レイヤー1 【4/7】

 カモメ──?

 聞き間違いかと思い、似たひびきの名前を検索する。だが思い当たる単語はない。ひょっとしてあだ名か何かなのか。だが、……なんでまたカモメ? 女性の姿をかくにんしても特にカモメを思わせる特徴はない。

 首をひねこうへいの耳に、ふっと小刻みなけんおんが飛び込んできた。

「………?」

 音はカモメのデスクから響いてきている。工兵は身体からだを傾けパーティションをのぞき込んだ。

 ………!?

 ぎようてんした。

 カモメの両手は目にも止まらぬスピードでキーボードをたたき続けていた。たまに右手がマウスをあやつりEXCELのシートを切り替えていく。色分けされたセルに次々と数字が叩き込まれていった。

 その間、彼女はずっと工兵達に顔を向けている。まゆ一つ動かさず、茶飲み話でもするようなようで自分達と接している。

 あつにとられる工兵の前で彼女はふじさきせんを戻した。切れ長の目がすっとすぼまりれいな光をたたえる。

「藤崎さん、お休み中にいくつか電話がありました。T工業のかみさんからコールバック依頼、A製菓のあかまつさんからメールかくにんのおねがい、あとO情報のもりさんからWEBが見れないので早急に対応してほしいとクレームがありました。こちらは十時までにしんちよく報告が必要とのことです。それからS案件のRAIDアダプタについて、午前中に発注出なければ納期に間に合わないとベンダーから連絡がありました。二時間以内に社長から発注承認をもらってください。発注書の作成はこちらで行います」

 藤崎の顔から血の気が引いていく。彼はあわてたようで向かいのデスクに向かった。受話器を取り上げ、はっと気づいたように顔を上げる。

「そういえばカモメさん、むろさん今日きよう来てる? まだ席にいないみたいだけど」

 カモメはうなずいた。

「いつもみたいにラボで泊まってますよ。朝方まで作業してたから今は力尽きて寝てるんじゃないですか」

「悪いけどちょっと起こしてきて。いくつかそうだんしたいことがあるから。あ、あとさくらざか君の件──」

「大丈夫です。こちらでもろもろ説明しておきますから。藤崎さんは仕事を片づけてください」

 にっこり笑ってカモメは工兵にウィンクした。それで安心したのか、藤崎はパーティションに引っ込んで電話をかけ始めた。

 あとに残ったのはカタカタという乾いたけんおんだった。カモメは相変わらず画面も見ずにキーボードをたたき続けている。彼女は「というわけで」と調ちようを改めた。

さくらざかさん──ああ、えっとこうへい君って呼んでもいいかしら? 年の近い人をみようで呼ぶのって、なんかよそよそしくって」

 そう言って人なつっこい表情を浮かべる。工兵はされたようにうなずいた。

「……はい、大丈夫ですけど」

「ありがとう。じゃあ工兵君、君の席はここ、あたしのすぐ後ろね」

 カモメは小首を傾け工兵の後ろにせんをやった。振り向くと、ほかと同じようにパーティションで囲まれたデスクが見える。机の上に小振りな液晶モニタとキーボードがあった。

「文房具一式は引き出しに入れてあるから、足りないものがあったら言ってね。PCはOSしか入ってないんであとのセットアップは自分でお願い。メールのアカウント情報はこれ、あとOfficeのメディア」

 ぽん、とクリアファイルを手渡される。中にCD─ROMと書類が挟まっていた。

「で、こっちが服務規程と秘密保持規程。ざっと目を通したら最後のページにサインしてあたしに戻して。それからこれが通勤経路しんせい、給与支払い口座の申請書類、あとにゆうかんカードの申請書」

 腕の中にどんどんと書類がみ上げられていく。あやうく取りこぼしそうになり工兵はファイルを抱え直した。

「──で、これが正式な入館カードが来るまでのゲストカード。………、と、いつたんこんなところかしら。何か質問ある?」

「……とりあえず、ないです」

 工兵は疲れ切った表情で答えた。

 正直まったくついていけていなかった。が、この場で一つ一つかくにんしてもキリがなさそうだった。あとでまとめて質問しよう。そう思って書類をそろえ直す。カモメは満足そうにうなずいた。

「OK、じゃあ早速席について──と言いたいところだけど、その前に一つおねがいしてもいいかしら?」

「……はい?」

 工兵は目をしばたたいた。カモメはもうわけなさそうに首をすくめた。

「さっきふじさきさんが言ってたでしょ、むろさんを起こして来てって。悪いけどちょっとお願いできないかしら。あたしが行くべきなんだけど、ちょっと今──」

 皆まで言う必要はなかった。工兵と会話しながらカモメは猛烈な勢いで業務をこなしている。とても手をはなせそうに見えなかった。

 こうへいはこくりとうなずいた。

「分かりました。……えっと、ラボルームってどこにあるんですか?」

 そこの──と、カモメはまどぎわとびらを示した。

「扉を出てもらって廊下の突き当たり、サーバルームを過ぎた右手よ。ほかはないからすぐ分かるはず」

「分かりました」

 一礼してきびすを返す。

 書類とかばんを自席に置き窓際に向かう。その時、背後で「あ」と声がした。

 振り返るとカモメが心配そうな表情でこちらを見ていた。

「踏まないようにね」

 ………?

