レイヤー1 【6/7】

「あ、さくらざか君、むろさんも。ちよういいところに──って、えええ!?」

 オフィスに戻るなりふじさきが悲鳴のような声を上げた。あごががくりと落ち、がくぜんとした表情になっている。

 藤崎がおどろくのも無理はない。

 工兵の格好はひどいものになっていた。ネクタイがほどけシャツの胸元が大きくはだけている。髪はぼさぼさの乱れ放題、ひたいおさえているのは少女の投げた工具が命中したからだ。おろしたての革靴は傷だらけ、ちなみにズボンのすそにもひっかき傷ができている。

 もちろん少女の方も無事ではない。腹をおさえまえかがみになって歩いている。白い顔は退そうはくになっていた。とびいろひとみは死んだ魚のようににごり生気の欠片かけらもない。

「ど、どうしたの二人ふたりとも!? 何があったの?」

 藤崎が動転したようたずねる。

 少女は工兵をいちべつした。まゆを寄せたままいんうつきわまりない表情でつぶやく。

「こいつがいきなり私の腹をりつけてきたんです」

「蹴り……!?」

 藤崎が目をく。工兵はあわてて手を振った。

「え……ちょ、ちょっと待ってください、違うでしょ! やめてくださいよ、そんな言い方するの!」

「子供を産めない身体からだにしてやるぜー、とか言って」

「言ってませんよ! 何言い出してるんですか!」

さくらざか君……」

「いや、ちょっと! そんなこと言うわけないでしょ。ふじさきさんも、信じないでください!」

 ろうばいし裏返った悲鳴を上げていると、パーティションの向こうで「あーあ」と声がした。

 キャスターの転がるかろやかな音とともにカモメが顔を出す。彼女は苦笑気味にこうかくを押し下げた。

「踏んじゃったんだ」

「………、はい」

 こうへいはうなだれた。わけのしようもない。あらかじめ注意されていたのだから、もっと気をつければよかった。

 もっとも、気をつけたところで結果は同じかもしれない。何せ少女は本当に小さかった。立って並ぶと工兵の胸くらいしかない。身体を丸め段ボールの山に埋まったらかんたんに見失ってしまいそうだった。

 中学生……だよな?

 ひたいをさすりながら少女のようをうかがう。顔立ちは幼い。白いほおはマシュマロのようにふっくらとしてあごや唇、目元にも丸みを帯びたラインがある。長く伸びた髪はふわふわとままね、彼女の印象をいつそう子供っぽいものにしていた。

 だが、眼光だけはやたらにするどい。り気味の目にいどむような光が宿っている。ギロリと周囲をへいげんする様子はしゆうじんかんするかんしゆのようだった。

 むろ──

 藤崎は彼女のことをそう呼んだ。それではやはり彼女はここの社員なのか。いや、だが──

 しゆんかん、少女がきっと工兵をにらみつけた。

「なに見てんのよ」

 あわててせんらす。

 前言てつかい

 こんなおっかない目の子供はいない。完全にヤクザ者の目つきだった。

「ちょっとりつちゃん、そんなふうに初対面の人、おどかさないの」

 見かねた様子でカモメが声を上げた。彼女は鼻の両わきにわずかなしわを寄せた。

「どうせまたざいの間で寝てたんでしょ。危ないから仮眠室か、せめて席に戻って寝るよう言ってるのに。こないだも清掃の人に踏まれておおさわぎしてたじゃない」

「……カモメはちゃんと見つけてくれるでしょ」

 少女は唇をとがらせた。不満そうにもごもごとつぶやく。

「カモメが起こしにきてくれればよかったのに」

今日きようはちょっと手がはなせなかったの。それに新人君と顔合わせもしてほしかったし」

「──新人?」

 カモメはこくりとうなずきこうへいを見た。

「新入社員のさくらざか工兵君。今日からこの部署でいつしよに働くの」

 少女はまばたきを数回、表情の消えた顔で工兵を見た。たっぷり十数秒はだまったのち、ふっと顔をらす。

「けっ」

「……けっ!?」

「間違えた。むろです。どうぞ、よろしくおねがいします」

「どんな間違え方ですか!? 一文字もかぶってませんよ!」

 しかもものすごい棒読みだった。少女はそのままそっぽを向きちんもくしている。気まずい空気の中、ふじさきあわてたようで補足した。

「あー……えー。というわけで桜坂君、こちらが室見りつさん。うちの部署でおもにネットワーク系の案件を担当してもらってる。ゆうしゆうなエンジニアだからいろいろ教えてもらうといいよ」

