レイヤー1 【2/7】

 採用担当の声に工兵はあわてて姿勢を正した。背筋を伸ばし表情をこわばらせる。かたみ採用担当の背中をうかがっていると、不意にするい光が彼の目をいた。

(………?)

 パーティションの切れ目に赤いボールのようなものが現れていた。磨き上げられた表面が照明を浴びつやつやとかがやいている。

 なんだ? と思ったしゆんかん、ボールがぐいとこちらに差し入れられた。球のなかほどにぎょろりと二つの目が現れる。きもつぶこうへいの前に、次いでへんぺいな鼻、い口ひげ、分厚い唇が姿を見せた。けんあご、鼻の両わきに何本も深いしわが刻まれている。そこまで見てやっと工兵は、それが人間の頭だと気づいた。禿はげあたまの男がこちらをのぞき込んでいる。

「おお! 生きが良さそうだな!」

 ボールがしやべった。

 まくがビリビリふるえるようなどうごえだった。男はにいと唇をゆがめミーティングスペースに入ってきた。

 じじいだ──

 一目見てそう思った。

 がらで短足。頭だけがやたらと大きい。れいにそり上がった頭が酒焼けのように赤く色づいている。これで腹掛けでもしていたら本当にようかいと見間違えそうだったが、幸いにも男の服装はジャケットにスラックスという一般的なものだった。

 男は席に着くなりえんりよに工兵を眺め回した。

「君、てつは大丈夫か? 体力に自信がないとうちではやってけんぞ。まぁ少々たい調ちようを崩したところで本当に忙しい時は病院に行ってるひまもないがな!」

 がははははとごうかいな笑い声。あつにとられる工兵の前で、採用担当があわてたようで男をさえぎった。

「社長、社長」

 採用担当は工兵をうかがいながら声をひそめた。

「よしてくださいよ、新人をおどかすのは。それじゃあまるで、うちがみたいじゃないですか」

「……ん? ……ん、ああ、そうか。そうだったな」

 せきばらいを一回、子泣き爺はやや不満げに工兵をいちべつした。その間、工兵はただただ目を白黒させている。社長──? この人が?

「じゃあ改めて紹介します。こちらさくらざか工兵君。××大学の出身で……たしかゼミではマーケティング戦略を専攻してたんだっけか」

「え? あ、ええ。はい」

 とうとつな振りに狼狽うろたえながら、それでも工兵はこくりとうなずいた。

「口コミを使った宣伝手法について研究していました。卒業研究では実際に学内でうわさを流して、それがどんなふうに広がっていくか調しらべたりもしていました」

「ふぅむ」

 社長は採用担当からこうへいのレジュメを受け取った。しげしげと眺めたのち、つぶやく。

「君──、結婚はしておらんだろうな」

「………? はい、まだ──ですけど」

 結婚どころか付き合っている彼女さえいない。質問の意図が分からずまばたきしていると、社長はさらに妙な問いかけをしてきた。

「当然、子供はいないな」

「……はい」

「実家か? それとも一人ひとりらしか?」

「一人暮らしです」

おやさんはまめに連絡をとってくる方か?」

「……いえ? そんなひんぱんには──」

 あいまい調ちようで答えると、社長は満足そうにうなずいた。

「つまり家のことは気にせず、存分に仕事に打ち込めるというわけだな」

「───」

 なんだろう、この妙な念押しは。まるで家族がいたら業務に差し支えるとでも言わんばかりだった。

 その後も社長はおかしな質問を続けた。虫歯はあるか、持病はないか。酒は大丈夫か。視力はどうだ? 裸眼か、コンタクトか──

 すべてに答え終えると社長はにかっと笑った。背中をに預け採用担当を見上げる。

「おい、今度の子はなかなかがんじようそうだな!」

「でしょう」

 採用担当は満面のみで答えた。

 社長はじようげんようで工兵に向き直った。黒豆のようなひとみがまっすぐに彼を見つめる。きんちようする工兵に、社長はぐいとこうかくを持ち上げてみせた。

「いや、すまんすまん。ごらんの通りうちは小さな会社でな。社員はみんな家族みたいなものなんだ。それもあって新しく仲間になる人間のことはきちんと知っておきたくてな。ぶしつけな質問で気を悪くしたかもしれんがかんべんしてくれ」

「いえ……そんな」

 工兵はきようしゆくし、あんした。

 なるほど。たしかに小しきならいつしよに働く相手のことはよく知っておきたいだろう。家庭かんきようや酒の強さ、それに虫歯とか。──

 ……虫歯?

 まゆをひそめる工兵に社長はこうべを垂れた。

「──あらためて、スルガシステムの社長、ろつぽんまつだ。よろしく頼む」

「あ、はい、よろしくお願いします」

 あわててこうへいも頭を下げる。社長は採用担当をあおぎ見た。

「それで──? 彼はどこに配属されるんだ」

ふじさきさんのチームです」

「おお、藤崎君のところか!」

 社長はかっと目を見開き工兵にせんを落とした。

「君は運がいいぞ。藤崎君はうちの会社でもとびきりゆうしゆうなエンジニアだからな。彼の下で働けば、めきめき成長できるはずだ」

「本当ですか」

 工兵は身を乗り出した。社長は自信満々にうなずいた。

「本当だとも。ちよういい、私から藤崎君に紹介してやろう。ええっと……君は、君だっけか」

さくらざか君です」

 採用担当の指摘に社長は「そうだ、そうだった」とうなずいた。

「それじゃあ君、ついてきたまえ。ああ──君はもういい。あとは私の方で案内する」

「そうですか……ではお願いします」

 採用担当は軽く一礼して身体からだを引いた。書類をわきに挟み工兵を見る。

「じゃあ桜坂君、何かあったら総務まで来てもらえれば対応するんで。──がんってね」

 工兵は目をしばたたいた。

 いつしゆん、ほんの一瞬だが採用担当の目に妙な光が宿って見えた。あれ、と思い見返すと採用担当はもうパーティションの向こうに消えている。なんだろう、あの表情。まるで──自分をあわれむような──

「ほら、君。行くぞ!」

 大声に振り向くと、社長が立ち上がり廊下に出かけていた。工兵は慌てて荷物をまとめ社長に続いた。

 というかこの人、他人の名前を覚えるのがにがなんだろうか。短い間に三度もみようを間違えられている。どこかで訂正しないと誤った名前のまま紹介されかねない。とはいえいまさら改めて名乗るのも変だし、どうしよう、考えているうち工兵は廊下の突き当たりにたどりついていた。

 白い殺風景なとびらが目の前にある。横には入退室管理用のカードリーダー。その上にシステムエンジニアリング部と書かれたプレートがある。その名前を見てしんぞうがどくりと高鳴った。カタカナでつづられた部署名には見覚えがある。Yさんの所属部署だった。

 社長はネックストラップのカードキーをリーダーにかざした。ピッと電子音がひびき扉のロックがはずれる。

 工兵はごくりとつばんだ。

 ここが自分の所属部署、……だとすればとびらの向こうにどうりようせんぱいがいるはずだ。さきほど採用担当が言っていたふじさきという上司──彼もこの奥で働いているのだろう。ひょっとしたらYさんがいるかもしれない。

 可能な限り第一印象を良いものに。しゆうかつ時代に染みついたしゆうかんこうへいの姿勢を正す。胸を軽く反らしあごはやや引き気味に。靴のかかとをあわせ鞄の取っ手を両手でつかむ。

 扉が開く。

 工兵は息を吸い込んだ。呼吸を整え、はっきりした調ちようで。

「失礼しま──」


 オフィスのゆかに人が倒れていた。

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