レイヤー2 【10/10】

「あ、あの……」

「ここ」

 耐えかねて声を上げたしゆんかん、室見がディスプレイを指さす。つややかなつめの下に「password」の表記があった。管理用に割り振った、機器のパスワードだった。

「passwordが平文になってる。これじゃあコンフィグ見ただけでログインパスが丸わかりじゃない。enableもsecretを使ってないし。あと、vtyにだけパスワードかけてコンソールが認証なしになってるのはなんで?」

 ぐっと口ごもる。指摘の意味を考える間もなく室見は言葉を続けた。

「cdpを殺してないから対向のデバイスに余分な情報を与えかねない。logの表示も起動時間準拠のまま。あとでトラブル起きた時にどうやって時系列かくにんするつもり? domain参照も今回は不要。コマンドtypoした時に、余分な待ち時間かかるだけよ」

 ふくらみきった自信がじよじよしぼんでいく。見えない剣でめつ刺しにされているようだった。やっぱりなのか、自分のような素人しろうとがいくらがんったところで、実案件では使いものにならないのか──

 意気消沈していると、不意に室見が「でもま」と言った。

「よくできてるんじゃない? いちけで勉強した割には。ギリギリ合格点」

「……え?」

 工兵はぱちりと目をしばたたいた。

 え、何?

 今、なんて言われた……?

「なによ、変な顔して」

 ほど妙な表情をしていたのだろう。室見がひるんだよう身体からだを引く。工兵はあわてて首を振った。

「あ、いえ、すみません。……その、これでいいんですか? 納品──できちゃうんですか」

「はぁ? 何聞いてたのよ、さっき直すところ教えたでしょ。そこを修正して終わったら実機に投入。まだやること残ってるわよ。ほら持ってきて。私の横に座る。コンソール接続の取りかた教えてあげるから」

 信じられない思いのまま室見のとなりに座る。彼女はPCを工兵との間に置いた。画面を工兵に向けているためか、むろがキーボードに指をわせたしゆんかん、肩を寄せ合うような姿勢になる。ふわりとせつけんのいいにおいがこうをついた。

 どぎまぎするこうへいの前で、室見は水色の平べったいケーブルを取り上げた。

「これがコンソールケーブル」

 説明しながらケーブルをノートPCにつなぐ。卓上のネットワークを引き寄せ「con」と書かれた口にもう一端を突き刺した。

「TeraTermを起動、新規接続のダイアログでシリアル・COM3ポートをせんたく。ここでOKを押せば──ほら、来た」

 画面に〓型のプロンプトが現れる。室見は工兵にPCを差し出した。

「え」

「これでPCとルータが繋がったの。あとは自分で打ってみなさい。コマンドは私が言うから」

 室見が横でコマンドを読み上げていく。ぎこちなくキーボードをたたきながら工兵はターミナルの画面を食い入るように見守っていた。ユーザモードから特権モードへ、コンフィグレーションモードにプロンプトが切り替わる。

 室見に言われるまま、自分で作ったコンフィグを画面にりつけていく。途中、室見に指摘された箇所を修正し、ほかにもいくつか管理用のコマンドを追加させられた。例によってから調しらべ直すため時間がかかるものの、室見はしんぼう強く作業を見守ってくれた。

 ───。

 四苦八苦した挙げ句、コンフィグの投入が終わる。工兵はひたいの汗をぬぐった。──やった、やりとげた。

「まだまだ。ちゃんと動くかテストするわよ、どうかくにん

「テスト?」

かんきようを作って、実際に通信できるかどうか見てみるの。ていっても、この程度の構成ならそんなに複雑なもの準備する必要ないから。──そうね、ルータを挟んでPC二台をちよくせつぞく、お互いに通信できればいいか」

 ………?

 よく分からない。首をかしげていると室見はいらたしげに「ああ、もう」とたんそくした。立ち上がりホワイトボードのところに歩いていく。大きな四角形を書いて工兵をかえりみた。

「これルータ。いい? あんたがインターネット側に設定したインタフェースと私のPCを繋ぐ。で、LAN側にあんたのPCを繋ぐ。設定が正しくされていればPC同士、ちゃんと通信できるでしょ? そういうこと」

「PC同士? 通信できるんですか?」

「あたりまえでしょ、ルータってそういう機械なんだから」

 いや、まぁたしかにそうかもしれないが。

 こうへいは口ごもった。

 自分の作ったかいが通信を中継する? なんと言うかまったく実感がかなかった。もちろんじようの理屈は分かる。だが実際に動かすとなるとどうにも疑わしかった。

「いいから、ごちゃごちゃ悩んでないでやってみる。PCのアドレスをこれに変えて。で、LANケーブル準備。向こうの棚にクロスケーブルってがみの箱あるから、そこから適当なの二本持ってきて。早く!」

 大声に背中を押されケーブルを取りに行く。机に戻るとホワイトボードの図に従いPCとルータを接続していった。

「アドレス変え終わった? じゃあ次、コマンドプロンプト立ち上げて。──そう、『ファイル名を指定して実行』からcmdと打ち込んで。リターン。そう、それ」

 黒一色のアナクロな画面が起動していた。画面左上に白字で『C:¥Users¥rikka』の表記がある。その横には〓の表示。さきほど見たルータの設定画面と同じ、コマンド入力の受付プロンプトだった。

「ping、スペース、対向PCのアドレスを入力」

 むろに言われるままキーをたたいていく。最後まで入力し終え工兵は室見を見た。一体何をさせようというのか、しんおもちでいると室見はうすく唇をゆがめた。

「pingは通信かくにんのコマンドよ。icmpのエコーパケットを投げて応答があるか確認する。結果が返ってくればルータの設定は成功、来なければ失敗。エンターを打てばそれが分かる」