「エンジニア……」

 工兵はまじまじと少女を見つめた。ということは、もはや疑う余地もない。あのラボルームで大量のかいを組み上げていたのはこの少女なのだ。

 彼女は心地ごこち悪そうに身じろぎした。自分のことを話題にされるのが苦手なのか、うつむき加減になって藤崎をうかがう。

「……もういいですか? 顔合わせだけなら検証に戻りたいんですけど」

「……ん? ああ、いや。ちょっと待って」

 藤崎が室見を呼び止める。

「室見さん、そうだんがあるんで少し時間をもらえるかな。桜坂君も」

 手招きしながらミーティングスペースに歩いていく。

 自分も──? げんに思いながら工兵は藤崎のあとに続いた。

 丸テーブルの手前に着席する。横にぶつちようづらの室見が並んだ。藤崎は彼らが席についたのをかくにんして自分も腰を下ろした。

「なんですか?」

 室見がげんきわまりない調ちようたずねる。藤崎はどう話を切り出すか迷うように沈黙していたが、ややあってぽつりとつぶやいた。

「桜坂くんのOJT担当だけどね、室見さんにおねがいできないかな」

 ───。

「……は?」

 室見が小首をかしげた。けんに深いしわが刻まれている。

「私が、──このド新人の?」

「うん」

「OJT担当?」

 ふじさきは無言でうなずいた。むろまゆがぴくりとふるえる。口元が真一文字に結ばれ、なんともいえないめんそうになっていた。

 なんだ、一体なんの話をしているんだ。こうへいは藤崎を見た。

「あの……OJTってなんですか?」

 藤崎は「ん?」と工兵を見た。説明不足に気づいたのか「ああ、ごめん」と頭をく。

「OJTってのはね、オン・ザ・ジョブ・トレーニング──つまり、せんぱい社員について実業務をこなしながら仕事を覚えていってもらうこと。うちは研修プログラムとかないから、そういうやり方で新人教育をしてるんだ」

 なるほど──とうなずきかけて凍りつく。……ちょっと待った。研修がない?

「え、あの。研修……ないんですか?」

「ないよ。中途も新卒も、みんなまとめて即戦力扱い」

「い、いや、でもそんな」

 しゆうしよくサイトに載っていたYさんのコメント、その2『体系だった研修のおかげで、入社当時素人しろうとだった僕もすぐ一人前のエンジニアになれました(笑)』は?

 え、まさか体系だった研修って……このOJT?

「で、どうかな室見さん」

 ぼうぜんとする工兵の前で藤崎が質問を重ねる。工兵ははっと顔を上げた。研修がないことにショックをうけている場合ではない。OJT担当が室見ということは──このきようぼう娘が自分の教育係になるということだった。

 ───。

 いやいやいや!

 彼は内心でかぶりを振った。

 無理、絶対無理!

 ラボルームの悪夢がよみがえる。工兵の足をはねのけぎやくしゆうに転じた彼女は、まさにケダモノだった。

 ケーブルを彼の首に巻きつけ、ゆかに引き倒した挙げ句、馬乗りになってドライバーを振り下ろしてきた。その時の彼女の目といったら……! 今でも忘れられない。たとえるなら職業料理人が魚をさばく時のような、人体をそんかいすることになんの躊躇ためらいもない目つきだった。

