レイヤー1 【5/7】

 手足を胴体に引き寄せ右半身を下にしてちぢこまっている。中学生くらいの──少女だった。明るい色の髪がふわりと広がり肩と床に流れ落ちている。ぶたふちまつはびっくりするほど長くい。すっと通ったりようが少女の顔に上品な印象を与えていた。

 服装は周囲の惨状と反対にひどく可愛かわいらしい。肉付きのうす身体からだは白のレースキャミソールに包まれ、首から肩、胸元のラインがしげもなくさらされている。赤いプリーツスカートの裾から伸びる足は針金のように細く長い。呼吸をするたびしの肩が上下に小さく動いていた。肌は白い。きず一つない二の腕にしんじゆのような光がおどっている。指でつつけばぷるりと弾力を持ち押し返してきそうな質感。せいけつさといろあやういバランスを取り少女の中で息づいていた。

「な……な、な……」

 頭が真っ白になる。予想外のそうぐうに気が動転していた。なんでこんなところに女の子が? どこから入り込んだのか。いや……、そもそもむろという人物はどこだ? 彼がいながら、どうしてこんな子供が寝泊まりするのを許したのか。

 そこまで考えて、ふっととんでもない想像がのうよぎる。ラボルームで眠っているのは彼女一人ひとり、そして自分はこので眠るむろという人物を探している。──

(まさか……この子が室見さん……?)

 いやいやいや。

 こうへいあわてて首を振った。そんなことあるわけない。だって室見さんというのはてつで仕事をこなし、上司からそうだんを持ちかけられるようなエンジニアなのだ。こんなとしもいかない女の子のはずがない。

「………」

 と、とりあえず起こしてみるか。

 左手を机からはなし少女に向き直る。ややまえかがみになり呼びかけようとして、だが工兵は大変な事実に気づいた。

 足の踏み場が……ない。

 もともとわずかなすきを、飛び石を渡るようにして進んできたのだ。そうそう気軽に方向転換できるはずない。結果、彼は上半身を傾けながら両足だけ元の位置に残す姿勢となっていた。

 ぐらりと身体からだが傾く。危ういところで踏み止まり工兵は上体を立て直した。だがそれが限界だった。これ以上は一ミリたりとも動けない。少しでも動いたが最後、バランスを崩し倒れ込んでしまう。

「う……」

 ひたいをつぅと汗が流れていく。やばい、無理な体勢で足の筋肉がけいれんし始めている。このままいけばどちらにしろ転倒しかねない。結果としてどうなるのか。自分がするくらいならまだいい。だがこの体勢だと間違いなく少女の上に倒れ込んでしまうだろう。寝ている女の子にのしかかる? どう考えても犯罪だった。だれかに見られたら速攻で通報されかねない。

 ただでさえ自分の角度からは少女の胸元がはっきり見えているのだ。キャミソールのすきからのぞくささやかな胸のふくらみ。わずかな谷間さえ作れていない、なだらかな二つの丘。……ていうかキャミソールってブラつけないんだな。胸の部分、裏側のが下着代わりになっているのか。もうちょっと覗き込めばそこらへんちゃんとかくにんできるんだけど……

 ………。

 じゃなくって。

 こうへいは頭を振った。

 何を見入ってるんだ、自分は。

 とにかく彼女には起きてもらわなければ。目を覚まし、今いるところから立ち上がってもらう。そうすれば足を進めるスペースくらいできる。

「あの……もしもし?」

 おずおずと呼びかける。だが少女は身動き一つしない。

「もしもーし」

 声のボリュームを上げる。

「朝ですよ?」

 無言。

「寝坊ですよ!」

 ちんもく

ふじさきさんが呼んでますよー!」

 ───。

 工兵は唇をへの字に曲げた。くそっ、無防備な顔で眠りやがって。僕がじんちくがいな善人だからよいもののよこしまな人だったらどうするんだ。何せちょっとせんをずらしただけで、彼女のあんなところやこんなところが見えてしまいそうなのだ。今だって、ほらこうしたら──

 ………。

 ストップ! 自分、ストップ!

 いかんいかんいかん。

 なんでこう意図せぬ方向に目が動くのか。平常心だ、息を吸って深呼吸して、平静に、冷静に。

 大きく息を吐きこうへいは思考をめぐらした。このじゆくすいしきった少女をどうすれば起こせるのか。手を触れることもできない状況で、どうしたら目覚めさせられるのか。

 せんを動かす。机の上にケーブルで接続されたぐんが見えた。前面パネルのランプがいているから今もどうしているのだろう。さきほどカモメが〈検証〉と言っていたが、その作業で使っているのかもしれない。複雑に絡み合ったケーブルや散乱したドキュメント、走り書きのメモを見る限り素人しろうと目にも大変な作業に思えた。

 ふっと思いついて彼は少女に視線を戻した。息を吸い込みささやくような調ちようで告げる。


?」


 ………!

 効果はげきれつだった。

 少女の目がかっと見開かれた。とびいろひとみくうめつけ上体がバネのようにね上がる。あとじさる余裕もなかった。細い指が工兵のネクタイを握り引き寄せる。

 ………。

 工兵はあえいだ。

 目の前に、人形のように小さな顔がある。息がかかりそうなきよ。大粒の瞳がギラギラとかがやき工兵を映していた。

「……指一本でも触れたら、

 桜色の唇が開き、地の底からひびくような声が漏れた。彼女はきようぼうきわまりない視線で工兵をにらみつけた。

「今、エイジングけんちゆうなの。ここで構成崩されたら一日分の作業がパーになる、出荷に間に合わなくなるの。分かる?」

「……わ、分かりました」

「本当に分かってるの? 私がこの構成組むためにどれだけ苦労したと思ってるの。あのアホ社長、ベンダーの在庫もたしかめずに受注して、だいたいひん見つけるのにアキバのジャンク屋まで探し回ったのよ。おまけにデフォルトのファームじゃ要件満たせなくて、全台上位ファームに入れ替え。それがやっと終わって検証に取りかかったのが昨日きのう、ちなみに出荷は明日あしたよ。そういう状況の機械を片づける? 電源を落とす? なんなのあんた。鹿なの? 死ぬの?」

「わ、分かったんで、ちょっと手を──」

「分かってない! そうやって口先だけごまかして逃げるつもり!?」

 あああ。

 工兵は絶望的な気分でてんじようあおいだ。限界だった。ただでさえあやうい姿勢を少女の手はようしやなく揺さぶってくる。両足から力が抜け上体が揺れた。このままでは少女を押し倒してしまう。なんとかけようと彼は右足を前に出した。倒れかけた身体からだを支えるように、前方の空間──少女が起き上がったことで生まれたスペースに踏み出す。彼女をまたいでしまうことになるが気にしていられない。──だが。

 あ……れ?

 足が言うことをきかない。

 にぶしびれが神経の伝達をさまたげる。あたかも水の中を進むように足はゆっくりとしか動いてくれない。しまった、無理な体勢で筋肉が限界を迎えていたのか。やばいと思う間もなく靴底が下降し始める。予想よりはるか手前、少女の細い胴体に向かって。

「……っ!?」

 少女が大きく目を見開いた。

 いや、おどろいているひまあったら逃げてほしいんだけど──

 頭のどこかで冷静なつっこみを入れながら。

 工兵は。

 革靴の底で、力一杯少女の腹を踏み抜いていた。

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