「わか……る」

「あんたがここ二日かけてやった作業、その結果よ」

 ごくりとつばみ込む。工兵はキーボードを見つめた。右手の中指がエンターキーの上で止まっている。この指を下ろせばけつろんが出る。自分のコンフィグが正しかったか証明される。

 室見は無言で工兵の決断を待っている。工兵は大きく息を吸い込みてんじようあおいだ。ゆっくり呼吸を整えたのちせんをモニタに落とす。唇を結び、人差し指をキーボードに落とした。

 ───。


 Pinging xxx.xxx.xxx.xxx with 32 bytes of data:

 Reply from xxx.xxx.xxx.xxx: bytes=32 time〈1ms TTL=128

 Reply from xxx.xxx.xxx.xxx: bytes=32 time〈1ms TTL=128

 Reply from xxx.xxx.xxx.xxx: bytes=32 time〈1ms TTL=128

 …


 画面を数字とアルファベットが流れていく。

 Reply from──意味は……応答あり。

 つな……がった?

 こうへいあえいだ。

 いつしゆん遅れて、ざわりと鳥肌が立つ。なんとも言えない感覚がしきを満たした。背筋がぞくぞくする。うわ、やばい。なんというか、これは──

「気持ちいいでしょ?」

 振り向くとすぐそばむろの顔があった。ひとみつやっぽい光をたたえ画面をのぞき込んでいる。彼女はすべてをかすような表情で工兵に告げた。

「あんたの作ったネットワークよ」

 僕の──?

 ぼうぜんとモニタを見る。黒いウィンドウには、たしかに接続成功のあかしが刻まれていた。今、二台のPCはつながっている。自分の作ったネットワークで、一から組み上げた設定によって。

 もう一度、pingコマンドを発行する。結果は同じ。Reply fromのもんごんが下から上に流れていく。もう一度、──もう一度。

 室見はあんしたように肩の力を抜いた。

いつたん、動作は正常みたいね。あといくつかテストこなして、それで問題ないようならこんぽうしましょう。時間は──あと二時間あるか。余裕ね」

 室見はけいたいを畳み工兵を見た。

「あんた、一度きゆうけいしてきたら? 朝からずっと作業してるでしょ」

「え……」

 突然の申し出に工兵はきょとんとした。室見は心なしあごを持ち上げた。

「休憩よ、休憩。食事でも一服でも、とりあえず頭休めてきたらって言ってるの。残りのテスト、ぼんやりやってミスされるのもいやだし」

 たしかに、言われてみればまともな休憩を一度も取っていない。空腹はともかくのどがひりつくように渇いていた。そうだな、水分くらい補給しておくか。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 ここは彼女のやさしさに甘えよう。なんか、優しすぎて気味が悪いが。ちょっとくらい自分のがんりを認めてくれたということか。まぁそれならそれで相手の気が変わらないうちに──

 机に手を突き立ち上がる。その時、どたどたとそうぞうしい足音が廊下から聞こえてきた。

「む、室見さん!」

 悲鳴のような声がひびいた。

 入り口に細身の男性が立っている。真ん中分けの髪、けたほおえりもとの乱れたシャツ。

 ふじさきだった。

「た、た、大変だよ、室見さん」

 ふじさきは混乱もあらわに言った。動転しているためか、眼鏡めがねの奥でひとみが泳いでいる。むろは顔をしかめた。

「なんですか、いきなり」

「い、今うちの部署に荷物が届いてて。中身見たらネットワークスイッチだったんだけどなんの案件に使うか分からなくって。たまたま社長がいたからいてみたんだよ。そうしたら……M情報のざいだって」

 M情報……? 聞き覚えのある社名に首をひねる。

 ──ていうか、あれ? 今自分達のやってる案件って……

「M情報の機械なら、ここにありますけど」

 室見のげんな声に藤崎はぶんぶんと首を振った。

「ゲートウェイルータじゃなくてスイッチ。どうも社長、DC内スイッチのリプレースもってたみたいで」

 いつしゆん、室内の空気が凍りつく。室見は乾いた声で「何台ですか」とたずねた。

「四台。24ポートものが二台と48ポートものが二台」

「納期は」

今日きよう中、ルータといつしよに送付してほしいって」

 ………。

 ふ、ふざけるなあっ!

 こうへいそつとうしそうになった。たった一台の機械を設定するのにこれだけかかったのだ。それがあと4台? 悪いじようだんにしか思えなかった。ついでに言えば機材のしゆうまであと二時間程度しかない。

 工兵はふるえる声で訊ねた。

「な、な、なんでそんなことになってるんですか。社長はなんて言ってるんです?」

「いや……忘れてた。ごめんって」

 いさぎよいな! おい!

 ………。

 一体どうするつもりだ。すがるような思いで室見をかえりみる。だが彼女はたんたんとした表情で頭をいた。

「──ま、いつものことか」

 えええ!

「うん、ま、いつものことなんで。ごめん」

 藤崎さんまで!?

 ぼうぜんと立ち尽くす工兵に室見はするどせんを投げかけた。

「というわけでさくらざかきゆうけいは中止、とりあえず機械を取りに行くわよ。一時間で設定して三十分でテスト。そうすればこんぽうに三十分時間を取れるわ」

 うれしくない、まったくもって嬉しくなかった。

 だがむろに仕事を投げ出すというせんたくはないようだった。こうへいの首根っこをつかみ、ずるずると力任せに引きずっていく。後ろでふじさきもうわけなさそうに頭を下げていた。


 結局、作業はしゆうに間に合った。だがかいの追加で各種資料の更新が必要になり、工兵は集荷のあとも後始末にぼうさつされることとなった。

 そして結局──

 その日も、工兵はめでたく終電帰りとなった。

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