 なんとかいましめを解いて逃げ出したしゆんかん、今度は後頭部にレンチを投げつけられた。ハンマーにカッター、あとハンダごても飛んできた気がする。室見的にはぶん、工兵の動きを止めるくらいのつもりだったのだろう。だが、あたりどころが悪ければでなく昇天していた。いや、もちろん工兵だってやられっぱなしだったわけではない。なんとか彼女のものを取り上げ動きを止めようとした。だが結果はごらんの通りだ。彼女には一回も手を触れられず、逆に全身余すところなく傷跡を作ってしまった。正直、単純な力比べでも勝てる気がしない。そんな彼女にどうを受ける? とても無事ですむと思えなかった。

 だがこうへいこうより前に、むろは盛大なためいきを漏らした。

「無理です」

 きようの余地もない、きっぱりとした調ちようだった。

 彼女はにらみ上げるようにふじさきあおいだ。

「藤崎さん、私がどんだけ仕事抱えてるか知ってるじゃないですか。素人しろうとの面倒見てられるような余裕はありません。──無理です全然無理」

「別に手取り足取り教える必要はないんだよ。かんたんなタスクを与えて仕事の雰囲気をつかんでもらうだけでいい。単純作業を分担できれば室見さんも楽になるでしょ?」

「ぶんたん……?」

 室見は疑わしげに工兵をいちべつした。

「OJTの意味も知らないド新人ですよ? 何が任せられるんですか。──ねぇ、あんた、サブネットマスクの計算って分かる? ツイストペアケーブルのけつせんは? TeraTerm触ったことある?」

「………」

 工兵は目を白黒させ首を振った。室見は「ほれみろ」と言わんばかりに鼻を鳴らした。

「渡せる仕事なんかありません。テプラりやこんぽうはカモメに手伝ってもらうし、勝手の分からない新人にやり方教えるのも手間なだけです」

「そこをまぁ、なんとか」

「なりません」

「頼むよ」

「頼まれても無理なものは無理です」

 断ち切るように言って室見は顔をらした。

「だいたいそんなに言うなら藤崎さんの仕事を手伝わせればいいじゃないですか。どうせ社長のちやり案件、山のように来てるんでしょう?」

「うん……まぁ、それはそうなんだけどね」

 藤崎はもごもごと口ごもった。なんだろう、微妙に言いづらいことでもあるのか。鼻の頭をき視線をさまよわせている。

「ただまぁさ、室見さんもそろそろちゆうけんだし、人を使うことも覚えていってほしいんだ。仕事の幅を広げるためにもね。それにネットワーク系の仕事できる人増やした方が、検証関連の予算も通りやすいでしょ? ほら、トラフィックジェネレーター買う件とか」

「……ん」

 むろの耳がぴくりと動いた。

「今のままだと室見さんしか使う人いないから。社長のOK取りづらいんだよ。検証メンバーが増えればそれに応じてかんきようも整備しようって話になるでしょ」

「………」

「そう言えば、今月の予算かい──検証ざいの件も議題に上がってたっけ」

「………!?」

 室見が猛烈な勢いで振り向く。大きな目がいっぱいに見開かれていた。

 藤崎は心底無念そうに首を振った。

「あーあ、社長の説得、もう少しでうまくいくんだけどなぁ」

「……う……ぐっ」

 苦しげなうめごえを上げ室見はテーブルにせんを落とした。目をぎゅっと閉じ、りようひじを机に突いた姿勢で髪をかき混ぜる。そのままはんもんあらわに口元をゆがめた。

 なんというか、そんなにいやなのか。いや、別に室見のOJTを受けたいというわけじゃないが。

 ………。

 たっぷり十数秒はだまったのち、彼女は顔を上げた。こぶしを結び低い声でつぶやく。

「──私のやり方でいいんですか?」

 ぞくりとこうへいの背筋に冷たいものが走る。まだ具体的なことは何も言われていないのに、とてつもなく嫌な予感がした。

 室見は暗い視線を正面にえたまま言った。

「とりあえず二週間──いつしよに動いて使いものになるかきわめる。そういう条件でなら考えてみます」

「二週間……?」

「だらだらOJTやっても時間のですから。使えないやつはどれだけめんどう見ても使いものになりませんし。見極めるなら早いほうがいいです」

 なるほど、まぁそれはたしかにせいろんだ、が──

「確か二週間以内なら、試用期間中でも首にできるんですよね?」

 首……!?

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