 工兵は首をかしげた。どういう意味だろう、そのむろという人がどんな寝相をしているか知らないが、まさかゆかに埋もれているわけでもあるまい。普通に探していれば踏むはずがなかった。

 だが意味をたずねるより前に、カモメはパーティションの向こうに引っ込んでいた。

 ───。

 疑問に思いながら部屋を出る。

 廊下はオフィスの外周に沿って作られていた。ブラインド越しにあわい陽光がし込んでいる。反対側のかべを見るとパネルの上半分がガラス張りになっていた。ガラス奥の照明は落とされ、ごうごうと低い風のうなりが聞こえてくる。なんだろうと思いのぞき込むとやみの中に無数の光点が見えた。赤、青、黄色、宝石箱をぶちまけたようなあかりがそこかしこにまたたいている。

 室内にしよかんしよを思わせる棚が並んでいた。棚には幅広の箱がまれ、色とりどりのケーブルが箱と箱、棚と棚をつないでいる。光点は各箱の上にともっていた。

 なんとも幻想的な光景だった。夜の工業地帯を遠目で眺めた時のような気分。形容しがたい感情に突き上げられ工兵は立ちすくんだ。一体なんの部屋なのだろう。……いや、さっきカモメが何か言っていた。たしか……サーバルームだっけか?

 サーバと言われても工兵はめいかくなイメージを持っていない。せいぜいパソコンのすごやつ程度のにんしきだった。ただ、よく巡回するウェブサイトが見られなくなると、「サーバが落ちた」と言われる。メールが届かなくなると「メールサーバに障害が発生しています」とアナウンスされる。つまり自分達の使っているインターネットのサービスがサーバと呼ばれるコンピュータにより提供されている──その程度の理解はあった。そうすると、この部屋のかいは何かインターネットの一部として動いているのか。

 ざわりと気分がこうようする。

 この会社に来て、初めてIT業界に足を踏み入れた実感を覚えた。そうだ、自分は今日きようからエンジニアとしてこれらの機械を扱っていくのだ。インターネットや企業システムの内側に入りサービスを支えていく。それはなんとやりがいのある仕事だろう。たしかにこの会社はじやつかん(?)変なところがあるけど、自分の目指していた仕事はできる。それで十分じゃないか。どこの会社だって予想と違うことはある。新入社員の数が事前の話と異なっていても、上司が死にそうな表情で倒れていても、仕事量がちょっとばかり多そうでも(……ちょっと?)──そんなのはさいなことだ。

(うん)

 表情をめ廊下を進んでいく。突き当たり右手のとびらが大きく開け放たれていた。扉とかべすきからほのぐらい室内がかいえる。ぶんあそこがラボルームなのだろう。

 こうへいは足を速めた。扉のわきに立ち、すっと中をのぞき込む。

 しゆんかん──

「……うっ」

 彼は顔をしかめた。

 広さにして八畳ほどのだった。カーペットきのゆかに段ボールやはつぽうスチロール、パソコンのケースが積み上げられている。室内中央の長机に箱形のかいが並べられ、かんだかい風切り音を振りまいていた。無数のケーブルがつたのように机の足を隠している。せんを奥に転じるとかべぎわに巨大なホワイトボードが見えた。白板中央に四角と線をつなぎ合わせた──設計図? のようなものが書かれている。図の横には赤字で大きく『十時まで仮眠! 起こすな!』と記されていた。

 ──とんでもない散らかりようだった。

 知らずに覗き込めば台風でも通り過ぎたのかと思っただろう。はいおくやゴミ捨て場よりいくらかマシな光景。およそ会社のオフィスとは思えない眺めにこうへいは言葉を失った。

 ……こ、こんなところで寝ているのか?

 疑問に思いながら足を踏み入れる。ほこりっぽいにおいがこうげきした。くう調ちようを全開にしているのか室内は肌寒い。肩をすぼめ周囲を見渡す。見えるはんに人の姿はない。机の陰で横になっているのか、あるいは──

「いてっ」

 すねに何か固いものが当たった。せんを落とすとおおがらなパソコンケースが横たわっている。段ボールに隠れていたせいで手前から見えなくなっていたのだ。

(危ないなぁ)

 まゆを寄せおおまたでパソコンケースを乗り越える。よく見るとすぐ先の発泡スチロールからドライバーが突き出していた。その向こうにはニッパーがえいやいばを上に向けている。知らずに踏みつけたら大変なことになっていただろう。工兵は背筋に冷たいものを感じた。

 ていうか、カモメさんが踏まないよう言ってたのってこのことか? むろさんとかいう人じゃなくて、床の障害物に気をつけろと。……まぁ、確かに注意したくもなるよな。こんなありさまじゃ。

 ───。

 ようやくのことで長机にたどりつく。ここまで来ると床のさんじようはもはやがたいものになっていた。カーペットがめくれ床に大穴が開いている。正体不明の金具がベアトラップよろしく段ボールに隠れている。かつに足を動かすとケーブルにすねをひっかけ卓上のが転がり落ちそうになる。──

 こうへいひたいの汗をぬぐった。まったく──なんなんだ、ここは。こんなところで人間が働けるのか? ましてや寝るなんて。一体どんなごうけつだ。じんじような神経の持ち主とは思えない。

 とりあえず机の向こうだけ見て、それで見つからなかったら入り口に戻ろう。大声で相手の名前を呼んでみるとか、ゆかいてるところを進み直すとか。とにかくなんでもいいからほかのアプローチを探りたかった。このまま道なき道を進むのだけはなんとしてもけたい。

「……よっと」

 左手を机に突き右足を前に出す。慎重にバランスを取りつつ机の向こうをのぞき込もうとした時だった。

「……ん」

 あしもとで妙な声がした。

 やや鼻にかかった、子猫の鳴き声を思わせるこわ。気のせいかと思いちんもくしているともう一度、今度は「んー……」とだるげな声がひびく。──だれかいる。自分のすぐ下に。

 工兵はせんを落とした。



 がらな女の子があしもとに横たわっていた。

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