レイヤー2 【1/10】

 ぼんと、ラボルームの机に大量の書類が置かれた。

 百科事典を二冊み上げたくらいのボリュームだった。重みに長机のあしきしみ、押しのけられたほこりが宙をう。

「とりあえず、これ」

 ほうけたままのこうへいむろは書類を指し示した。

「コピーくらい使えるわよね。十部コピーしといて。カラー三部に残りはモノクロで。両面、4アップ。パンチは上側。いいわね」

 だまされた、騙された、騙された。──

 同じ言葉が脳内をめぐっている。今なら人事担当がなぜあんな哀れむような表情をしていたのか理解できた。自分はめられたのだ。普通にしゆうしよく活動をしていた学生ならおちいりようもないわなに、まんまと。

 だいたい、おかしいじゃないか。

 今まで見たこともない求人が通常の就活時期を過ぎたしゆんかん掲載されるなんて。しかも面接の場で内定じゆだくを求められるとか。どう考えても就職に困った学生をねらちにしているとしか思えない。なんという悪徳企業。くうの社員インタビューまででっち上げて。純朴な学生の心をもてあそんで。

さくらざか

 一体どうしてやろうか。人事にどなりこんで説明を求める? いや、いっそ大学の就職にたれこんでやろうか。そうだ、そうすれば──

「おいこら」

 室見はドライバーを取り上げるとぞうに工兵の頭に突き刺した。げきつうが脳天を突き抜け工兵は飛び上がった。

「痛い! 何するんですか!?」

「何するんですかじゃないわよ! 人が説明しているのに何ぼんやりしているのよ。ちゃんと聞いてる?」

 工兵は目をしばたたいて室見を見た。彼女の小さな手が机上の書類を押えている。えっと……ああそうか、コピーするんだっけ。

「客向けの書類だからていねいに頼むわよ。できたらチューブファイルに挟んで、カモメに頼めば余っているのもらえるから」

「……はぁ」

「返事ははっきりと!」

「はいっ!」

 なんというか、いちいちドライバを振りかざすのはやめてほしい。書類を取り上げ追い立てられるようにしてラボを出た。ずっしりと紙の重みが両腕にのしかかってくる。……これ全部コピーするのか。あんたんたる気分になりながら、ふっと思い出す。そういえばなんかコピーのやり方を指示されていたっけ。カラー三部でモノクロ七部、……あとはなんだっけ? まぁいいか。普通にコピーすれば特に問題あるまい。

 オフィスに戻りせんを走らせる。入り口の近くに二台のコピーがあった。一台は……カラー、もう一台はモノクロ原稿専用のコピー機だった。

 よっこら……せっと。

 サイドテーブルに資料を置きコピー機と向き合う。これだけの枚数だ。一枚ずつコピーしていたら日が暮れてしまう。何か効率良くやる方法はないか。頭をきながらコピー機付属のマニュアルを取り上げる。『基本コピー』、『サンプルコピー』、『用紙サイズが混在した時のコピー』。……ぱらぱらとめくっていくうち『大量原稿』という章を見つける。なになに? 「原稿送り装置(フィーダー)に収まらない枚数をコピーする時は、『大量原稿』オプションをオンにし、原稿をぶんかつしてフィーダーにセットしてください」。──なるほど、いつたん内部にコピー情報をたくわえたのち、一気に出力するということか。マニュアルの手順通りに書類の何枚かを試し刷りしてみる。──問題ない、重々しい機械音とともにモノクロのコピーが排出されてきた。

 よし。

 小さくうなずいてこうへいかみたばをカラープリンタに運んでいった。まずカラーコピーを一組作って出来映えをかくにん、あとはモノクロとカラーを並行して印刷する。

 排出されたコピー紙をモノクロプリンタに供給しタッチパネルをそう。印刷枚数を「7」にセットしてスタートボタンを押す。そのころにはもうカラープリンタの方も動き始めていた。見ているうち、排出トレイに紙の山がみ上がっていく。工兵は一息つきオフィスを見渡した。

 雑然とした室内に人の姿はない。デスクがパーティションで区切られているせいもあるのだろう。妙にかんさんとした印象を受ける。カモメやふじさきは自席にいるのだろうか。見通しが悪いから所在を確認できない。低いくう調ちようの音だけがてんじようからひびいてきている。

 なんか、……イメージと違うな。

 工兵は鼻の頭を掻いた。

 システム会社ってもっとそうぞうしいイメージがあった。ひっきりなしに電話がかかってきて社員が走り回っているような。……いやまぁ午前中だから、みんな外出しているのかもしれないが。──

 しゆんかんかんだかい電子音が背後で鳴り響いた。

 肩越しに振り返りまゆをひそめる。モノクロプリンタのそうパネルに赤いランプがともっていた。エラーメッセージの内容は──用紙切れ? 目をまたたいているうち、今度はカラープリンタがけいこくおんを鳴らす。同じく紙切れを告げるメッセージだった。

 あわてて用紙を補充しスタートボタンを押す。だが何分もたたないうちにまたエラーランプが灯る。

 ──枚数が多すぎるのだ。

 補充用の紙は一パッケージ五百枚。だが自分の持ってきた書類はその倍近くある。単純に十部刷ろうと思ったら二十回は給紙しないとならない。

 つぅっといやな汗が背中を伝う。

 ……足りるのか?

