レイヤー1 【7/7】

 工兵は目をいた。なんでいきなりそんな話になるんだ。だが藤崎はしかつめらしい顔で考え込んでいる。ちょっと待った、考えるような話なのか、そこ。

 藤崎は小首をかしげながらつぶやいた。

「その条件なら──やってくれるの?」

「トラフィックジェネレーターの件も忘れずに」

「もちろん」

「可動式のハーフラックも」

「検討しよう」

「ケーブルテスタは?」

「値段次第で応そうだんだね」

「じゃあ、それで」

 ふじさきは満足そうにうなずきこうへいを見た。ぽんと手をたたきき満面のみを浮かべる。

「というわけでさくらざか君、よかった。彼女が君のOJT担当だ」

「いや、いやいやいや! 何一件落着みたいな顔してるんですか。ちょっと待ってください、なんですか首って、困りますよそんなの!」

「いやだな、そんなのはむろさんなりのはつに決まってるじゃないか。きちんとがんれば普通に評価してもらえるよ。ね、室見さん?」

「私、本気ですから」

「ははは、そうだね、それくらいの意気込みで桜坂君ものぞんでもらわないと」

 明るく笑う藤崎を前に、だが工兵は青くなっていた。

 室見の目は殺気に近いものをはらんでいる。じようだんや発破などでは断じてない。彼女は本気でしやべっていた。二週間で使いものにならなかったら首、自分の時間を浪費させたむくいはきっちり受けてもらうと。

 もちろん、彼女のような一社員に首切りの権限があるはずない。だが人を辞めさせる方法はいくらでもある。いざとなればあらゆるれんくだを尽くし工兵の居場所をなくしてやる。そんな覚悟が少女の顔に現れていた。

「藤崎さーん、O情報のもりさんからお電話入ってますけど。WEBの件、どうなってるって」

 カモメが受話器を持ったままパーティションから身を乗り出していた。藤崎は「ああ、うん。今行く」と返事して工兵達に向き直った。

「じゃあ僕は仕事に戻るんで。あとは室見さんよろしく、桜坂君も頑張ってね」

 そう言って席を立つ。工兵はあわてて追いすがった。

「ちょ、ちょっと待ってください! 藤崎さん」

 ミーティングスペースからはなれたところで捕まえる。横目で室見のようをうかがい工兵は声をひそめた。

「む、ちやですよ。なんか僕、あの人にものすごく嫌われてる気がしますし。ほら、今も凄い目でにらんでるじゃないですか。……うわ! なんか舌打ちしてる!」

 藤崎は苦笑した。

「大丈夫だよ、彼女、少しようだからああいう物言いになっちゃうけど、基本的にめんどうはいい方だから。についていけばいい勉強になるはずだよ」

「ぶ、不器用……?」

 こうへいは目をしばたたいた。

 いくらなんでもそれは好意的すぎる見方じゃないだろうか。彼女の言動からは工兵に対する善意などじんも感じられない。完全に検証ざいの交渉材料としてのみ見られていた。

 ふじさきは工兵のしんげなようを見て「あー」と頭をいた。

さくらざか君が心配しているのはあれ? さっきの検証予算の話? 自分が取引の材料に使われたとか思ってるのかな」

「そんなことは……」

 あるけれど。ていうかそれ以外にどう解釈しろというんだ。

 藤崎はまゆじりゆるめた。

「ごめんごめん。まぁあれは半分じようだんみたいなものだから。いやまぁ検証かんきようが必要なのは事実だし、予算かいらいしゆうにあるけれど。それで君のOJTがどうこうってことは──」

 言葉が途切れる。

 ちょっと待った。……再来週?

 工兵は恐る恐るたずねた。

「えっと、今月の予算会議っていつなんですか」

 藤崎はせん彷徨さまよわせた。

「四月十四日のようだね」

「OJTの期限っていつでしたっけ」

「今から二週間後だと……十五日の水曜日かな」

 ああ、なるほど。予算かくとく会議の翌日にOJTの最終日ね。それはまたなんともぐうな──


 って、そのまんまじゃねぇか!


 明らかに予算さえかくしたしゆんかん、工兵が用済みになるパターンだった。

 おかあさん。桜坂工兵の初仕事はバーター取引の材料になることでした! やったー!

「まぁそれはともかく」

「まとめないでください! 今、藤崎さんもおかしいと思ったでしょ? 変ですよね? 明らかにおかしなスケジュールですよね!?」

「そうかなぁ」

 しらばっくれやがった!

