一台だけですよ。コンフィグだって数十行もない。五分──いや、三分だって余裕でしょ」

「………」

「最初のOJTで室見さん、僕に言いましたよね。『一からコンフィグを作れ。余分な行が一つでもあったらNG』って。あれといつしよですよ。理解できているコンフィグだけ残して、ほかは切り捨てればいい。かんたんな話じゃないですか。──それとも」

 工兵はこうかくを持ち上げた。ほおにくゆがめ、ことさらにちようはつてきな表情を浮かべる。

「人に偉そうなこと言っといて、自分じゃ同じこともできないんですか」

 ───。

 殴られると思った。平手、いやげんこつで打たれても仕方ない。とてつもなく失礼なことを言っている自覚はあった。

 だが殴られても構わない。自分がいやなのはここで室見が負けることだ。あの担当者に無能のレッテルをられることだ。

 そんなのは──許せない。

 このいけすかないせんぱいをやりこめるのは自分だ。ほかだれでもない。自分、さくらざかこうへいだ。彼女を見返す、ただそれだけを目的にこの二週間がんってきたのだ。むろが、

 ───。

 かたみ見守っていると室見がゆっくり顔を上げた。とびいろひとみにぎらりときようぼうな光が宿る。

「……言ってくれるじゃない、新人ぜいが」

 唇の端がゆがむ。端正な顔がもうじゆうのようなみをたたえていた。

 ぐいと、えりをつかまれた。すぐ前に室見の顔がある。息がかかりそうなきよ。きめ細かな肌から溶鉱炉のようなねつが漏れ出している。

「あたしを無能呼ばわりするつもり?」

 ものすごいプレッシャー。工兵はごくりとつばを呑み込み、それでもけんめいきよせいを張った。

「このままあきらめるつもりなら、そう言われてもしょうがないでしょう?」

 しゆんかん、ふっと室見の手がゆるんだ。まばたきしたのもつか、強い力で胸を押し返される。

「──うまくいかなかったらいつしよだからね」

 ………!

 室見がPCに向き直る。ジャケットの腕をまくりひたいにかかる髪を払いのけた。

 工兵は目を見開いた。

「室見さん……!」

「桜坂、あんたの仕事は私を作業に集中させること。五分でいい。だれも私に話しかけさせないで。できる?」

 工兵はこくりとうなずいた。

 室見はふっと唇を緩めたのちすべての表情を消した。十指を広げキーボードにたたきつける。

 空気が揺れた。

 画面上にいくつものウィンドウが開きぼうだいな情報が流れ込んでくる。初期化コマンドを発行、コンフィグをデフォルト状態に戻し一から設定を組み直していく。

 時間は──あと、四分三十秒。

 その時、背後で固い靴音がひびいた。

「状況を教えてください」

 固い表情のきやく担当者が立っていた。うすい唇がこごえたように戦慄おののいている。元々色素の薄い顔は青を通り越し真っ白になっていた。

 工兵はゆっくりと担当者に向き直った。

「今、設定を組み直してるところです。もうすぐ終わりますから少し待っていてください」

「もうすぐ? もうすぐですって?」

 きやくの声が裏返った。きつねはげしいいらちと混乱が浮かぶ。彼は突き刺さんばかりの勢いでうで時計どけいを指さした。

「今何時だと思ってるんですか。午後一の処理が流れるまでもう何分もないんですよ。一体、何が問題なんですか? 詳しく説明してください」

「だから、そのあたりの切り分け含めて今設定を作り直しているところです。分かり次第報告しますから時間をください」

「分かり次第じゃ困ります。今問題点を教えてください」

 何を言っているんだ、この人は。

 こうへいは歯を食いしばった。

 調ちよう中と言っているじゃないか。切り分けの終わっていない状況で何を報告しろというのか。会話がみ合っていない、一方的に同じことを言い続けている。だいいち報告してどうなるのか? 顧客担当者が何か解決策を示してくれるのか? ──まさか。工兵には、彼がただ自分の不安をまぎらわすため質問を重ねているようにしか見えなかった。