 補充用紙は箱に詰められてコピーあしもとに置かれている。何パック入っているのか分からないがよくて七〜八パックといったところだろう。どう見ても足りそうにない。

 しようそうに突き動かされるまま周囲を見渡す。何度かくにんしても足下の箱以外に用紙は見あたらなかった。どうしよう。ほかの場所にストックがあるのか。──

 むろいてみるか。

 そう思いきびすめぐらしたしゆんかん、室見の冷ややかな声が脳内に再生された。

『あぁ? あんた、コピーくらい一人ひとりでできないの。本当使えないわね、この給料どろぼう

 うわぁ。

 頭を抱えてコピー機に向き直る。だ駄目だ、これ以上精神ダメージを受けたら本当に立ち直れなくなる。……そうだ、カモメさんに訊いてみよう。彼女ならもう少し柔らかくそうだんにのってくれるはず──

 瞬間、カラープリンタがさきほどまでと異なるけいこくおんを上げた。

「トナー切れ!?」

 続けてモノクロプリンタが悲鳴。

「今度は用紙詰まり!?」

 バサバサと紙の落ちる音。

「うわ! フィーダーから原稿がこぼれた!?」

 補充用紙の包みを抱えおろおろしているととうとつに後頭部をはたかれた。

「何やってるのよ、あんた!」

 振り向くと、すぐ後ろに室見が立っていた。細い肩を怒らせまなじりり上げている。

「なんかやたらピーピー音がすると思って見に来たら……あ、ちょっと何してるのよ! 等倍なんかでコピーして。4アップ両面って言ったでしょ!?」

「ふぉー……あっぷ?」

 間抜け面で首をかしげる。室見はいらたしげにうなこうへいを押しのけた。モノクロコピー機のカバーを開き、れた手つきで詰まった用紙を取り出す。そうパネルで設定を変更し再スタート、出てきた紙を工兵に突きつける。

「ほら、こういうふうに出すの。これなら紙やトナーも節約できるでしょ」

 見ると片面に元原稿の四ページが縮小され並べられている。裏側も同様。なるほどこれなら八ページを一枚に集約できる。

「ああ……ったくどうするのよ、こんなに出しちゃって。社長が見たらそつとうするわよ。カラーコピーとか結構お金かかるんだから」

「あ……あの、僕」

「こっちはいいから。カラーの方なんとかして。トナーの換え方、横のマニュアルにのってるから」

「は、はい」

 あわててカラープリンタに向かう。その時、オフィスの電話がけたたましい音をたてて鳴り出した。

「ちょっとりつちゃん、こうへい君、どっちか手いてたら電話とってー」

 カモメがパーティションから身を乗り出している。別の電話に出ていたのか、片手に受話器を持ちもう片方の手で送話口を押えている。工兵はどちらをゆうせんするか迷った挙げ句、ないせんに向かった。りのパーティションに入り受話器をつかむ。たんせつまった声がスピーカーから流れ出してきた。

『お世話になっております、私、O情報のもりと申しますが、ふじさき様いらっしゃいますでしょうか』

「え……あ、はい。えーと」

 考えてみれば企業の電話応対などけいけんがない。どう答えるべきか、パニックになりつつ藤崎の姿を探す。つま先立ちになりパーティションの向こうを見ると、ちよう向かいのデスクで藤崎がけいたいの通話を終えるところだった。

「しょ、少々お待ちください」

 どもりながら告げて受話器の口を押える。パーティションにのしかかるような姿勢で藤崎を見下ろした。一体どんな電話を受けていたのか、藤崎はしようすいしきった表情でにもたれかかっていた。

「ふ、藤崎さん。お電話ですけど」

 工兵の呼びかけに藤崎が顔を向ける。眼鏡めがねの奥でうつろなひとみが揺れている。青白い顔にい疲労がにじんでいた。

「……だれから?」

 やばい、忘れた。

 言葉に詰まっていると、藤崎はのそのそと内線電話に手を伸ばした。

「いいよ、こっちで受ける。転送して」

「転送?」

「転送ボタンを押して、僕の内線番号──3692をダイヤル。つながったら受話器を置いて」

「は、はい!」

 頭の中で藤崎の指示を反復、必死に指を動かす。……ええっと、なんだっけ。たしか転送ボタンを押して──

 ツー──ツー。


 しまったああああ!


 こうへいてんじようあおいだ。

 ダイヤルする前に受話器を置いちゃだろう!

 ぶつ切りだった。お客さんからの電話をぶつ切りしてしまった。

 がくぜんとしていると今度はないせんが鳴った。液晶に「Reception(受付)」の文字が表示されている。

「はい、システムエンジニアリング部」

 ふじさきが内線を取り上げた。

「はい、宅配便。……受け取りですね。今うかがいま──」

 しゆんかん、計ったように藤崎のけいたい電話が鳴り始める。内線に対応しつつ藤崎は携帯に出た。ほおと肩で携帯電話を挟み、すがるような目で工兵を見る。宅配便を取りに行けということか。こくりとうなずき受付に向かいかける。

 その時、再度外線のコール音。

たびたびもうわけありません。私、O情報のもりと申しますが──』

 なんてこった。

 あえぐように口を開いた瞬間、入り口からかんだかごえひびいてきた。

「ちょっとさくらざか! いつまで私にコピーさせてるの!? トナーはどうなったのよ!」

「受付の宅配便ってだれか連絡受けてたのー? まだですかーって内線来ているけど」

 あらしのようなさいそくほんろうされながら、工兵はちゆうでオフィスをけ回り続けた。


 ───。

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