 げつこうする工兵に藤崎は「まぁまぁ」となだめるような声をかけた。

たしかにむろさんも検証環境のことは気にしているだろうけど。彼女だってプロだからね、OJTはOJTできっちりやるはずさ」

 藤崎は「それに」と言葉を続けた。

「僕もそうだけど、今うちのチームほとんど出払っていてね。比較的社内にいるのはむろさんぐらいなんだ。たしかにまぁ、もう少し柔らかい人の方がさくらざか君も接しやすかったと思うけど──」

「そ、そう思うなら、もうちょっと何か考えてくださいよ。……あ、そうだ。カモメさんは? 事務の仕事をしているなら基本社内にいるんですよね?」

「桜坂君はエンジニアだから、事務を教わってもしょうがないでしょ。だいいち彼女はパートだし。正社員のOJTとかは無理だよ」

「じゃ、じゃあ」

 こうへいはすがりつかんばかりの勢いでたずねた。

「Yさんはどうなんですか? あの人も確か、ここの部署ですよね?」

 そうだ。彼がトレーナーなら多少きびしくても納得できる。自分は彼のようになりたいと思ってこの会社を選んだのだ。もちろん実際に会ったわけでないからひとがらまでは分からないが、いくらなんでもいきなり首を宣告されたり、予算かくとくの材料にされることはないはずだった。

 だがふじさきそうに首をひねった。

「Yさん……?」

しゆうしよくサイトでインタビュー受けてた人ですよ。ほら、文系出身でSEになったっていう──」

 藤崎は「んー?」とうなった。考えたのちまゆしわを寄せる。

「そんな人、いないけど?」

「いない?」

「うん」

 工兵は混乱した。

「そ、そんなはずないですよ。……え? まさかさっき言ってた辞めた人って……Yさんのことですか?」

「いや、……いやいや辞めたとかそういうことじゃなくって」

 藤崎はめんらった表情になった。

「Y……イニシャルがYってことだよね? そんな名前のエンジニア、昔からこの会社にいないよ?」

「………?」

 工兵はちんもくした。

 一体どういうことだ? わけが分からない。Yさんが……いない?

 藤崎はげんそうに工兵を眺めていたが、それ以上質問がないと見るや「じゃあ、まぁそういうことで」と歩み去っていた。自席に戻り、あわただしいようで電話を始める。

 残された工兵はぼうぜんと立ち尽くしていた。

 はっとわれに返りかばんを探る。しゆうかつサイトのコピーをかくにん。──やっぱり間違いない。そこに登場しているのはYさんだった。ひょっとして違う部署なのか? だがそれにしても名前さえ知られていないというのは妙だった。

「あれ……? それ、さんじゃない」

 いつの間に近づいてきたのか、カモメがこうへいの手元をのぞき込んだ。胸元に大きなチューブファイルを抱えている。

「やまと屋?」

「近くの定食屋さんよ、たまに出前でオフィスに来てくれるの。あそこのてつどんしいのよねー。……って、あれ? この文章……んん?」

 なにやら首をひねり始めたカモメの前で、工兵はひたすら混乱していた。

 ……えーっと。

「……そのやまとなんとかの人が、なんでこの会社の人間として紹介されてるんでしょう」

「うちの社員にほんしやべらせたら、だれおうしてこなくなるからでしょ」

 だるげな声がひびいた。振り向くとすぐ後ろにむろが立っている。彼女は腰に手をあて工兵をにらみ上げた。

「いつまで遊んでんのよ。ほら、行くわよ。あんたがどんなけいでこの会社に入ったか知らないけど、私の下についた以上相応の働きはしてもらうからね。さぁ早く来て。仕事は腐るほどあるんだから」

 ぐいと二の腕をつかまれた。そのまま力任せに引きずっていかれる。

 工兵はコピー紙を握りしめたままぼうぜんてんじようあおいでいた。

 室見の言葉がのうめぐっている。

 うちの社員に本音で喋らせたら誰も応募してこなくなる──?

 だから適当な写真と文章を組み合わせて、それっぽい記事をでっち上げた?

 誰が?

 ……考えるまでもない、あの採用担当だ。

 つまりこういうことか? 劣悪な労働かんきようを嫌い、どんどん辞めていく社員。欠員を補うため採用担当はしゆうしよくサイトで大々的に募集をかける。だがまともに募集しても、会社のから言ってそうそうエントリーは集まらない。だから人目を引くエピソードをねつぞうし、なりふり構わずアクセスを集めた。あとは応募してきた人間──今となってはどのくらいいたか疑問だが──に形だけの面接をして内定しようだくしよを書かせる。──

『実を言うとほかにも内定候補者がいまして』『手続きが遅れると採用わくが埋まってしまうかもしれないんです』『いや、これはさくらざかさんだから話すんですがね』──

 ………。

としの入社は桜坂君、一人ひとりだよ』

(………!)

 こうへいあえぐようないきを漏らした。


 ひょ、ひょっとして……だまされた?


 絶望的な事実がしきを満たす。

 だがまいを覚える間もなくむろは彼を連行していく。

 気のせいか、耳元でドナドナが聞こえたように思えた。

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