「あなたが説明できないなら、そっちの──作業してる人にかくにんします。ちょっと、ちょっと、あなた」

 むろに詰め寄ろうとする顧客を工兵はとどめた。身体からだを割り込ませ顧客の顔をにらみつける。

「今、作業中です」

 顧客の顔からいつしゆん表情が抜け落ちた。予想外の反応にきよを突かれたのか、だがすぐ激しい苛立ちが顔に浮かぶ。

「あんたじゃ話にならないと言ってるでしょ。どいてください、おたくの社長にクレームをあげますよ」

「構いませんよ。それで納得してもらえるなら。僕から社長に言ってしやざいさせます」

「………」

「今大切なのは何ですか。状況のレポートですか、それともシステムをどうさせることですか。どっちにしろほかのやり方を試している時間はないんです。だったら最後まで僕たちに任せてもらえませんか」

「そ、それでうまくいかなかったら、どうするつもりなんです」

「うまくいきます」

 工兵は断言した。表情をやわらげ、こうかくをわずかに持ち上げてみせる。

 彼は自信に満ちた表情で。

 落ち着いたこわで。


「彼女が担当したシステムで、無事稼働しなかったものはありませんから」


 ──

 むろが昔どんな仕事をしていたかなど知らない。知るわけがない。実際問題として、あの社長が持ち込んでくる仕事だ、実現不可能なものもあっただろう。だが今大切なのはきやくの不安を取り除くことだ。少々のうそは仕方ない。どうせうまくいかなければ、こんな嘘など問題にならない次元であやまることになるのだ。ならばもう言ったもの勝ちだ。

 顧客の顔からじよじよに感情の波が引いていく。怒りが消え、すがるようなまなしになっていた。これでこちらはよし。あとは──

 肩越しに振り返り室見をかくにんする。時刻は──十二時五十八分。作業時間終了まで、あと二分。

「………」

 室見の手が止まっている。

 鼻の両わきしわを刻み画面をにらみつけている。

 なんだ、何をやってるんだ。

 時間がないんだぞ。早く手を動かさないと午後一の処理が動き出してしまう。ひょっとしてもう完了したのか? いや、なら何も言わないはずがない。

 まさか──行き詰まったのか。

 コンフィグを一から作り直して、それでもうまくいかなかったのか。

 だとしたら終わりだ。いまさら別の方法を選ぶ余裕もない。

 ──十二時五十九分。

 うで時計どけいの秒針がにカウントダウンを始める。

 五十秒前、四十秒前、三十秒前。

 室見は動かない。担当者の身体からだおこりにかかったようにふるえ出す。こうへいもぎゅっとてのひらつめを突きたてた。

 二十秒前。

 思わず室見の名前を叫びたくなる。だがそれではすべて台無しだ。工兵のパニックは顧客担当者に伝染ししゆうしゆうがつかなくなるだろう。

 十秒前。室見はかぶりを振った。

 ………!?



 つぶやき声とともに、細い腕が高々と持ち上がる。

 室見は深呼吸を一回。

 まなじりを決し。

 全身に気迫をみなぎらせ。

 伸ばした指を。


 キーボードに


 ───。

 空気が揺れた。

 かたこうへい達の前で、ルータのLEDがはげしく点滅し始める。

 通信が始まっていた。サーバ、ファイアウォール、スイッチ、そのすべてがまばゆくランプをかがやかせている。

 あわててけいのぞき込む。時間は──午後一時。

「──はい。ええ、今終わったところで。……処理が動いている? 本当ですか。……よかった。本当によかった」

 後ろできやくがPHSにしがみついている。顔がくしゃくしゃにゆがみ泣き笑いのような表情になっていた。

 工兵はひたいの汗をぬぐいながら正面に向き直った。むろが得意げな表情で親指を立ててみせる。

 苦笑した。まったくさんざん心配させていい気なものだ。

 顔の筋肉がガチガチにこわばっている。果たして自分はうまく笑えているだろうか。疑問に思いながらこうへいむろに歩み寄った。

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